第六章 レキュペレイション(回復) 


       1


 私は混乱していた。


 目の前のこの男はいったい何を言い出すのだろう? クローンだと? この私が? そんなはずはない。私はスルト・マッケイ、統合移民局の、移民局の……


 いや、この際、部局や所属などどうでもいい。

 ともかく、私は都市消失事件の専任調査官なのだ。


「ロミリオン調査官、私はあなた……のことをだいぶ買いかぶっていたようだ。いい機会だからはっきり予告しておく。この事件が終わったら、あんたを統合移民局に告発するつもりだ」

「だいぶ混乱しているな、告発とは。いったいどういう容疑かね」


 しれっとした調子に痛いところを突いてくる。

 しかし今回だけは話の優先権を渡すつもりはないぞ。


「ルゴ市民の殺害および、移民局調査官の殺人未遂容疑だ」

「クローンの妄想にしちゃ物騒な話だが」

 やつは、ほんの一瞬だけ眼を動かし、銃を持つ右手にはめた腕時計を見る。

 油断は見せなかった。拳銃の狙いはしっかり私の胸元から動かない。

「それは、ナイスを撃ったニードルガンだろう?」

 私は指を突きつけ、文字通りやつを指弾する。

「……ほう。どうしてそう思うんだ?」

「自警団員を縛り上げたとき、あんたは拘束用の特殊ロープを使っていたな?」

「珍しくもない装備だ。こういう仕事をしている人間なら誰でも普通に持っている」

「ああ……だが、クラッフワースの尋問を受けたとき、やつの手首にロープの跡が残っていた」

 ロミリオンは不審そうな顔をした。


 それがどうしたとでも言いたげだった。


「あんたはロープで拘束するとき手の甲側で縛る。ほかの自警団員たちのときもそうしていた。クラッフワースの手首の表側に結び目の跡がくっきりついていたよ。……検死の時、ナイスの手首にあったのとまったく同じ跡だった」

「……状況証拠だ」

 そのことばとは裏腹に、やつは真顔となっていた。

「人間には誰でも癖がある。ロープを縛るときに、それが出ることだってある。それに、あんたはその銃で私も殺そうとしただろう? 移動プラントで」

「そうじゃないさ。あのときにおまえを殺してもなんの意味もない」

 ロミリオンはあっさり犯行を自供した。


 ただしそれは観念したからというわけではなさそうだ。この男は依然、自信に満ちあふれ、その傲岸不遜とも言える態度を崩していなかった。


「おまえを誘導するために色々苦労した。プラントじゃ計器に積もった塵や埃を払って、保安官謀殺と保険金詐欺の証拠を見つけやすくしてやったり、保安官事務所には未発見の資料を用意したりしてな。まさかあの娘に発見されるとは思わなかったが。……ニーゼイも市長の不正に気づいていたらしいから、結果的にその遺志を汲んでやったことにもなったわけだが」


 この数日間、ルゴで私の身に起こった出来事は、すべてこいつの手になるものだったらしい。まさかそんなことまでしていたとは。

 考えもつかなかった。


「……だが、なぜ? あんたの目的は? 何が狙いだ」

「もうわかるだろう? レックシステムを入手することだ」

「レックシステムの……入手?」

 ばかのようなオウム返しとなる。

 話の主導権を握るにしても、自分の知らない話ばかりでは、まったく分が悪い。

「すべてはそのためだ。あの自警団員は間が悪かった。移動プラントの廃倉庫に隠していたわたしのライナーホースを見つけてしまったからな。おかげで研究所への潜入に役立つ情報を引き出せたが」


 ――この、黒いライナーホースのことか


「拷問したんだろ?」

「尋問だよ。我々が自警団本部でやられたように」

「いくらあの自警団でも、殺しまではどうかな」

「もちろん、あのままならふたりとも自警団長に殺されていたさ」

 ロミリオンは確信に満ちてそう断言した。


 この男はある意味、始末に負えない男だ。


 目的のためならどんなことでも平然と実行し、その結果に疑問や呵責を感じることもない。プロと言えば聞こえもいいが、あるべき人の姿からはほど遠い、単なる殺人者と変わらない。


「あんたの話は、どこまでが真実なのかわからない。だが、今の話はチョ・ナイス殺害の自供ととっていいんだな」


 ロミリオンはため息をついた。


「やれやれ、暗示の効果は完璧だな。……せっかく貴重な時間を使って話をしているというのに。だが、まあいい。クローンの記憶操作は、どうやら現在の手法で正解らしい。まだなにも思い出さないとはね」


 ロミリオンは銃を構えたまま腕時計に手をかけ、文字盤を腕の上面に回した。

 視線は私から外さず、やはり油断は見せない。


「なにを思い出させようと言うんだ」

「いや、もういい。これ以上は時間の無駄だ。この場所にも、調査官ごっこにも、用はない。おまえの代わりも手に入れたしな」

 私は苛立った。

 いい加減この男の余裕ぶった、気取るポーズには飽き飽きしている。


 と、突然めまいにも似た、あの馴染みの感覚を覚えた。


 ――なにもこんなときに!


 脳裏に浮かぶ統合移民局のサイボックス映像を無視し、目の前の危険人物に集中しようと必死になる。

 本部へは隙を見て連絡を取るつもりだったが、これはあまりにも悪いタイミングだ。なんとしてもロミリオンに本部と連絡を取るそぶりを見せてはならない。


「おや? どうした? 具合でも悪いのか?」

「疲れのせいさ、連日の激務でね。実はもう立っているのもやっとなんだ」

 軽口で切り返そうとしたつもりなのに、自分でも単なる愚痴にしか聞こえない。ロミリオンは私の言葉には反応せず、驚くようなことを言う。

「さっさと出てみろよ。本部からだろ?」


 やつの目はごまかせなかった。

 それにしても、なぜそんなことがわかるのか。


「いまさらとぼける必要はないぞ、私にはわかるんだ」

 内心、薄気味悪く感じたが、仕方なくやつの勧めに従い、本部からのコールを認証した。



       2


 <マッケイ。いったい、そこでなにをしている>


 いつもの担当者。

 いきなり叱責を受ける。

 感情は感じられなくとも、口調からたぶんそうだと判断した。


 <申し訳ありません。いま立て込んでいて、あとでご連絡します>


「いや、それはないな。おまえに次はないぞ。マッケイ」


 <それは……どういう意味ですか>

 <目の前の男に聞いてみろ>

 <目の……前のですか>


「いいかげん、気づけよ。マッケイ」


 あきれたようにロミリオンは言った。

 私はいまここでなにが起こっているのか、実はまだはっきり把握していなかった。

「はあ……」

 その間抜けた返事を、思わず声にも出してしまう。

『目の前の男』は、いきなり笑い出した。

「おまえ、まだわからないのか? ずっとわたしの指示だったんだよ。ここに来る前も、来てからも」


 事の次第が、だんだん明らかになる。


 つまり……ルゴへの赴任はこの男からの指示だったということだ。

 統合移民局本部との連絡もすべて、この男からの代理通話だったのだ。


 ――なりすまし……例のサイボックスか?


「いやいや、そうじゃない。リンシュタインは関係ない。いままでおまえが統合移民局の担当者として通話していたのはすべてわたし本人だ。ルゴではレックシステムに干渉され、ドーム外でなければ繋がらなかった。若干面倒だったがな」


 私の『思考』に、ロミリオンは『口頭』で返事をした。


 この男はさっき時計を直していたわけではなく、私に向かってコールするために生帯を操作していたのだった。


「つまり私は、ずっとあんたの言うとおりに動かされていた……」


 急いで生帯との接続を切った。

 その事実に、いい知れない喪失感をおぼえる。


「ロートランドの一件には公表されていない事実があった。よくある月並みな話でね。不都合な真実は行政によって必ず隠蔽される。で、端的に言うと、あの街はレックシステムにより潰滅した。おまえは、ロートランドを直接攻撃したランダム・レッカーの中にいたんだ」


 この男はひとの話へまともに答えることをしない。

 いつも違う話題、異なる角度から一方的に論を進め、主導権を握る。

 おまけに自己顕示欲の強い話し好きときている。


「答えになっていないぞ、ロミリオン」

 カウントダウンも気になるものの、いまは好きなようにしゃべらせ、この男の隙を伺うしかない。


 絶望的状況だ。


「答えはここにあるだろう? おまえはかつてこんな風に、レックシステムの代行者【さばきの王】として、ロートランドを滅ぼしたんだ」


 ロミリオンは手を伸ばし、ランダム・レッカーの胸元にあるスイッチを押した。


 黄銅色に輝く胸部装甲は内圧からか、勢いよく外部に空気を吹き出し、ゆるやかに左右へ開いていく。巨人機の内部は、私の目に次第に明らかになった。


 コクピットというには狭い空間の中にびっしりとケーブルやパイプ、ホースの束が、まるでこの巨人機の大胸筋のように詰まっていた。それらの束の合間から、密閉された透明プラスタルの巨大な円筒形カプセルが見える。


 その中に……人間らしきものの姿を認めた。


「この巨人機は【さばきの王】として都市消失を実行すると同時に、生物センサー、つまりクローン人間の生命維持装置にもなっているそうだ。カプセル内のクローンには、いま現在、レックシステムのすべてが都市から脳髄に移送されているんだろう。システムは都市を消し、その後、証拠隠滅のためこの巨人機を地中で消滅させる」

「地中? こんなもので地下に潜れるのか」


 あり得ない話に思えた。


「古い都市には大抵、なぜか地下シェルターもある。実はこいつが地下に降りるためのカムフラージュ設備だそうだが」

 なるほど、都市建設初期の図面から偶然発見されたというシェルターはそのためのものか。


 しかも、いまはそこへルゴの全住民が避難している。

 やはりレックシステムを考え出し、施行したやつらの【さばき】は、冷酷かつ徹底的に行われるのだ。


「これが都市消失の真相だ。だが、すべての終わるその前にレックシステムは生命維持カプセル内の生物センサーに、人間として活動できる処理を施し、解放して次の都市へ赴任させる。あらたな【さばきの王】をどこかの都市で発動させるための、起動キーとしてな」

「……起動キーはホープだと言っていたように記憶しているが」


 自分の声なのに、まるで別人のもののようにしわがれて聞こえた。


「ニーゼイ一家か……さて、本当のところはどうなのかな」

「きさま……」

 頭に血の上りかけた私の様子を見て楽しんでいるかのように、ロミリオンはふたたび酷薄そうな笑顔を作った。

「……なんてな。冗談だ、彼らはたしかに生物センサーには違いないようだ。役割は先だっての会議で話したとおりで、モラルの監視者として、代々都市に居座り続ける。【さばきの王】が現れた時には、都市と運命も共にするらしいぞ」


 見てもいないのに、病院棟で仲良く横たわるレッキイとホープのイメージを一瞬脳裏に浮かべた。


「しかしその前に、最終的に都市のモラルハザードを評価する、システムの起動キーが都市を訪れる。それがおまえさ、マッケイ」

「だが……システムはホープの容態と密接に関係が……」

「それはわたしが吹き込んだからそう思うのだろう。よく考えろ、思い出せ。……最初の警報が鳴ったとき、その次の警報が鳴ったとき、おまえの心理状態はどうなっていた?」

 

 

       3


 最初の警報は、たしかホープが市長に撃たれた時だった。

 彼と密接に関係していればこそ、システムはホープの異常をキャッチし、警報を出したと考えることには、なんの不思議もない。


 二度目の警報は……私とロミリオンが密室で拷問を受けていた時だ。

 なぜ一級警報が鳴ったのか。

 ホープと一緒にいたわけでもないのに分かるはずもない。


 いや、待て。


 あの時、私が電撃を受ける前、たしかクラッフワースからホープの容態が急変したと告げ知らされたのではなかったか。

 おそらくホープが危篤状態になったので、警報は出たのだ。

 そうでなければ……まて、心理状態だと?


 ロミリオンの問いにより、心の奥底に埋もれた感情の記憶が、霧の向こうから初めはおぼろげに、だんだんはっきり浮かび上がってきた。


 撃たれたホープのぐったりした姿を見た時の無念と後悔。

 その後の暴力的な怒り。


 彼が死ぬかも知れないと聞かされた際にはどうだったか。


 言いようもない無力感と同時に、怒りやその他の感情もあったものの、その最下部には事態を招いた全ての状況、人間への呪いと、暗く冷徹な……


 ――殺意


 自分の中に潜む、激しく冷たい感情の全容を理解するのに時間はかからなかった。

 私の心は、父親を失った少年や家族……に対するこの都市の人々、市長やクラッフワースをはじめとする自警団の仕打ちに、厳罰を裁定していた。

 奇妙な符号として、どちらの警報も、私がそれを心で告げたとき鳴り始めていた。


 ――だが……だが、私はこの街の消滅を願ったわけではない!


 暫時無言になった私の表情を興味深そうにながめ、ロミリオンは満足そうに言う。

「心当たりはあったのか? あったんだな?」

「ルゴを消滅させようなどとは思っていない」

 私は反駁した。

「そうか。何を考えようがわたしに知る術もないが、ともかくルゴ焼失のきっかけは起動キーであるおまえにある。いろいろな仕掛けで、なるべく心理的に追い込んだ甲斐もあった」

「……なんだと?」

「そう怖い顔をするな。どういう仕組みかはっきりとはしないが、おまえが心理的に追い詰められれば、物騒なことを考えるかも知れないと思っただけだ。それを結果的にレックシステムがテレパシーか何かでキャッチし、起動してくれるんじゃないか、とな」


 レックシステムは三段構えの仕組みで都市のモラルを判別すると言う。


 ひとつはサイボックスにより採取する都市住民の無意識下の情報。

 もうひとつはレッキイやホープのような都市在住生体モニターの生活体験から来る感情、思考、意識だ。

 最終的に都市を消失させるかどうかは外部から来た生物センサーが都市を見回り、起動キーとして判断を下す。


 情報、主観、客観と、一応、合理的、論理的な判断基準を設けるためでもあるし、刑の執行猶予期間を稼ぐため、なのかもしれない。だが――


 聞くもおぞましい仕組みを得意げに解説するロミリオンにも構わず、私はランダム・レッカーの胸元からのぞくカプセルに近付きはじめた。

 話を中断すると、やつはニードルガンを突き出し、鋭く叫んだ。

「動くな」

「もう、あんたの言うことはなにも信用できない。そこに何がいるって? 生物センサーだと? クローン? 私のことも含め、自分のこの目で確かめなければ、信じられないな」


 ロミリオンは少しずつ後ろに下がり、私がランダム・レッカーの胸元を見やすい位置に場所を空けた。


「ここが気になるのか? いいぞ、その目で確かめてみればいい。もうあまり時間はないが、次期センサーとの対面を許してやる。きっとレックシステム始まって以来のことだろう」


 その場所に近づくにつれ、私の足は夢遊病にでもかかったようにふらつき、全身から発汗する。

 この男のことばもあまり耳に入らなくなっていた。


 私は、直接触れることも可能なほどカプセルに近づき、中の生物センサー……いや、クローン人間がよく見えるよう邪魔なコード類をかきわけた。


 いまここで起こる決定的な出来事の示す先に、『私』という人間の真実がある。


 見通しのよくなったカプセル内の培養液に、身体中に端子やコード、ケーブルをつけられ浮遊している人物の姿をはっきり確認した。


 語るべきことばは何も見つからなかった。

 話の続きも、もうどうでもよくなった。


「見たな?」

 ロミリオンは背後から声をかけてきた。

「……ああ、見た」


 自分の身体から、体力も、気力も、なにもかも抜けだしてしまったようだった。


「おまえはロートランド跡地の近くで、ランダム・レッカーの残骸から見つかった。システムに何か手違いでもあったんだろう。機体は全壊状態で復元は不可能だったし、おまえはカプセル内でほぼ危篤状態だった。まあ、どちらもレックシステムの概要を知る、良いサンプルになったがね」


 ロミリオンはニードルガンを上げ、私の胸元に狙いをつけた。

 その顔はまったくの無表情に変わり、それで、この男は今度こそ私を本気で撃つつもりと理解する。


「残骸の解析からある程度こいつの正体は判明した。攻略もだから容易かった。ビームやエネルギーを無効化する特殊装甲と、どんなエネルギーをも吸収するマルチジェネレーションシステムに対抗するには、時代錯誤な実体弾の方がかえって効果的だ、とね。まさかこれほどうまくいくと考えてはいなかったよ。おかげでほぼ完全な【さばきの王】を入手できた」


 実体弾により穴だらけでも完全と言えるなら、私の搭乗していたとされるランダム・レッカーはどれほどひどい状態だったのだろうか。


「……それで、私はもう用済みか。後任の新たな生物センサーも手に入れたしな」

 自嘲気味の私のことばを聞き、やつはうなずく代わり、口の端だけを動かして笑みを浮かべる。

「実際、おまえを修復するのに手間はかかった。リ・サイバネティクス技術を総動員させ、損壊した新たな臓器を作り、移植。脳からレックシステムの呪縛を取り除き、記憶として新たな身分と過去を用意する。……実在しない人間ひとりをでっち上げるというのは、大変なことだと、つくづく思ったよ」

「ロミリオン。【さばきの王】を手に入れてなにをするつもりだ? それに、そいつが都市の地下で爆発しないと都市の消失は完遂しないんじゃないのか? 残骸も残らないぞ」


 気力は衰えても、その話の矛盾を突く程度には頭も回っているようだった。


「『調査官』の身分を刷り込んだせいか、謎に対する興味は尽きないようだな。ご心配なく。レックシステムには二重三重の防御策も施されている。ルゴを含め、システムの存在する都市にはもともと核爆弾がシェルターの奥に設置されていてね。万一【さばきの王】の自爆が何らかの理由で阻止された場合、システムは時間通り、都市に埋め込まれている爆弾に起爆を指示するだけだ。……ロートランドのケースではそうなったようだな。――で、今回の場合、爆発を止めるなら、いまのうちにシステムの本体であるこいつを完全に破壊するしかない」


 巨人機の胸部に埋め込まれた強化プラスタル製のカプセルを顎先で示す。


「わたし個人としてはおまえも生かしておきたいところだが、なぜか上はそう考えていない。レストアし馴染んだ中古品より、まっさらな新品の方に価値を見出すのはいいが、実際の手間暇を考えれば、無駄も多いし、愚かなことだと思うんだが。ただ、軍というのは上の命令に逆らえないからしかたがない。……さて、残念だ。もう時間切れになった。少ししゃべりすぎたかな。早くここを離れないと」


 ひとつだけどうしても気になっていたことを、口に出した。


「テレパシー通話であんたの身分照会をしたとき、なぜあんたは自分で自分を知らないと言ったんだ?」


 やつは早口に答えた。


「……木は森に隠せということだ。虚偽は、大部分のウソと、ほんの少しの真実で信憑性を増す。それに、疑念を持った相手と直接話をし、その疑問を解消されると、相手をより強く信頼するようになる。……最初はわたしの正体を疑ったおまえも、結局わたしのことばを信じて、味方だと思い込んだだろ?」


 ああそうか。

 私は全て理解した。


 その考え方もどうやら私個人の経験則から導き出されたものではなく、プログラミングされていたということか。

 つまり、こいつは、私の監視者であり、指導教官でもあったというわけだ。


「さて、質疑応答は締め切らせてもらうよ」

 すっかり無言になった私を見て、やつは冷ややかに通達する。


 その指はニードルガンの引き金にかかる。


「待て」


 やつの背後に、ビーム銃を構えたクラッフワースが立っていた。




       4


「おやおや、自警団長。いつの間に寝返った?」

 私に身体の正面を向けたまま、ロミリオンは背後のクラッフワースへ返事をした。

「寝返ったのは貴様だろ? ルゴを見捨てようってやつに言われたかねえぜ」


 自警団長はビーム銃を持った右手を、もう一方の手で支え、ロミリオンの背中に狙いをつけていた。

 脱臼した右肩を自分で入れたのか、顔をしかめ、息づかいは苦しそうだ。

「この都市にいるのは見捨てられても当然のやつらばかりじゃないのかな?」

 そううそぶくやつのことばに、クラッフワースは鼻白んだ表情になる。

「聞き捨てならねえな、それは」

「わたしは知っているぞ。ここで何を栽培しているか。基幹産業をつぶし、市民を巻き込んでケシを栽培するとは、なかなかやってくれたじゃないか。天然物ドラッグの市場価格は天井知らずだからな。でも、まさか街全体のモラルハザードをレックシステムに検知されるとは思わなかっただろう?」

「うるせえ、黙れ」

 クラッフワースは、低い、かすれた声でうなった。

 ロミリオンはそれを気にする様子もなく、楽しげに言う。

「市民が天然麻薬の栽培から製造、売買に至るすべてのプロセスを手がけ、武器の仲介、密売までやろうとしている。そんな犯罪王国のような都市は誰だって、滅んで当然と思うじゃないか」


 なるほど、そういうことだったか。


 ルゴの市民たちは多かれ少なかれ、市長やクラッフワースたちの片棒をかつがされていたというわけだった。

 彼らは道ならぬ自らの行いを恥じ、自責の念からやり場のない怒りを感じていたとは考えられないだろうか。生活を支えるため、それを止めることの出来ない悲しみや諦観さえ持っていたかも知れない。

 そんな無意識下の罪責感や負の感情は、よりレックシステムに感知されやすかっただろう。


 病院や、さきほど第一層で出会った群集の怯えた顔を思い起こす。


 街の護り手だったビルズの謀殺を黙認したこと、その結果として都市ぐるみの犯罪に荷担し続けなければならない罪の意識が、いつか誰かに見つかり、裁かれるという予感にも似た恐れとなったのだ。

 黒い手の悪夢や、突然の警報、カウントダウンの幻などは、たしかに異常事態ではあったけれども、それらは彼らの心の奥底にある封印をとくきっかけに過ぎなかったのではないのか。

 レックシステムはそういった人間の心の闇までを探り、暴き出し、一律にペナルティを課す。


 この仕組みには、発想として情も、慈悲も組み込まれていない。


 システムによる【さばき】は人ならぬ神の裁きとは似ても似つかぬ、発案者の自己満足による人為的制裁なのだ。


「さて、時間はあまりないんだが。……このままじゃ逃げ遅れて、共倒れになるぞ」


 ロミリオンは話を止めた。

 私は腕時計を確認する。

 タイマーは残り十分を切っていた。


「話は聞いてたさ。いざとなりゃ、その中にいるクローンをやっちまえばいい」

 クラッフワースは巨人機に憎悪の視線を向ける。

「それは困るな。……どうだ、取り引きしないか? 【さばきの王】は、必ずビッグビジネスになる。これを作ったやつは天才だ。百五十年経っても、こいつの武装と防御システムに匹敵する兵器はない。解析して量産できれば、大もうけできるぞ。当然、市長も了解済みだ」


 その誘いに対し、クラッフワースは苦しげに、吐き捨てるように答えた。


「興味ねえよ。貴様もリンシュタインも武器の華ってもんをわかってねえ」

 軍制部少佐は肩越しに首を振り向け、背後の自警団長を挑発した。

「……武器に華なんてあるものか。カウボーイ?」

「ゆっくりこっちを向きな、調査官さんよ。借りを返してやるぜ」

「決闘か? ケガでも今度は手加減せんぞ」


 ふたりの会話は緊迫の度合いを高めていった。

 クラッフワースは仇敵の背中にゆがんだ笑い顔を向け、命令する。


「そいつは捨てな。脇に吊ってる、例の『火薬式』を使え」

 ロミリオンは指示通り、手に持っていたニードルガンを投げ捨て、用心深く、ゆっくりクラッフワースへ向き直る。

「実弾は高価で、あまり使いたくないんだがね。しかし、まぁ……この場合は止むを得んだろう。手早く決着をつけさせてもらおうか」


 言うと、上着の内側に向け右手を構えた。

 私はロミリオンの投げすてたニードルガンを拾い、ロミリオンに向けた。


「デリンジャーはなしだ、ロミリオン。使ったと分かれば、撃つ」

 やつは横目で睨んでくる。

「ばかめ、せっかく手に入れた【さばきの王】の前で使うと思うか?」

 その口調にはあからさまな侮蔑も含まれていた。


 ふたりの間に、もう私の割り込む隙は一切なくなっている。


 クラッフワースは素早く、ビーム銃を腰のホルスターに納めた。

 構えたつもりの右手には力も入らないようで、だらんとだらしなく垂れ下がっている。そのまま決闘するのは、素人目にもかなり無謀に思えた。


 ふたりの対峙は、エレベーターホールでの勝負そのままの様相を呈していた。


 違うのは場所とギャラリーの数、決闘者それぞれのコンディション、さらに今度こそ完全に決着がつくだろうという緊迫感の大きさだけだ。

「マッケイ、合図を頼む」

 クラッフワースは視線をロミリオンから外さず、銃を抜き合うきっかけづくりを依頼してきた。ふたりの動きに注意しながら、私はその場にしゃがみ、何か投げるものはないかと探した。

 ランダム・レッカーの外装だった黄銅色の破片を表土から取り上げる。

「落ちたときが勝負だ。……それっ!」

 私はかけ声とともに金属片を勢いよく空中に放り投げる。


 それはきらきらと陽光の美しい光を反射させ、両人のちょうど中央付近に落ちた。


「く!」


 今回はロミリオンの方が一瞬早く拳銃を抜き出したように思えた。

 クラッフワースは明らかに出遅れていて、銃撃をかわすためか、左手を前に突き出し、その反動で身体をひねりながら前方の空間に飛びこんでいった。


 轟音混じりの長大な火花が、火薬式拳銃の銃口から大量に吹きだす。


 自警団長は銃すら抜かず、地面に倒れ伏した。

 その姿勢では、初弾はかわせても次の銃撃には全く無防備のままになるだろう。

 得策とは思えない。


 クラッフワースの身体はぴくりとも動かなかった。


 ロミリオンから次弾の放たれる気配もなかった

 ――まさか、命中したのか!

 そう思った途端、私の目前でロミリオンは前屈みになり膝から地面に崩れ落ちた。


 両立て膝の姿勢でかろうじて倒れるのを防ぎ、右手に握る火薬式拳銃を持ち上げ、うつぶせに倒れている前方のクラッフワースに狙いをつけようとする。

 だが、拳銃はその手からすり抜け、地面に落下した。


「あっ!」私は思わず声をあげた。


 鈍く光るナイフがロミリオンの胸に突き立っていた。


 クラッフワースは前方に飛び込みながら、左手に隠し持ったナイフをやつの胸元に投げていたのだった。

 瀕死のロミリオンは、残る力を振り絞り、なんとかナイフの柄を両手で掴んだ。その表情は曇り、浅黒い肌の地顔に似合わぬほど血の気を失っている。


 ほどなく、柄を握ったまま、その身体はゆっくり、前のめりに倒れていった。

 それが統合移民局軍制部所属、ガスク・ロミリオン少佐の最期だった。



      5


 クラッフワースは私が接近しても地面に伏したままだ。

 この決闘に、残る体力のすべてを使い果たしたようだった。

「おれの、勝ちか?」

「……ああ」

「ナイフなら、デリンジャーの影響は受けねえ」

「そうだな」

「ナイフ投げは左の方が得意なんだ」

「ああ、驚いたよ」

 時代錯誤な火薬式拳銃に、それよりはるかに時代錯誤かつ、原始的な武器で立ち向かう発想と、意外性の勝利だった。


「ところで……すまねえが保安官、手を貸してくれ。酸性土で顔中ちくちくしやがる。自分じゃもう起き上がれねえ」


 この男にしては珍しく、地面に顔をつけたまま、情けなさそうな声を出す。


「私は保安官じゃない。もう、調査官でもない」

「……そんな話だったな」

 左から肩を入れ、なんとかやつを立たせようとした。

 肉付きのいい大男なので、なかなかうまくいかない。

 しびれを切らしたようにやつは言う。

「もう時間はねえんだろ? システムを止めるんだ」


 レックシステムを止める方法はひとつしかないとわかっていながら、なかなか踏ん切りをつけられない。確認はしていないが、残り時間はもう三分ほどだ。


 やっと抱え起こしたクラッフワースを歩かせ、でこぼこの少ない場所に座らせる。

 続けて、ロミリオンの死体そばに落ちている火薬式拳銃を拾い上げた。

 わずかの時間だと思うのに、地表に接触していた部分はもう化学反応を起こし、既に熱を帯びていた。


 死体を探り、上着から例のデリンジャーを取り出す。


 膝をそろえ正座姿勢で絶命しているロミリオンは、両手で胸元に刺さったナイフを握りしめ、地表に額をこすりつけていた。

 その格好は、空中にいる何者かに下僕がぬかずき、謝罪しているようにも見えた。


「やばいぞ、一分を切った!」

 クラッフワースは鋭く叫び、私に急ぐよう促す。

「わかってる!」


 怒鳴り返し、例の生命維持カプセル前に移動した。


「なにやってる、早くするんだ!」

「わかってる!」

 そう応えながら、私はカプセル内のクローン人間=生物センサーをじっと眺めた。


 透明プラスタル製の壁を隔て、裸のまま無数のケーブルやコードに繋がれている『私』は、最初に見たときと変わらず、目をつぶったままだ。


 ――私たちは、なんのためにこの世界に生まれてきたのかな


 同じ皮膚の色、毛髪、顔の形や造作、筋肉の付き方まで私そのものだ。

 驚いたことに、左肩についた傷まである。


 ――あの傷は、子どものころ……


 よそう。その記憶はすべて存在しなかった。


『私』という人間はどこにもいない。

 私たちはひとの作り出した闇を、さらに深い闇で封じ込める、人為的な死神として生まれてきたのだ。


「二十秒! マッケイ!」

「わかってる!」


 だが、私の役割は終わっていない。

 私にはやらなければならないことが残っている。

 生命維持カプセル内の『私』にあとがまを譲ることはできない。


「マーッケイ!」


 十秒を切った。まだ完全に決断し切れていなかった。


 ――モラルハザードを起こした都市を消失させることは……


 それは、ロミリオンやその背後にある統合移民局によってすり替えられたものではなく、自分に与えられた本来の使命ではないのか。その使命を果たさないのは、仮りそめの命を持った、自らへの重大な裏切りではないのか。


「ばかやろう、どけ!」


 プラスタル製のカプセル表面に、動かない腕で必死に腰のビーム銃を抜こうとするクラッフワースの映る姿を捉えた。


「リタ!」


 自警団長の悲痛な声が背後に響く。

 なぜかその瞬間、私の心は決まった。


 ――すまん、許してくれ


 目を固くつぶり、息を止めると、デリンジャーのボタンを一気に押しこんだ。

 

 体感できるほど強烈な電磁パルスは、半径数メートル以内にある電子機器の基板を誤動作させ、あるいは破壊し、その機能を完全に、永遠に停止させる。


 目を開け、すぐに時計を確認する。

 デジタルの文字は消えていた。


 ふたつ目の腕時計も壊れてしまった。


「なにもおこらねえ! なにもおこらねえぞ!」


 素っ頓狂な声に振り返ってみると、クラッフワースは足下をふらつかせ、なんとか自力で立ち上がっていた。

 足を踏ん張り、そのままよろよろとこちらに近づいてくる。興奮にケガの痛みを忘れているらしい。

「助かったな、マッケイ!」


 やつは私の肩越しにカプセルの中をのぞき込む。

 すぐその表情が変わった。


「驚いたか?」

「聞いていても、実際見るとな。……でも、あんたやっぱり」

 クラッフワースは生き残った喜びも消えたかのように、それきり押し黙った。

「気遣いはいらない。まあ、見たとおり、そういうことだ」

「それでためらってたんだな。自分で自分を……で……ここにいるあんたは、死んだのか?」


 カプセルについての記憶は脳裏にうっすらと甦っていた。

 生命維持機能の停止後数分で、この『私』は窒息し、眠ったまま息絶えるだろう。


「……たぶん、そうなるだろうな」

「いいのか、それで?」

「これからどうするつもりだ? 自警団長」


 やつの問いには答えず、逆に努めて気楽そうに訊ねた。

 クラッフワースは肩をすくめようとし、痛みに顔を引きつらせる。


「いてて……とりあえずルゴに戻る。あんたは?」

「私もそのつもりだ。やることはまだまだ山積みさ」



       6


 私と自警団長は所有者を喪った黒い六輪ライナーホースに乗り込み、ルゴへ向った。正確にはルゴ跡地とでも言うべきだろうか。

 具合の思わしくないクラッフワースのため、私は車輌を徐行させ、慎重に運転している。

 現行の軍制部車輌らしく、このライナーホースは外装のみならず内部にも様々な特殊装備を持っていた。


 クラッフワースは運転席の後ろにある荷物スペースに窮屈そうな格好で身を縮めながらも、武器マニアらしくきょろきょろとコクピット内をあちこち眺めては、感心したように声を漏らした。


「ちっくしょう。なんだってこんなものまで! カタログにだって載ってねえ」


 私には、最新の装備や武器についての記憶や知識は埋め込まれていないようで、計器のひとつひとつにさえ感嘆している自警団長をうらやましく思った。


「ところで自警団長」

「メルだ」

「んん?」

「左手で済まねえが、メルビン・クラッフワースだ。保安官、あらためてよろしく」


 すっかり右手の挙がらなくなっているクラッフワースは、私の肩越しに左手を伸ばす。その手を儀礼的に握り、私は思わず吹き出した。

 クラッフワースも口の中でもごもごと言いかけ、こらえきれずに笑い声を上げる。


 バックミラー越しに見るその笑い顔は、やはり凄みのある――いまは疲労のため陰惨な顔になっていた――ので、それを見て私はまた爆笑した。

 時間に追われ続ける大きな危機の去ったことで、ふたりとも多少開放的な気分になっているのかも知れない。


「ところでメル、リタって誰だ」

「リ、リタ?」

「さっき大声で叫んでた。恋人の名前か?」

「いや。……おれのガキだ」

 背後からきまりの悪そうな声がした。

「子ども? あんたに? 妻帯者だったのか!」

「おれにガキがいちゃまずいか?」


 私の肩越しに、今度はやつのペンダント型ロケットがぶら下げられる。

 運転の妨げにならないようにそれを流し見ると、父娘の写真が入っていた。

 写っている女の子にはなんとなく見覚えもあった。

 西街区で出会った子どもたちの中にいたかも知れない。


「そういやリタはあんたを気に入ってたぜ。タイプじゃないけどかっこいいってよ」

 やはり、どこかで会っているらしい。

「それはうれしいな。だが、私をクローン人間と知れば、その評価も変わるんじゃないか。人間もどきよ、気持ち悪い、ってな」

「そうかも知れねえ。が、俺のガキにそんなことは言わせねえ」


 軽口を叩いたつもりなのに、クラッフワースはまともに受け取ってしまう。

 やはり私にユーモアの機能は付与されていないらしい。


 人為、非人為の別なくどのように生まれたか、は自分の責任ではないが、真実を知った以上、これからは新たな立場と折り合いをつけ、周囲の『人間たち』とどうつきあっていくか、その道を速やかに見つけなければならない。

 だが、それらの問題はいずれ不可避となるにせよ、自分自身について、いまはできるだけ考えないようにしたほうがよい。


 クラッフワースはそんな私の思いを読み取ったのか、同情的に声をかけてくる。

「なあ、マッケイ。あんたさえ黙ってれば誰もクローンだなんて気づきもしねえさ」

「……意外と善人なんだな。メル」

「今日だけだ。街の危機が去った記念さ」


 本当に危機は去ったのか、私にはまだ確信はなかった。

 やるべきことを済ませ、その後、生きていれば、やっと心からそう思えるのかも知れない。

 来るべき、予想もつかぬ展開を予感し、緊張のゆるみかけた気持ちを引き締めた。



 ライナーホースから降りたのはたぶん、西街区のあたりだろう。

 私たちは黒い乗機であちこち走り回り、とうとう地表から十数センチほどのぞく外壁の残滓を見つけた。

 その表面に打刻されているアルファベットと整理番号により、ようやくそれは西街区の外壁と判別できたのだ。


 ルゴは、見渡す限りほぼ更地になっていた。


 ランダム・レッカーの兵器の正体は正直、見当もつかない。

 ということは、私の製造時に、その情報はもともと付与されなかったか、もしくは統合移民局に修復された際、失われたのかも知れない。

 地表のどこにも黒い焦げあとひとつ見当たらず、粒子ビームや熱線で物質を蒸発させたわけではなかった。

 わずかに残った壁の断面を見ると、一目でそれと分かるレーザーによる特徴的な鏡面でもない。

 射線上にある物質は、この世から完全に消し去られたとしか思えなかった。


 まさしく超兵器だろう。


 そんなものが、百五十年以上前に開発されていたとは信じられなかった。

 統合移民局軍制部がランダム・レッカーを必死になって欲しがる理由もよく理解できた。


「都市の改築には便利かも知れねえ。『解体屋さばきの王』ってな」

 街の惨状を目の当たりにし、クラッフワースはそう毒づいた。

「地下へ入れそうな場所の目印や手がかりになるものはないな。例のエコー発生器でもあれば見つけられそうなんだが」

「……そうか、ブラッドの病院だ」


 突然、クラッフワースは何かを思いついたようだった。

 その顔にはさきほどから目に見えて色濃く疲労が現れている。


「ブラッドの病院?」

「病院には地下に続く通路がある」

 切れ者の男にしては、状況をよく分かっていない。

 ケガと疲労とでとうとう頭も働かなくなったか、もしくは幻覚でも見ているのか。

「目印も何もないのに、病院の場所がわかるのか?」


 クラッフワースは地面へ座り込み、無言で目の前の壁面を指さす。


 よく見ると壁面ではなく、その向こうで地面が盛り上がってきていた。

 下から何かがせり出し、表土を押しのけていた。


「運が良かったぜ、マッケイ。誰かが出てくるみたいだ」

 クラッフワースは口の端を上げた。


 今までで最も凄みある笑顔に思えた。



       7


 地下への階段を駆け降り、私はまっすぐ土壌改良技術開発研究所を目指した。


 クラッフワースの身柄は地下から這い出てきた人々に押しつけている。

 長く続く階段を登ってくる多くの市民たちと出会った。

 シェルターから出てきたばかりのようだった。


「保安官! 外はどうなってるんだ!」

「保安官!」

「危険は去った! すまん、あとは自分で確かめてくれ!」


 呼び止めようとする多くの市民をかき分け、第一層へと急いだ。

 ただならぬ様子と感じるらしく、私を見て恐怖に顔をこわばらせ、階段を戻りかける市民もいた。


「上は安全だ! 通してくれ、頼む!」


 階段室に響く私の大声を聞いてか、下方にいる市民は自然に道を空けてくれるようになった。

「おれたちは助かったんだな! 保安官!」

 自分たちの無事を確認するように言う誰かに、作り笑顔で応える。


「保安官!」


 西街区で会った、あのリーダー格の子どもだ。

 母親らしき女性に手を繋がれている。

 その横に、ロケットの写真で見た女の子を発見した。


「リタ! お父さんは無事だぞ!」

 通りすがりにいきなり自分の名前を呼ばれ、彼女は驚いた顔となった。


 ランダム・レッカーとの戦闘で死んだボランティア市民や自警団員たちの子どもには不公平とも思うが、良い知らせは少しでも早いほうがいい。


 病院跡地から下っている階段は第一層の壁面に通じていた。

 一度に多くの人間を載せると崩壊する恐れもあると考えたのか、市庁舎の職員らしき男たちは階段の昇り口で市民たちの誘導を行っている。

 壁面に開いた隠し扉の後ろにはまだまだ多くの市民も長い列を作っていた。

 最後の階段を飛び降りると、一番手近な位置にいた市庁舎職員をつかまえて研究所の様子を訊ねた。

「避難は済んだようです」

「市長は? ブラドリィ医師は?」

「わかりませんよ。部署も違うし。いままでシェルターにいて情報なんてまるっきり入ってこないんですから」

 露骨に迷惑そうな顔で素っ気ない返事を返すやつだ。


 情報は入ってこないのに、研究所の避難は済んだと知る矛盾をつくこともできたが、相手にする気力はわかない。そんなことより研究所の避難が済んでいる、という情報の真偽を知りたかった。


「研究所はいつ避難したと聞いた?」

「え、と……たぶん、一時間は経ってないと思います」

 いささか強圧的に訊ねたせいか、割と素直な返事となった。

 巡回保安官の面目躍如というところだろう。


 一時間前なら、確信は持てないが、【さばきの王】の脅威はとうに去ったころか。


「ところで、外の様子はなぜ分かった? なぜ避難を解除した?」

 行きがけにふと思いつき、最期の質問をしてみる。

「え? それは……もう安全だと言われて」

「誰に?」

「さあ。市長じゃないですかね」

 典型的公務員体質とでも言うのか、こんなときでさえ、自分の責任を問われないように、ことばをぼかすやつだ。


 近くに乗り捨ててあった市章つきの四輪バギーに乗り、研究所に向かった。


 聞いたとおり土壌改良技術開発研究所に人の姿はない。

 司令室として使っていた部屋を覗くと、ルゴ外を写すモニター群には全てノイズしか写っていなかった。

 医療棟に人の気配はなく、レッキイたちの病室も分からない。


「誰かいないのか!」


 胸騒ぎに大声で叫ぶ。

 誰からも返答はなかった。


 医療棟を出て外を探そうとしたとき、研究棟との間に小さな中庭があるのを見つけた。荷物の搬入や搬出を行うプラットフォームもある。

 トラックで到着した荷を種類によって両棟に振り分けるための設備らしい。

 念のため近づいてみるとプラットフォームの医療棟側廊下に、白衣を着た誰かがうつぶせに倒れていた。

 急いで駈け寄り、助け起こす。


 ブラドリィ・コンウェイ医師。

 腹部から大量に血を流し、荒く息をしている。


「ブラッド! おい、どうした!」

 ブラドリィ医師は薄く目を開けた。

 唇をほとんど動かさず、聞き取りにくい小さな声を発する。

「しちょ……ほ……れっ……きぃ……も」

「市長? 市長がふたりを連れて行ったのか?」

「ち……ちょぞ……こ」


 ――貯蔵庫? 生石灰貯蔵庫のことか?

 

 ブラッドは私にファイルケースを渡そうと、震える手で持ち上げる。

 受け取ったとたん、腕の中で痙攣し、そのまま動かなくなった。

 腹部にはここ数日で何回も見た、見慣れたくもない特徴的な穴が開いている。


 ニードルガンによる銃創。


 ブラッドの遺体をここへ置き去りにするのは忍びなくなり、私はナイスの葬儀時に聞いた牧師の祈祷を少しだけ思い出し、短く祈った。


 ――葬儀に出席できるか、わからないからな


 クローン人間のくせに神を信ずるのかと、自虐的に自問する。

 答えはいつものように保留としておいた。



 生石灰貯蔵庫前に止まっていた大きなコンテナトラックは、以前、研究所から出てくるのを目撃したのと同型の、荷物運搬用のものだ。


 ブラッドの遺言は、やはりこの場所を指していた。


 貯蔵庫前に車輌を置いたままということは、出入り口はここしかないらしい。

 待つのも手だが、レッキイやホープのことを考えれば悠長に構えてもいられない。

 まだ術後数時間しか経っていないのだ。麻酔すら切れていまい。

 

 いったいなぜ彼女らを連れて行く必要があるのか。


 ロミリオンの遺品である火薬式拳銃を構え、荷台を探る。

 さまざまな医療用機器のほか、食料品や武器、ルゴ市民謹製の天然麻薬らしきコンテナまであった。


 ――ルゴから逃げ出すつもりか


 逃げることを前提とするなら、リンシュタインがここに来ている理由はひとつしか思い浮かばない。

 レックシステムの入った例のサイボックスを回収するつもりだろう。

 それを使い、どこかでまた狂った実験を続ける気でいる。


 レッキイやホープは生体材料にするつもりなのか。


 ここへ来る前に研究棟の倉庫を物色し、地下探索用装備を勝手に持ち出してきた。

 あの暗闇で迷うのは、もうごめんだ。

 手早くそれらの装備を身につけ、私はふたたび生石灰貯蔵庫の中へ入っていった。



       8


 前回と同じルートで地下フロアへ入り、隠し扉の向こうにあるエレベーターホールに向かう。ケージへ乗り込むと、最下層のボタンを押した。

 エレベーターはゆっくり下降していく。

 暗闇でも身軽に行動できるように、いまのうちに装備品を再確認した。


 ライトスティックのように光を発し、こちらの位置を知らせる道具は使わず、超音波式の暗視ゴーグルを用意してきている。


 火薬式拳銃は上着脇のポケットに突っ込み、念のためビーム銃や熱線銃もガンベルトの両脇に装着したホルスターに入れた。


 電子機器を無効化するデリンジャーはスラックスのポケットに忍ばせた。


 暗闇での捜索を効率的に行えるよう、今回は特殊な専用機器も用意してあった。

 空気の微細な振動を解析し相手の位置や距離を測定するトレーサーという装置だ。


 最下層に到着。


 エレベーターホールは変わらず真っ暗闇だ。

 早速暗視ゴーグルを装着、トレーサーを起動した。


 ゴーグルは、レンズの両脇から発せられる超音波の反射を捉え、室内の様子を私の視界に立体的なコンピューターグラフィクスで再現した。

 ダイレクト感に欠けるものの、最近の機器は白黒画像にデジタル処理で色までつけてくれるから、これをつけている限り、辺りの暗闇は全く気にならない。

 トレーサーの指向性感度を調節し、どこかで誰かが動いているかどうかを探った。


 あのラウンジへの道筋はなんとなく記憶にあるものの、目で見ている風景の違いからか、幾度も道を辿り直す。


 胸に大穴を開けられた若い職員の遺体に行き当たった。

 方向は間違っていないようだ。


 いずれ彼もきちんと埋葬してやらなければ。

 機会があれば、の話だが。


 しばらく歩くと、ようやくトレーサーに変化を認める。

 前方の通路に反応していた。

 ビーム銃をホルスターから抜き、構えながら歩む。

 下水のような匂いに、例のラウンジも近いとわかった。


 目的地へ近づくにつれ、モーター音や金属のこすり合わせるような音が聞こえてきた。ゴーグルを外すと、通路の先はうっすらと明るい。


 どうやったのかラウンジの照明を点灯させているようだ。

 もう暗視装備を使う必要はないだろう。

 身軽になるため、私はそれらを注意深く通路へ置いた。



 リンシュタインは例の棺桶サイボックスを油圧リフトで持ち上げ、モーター補助付きの台車に載せていた。

 私のほうからは、作業をしているやつの背中しか見えない。


 少し離れたところにあるもう一台の台車上にはペイシェントパックがふたつ載っていた。たぶんレッキイとホープのものだろう。

 あの中で生命維持装置に繋がれているらしい。


 水浸しになったラウンジ内は既に渇き、消化剤の水たまりも、あちこちにぽつぽつと数カ所あるだけになっている。

 照明により、粉塵爆発を起こした室内は相当ひどい状態だと再認識した。


 ジェイスンの死骸はそのままだ。

 忠実な部下の弔いさえしないのか。


 市長はたったひとりで作業をしていた。

 周囲には協力者も、誰ひとりいない。

 そのため作業は思ったほど進んでいないように見える。


 術後のレッキイたちを移送するための処理に時間もかかっただろうし、これらの機材をひとりで準備し、ここまで移送するだけでもそれなりに手間暇はかかる。


 私にとっては幸運と言えた。


 市長は油圧リフトのアームをたたみ、台車に乗ったサイボックスを手巻きのワイヤーで固定し始めた。

 そう言えば、あれほど大きな台車は、私の乗ってきたエレベーターでは運びきれない。荷物だけとしても無理だ。ここまでの別ルートも存在しているということか。

 もとは廃宇宙船だから資材エレベーターのような設備でもあるのだろうか。


 爆発ではがれ落ちたラウンジ壁面のかけらを拾い、市長の左側に向かって放物線を描くように投げる。


 不審な物音に対するリンシュタインの反応は想像以上だった。

 機敏に向きを変え、腰のガンベルトから素早く銃を抜き出す。


 ――なにが、『政治家で科学者』だ!


 内心、舌打ちしながら、やつの背後から右側に回り込んだ。

 自分の射線上にペイシェントパックやサイボックスの載った台車が入らないようにするためだ。

 万一狙いがそれて、それらに当たっては困る。


 やつの背中にビーム銃の狙いをつけ、静かに声を出した。


「銃を捨てろ」

 首を傾け右方の私を視認すると、市長はあまり表情を顔に出さず、厳しい目で見つめ返してきた。

「マッケイ君……そうか、君が来たのかね」

 意外そうな声を出しながら、銃をこちらに向けようとする。

「動くな! そっと下に置くんだ! ロミリオンなら良かったか? やつは死んだ」

「君はクローンだったのだな」


 死んだ人間に関心はないようだった。


 私の指示通り、リンシュタインはゆっくりかがみ、銃をラウンジの床に置く。

 やはりニードルガンだ。自らブラッドを撃ったのか。


「あんたの思惑は知らん。が、ニーゼイ一家を連れて行くことは許さない。そのサイボックスにビルズ・ニーゼイもいるんだろう?」


 ここを出るときに類推し、結論づけた答えだった。

 市長は往生際悪く、しらを切る。


「……どうしてそう思うのかね? マッケイ君」

「病院で聞いた話には大きな穴がある。あんたの話には議員たちとの通話記録に関する言及はなかった。レッキイと直接会話したのは証言通り、あんただとしても、その同時刻にルゴの議員たちと話していたのはニーゼイ保安官のはずはない」


 リンシュタインは無言だ。


「そもそも議員たちとの通話後五分であんたたちが彼を拉致し、殺害の上、プラントごと燃やすのは時間的に無理だ。つまり、保安官は議員たちと話す前にすでに殺害されていたと考えるべきだろう。……あんたの開発した新たなサイボックス経由なら、当人が死んでいようが保安官からの通話要請、と認識されるわけだしな」


「サイボックスの不調によるものとされていたはずだが」


 市長の声は低く、しわがれていた。


「たしかにプラントの事故調査報告書にはそう書かれていた。基本的に生帯で複数人との同報通話は不可能だから、サイボックスの出力に不備がある。……ふつう、誰でもそう考える。私もそう思った。そこにあるサイボックスを見るまではね」


 レックシステムの機能を使った複数人との同報同時通話。

 ニーゼイ保安官のリサイクル生体基盤を利用すれば、同時に多人数との会話もできるのではないか。


「ロミリオンの話では、レックシステムは生体鍵なしに、同時に数千の人々と繋がり、心理状態をモニターする機能を持っているという。原理は分からないが、あんたはニーゼイ保安官の生体基盤とその黒箱の機能を使って、個人と複数人との同報通話を可能にしたんじゃないのか?」


 そう、そうしなければ、レッキイと直接会話している最中、同時にルゴの議員たちへ市庁舎のサイボックス経由で代理通話をすることが出来ないはずだ。


「ふむ。まあ……だいたい当たっているな」

 顔つきに狂気の宿ったような表情を滲ませ、市長はそれを肯定した。

「ご褒美に病院での話の続きをしてあげよう。市長になった理由はもう話したね? ……さて、いざ市長に就任し、研究の環境も整ったものの、わたしの研究の行き詰まりは解消しなかった。さらなる技術開発にはもう一歩なにかが足りなかったのだ。そんなとき、たまたまドーム外壁に補修の必要性を感じてね。土台となる第一層の構造解析調査の際、このサイボックスを見つけたというわけだ」


 市長はあごをしゃくり、傍らの黒い棺桶状の物体を示す。


「正直、レックシステムの話は噂程度でしか知らなかった。だからロミリオンから詳細を聞くまでは、いままでこれがそう言う代物とはまったく思っても見なかったよ」


 自分の研究以外のことは見えなかったと言うことか。

 さすがは狂気の科学者、恐れ入る。


「分解、解析してみると、確かにこれはほかのものとは違っていた。構造も、神経配線もなにもかも」

 サイボックスの中身を直接見たことはない。

 話によれば、脳髄のようなものだとも言われている。

「だが、サイボックスの第一人者を自任しているわたしでさえ、この黒箱の機能は理解できなかった。中核となる部分に使われている生体パーツも完全に死滅し、機能停止していたしね」

「機能……が停止していた?」


 秘匿していた情報を他者へ明かす開放感のためか、リンシュタインの表情は愉しげに見えた。


「いろいろ試してみた。通常のサイボックスに使われる疑似生体から、小動物の臓器まで、思いつく限り。……しかし、すべて失敗した。試していないのは人間の体組織だけだった。そこでやってみると、なんと同報通話が可能になった。……原理はまだ研究中だがね」

「じゃあ、ニーゼイ保安官はやはり……」

「マッケイくん。このサイボックスが復活したのは、ほんの偶然が重なっただけだったのだよ。はじめから分かっていたのでも、計画していたわけでもない。あの日……探索中のビルズに密輸品を隠してある倉庫を押さえられてしまった。でもわたしにとっては願ってもない機会になった。いずれにせよ、私が駆けつけてみると、彼はメルの部下に銃撃を受け、瀕死の状態だったから、その後の処理を引き受けることにしただけなのだ。実際、手の施しようもなかった」


 瀕死の人間を『処理』と表現する残酷さに、へどの出るような嫌悪を持つ。


「保安官になりすまし、議員たちへ同報通話をしたのはクラッフワースなのか?」

「まさか! ……彼は見かけによらず頭の固い男でね。この実験の重要性などは理解せんよ。……リサイクル基盤の試作品を使ってレッキイと会話したのは私だが、ビルズから摘出した生体基盤をこの黒箱と繋ぎ、市庁舎のサイボックス経由で通話実験を試みたのはブラッドだ。同一人物の生体鍵をふたりの他人が別々に使えるかどうか確認するため同時刻に実験を実施した。ブラッドは複数の人間と同時に通話して、かなり支離滅裂な思考になったそうだ。まあ、議員たちがみな、ルゴを思うあまり、保安官がおかしくなったという結論になったのはケガの功名というものだがね」


 病院でブラドリィ医師から聞いた話は、彼自身の体験を語ってもいたのか。


 リンシュタインは楽しそうに、本当に心から愉快そうな声を出して笑う。

「公的にはサイボックスに通話記録も残るが、テレパシー通信での同報通話は現在ですら技術的には不可能だから、なんとでも言い抜けできると考えていた。しかしレッキイの疑いは最後まで晴れなかったようだった。……そういう意味で、ブラッドはわたしの良い相棒だった。最後は情におぼれ、行く道は違ってしまったが」


 一瞬、リンシュタインが遠い目をしたように見えた。


「……それが真相か?」

「それが真相だ」



       9


 正直、私はうんざりしていた。やりきれない思いにもなった。


 この頭のおかしい軍人崩れの男は、行き当たりばったりで科学者ごっこをしているに過ぎない。これ以上やつの好きにさせるわけにはいかなかった。

「将来の有機移動体通信を担う研究じゃなかったのか?」

「これから、そうなる。ビルズ一家を入手したことで、まだまだ未知の分野に入って行けそうだ。レックシステムとクローンの関係を解明できれば、さらにテレパシー通信の領域は広がるだろう。テレパシーの原理そのものを解明できるかも知れん」


 最後の質問をする。


「逃げるつもりのクセに、なぜレッキイやホープをわざわざここまで連れてきた? ペイシェントパックは大きい。移動や移送には、ひとりじゃ手間もかかるだろうに」

 リンシュタインは、目下の愚かな人間を見るような、軽蔑にあふれた顔をする。

「そんなこともわからんのか? この下のフロアにはわたしのラボがあるからだ」

「ラボ……どういう意味だ?」

「荷物は小さな方がいい。必要な部分だけあればいいのでね」


 こいつは、レッキイやホープの身体から必要な部位だけ切り出し、手荷物みたいにして持ちだそうと考えていた。


 そう思ったとたん、頭に血が上った。


「もう一度言う、彼らは連れて行かせない!」

「なんとも仲間思いなことだ。クローン人間にも『同胞』という価値観があるとは」

「どうとでも言え。さあ、リフトを操作するんだ。ここを出る!」


 私は荒々しくビーム銃の先を動かし、作業の継続を指示した。

 リンシュタインは黙ってその指示に従った。

 腹の中では反撃のシミュレーションでも練っているに違いない。

 リフトの操作盤を引き出したまま、手を止めて背後の私に語りかけてくる。


「マッケイ君。ひとことだけ言わせてくれんか」

「いや、だめだ!」

 そう返事をしたとき、私は急なめまいに襲われた。


 ――な、なんだこれは!


 生帯のコールどころではない。吐き気すらする、本格的なめまいだ。

 ビーム銃を持つ手から力が抜け、取り落としそうになった。


 <マッケイ、ここを出る必要はない。ここの方が安全なのだ>


「にニーゼイ……保安官! ビルズ!」


 聞き覚えのある声に、思わず肉声で叫んでいた。

 周囲の風景も激変する。

 夢の中でことばを交わしたときと同じように、ふたたびラウンジは清潔で、塵や埃ひとつない、快適そうな部屋に変貌していた。


「な、なんだ! いったいどうなっている!」

 市長の声。

 やつにもこの風景は見えているらしい。

 本来夢で見るような幻を、目覚めていても現実のように見せるほど人間の視神経に干渉できる力……。

 不穏な思いに駆られた。


 <ジョー。わかるかね、わたしだ>


「ビ、ビルズ! お、おまえはいったい」


 <あの時以来、話す機会はなかったな。でも、ようやく話せてうれしいよ>


 サイボックスのテレパシー中継機能を使っているのか、リンシュタインに語りかけるビルズ・ニーゼイのテレパシーは私の脳裏にも朗々と響いてくる。


「き……君とは立場の違いもあって、済まないことをした」

 リンシュタインも口を開け、肉声で返答している。


 <気にすることはない、ジョー。むしろ礼を言いたいくらいだ。おかげでわたしは肉体の束縛から解放された>


 市長は驚愕した様子ながら、同時にこの珍しい現象に興味をそそられたのか、顔をぱっと輝かせたように、笑みを浮かべる。


「そ、そうか! ありがたい。ところでこれからどうする? ルゴはもうおしまいだ。だから新たな都市で……そうだ、これからはわたしの実験に協力してもらえないか? 悪いようにはせん! 心配ならレッキイとホープも、責任を持って治療しよう。約束する! ……やはり部品で持っていくより、生身の方が実験にも適しているだろうし。当然、父親の君との実験ならふたりは喜んで協力してくれる!」


 この緊迫した状況も、やつにとっては新しく自分の興味を惹くおもちゃを見つけた喜びとしか感じられないらしい。


 <……いいともジョー。過去は忘れたよ。わたしはもう人間ではない>


「おお! 協力してくれるか! よ、よし、それじゃ共に人類の未来を考えていこう! な、な!」

 リンシュタインは手を叩きながら、子どものようにはしゃぐ。


 <そうだ、ジョー。再会を記念していいものを見せよう>


 その口調はひどく穏やかに感じられた。


 <さあ、もっとこっちによってくれ>


「こ、このあたりでいいかね?」

 リンシュタインは、黒いサイボックスの正面に立つ。

 落ち着かなげに身体をよじらせた。


 <ああ、そのあたりだとちょうどいい>


 どこで見ているのか、目でも付いているのか、ビルズは相手の位置がわかるかのようだった。

 私はそのやりとりに胸騒ぎを覚えた。


 ――いかん! さがれ、ジョー!!


 <マッケイ、余計なことを考えるな>


 私の心の声に、故ニーゼイは素早く反応した。

 激しい感情の波が伝わってくる。

 リンシュタインは瞬時、我に返った。

 怪訝そうな声で、機嫌を伺うように言う。


「ビルズ?」


 <さようなら、ジョー>


 その声と同時に、私の頭部は得体の知れない圧力に覆われた。

「うわ! やめろ!」

 叫びながら頭を抱えてしまう。


 上目づかいにリンシュタインを見るとやつも同様の姿勢になっていた。


「なにをする! ビルズ! やめてくれ! やめ」


 その身体は急速に色褪せていく。

 服からも皮膚からもあらゆる色素が全て消え去っていくようだった。


「び……ず……やめ」


 かつて市長と呼ばれた男の肉体は、周囲から空間に溶け出し、どんどんその輪郭を失っていく。最後は悲鳴ひとつ残さず、完全に消え去った。

 

 ラウンジからルゴ市長、ジョセフ・リンシュタインのいた痕跡はなくなった。

 まるでランダム・レッカーの攻撃を受けたかのように。

 

 <そう、その通り>


 私の思考を読み、ビルズ・ニーゼイは答えた。


 <ランダム・レッカーの使う武器はテレパシーの一種。詳細な原理や仕組みに関して、わたしの記憶野にその情報はなく、分からないことも多い。ただ、いま使ったのはどうやら同じ手法らしい。テレパシーを強く一点に集中させると、物質は素粒子のレベルにまで分解されていくのだという。むろんランダム・レッカーの腕にある専用の装備の方が、何千倍、何万倍と威力はあるようだが>


 テレパシーを破壊兵器に使う方法など聞いたこともなかった。

 それ以前に、兵器として使えることに驚いた。

 もっとも、ルゴの全市民に干渉できるほどのテレパシー能力を持つニーゼイなら、人をひとり消すくらいわけもないのだろう。


「なぜ市長を消した? ……復讐としてもやり過ぎだ。あなたは保安官だったんだろう? 司直の手に委ねるべきとは考えなかったのか?」


 <マッケイ、まだ【さばき】は終わっていない、むしろこれからなのだ>


 私は素早く考えを巡らし、ひとつの結論に達した。

 これまでの出来事全てを総合すると、その結論にしか至らない。


「保安官。そこにいるのが本当にビルズ・ニーゼイなら、レックシステムを乗っ取り、その力で私怨を晴らしているんじゃないのか」



       10


 返答はなかった。

 次に彼からことばの出るまで、ずいぶん長く待たされたように感じた。

 

 <復讐ではない。彼らの当然の報いだ>


「ルゴを愛していたはずだ」


 <愛していた。しかし彼らはそうではなかった>


「あなたを殺したのはリンシュタインとクラッフワースだろう!」


 <クラッフワースか。あの男は私に直接手をくだしはしなかった。撃たれたのは部下にだ。それに、私は生きたまま、このシステムに移植されたのだ。ジョーとブラッドによってね>


 クラッフワースの関与は、重傷を負ったニーゼイ保安官の身柄を引き渡すまでだったということか。


 <ジョーはにせの兵器密輸取り引き情報を流し、私をクラッフワースに捕らえさせた。部下たちはやつに買収されていた。私はたったひとりで彼らに立ち向かった>


 死ぬ直前までですら、リンシュタインの証言はでたらめだったのか。


 市長と医師はニーゼイから脳髄、生帯基盤とそのほか、サイボックスの生体部品としてつかうそれらの維持に必要な臓器を取り出し、レックシステムとリンクさせた。


 邪で、無惨な生体実験。


 残る保安官の身体は、ふたたびクラッフワースたちにより移動プラントに載せられ、保険金詐欺と助成金不正受給を行うため、プラント爆破と共に燃やされた。


 <だが、クラッフワースは共同正犯と言えるだろう。だからやつも次の【さばき】を逃れることは出来ない>


「いったいなにをするつもりだ!」


 <ランダム・レッカーの内部にはまだ核爆弾がある>


「知らないのか。ランダム・レッカーはさっき破壊した!」


 <核爆弾の起爆は電子的、物理的に行うわけではない>


「な、に?」


 どういうことだ。

 無線で遠隔操作するわけでもないだろう。

 電子的な部品は全てデリンジャーにより……


「テレパシーか!」


 <そう。レックシステムの持つ核爆弾は、通常の起爆システムに加え、テレパシー以外、外部からのいかなる干渉も受けない密閉型の起爆装置を持つ。さらに……核爆弾はシェルターの地下にもまだもうひとつある。しかし、地上のものだけで充分だ。ここにいれば巻き添えを食らうことはない>


「避難警報を解除したな!」

 ルゴの市民を地表に出すためだったのだ。

 

 ニーゼイなら、巨人機ランダム・レッカーの動向はモニターできるはずだ。

 その勝敗もすぐに知っただろう。

 だからちょうど良いタイミングで警報を解除したのだ。

 それにしても、そこまでなのか。そこまでルゴの市民を恨んでいるのか。


 <恨みではない。わからないか? 君は自警団のリンチにあったとき、理不尽を感じなかったかね? ひとという生き物の醜さを味わわなかったかね?>


 フラッシュバックのように、赴任した夜のことを思い出した。

 酒場の床にはいつくばり、目に入ったアルコールを必死でぬぐう私。その耳に否応なく入り込んでくる、周囲の笑い声。

 その醜悪な嬌声たるや……


 <わたしもそうなのだよ。わたしは彼らに尽くした。必死でこの街を守ってきた。しかし、彼らはわたしを不必要と感じた。そして最後はもっとも卑劣な手段でわたしの存在を地上から消したのだ>


「しかし……」

 何も言い返せなかった。これまでの調査でビルズ・ニーゼイ保安官のルゴでの実績、業績はよく知っているつもりだ。


 <最初はそれでもいいと思った。この箱で意識を取り戻したとき、わたしの考えたことはそれだった。これまで護ってきたルゴの市民が幸せに暮らせるならば、むしろ物言わぬこの箱の中にいる、人知れぬ存在でもいいとね。……わたしの意識はシステムの中に埋没し、それと一体化していった。だが、知らぬうちにわたしの自意識はシステムを支配し、その結果、自分の正体と、その使命を知った>


「正体……使命?」


 <わたしも君同様、かつて【さばきの王】として創られた生物センサーだった>


 ロミリオンの仮説とは異なる事実が語られはじめた。


 <わたしは愕然とした。それを知るには遅すぎたとも悔やんだ。自分の肉体は当になく、この密閉された箱の中だったからだ>


 何らかの理由により、ニーゼイはかつてどこかの都市を滅ぼしたランダム・レッカー内の生物センサー――ランダム・レッカーから解放されたクローン――であることを忘却していたという。

 レックシステムと直結することでそれを思い出したのは、なんとも皮肉な話だ。


 <かつて、わたしは自分が誰かも分からず、広い平地をさまよっていた。クゼノの住民に拾われるまではね>


 中規模都市『クゼノ』に住みついたニーゼイは苦労の末、市民権を得、しばらく後に都市定住保安官となった。

 やがてクゼノ市民のひとりと結婚したニーゼイに、ふたりの子供が生まれた。


 ということは、クローンにも生殖能力はあったのだ。


 <人為的にデザインされているとはいえ、我々も人間であることは明白だ。もとの人物の詳細なコピーというだけで、生物としての機能が低いわけでもない>


「仮にそうだとすれば、なおさらひとが同じひとを裁くというのは、傲慢ではないのか! いくらそういう使命があったとしても!」


 <それは、君が人間というものをよく分かっていないからだ。私には分かる。レックシステムへ常に入ってくる、市民ひとりひとりの心のうめき、叫び、望み、願い……つくづく人間というのは自分勝手な生き物だと思うよ>


「どうしても滅ぼすのか! 許してやれないのか!」


 <もう決まっているのだ。ほかの道はない。地上でのさばきが終われば次はここだ。我々が脱出した後シェルターを爆破する。ルゴは完全に消失しなければならない、罪深い都市なのだよ、マッケイ>  


 その宣告は神々しく、重々しく脳裏に響いた。

 ――徹底的にやるつもりか……

 私の思考に、テレパシーが答える。


 <もちろん君は我々と行く。次の都市を監視し、保護、修正するために>


「修正だって? いきなり断罪し滅ぼすくせに……」


 <そうではない。生物センサーは都市におけるモラル守護者の役割をも果たす。記憶を無くしていてさえわたしはクゼノで保安官を志願したし、娘も知らずにそう指向した。……我々に付与されているDNAの特性は、そうなるようにデザインされているのだろう、正義を重んじ、公正を尊ぶように>


 思わず台車の上に載るペイシェントパックを見てしまう。


 <だから娘を頼む、マッケイ。彼女も君のことを>


「言うな!」

 私は叫んだ。


 そうじゃない。

 そうなることは自分の望みでもある。

 が、それは誰かが一方的に決めていいことではない。


 <マッケイ……君は復元時に調整され、少し変わってしまっているようだ。わたしとしては君が望ましいが……もしだめであれば、上にいるもうひとりの君でも仕方ないと思う。娘たちも理解してくれるだろう>


「なんだって?」


 ――もうひとり、それは……


 <地上の『君』を解放した。生命維持装置の停止で危うく窒息するところだったが、彼はむしろ私に近い考えを持っている。まだ経験もないし、情報の蓄積もないのに、もうこの使命の本質を理解している>


 それを聞いて、ひとつの疑問が浮かんだ。

「保安官、ニーゼイ。ひとつ教えてくれ。自分の行く末を決めたい」


 <ああ、疑問は解消した方がいい。理解は迷いを消す>


「ルゴ赴任に関する私の記録や、辞令を市庁舎のデータベースから消したのか」

 少しの間をおき、ニーゼイは答えた


 <それに答える必要はあるのか。ただの時間稼ぎにも思えるぞ>



       11


 いま、確信した。

 すべてはこの男、レックシステムと一体化した前保安官の仕組んだことなのだ。私はてっきりロミリオンの画策かと考えていた。しかしやつは、ルゴに到着するまでの間、私をコントロールしていたに過ぎなかった。


 ルゴ赴任の辞令を消し、私に市長たちの疑念を向けさせたのはニーゼイの仕業だ。

 入出管理事務所でロミリオンの作った身分を提示させながら、市庁舎にある、もとのデータを消し去れるのは、有事に都市全体をコントロールできるレックシステムしか考えられない。


 <仮にそうだとしたら、何がどうなるというのかね?>


「あんたは最初から私を孤立させ、この街に絶望し、人々へ憎しみを持つように仕向けた。なぜだ?」


 彼は嘆息した。


 ……いや、そんなふうに感じただけかもしれない。テレパシー通話で相手の息づかいを知ることはできない。

 それに、肉体を持たないこの男が人間のように呼吸できるはずもない。


 <いくら一体化したとはいえ、わたし自身、レックシステムの一部だ。最終発動プログラムを内部から改変することはできない。【さばき】の最終的な可否は起動キーに依存している。すなわち起動キーである君により、都市の堕落を客観的に判断できなければ、レックシステムは作動しない>


「私を呼び寄せ、この街の不正と悲惨を見せ、体感させ……すべて、システムの発動を早めるためだったのか。……それで、いまはあんたの筋書き通りになった、ということか」


 ――まてよ、筋書き……ということは


 確認すべき事実はもうひとつ残っていた。


 <ロミリオンかね? 彼はむしろ私に近い考え方の男だったよ。おそらく彼のような人間がこのシステムを考案したのだろう>


「操っていたのか」


 <おもに情報を提供していた。ロートランドから君を呼び寄せる際に気づいたのだよ。彼の思考パターンは使命の違いさえなければ、我々の仲間に加わってもよい程だった。……ルゴへの調査と、巡回保安官という身分を与えようと考えさせたのは、わたしの誘導によるが>

 

 消失したロートランドの一件さえ、ニーゼイの手になるものだった。


 リンシュタインは、かつてこのサイボックスを発見したとき、生体部品の死滅により機能停止していたと言っていた。

 つまりニーゼイの代で一旦途切れていた【さばき】の連鎖を、それと知らず復活させてしまったのだ。


「なぜ、与えられた調査命令が辺境のこの小都市なのかと思っていたが、それすら仕組まれていたのか……」


 <君にはいずれ説明するつもりだった。わたしの意識はアルファメガ全土を巡り、各地の都市を監視し始めている。その中でロートランドは見過ごすわけにはいかないほどの堕落ぶりを見せていた。閉じた箱の中にいて実体を持たないままでは、これ以上使命の遂行は困難と感じていたから、長年停止していたシステムの稼働状況を知るためにも、君を起こすことにしたのだ。しかし、都市の消去は成功したものの、肝心の【さばきの王】の機体に不備があったため、統合移民局にレックシステムの存在が知られてしまう。ロミリオンへの介入は彼らの動きを知るためでもあったのだ。惜しい人材ではあるが、代わりとなる人間の目算は他にもある。これからはまだまだ大勢の仲間も必要になるだろう>


「実は、レッキイたちも操っていたんじゃないのか?」


 <それがそうでもない。……娘たちの心の動きは、私にとっても意外だった。君に好意を持たせるような仕掛けは用意してあったのだが、最終的に彼女らは自らの意志で君を仲間として選んだのだ>


「レッキイは……ホープも、生物センサーとして……この街のさばきについて、あんたと同じ考えなのか?」


 <無意識下ではね。本人たちはまだ私の存在すら知らない>


 すべてに得心がいく。


 台車上のサイボックスに宿るのは、ルゴ市民がかつて愛した名保安官ビルズ・ニーゼイではない。

 レッキイやホープの思い出に残る良き父親でもない。


 もちろんレックシステムですらない。


 私と会話しているのは、殺害されたビルズ・ニーゼイの無念と、とっくに滅んだはずのレックシステムプログラムが最悪の形で融合した、憎悪の化身に過ぎないのだ。


 <なるほど、それが最終的な君の結論か>


 私の思考を読んだニーゼイの意気消沈する感情が伝わってきた。


 <……正直、落胆する。クローンとしてのわたしも君もルーツは同じ人物からだというのに。やはり一度人手にかかっては、なかなか使命への貞潔を保つのは難しいのだな>


 ルーツを同じくするクローンだったか。

 どうりで彼の写真に懐かしさを感じたわけだ。

 自分ももう少し年齢を重ね、経験を得れば、あの写真のような顔つきになるのかも知れなかった。


 心は完全に決まった。


 この男を、このサイボックスを外へ出してはならない。

 レックシステムの機能を利用して、人間の無意識下にテレパシーで干渉、介入することのできる存在だ。

 いつかは人類を思うとおりにコントロールし始めるかも知れない。


 <そう思われるのは残念だよ、マッケイ。すごく>


「私もだ。ニーゼイ保安官」


 ビーム銃を漆黒のサイボックスに向け、右手の引き金を引いた。


 粒子ビームはサイボックスの表面で拡散し、塗装を少し焦がし煙を生じさせただけだった。外見上はほとんど変わりない。


 <これまで計画したことを変えるつもりはない。だから、袂を分かつというなら、君はもうわたしの援助も、庇護も受けられない。ここでおしまいだ>


「えらそうに!」

 射線からペイシェントパックの載った台車が外れる位置まで走り込み、私はホルスターから左手で熱線銃を引き抜いた。

 そのままもう一度サイボックスを撃つ。


 ――いいぞ!


 黒いサイボックスは勢いよく燃え上がった。


 <さようなら、マッケイ>


 故ニーゼイの声はひときわ強く頭部へ響いた。

 微細な振動に包まれ、服もろとも、身体全体を締め付けてくるような奇妙な感覚に襲われる。

 ――しまった、あれか!

 市長の消された位置より離れていたので、油断していた。


 <そうだな、離れた位置では力の集中に少し時間はかかる。しかし、その結果は変わらないぞ>


 感情の起伏の全くない声。

 まるでサイボックス自身と直接話しているようだ。

 少しでも距離を置こうと後ろに下がるものの、水中で歩いているかのように、のろのろとしか動けない。


 <無駄だ。君の脳に直接干渉している。普段のようには動けないぞ>


 見ると、燃え上がっていた火はすっかり消えている。

 サイボックス外装の地肌は黄銅色にきらきら輝いていた。

 燃えたのは表面の黒い塗料だけで、下の金属はランダム・レッカーと同じく、特殊な処理を施されているようだった。

 ビームや熱線はその表面上で拡散し、全く効果はなくなってしまう。

 服は少しずつボロボロになりはじめた。

 制服のポリスブルーがにじみ、色彩もなくなりつつあった。

 顔の皮膚が突っ張り、ぴりっとした痛痒さとともに、ひび割れていくようだ。

「うあ、あ」

 ポケットの中から切り札のデリンジャーを取り出した。これならあるいは……


 <やめたほうがいい。サイボックスは電磁波シールで覆われている。君も知っているだろう? それを使えば、むしろペイシェントパックの生命維持機能がだめになってしまう。自ら死を選んだのだ、悪あがきせず、できればレッキイたちはそっとしておいて欲しい>


 そうだ、レッキイたちまで殺してしまう。絶体絶命だ。


 とうとう皮膚の表面に激痛を感じ始めた。

 素粒子レベルでの崩壊が始まったのかも知れない。


 <もともと我々は無だ。君もまた無の世界に戻るだけなのだと信じたまえ>


 その重厚な声の響きは、私への神託のように聞こえる。

 頭もぼうっとしてきた。もうこれ以上踏ん張れないほど、耐え難い疲労と痛みに襲われ、きらきらと輝くニーゼイのサイボックスを、にじむ視界に捉えた。


 <さすがにもとの同じクローンだ。起動キーとしてシステムと感応するためだろう、テレパシー能力は強いようだ。だが、抵抗はやめたまえ、その方がむしろ早く楽になる>


 抵抗しているつもりもないが、自分のテレパシー能力を使って、リンシュタインのように、あっという間に消されるのを免れているということだろうか。


 脳裏にあの【さばきの王】の攻撃する姿を思い浮かべる。

 そのとき、最後の手を思いついた。


 <やめろ、もう無駄だ!>


 私の思考を読んだらしい。あわてたように言う。

 ビーム銃を放り投げ、脇のポケットから、右手にロミリオンの拳銃を抜いた。


 ――あの装甲と同じなら


 轟音と長大な火花を閃かせ、実体弾が次々と黄銅色のボックスに突き刺さる。

 巨人機よりも外装は薄い材質だったらしい。 


 <やめろ! やめるんだ!>


 やつの絶叫が意識下に響き渡った。

 しかし、三発撃ったところで拳銃は弾切れとなった。


 ――なに!


 <もう終わりかね。残念だったな。良かった、この程度ならシステムにほとんど影響はない。生体部品とはまったく便利なものでね。内部に少し傷はついたようだが自己修復可能だ> 


 彼はふたたび勝ち誇ったような声を出した。


 ――そうじゃない。そこへ穴が開いていればいい


 <なんだと?>


 左手の熱線銃でサイボックスを撃つ。


 最大威力のブラスターレベルで放たれた不可視の高熱線は、黄銅色の特殊装甲表面で拡散し、微細な埃を炎上させた。

 熱線の軌跡を示すその炎は実体弾によって開いた穴から次々サイボックス内部に潜り込んでいく。


 私の意識内には悲鳴とも怒声とも付かないニーゼイの断末魔とともに、喜怒哀楽の入り交じる様々な感情が津波のように押し寄せてきた。

 身体を包む障気のような感覚も徐々に消え去っていく。



 銃弾で空いた三つの穴から、青白い炎が勢いよく立ち上っている。

 あたり一面には髪の毛を焦がしたようないやな匂いも充満していた。

 サイボックス内部の生体部品が、側面に空いた三つの銃痕から入り込んだ熱線により燃えているのだ。

 スプリンクラーは反応しなかった。

 例の粉塵爆発を消火したためだろう、消火剤は枯渇してしまったようだった。

 臭気を放つ黒煙が室内に充満し、辺りの景色は全く変わって見えた。


 しかし、これこそ本来のこのラウンジの姿だ。


 焦げて崩れた壁。

 塵と埃とすすにおおわれ、汚れ果てた床。

 まるでひとの心の闇のような、閉ざされた世界。


 巨大な棺桶にも見えるサイボックスは、本物の棺となった。

 故ビルズ・ニーゼイ保安官のものではない。

 百五十年も前から、この都市に眠っていた亡霊の、新しくも忌まわしき棺だ。


 穴から黒煙しか上がらなくなるまで待つと、私はいまだ高熱を発しているサイボックスをそのままに、レッキイたちの眠るペイシェントパックを載せた台車を押してラウンジを出た。


 出口不明。


 だが、諦めず探せば、それは必ずどこかにあるはずだった。

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