センター街2020年

つぐはら ふみ の ものろーぐ

センター街2020年//01_青山通り/23:07

 少女が走っていた。

 彼女の走る速度は異常に速い。

 毛皮のコートと金色に染め抜いた長い髪は、路面にほぼ平行になるほど後ろにひるがえっている。


 カーキグリーンの巨大な車体が5台、青山通りを渋谷駅方面へ向かっている。

 それは、街で見かける大形トレーラーよりもひとまわり巨大で異様な形をしていた。  

 その軍用車輌は、前方1キロ以上先を、自車とほぼ同じ速度で走ってゆくその少女を追跡している。

 先頭車輌の速度、現在55.4km/h

 その5台は、自車に対して、すこしでも悪意や非協調的姿勢をその走りにみせようとする車なら平気で弾き飛ばしていく。


 すでに数台の車が、路肩に突っ込んだり、腹をみせてひっくり返っていた。


 車体最前部は、外から見ると能面のような形をしたコクピットだった。

 青山学院前歩道橋をくぐる。

 赤信号を通過。

 『246号線、厚木47km 渋谷1km』の表示。

 凍てついた青山通りの空気を切り裂いてゆく。

 軍用車輌のコクピットシールドは、奇妙な“てかり”をみせていた。

 爆走するその轟音は、何十人もの僧侶が唱える重なりあった真言のようにも聞こえている。


 17式統合作戦車:通称『17』(いちなな)。

 5台の17は、車体前部のドーザーを全開位置にしたまま。

 一見、陸上自衛隊の戦闘車輌のようにも見える。


 『暫定治安維持機構』


 それぞれの運転席と思しきものの下に書かれた白抜きゴシックの漢字。

 『機構』の文字の上に、かすかな紅色の桜の花。 

 その文字列の後に、自衛隊関連の表記法とは異なったコードレターがあった。

 そしてその後に低視認性の白フチつき日の丸(マゼンダ30%)

 漢字の文字列も、車体のカーキグリーンに溶け込むハーフトーンである。


 通り沿いの通行人から見れば、すっかり日常化した治安出動と見ても間違いはなさそうだ。


 全高30センチほどの卵型をしたものが、かすかにファンの音を響かせながら、渋谷郵便局を俯瞰できるほどの高度(推定150メートル)から、少女をカ

メラで追い掛けている。



 5台の走行のとばっちりを食った車がいた。

 「訴えるぞ、コラぁ」

 「マジかよ、くそぉ…ローン残ってンのに、」

 救急車にいたずら半分に進路妨害をかます暴走族が、さして珍しくないご時世である。

 17に弾き飛ばされて路肩に突っ込んだHONDAのランドクルーザーと年代物のプレジデントに乗っていた男が、それぞれ悪態をついていた。

 渋谷一丁目、宮益坂上信号あたりだった。


 少女は、青山通りを宮益坂に入る。


 坂の上から渋谷駅東口交差点までの距離を走りきるのに20秒もかからなかった。

 それは人が走って出せる速度ではない。

 少女の履いているナイキのスニーカーは、少女の足が繰り出す猛烈な蹴りと踏み込みで、ゴムの焦げた臭いがしていた。


 渋谷は“若者の街”である。


 そして“若者の街”といわれ続けてきた街の根本的な変質がここにある。

 コンクリートが崩落して、崩れかけたビルですら、表参道交差点から渋谷駅東口東急文化会館あたりまでに20軒近く。

 間引かれたようにテナントが撤退して、いかがわしい連中の事務所になっている所もある。


 そのような場所は、必ず凄まじい落書きが施されてあった。

 その落書きも、ハングル、英語、中国語と思しきもの…



 無機的で重厚な意志をその巨体に秘めた5台の軍用車輛は、金王坂上を過ぎ、車線一杯の巨体をねじ込むようにして、宮益坂を減速しないで下ってゆく。

 先頭が『17・F』0号車、続いて1号車、2号車。


 1号車と2号車は、それぞれ1機の19式(いちきゅうしき)特別警戒機動車『略称:19特警』を車体後部に搭載する。

 その次が『17・B』。

 『19特警』の支援武装、及び3台の戦闘計画車を装備し、2機の19式の治安機動力すべてをサポート。

 そして最後尾が『17・R』。

 発電供給システムを搭載し、車体自ら複雑に変型して分子力場荷電障壁を展開する。

 この5台のメカニズムに分乗する全スタッフを『19式先行量産型試験教導隊』と呼ぶ。

 5台の車両は、左側の路肩に停止している車の車体右側をむしり取るようにして坂を下る。

 右側のドアやフェンダーをぐしゃぐしゃにされたBMWやベンツは、あっという間に10台以上になった。

 そこには圧倒的な意志の存在のみがあった。

 17の外形は、車体幅自身がもはやセンターラインをはみ出すほど。

 宮益坂は一車線である。

 宮益坂を登ってくる自動車の流れは、17とはち合わせをするやいなや、凄まじいクラクションの狂躁に巻き込まれていく。

 17・F後部発進ベイの中の19式1号機に乗り込んで待機している重要なスタッフに、車輛前部の作戦室から声がかかった。

 まだ17・F、0号車に結合されたままの1号機コクピットの中、スピーカーから作戦室からの声が響く。

 女性の声だった。

 『1号機、いい?』

 「OKです。」

 彼は応える。

 彼は、自前の度の強い近視眼鏡の上から作り付けでセットしたアイマウンテッドサイトの具合を直した。

 それは、精緻な回路をガムテープで手巻きしたものだった。

 母艦である17の車体の振動がコクピットの外からひっきりなしに伝わる。

 ビルの間の暗闇に、覗き込むようにして、十二月末の晴れた夜空が広がっていた。




 少女は、交差点で信号待ちの車を追い抜いていく。

 というより、そもそもその身のこなしのその軽さ自体が人間のものではなかった。

 彼女は、まるで楽しむかのように、車のボンネットや屋根の上を、岩山を駆け抜ける羚羊のように跳躍しながら突破していく。

 少女は、顔に汗もかかず、息の乱れがでている雰囲気もなかった。

 それは、何かの特撮映画の特殊効果シーンを切り取ってみせたような感じだった。

 今は十二月。

 さっきまで気狂いじみた速度で青山通りを駆け抜けてきた運動量を別にするとしても、汗ひとつかかない、というのはおかしい。

 何度か立ち止まって後ろを振り向いた。

 彼女は、普通の人間の肉体の持ち主でないことは明らかだった。

 2010年からこちら、彼女のような存在はさして珍しいものでは無い。

 この街は、この少女みたいな女はどこにでもいるさ、と鼻で嘯(うそぶ)いてチンけなプライドをまき散らしてきたところだった。

 彼女の、チョコレート色に焼きこんだ顔には、脳細胞の存在を感じさせない軽薄で空虚な表情が満ちていた。

 それでも後ろから追って来るものに対して、彼女の白く抜いた口元には、からかうような笑みだけは満ちている。

 山の手線ガードを少し過ぎたあたりで、彼女は少し歩く。

 そして渋谷エクセルホテルの方を見つめると、、額に力を込めるようにして、ある言葉をイメージする。

 彼女の姿は、今、この時間、この場所に完全に溶け込んでいた。


 ――あたしでもJSL入れるんだよね――


 それは彼女が誰かに発した問い。

 すぐさま彼女の額の“中”へ、返事が返ってくる。


 ――そうさ、ヒロミだったら文部大臣はやれるだろう、――

 ――わ~い――


 それは、彼女とその得体の知れない声との間で了解されていた事柄のようだった。

 (無線通信機能付きの集積回路でも頭のどこかに埋め込んでいるのか…)


 ――ボーナス300万円だからな、例のもの忘れるな!――

 ――は~い――


 彼女は甘ったるい笑みを浮かべ、また走り始めた。

 彼女が走り去った数秒の後、山の手線の内回りが通過してゆく。




 2015年

 ●五月、この頃より埋込型ICによる簡易型サイボーグが流行。

 ●八月六日、誤爆事件

 ●九月十一日、極右連合勢力による官邸及び外務省突入自爆テロ。死者重軽傷者352名 

 

 2016年

 ●三月二十八日、国際平和戦略研究所発足

 ●援助交際ネットが高度に組織化新手のイベント企画運営会社が増加。

 2012年~2018年

 ●二月、歌舞伎町、渋谷等で、中国系武装マフィアによる抗争相次ぐ。

 ●六月、東京湾の海面が満潮時を基準にして1メートル上昇。

 ●十月~日本国の外交権を侵害し一方的に独立を主張する道州内独立自治体が20を超す。

 (2017年度総務省統計、内閣府他の資料による)


 2019年

 ●二月、暫定治安維持機構主導で19式先行量産型試験教導隊(公開組織)結成。




 17・F-0号車、運転席に続く指揮フロア。


 「逃げられたか?」


 作戦指揮官の齎藤陸将、体を支えながら前方を凝視する。

 「センター街の中に消えました。」

 「俺達幹部にゃ、なかなか楽させてくれないねぇ。」

 陸将は不敵な笑みを浮かべた。

 「まったくね。」

 脇に控える腕を組む謎の美女。

 「急げ!」


 齎藤陸将(幕僚)19式先行量産型試験教導隊指揮官 40代 国際政治学者


 5台の車列を正面から見る。

 17式統合作戦車は、車体とエンジンフレームをつなぎ合わせるサスペンションそのものがリニアアクチュ エーターになっている。

 だから、坂などで車体が傾斜する以外、走行中ですら車体の振動そのものがほとんど無い。

 能面のような前面シールドの隊列が、宮益坂を下ってゆく。

 17式統合作戦車5台のドライバー達は、500分の一表示まで拡大された自車位置の作戦GPS表示に合わせて、ステアリング脇にあるL/Rと書かれた

複雑な形のレバーを押し下げた。


 ―きゅあぁああああああああああああっ…


 5台の車輌の、ほぼ中心部あたりを音源として、気の狂いそうな機械的絶叫が発せられる。

巨大な車体の側面で球体タイヤとして機能していたパーツは、40センチルほど車体両側へ迫り出す。

 かと思うと、車体は街路樹の梢をかき分けるようにして、

 宮益坂を下る速度を維持したまま、空中へゆっくり浮き上がってゆく。


 浮き上がった車体にへし折られた枝が、ばらばらと路上へ散らばってゆく。





 最後尾の17・Rが浮上を開始したのは、ガソリンスタンド前あたりだった。

 それはにわかには進じ難い、あるいは受け入れ難い光景だった。

 最初、通行人達は錯覚した。

 走行中の軍用車輌が、何か、ジャッキか何かで車体を持ち上げたのかと思ったわけである。

 しかしそうではなかった。

 異様な機械装置の半ば露出した車とはいえ、それは道路の上を走るものである、という固定観念を脱却できる見物人は、まさか、その場所にはいなかったは

ずである。

 軍事車輌は、先頭から順に痛んだアスファルトの路面を離れていった。

 路面両脇に止まったVOLVOやリンカーンのボンネットの上に、軍事車輌の車体の一番下にある走行輪が姿を現すと、道ゆく通行人たちは、一様に、


 「お~~」


 という喚声をあげた。

 渋谷駅東口駅前広場から明治通り方向を見渡す12月の暗闇に


 “~ん”という得体の知れない機械的唸りが響く。


 渋谷ヒカリエのおそらく4、5階あたりから見ると5台の車列は、巨大なつい立てが空を横切っていくように見えるだろう。




 この冷え込んだ夜の西口の雑踏で、ちらしを配っている女性がいた。

 中国系の女性のようだ。数は、一人、二人、…六人。

 全員、同じ柄のチャイナドレスの上から白いダウンジャケットを羽織って、前を開けている。

 大きなICチップのネームタグを首から下げている。

 中国語の語学教室のちらしだった。

 2019年の現在、その微にいり細にわたるサービスで、

 英会話教室以上に流行っていた。全国に1200以上の教室があるといわれている。


   中日友誼語学館;CJFLS(ちらしの内容)


 主催:華日教育文化研究開発省 中日友好の掛け橋、みんなで楽しくまなびましょう


 ●幼児クラス_3歳児から受け付け。正しい中国語で正しい情操教育を。

 ●小学生・中学生クラス_中国語の学習は理論的思考を伸ばすのに最適。

 ●電脳アクセスクラス_ロジックコンバーター埋め込み手術格安手配。あなたの脳が世界で一番難しい言語:中国語にアクセスできたらもうあなたはイン

ターネットを征服したも同じです。

 ●生活支援クラス_毎日先着100名様1日2食炊き出しサービスつき。軽作業斡旋。中国語の学習に経済的不安は存在しません。

 ●歴史学習クラス_大陸オプションツアー各種取り扱い。中国10000年の歴史を楽しみながら学べます。

 ●労働教育クラス_等価交換倫理による非行暴力矯正教育。大好評につき全国の小中学校から毎月2000名受け入れ中。



 ちらしの下の方に小さな明朝体で、


 社会の安全を乱し、国家的融和を防ごうとする言動を行う人がいたら教えてください。

 報酬は1回につき1000~3000円 

 あなたの行為は法律的にも評価され(公益保護法第12条、17条)、社会の皆さんに喜ばれます:華日教育文化研究開発省治安委員会広報局


 19式先行量産型試験教導隊の車列は、JR山の手線の線路をそのまま飛び越える。

 高度、およそ18~20メートル。

 5台の17・Fは、彼女らの頭のすぐ上を、無気味な響きをたてたまま横切っていく。


 「哀哉!」

 ちらしを配っていた彼女らの叫びは、他の群集にまぎれてめだつことはなかった。


 「看!」

 「那是什?」


 国民総生産の低下、治安維持力の低下、政治倫理の低下、産業技術力の低下、教育水準の低下、外交力の低下…この日本という国は、国の体裁が崩壊する一

線をすでに、しかもわずかに越えていた。

 だから、暫定治安維持機構にとって、残された時間はほとんど無いといってよい。

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