ガルゼルク大陸異篇 『虎と猫と竜と俺』
宮月 龍貫
第1話
近所にある複数の教育機関に通う学生達がよく利用する通学路を、一人の男子学生が何かを大事そうに抱えながら歩いていた。
時間は夕暮れ時に近くなり、薄暗い通学路を帰宅途中なのだろう。
その学生の名は
とある中堅どころの高校でそれなりに頭を鍛え、喧嘩になって少しは抵抗出来なきゃ男じゃねぇだろという理由で拳法部に入部し、身体をそれなりに鍛えるごく一般的な中肉中背の男子学生である。
人当たりも良く、世間に反感も無い。髪を染める事も無ければ、徒党を組んで暴れる事も無い。時々仲の良い友人とナンパ(現在の勝率ゼロ)して、夜遊びをして隠れて酒を舐めるような、どこにでも居る少年である。
今は小学生の時から付き合いがある三毛猫で、毎日迎えに来てくれるヨシイ君を胸に抱き抱え、喉元をじっくりと愛撫しながら歩いていた。目を細めて喉を鳴らし、至福の時を過ごすヨシイ君を見ながらふと思う。
平和だなぁと。
学校に行けば友人、悪友、親友と口喧嘩から馬鹿話。仲の良い女生徒と一歩先に進めそうで進めない歯痒さを感じつつ一喜一憂。
勉強はそこそこにと言うか、それなりにと言うか、叱られない程度にと言うか様々な理由で叱られつつ。
部活の時間になれば教えられた拳法の型を自分なりにアレンジして顧問に怒られ、拳法には無い他の武術の技法を用いて練習試合で勝利すると顧問に怒鳴られる。
帰宅路の途中で友人と中指を立てあって別れると、どこで見張っているのか数年来の付き会いがある心友ヨシイ君が当然のように現れるので、抱きかかえて撫ぜる。
メス猫の名前にヨシイという疑問はすでに考えなくなって久しい。
そんな毎日の日課を消化しつつ、帰宅の徒につく日常。
宝くじが当たって、悠々自適な生活してみたいな〜という妄想と共に、将来は何か資格を取得して専門的な仕事とかしてみたいな〜という漠然とした未来を想像しながら、まずは大学かなと現実を噛み締めるのだった。
ヨシイ君を帰り道で回収して住宅街を歩き、自宅の前で解き放つ。とてとてと歩いて振り返り、まるでまた明日と言っているようにニャーと鳴いて走り去った。
友の姿が消えるまで見送り、左手にある家を眺めた。
それなりに新しい扉が付いた一戸建ての我が家である。
実は余り自分の家が好きでは無い。現実は残酷だからだ。
家を建てると言われた時には様々な夢(妄想)をめぐらしたものだ。広い部屋、大きな犬とヨシイ君のように懐く猫を飼うという夢が現実になると。
だが、いざその話になると本当に血が繋がった親父なのかと疑いたくなった。
要求した広さは馬鹿息子には勿体無いと半分にされた。
父親が無類の犬好きであり、その理由が幼少の頃のトラウマで猫が嫌いになったと言う言葉を聞いて猫を飼うという小さな夢までも絶たれた。
味方に引き入れようと話し掛けた母親は猫好きと判明し、同盟なるか? と思ったのも束の間、猫アレルギーだという事も同時に告白され、夢撃沈。
ならば犬はイケルだろと最後の希望にかけたのだが、せっかく買った家が汚れると言う情け無い理由で父親は己の好きな犬はおろか、小さな囲いを利用する小動物すら飼う事を禁止にした。
それほど飼いたいのであれば、自分で働いてから飼え。それが最後の締め括りに言った父親の言葉だ。確かに養われている身であるためにそれ以上は何も言えなかった。
そんなこんなで今日も父親は汗水を流すなり、鼻水を垂らすなりして働いているはず。
九十九はそんな事を毎回思いながら扉の前に立つ。将来、確実に自分へと受け継がれるであろう莫大なローンを組んだ我が家へと入る事にした。
扉を開け、帰宅を知らせるために口を開く。
「おかえりなさい。俺」
タイミング良く各部屋の掃除をしていた母親が廊下に居合わせた。
「ただい……違うでしょ。帰ってきたらただいまが先ですよ」
素でノリ突っ込みを披露する天然様を味方に付けた母親が掃除機を引き摺って部屋に入って行く。
「まいまざ〜。腹が減ったりするわけですが、夜の餌は何時になりますかいな?」
「九十九の餌は……。一時間後くらいかしら。手伝ってもらえると早く食べれますよ」
「御免こ〜むる〜」
見えて無いとは分かっているが、母親が居る方向へ全力拒否の意を示す手振りをしつつ、二階へと上って行った。
自室に入るなり、デスクトップパソコンの電源を入れる。
高校入学のお祝いで買って貰ったパソコンで、性能は当時の最高峰で値の張る一品だ。
ブラウザを開いてネット開始。日課の犬猫画像掲示板で目ぼしい萌え犬猫画像をマイフォルダに保存。
そして新たな萌え画像や動画を求め、広大なネット世界にダイブしていくのだった……。
□□□□
「九十九ぉ〜。夕飯が出来ましたよ〜。早く来ないと〜……すごい事になりますよ〜」
階下で母親が叫んでいた。微妙な間は何か言おうとして何も思い付かなかったのだろう。
「うぃ〜まだ〜む」
男らしくジェントルメンな返事をしてネットを閉じようとすると……。
タスケテ
画面が電源をむりやり切ったように突然真っ暗になり、白文字の文章が浮き上がった。
ウィルスによるものか? それともどこか不具合が発生したのか? と色々想像したが理由が解るわけもなく、かといって強制終了するにも偲び無い。
かつて、混乱してコンセントから電源を引っこ抜いてパソコン一台を壊した事がある九十九は同じ失敗を繰り返さないをモットーにしている。
(とりあえず……飯だな。その後は誰か詳しい奴に聞くか)
ウィルスっぽいな〜と予想しながらも階下に下りて行った。
□□□□
母親が作った食事をリスの如く頬袋に詰めてもきゅもきゅと動かす。
自慢ではないが、母親の料理は味、量ともに花丸をあげてもよいと思っている。
ちなみに父親も時々手料理という名の化学実験を行う。味は推して知るべし。もし口に入れるという行為をする者が居れば、勇気を称え、我が家で愛飲している胃薬を一か月分、喜んで差し出すだろう。
息子の食べっぷりに満足している母親はゆっくりと咀嚼して飲み込む。
見た目通り 淑おしとやかなのだ。怒ると般若になると父親がこっそり教えてくれたが、怒らせた事は無い。反抗期の相手は父親だけで、母親には反抗する必要がまったく無かったからだ。
「うむ〜。余は満足じゃぁ〜」
テーブルの上の料理を平らげ、父親の分だと言っていた皿も半分を胃に収め、よたよたとソファーに倒れこんだ。
「殿様気分は良いですけど、早く彼女作ってね。お嫁さんと一緒に料理したいのよ〜。ちょっとくらい早めに家族が出来てお婆ちゃんになっても私は良いからね」
にこりと笑顔を見せながら、問題発言をさらりと口にした母親が鼻歌交じりに片付けを開始した。
数秒間動きが止まっていた九十九が、突っ伏した体勢から身体を起こし、台所に立つ母親を見る。
(自分の母親ながら……バカなのか天然なのか……)
少し、哀れみの視線を向けながら、起き上がって部屋に戻る事にした。
「そうそう、別にお嫁さんは一人じゃなくてもいいからねっ!」
なぜか力の入った言葉を背中に受けながら階段を上る。
(どっちか、じゃなくてバカで天然なのか……)
なぜか熱くなった目頭を押さえて部屋に入る。
すっかり忘れていたが、机にあるパソコンの様子を見て……驚いた。
タスケテ オネガイ ダレカ タスケテ
「……多弁なウィルスだな」
ウィルス検知ソフトを最新の状態にしていても新種のウィルスであれば感染する可能性はある。ただ、ワクチンが無くとも亜種であれば警告くらいは出ても良いような気がするのだが、今回訪問したサイトのどこかに仕掛けてあったのだろうか。
「はてさてどうしたものやら……」
悪戯のスクリーンセイバーかもと淡い希望を胸にマウスをぐりぐり動かすが、当然のように画面は変わらない。
三ボタン同時押しをしても反応は無し。
全てのボタンを押したり、ボタンを引っこ抜いたりしてみたが変わらず。
諦めて電源の長押しをするが、画面が変わらなかった。
「え〜と……あれ?」
最終手段だった電源長押しが効かず、やっと異常事態だと気づいた九十九が同じ事を三度ほど繰り返し、画面に向かって土下座を披露し、渾身の一発芸などもやってみたが、当然画面がまったく変わらない。後半はともかく、目の前の現実をやっと直視して……うろたえた。
全く信じていない神に祈りながら、意を決してコンセントを引き抜いたがまったく変わらない。
それだけでは済まなかった。
テヲ ワタシニ フレテ
電源を抜いているのにも関わらず、目の前で文章が変わっていく。ウィルスというよりも完全に恐怖映画だ。
薄ら寒い気配が背中を撫で、背後を恐る恐る覗き、何も無かった事に安堵する。だが、視線を正面のパソコンに向けて凍りついた。
オネガイ テヲ テヲ……
喉を鳴らして唾液を飲み込み、額から流れ落ちる冷や汗を拭い、数歩下がって壁にぶつかって、そこで思考する余裕を取り戻した。
Q、悪戯では無いのか。
A、高校になってからは、両親はよほどの事が無い限り部屋には入らない。
Q、では、学校の友人では。
A、最近遊びに来た幼馴染や友人達の中にはパソコンに詳しい者も居る。だが、エッチな画像や動画収集が趣味と公言する愛すべきバカ共であって、これほど手の込んだ事をする理由は無い。
Q、見知らぬ侵入者が居るのでは。
A、専業主婦である母親がほとんど家に居る。当然、家を空ける事はあるが、近所で買い物をするので時間はそれほどかからない。ほとんど家から出ないと考えた方が良い。見た目通りの天然系由来成分がたっぷりタイプではあるが、実は空手の有段者でもあり、眠りは浅く小さな物音で起きる、映画やドラマに出る武士か、高額報酬で暗殺する背中側に立たせない人のように敏感で、侵入者に気づかない事はまず無いと思う。
侵入者があった場合、十中八九迎撃するだろう。犯人には軽症で警察に突き出されるか、重症で路上に転がるという選択肢しかない。そのくらい犯罪者には過激なお母様である。
それはともかく、異変があればまず家族に話すだろう。
Q、オカルト現象なのでは。
A、そんな怖い現象は存在しません。
Q、UFOの仕業か。
A、焼きそば以外は信じません。
Q、プラズマ現象なのだろうか。
A、……知らん!
自問自答を繰り返す九十九が視線をパソコンに向けた。
似たような言葉が表示されては消え、消えては表示されていく。
プログラム通りに表示されている……のだろう。
たぶん……。
不安が募るが、恐怖は余り感じなくなった。慣れたのかもしれないが、一番の原因は……。
何か一生懸命だと思えたのだ。じっと見ていると本当に困っているように思えてくる。不思議なものだ。
文字の表示が一定では無く、呼吸に合わせているように、早かったり遅かったり緩急が付けられているのだ。それも最初の頃は流れるように文字が表示されていたのだが、今ではたどたどしいと思えるほどに表示が遅い。
まるで全力疾走直後に話をしているような……。
もし、悪戯だとするならば余りにも凝り過ぎている。
悪意がある場合、九十九に恨みを持ち、自作のプログラムを作成、家宅侵入する。
全てを行えるような友人知人は居ない。知らないうちに誰かを傷付けている可能性はあるが、家宅侵入までしてやる嫌がらせをするだろうか。それこそ学校で動いている方がやりやすいだろう。
複数犯とも考えられるが、そこまで考えていたらきりが無い。
そこから導いた答えは悪戯では無いだろうという事。
そもそも、バッテリーが付いたノート型ではないデスクトップ型なのだ。電源を落としているのに表示させているという状況を考えるとまともな状態じゃ無い。
……では、現実だと言うのだろうか。
「んな、バカな……」
自嘲と共にベッドの端に座る。漫画やライトノベルを好んで読むので、今自分の身に起こっている事が現実だとは思えなかった。夢ではと何度考え、何度自分の腕をつねったことか。
だからだろうか。呼吸が落ち着き、恐怖が完全に消えた。腹を括ったとも言うが。
首筋に毛糸が触れているような違和感、変な予感めいたものがあった。
意を決して立ち上がると、デザインが気に入らないと部屋の片隅に追いやったシューズを手に取り、靴紐で互いを繋いでヌンチャクのようにする。それを肩に掛けて準備万端とした。
「この表示通りやると異世界にレッツゴーか。これだけ準備整えて何も起こらなければバカ丸出し……っと」
もしかしたらという期待とバカな事をしているという自嘲が半々。失敗しても周りから奇異の目を向けられ無い事がありがたい。信じていない神に祈りながら、画面に手を触れてみた。
軽率だった。変な予感がしたのであれば触れなければ良かったのだ。
だが、誰がそれを非難出来るだろうか。
本当に異世界に飛ばされると考える人間は現実逃避をする夢見がちな少数派か、違法な手段によって夢見がちになったさらに極少数の者だけだろう。普通ならば異世界に飛ばされるなどと考える事は無いはずだから。
その日、九十九は真っ白な光に包まれた。
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