木則荘士郎の日常

1-0 序章

 薔薇色の高校生活。

 いったいどんなものなのだろう、それって。

 きょうびほとんどの中学生が高校へ進学する。義務教育は中学校までなのに、日本人の九割九分は大学までを義務教育と捉えているふしもある。中卒を見る目は、小学校へ行かない不登校児童を見る目と何ら変わりない。

 何が言いたいのかというと、僕――木則このり荘士郎そうしろうが考えるに高校は中学の惰性だという話だ。小学校もそのラインに加えてもいいかもしれない。つまるところ高校生活というのはそれまでの九年間と何も変わらない日常であり、平凡な毎日には薔薇色など望みようもない。むしろ精神的に成長する者が多く厄介ごとに出会う確率も減り、日常はさらに退屈になる。事実、僕も高校という場所で一年間過ごしてみたものだが、ちっとも薔薇色という気分はしなかった。

 ならばなぜ薔薇色などという形容があるのか。

 中学時代、一つ下の後輩に聞いてみたことがある。そうしたら『灰色とか省エネじゃあ語感が悪いからですね!』という答えが返って来て、聞かなければよかったと後悔したのを覚えている。ちなみに今も思い出さなければよかったと後悔しているところだ。つまるところ、いまだに命題に対する結論自体は出ていない。

 しかし、高校生活にもいい加減馴染んできた僕がなぜ今になってそんなことを思い出しているのか――理由はただ一つ。あまりに平凡な日常に飽き飽きして空想の中の刺激のある世界に逃避しようと思ったから、ではない。僕はこのままの平凡な日常を望んでいるわけではないが、暇つぶしのために自ら厄介ごとを探しに行くタイプでもない。


 ただ、厄介ごとの方から能動的アクティブに僕を探し当ててきた場合だけが別なのだ。




 程よい長さだった春休みも明けて、新年度。人恋しくなるという感覚とはあまり仲良くお付き合いしていない僕ではあるが、長すぎる休息は飽きてしまうのもまた事実。そんなわけで、無事高校二年に進級できた僕は久しぶりの制服に身を包み、久しぶりの学校へと足を向けたのだが……。

「いやー、まさか木則先輩も同じ高校だったとは! 私、びっくりです!」

「よく言うよ……絶対に故意だな」

 今日は新学期の初日なので、大掃除と始業式だけで一日は終了。故に僕は、昼の十二時前には学校を出て、何もかも予定通りな家路についていた。……真横で歩いている女の子以外は。

 峰岸みねぎし早苗さなえ

 一年と少し前まで僕が通っていた木津川きつかわ中学の出身で、当年とっておそらく十五歳。つまりは僕の中学時代の、一つ下の後輩である。身長はこの年代の女子としては高めで、高校一年生男子の平均よりは少し低めの僕と並ぶと目線の高さはあまり変わらない。無造作なショートカットの髪は、彼女の少々積極的すぎる性格によく合っている。

 中学校時代は僕も彼女も映画部というマイナーな部活に所属していて、他に誰も部員が他にいなかったものだからずいぶん懐かれてしまった。具体的に言うと、どこの高校に通っているかひた隠しにしてきたにもかかわらず探し当ててあまつさえ入学してきたりするくらい。

「なにをおっしゃる木則先輩。私が先輩の通っている高校を知ってたはずないじゃないですか」

「そうなのか?」

「あー、しらばっくれるの禁止ですよ! 何度も聞いたのにはぐらかしてさっぱり教えてくれなかったですし」

「覚えてないなぁ……」

 僕の目の前を、ひらひらと桜の花が舞い落ちていく。他のときなら新学期にお似合いだとでも思うのだが、このシチュエーションでそんな想像ができるほど僕も呑気ではない。さながら取り調べを受けている犯罪者のようだ。

「仕方ないのでご学友にお聞きしましたら何だか微妙な苦笑いが返ってきただけですし」

「面倒な下級生が来たと思っただけじゃないかな」

「むー……でも、勘で選んだらみごと先輩のいる高校を引き当てたわけですから、私も引きがいいですね!」

「そしてどうやら僕は壊滅的に引きが悪いらしい」

「先輩、皮肉屋さんなところも変わってないですね。私安心しました」

 そこは安心するポイントなのだろうか。それに僕は少し良くしゃべるだけの至って普通な高校生だと思うのだけれど。

「あ、そうだ先輩。映画部入りました?」

 実はここ葛西かさい高校と木津川中学校にはいくつか共通点があって、そのうちの一つが映画部という希少な部活が存在すること。中学校時代は「あまり大変じゃなさそうでなおかつそれなりに楽しそうな部活」くらいの認識で入部したのだが、これが大間違い。物語を作るというのはこれがどうしてなかなか楽しいもので、僕はあの部活のおかげで充実した中学校生活を送れたといっても過言ではない。いくら部員が二人だけであったとしても。

「当然。だけどここも高三連中が幽霊部員ばかりで、まともに顔を出してるのは僕一人なんだ。いや、むしろあれは幽霊部員と言うより蜃気楼部員と言った方がいいかもしれない」

「なら私が入れば二人ですね!」

「入るのか……」

 中学時代に厄介ごとを持ち込んでは僕に投げ持ち込んでは僕に投げを繰り返していた峰岸のことであるから(いくら僕が暇潰しを求めているとはいえ適量というものがあるだろう)、僕が反射的に渋い顔をしてしまうのも無理からぬこととは思う。が、しかし。

「……駄目ですか?」

 困ったように聞いてくる峰岸。そういう顔をされると僕が断れないのを分かっているのかいないのか――中学時代もこの顔に負けて、いくつかのトラブルの後始末を請け負うことになったのだが。僕が逡巡している間にも、峰岸は表情を変えずにじっと僕のことを見つめている。

 ……ああ、もう。仕方のないやつだ。

 精一杯の笑顔を作り、僕は口を開いた。

「いいよ、入部を歓迎する。映画部へようこそ」

 途端に峰岸は顔をふにゃりと崩し、満面の笑みと形容するのにはばからない笑顔を浮かべた。満開の笑みと言ってもいいかもしれない。

「……よっし! ありがとうございます先輩!」

「どういたしまして」

 ……それに、持ち込まれた厄介ごとは僕の望む暇潰しより少し厄介ではあったけれども、いま思い返せばなかなか楽しかったかもしれない。うん、この一年で平坦すぎる高校生活にはうんざりしていたところなのだ。だから、峰岸が持ち込んでくる厄介ごとは久しぶりの暇潰し、いいスパイスになりそうだ、なんて。

 僕はそういうものとは無縁の性格だと思っていたけれど、どうやら少しだけ、そう、本当に少しだけ、舞い散る桜の花びらに気分を高揚させていたのかもしれない。

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