エネルギィは保存せず

財浄水音

第一章 再会

1ー壱 コノヨ、アノヨ、トコヨ

道という道は天竺に通ずれば、孫悟空よ、出鱈目に行け。

邱永漢


奈良時代/唐/長安


吉備真備きびのまきびは、2度目の遣唐使けんとうしでは、副団長としての地位で唐に着いて間もなくの事。


命がけの航海虚しく、慇懃無礼いんぎんぶれい官僚かんりょう達に出迎えられたかと思うと、あれよあれよとそのまま捕捉ほそくされてしまったのだった。


連れられ行く先は毎夜鬼が出ては、中にいるものが食い殺されるという土蔵。

土蔵が見え出すと、武装兵達も怖気おじけづき、足が止まった。


「行ったら必ず鬼に食い殺されるという土蔵に俺と同行する事、それとも悪くて死刑、良くて棒打ち100回程度の危険を負って、命令に背いて逃げる事、どちらが合理的だろうな。」


武装兵達がどよめく。


「死んだらおしまいだが、逃げ切っても職は無い。職が無くなったお前らの行き先は山賊と決まっておる。何度かはお宝と女にありつけ、今よりいい思いもできるだろうが、遅かれ早かれはりつけか。残念だな・・・まあ、俺が逃げないように、土蔵の前で立ってれば、巻き添え食らってその場で喰われる可能性は高いが」


吉備真備きびのまきびはわざとらしく笑った。


「ま、心配するな。お前たちはその辺にいればいい。ここからは俺が一人で行ってやるからよ。なに、逃げる事は無い。逃げたら、臆病なお前たちのほこの露になってやるさ。そしたら、刑罰どころか褒美がもらえるかもな。せいぜい逃げ道を見張ってな」


吉備真備きびのまきびは、優雅に皆が恐れる、「鬼が住む土蔵」へ一人、向かっていった。蔵は不自然な高床式たかゆかしきで、鮮やかだが動きにくそうな着物をなびかせハシゴを登る。


土蔵に入ると、既に鬼らしい鬼が座っていた。黄色い髪と真っ赤な体躯たいく。角も生えている。これなら鬼と呼んで差し支えない。


「おお。お前、吉備真備きびのまきびって言うんだってなあ。まぁ、座ったらどうじゃい。挨拶は、やめておこう。所詮鬼じゃ。それより思い出せるかのお。お前の前世の記憶。」


鬼は口から喋るというよりは、心に直接語りかけてくる。妙な感覚だ。

殺気も敵意も無い事は分かるのだが、何が言いたいのか、イマイチ理解ができない。


「なんじゃその間抜けた顔。お前ほどの男でもさすがに前世は分からんか。まぁ、無理も無いのう。ムヒョッ、ヒョ」鬼はまた、胸に直接語ってきた。


鬼の角が伸びる。するっと吉備真備きびのまきびの心臓につき刺さった。とても人間では防げない速さだったな。と考えた。だったら仕方ない。人間としては最善は尽くしたのだから悔いはない。


不思議と血が出ない。確かに角が突き刺さっているのに血が出ない。


「お前のポンカロイドに一撃入れてやったわい。じきに、目が覚めるはずじゃ。過去と未来の眠りから・・。わしらは、こうやって、いつも3人で戦ったり、助けあったり続けてきたんじゃ。覚えているかの?またあえて嬉しいぞよ。今回は俺はお主に味方する事になる。」




2014年/夏/日本/愛知県/名古屋市

んーー、ん?・・・ん・・まだ私が知らないこともあるって事か・・。


体は動かない。運ばれてるのか。足がダメになったみたい。痛っ、結構ひどいなこりゃ。一生車椅子、いや、今は2014年、確か。という事は10年後ぐらいには、確か足なら何とかなるのかな。それにしても、こんな事があり得るとは。もしや生誕1000回記念だとこういう事がある?もしかして私が知らないだけで、意外と当たり前なのかなこの現象は?でもなー。1000という数字とか10進法とか、現世の人間にとってしか意味ないような気もするし、1000回だからって、記念とかもおかしいしな。うー、痛みが増してきた・・いて~。そのまま死んどきゃ良かったのによー。


物部ものべさん、物部さん、分かりますか?物部さん。」


看護師らしい女性が声がけする。ぼんやりと辺りを見渡すと、白い壁と消毒の臭い。病院らしい。


「あ、はい、分かります。私の名前ですか?おっしゃるとおり物部翠ものべみどり。女、21歳、、独身です。」翠は淡々と答えた。


「良かった。結構ひどい事故でしたのに、気もしっかりしてますね。痛いでしょう。足を大きく怪我してますから、全身麻酔で手術しますからね。きっと良くなりますよ。痛いでしょうけど、手術が始まるまで、なるべく体の力を抜くようにして、呼吸に意識を集中するようにしていると楽ですからね。」


看護師の女は、穏やかで品がありながら、テキパキとした調子で答えた。


翠は、妙に感心してしまって、ようやく物部翠として落ち着く。


大怪我するものにとっては非日常な世界でも、それに応える看護師、医師、その他職員にとっては普通の一日、という事なのだろう。大病院の緊急病棟はどこか演技くさい白々しさが覗く。担架は翠の激痛とは裏腹に、何事も無くスムーズに名古屋市立総合病院の集中治療室へ運ばれて行った。


この時代、何世代ぶりだろうか。懐かしい。何もかも愛おしい。翠の目には自然と涙が溜まっていた。色々な時代を見てきたが、この時代の日本は格別だったと思う。周りの人間は、痛いから泣いているんだろうと思っているのだろうな。翠自体はそうではなく幸福感に近い感情を持って泣いていた。確かに痛さは感情を誘発したかもしれないのだが、溢れそうな涙自体にまた驚きを伴う感動が生まれ、それがまた涙を誘発するというループに暫く浸ろうと思っていた。


「もう、先生の準備ができたようなので、直ぐに手術に入りますね。こちらよく読んでサインしていただけますか?」にこやかな笑顔でテキパキと看護師が契約書のようなものを出してきた。


翠は読まずにサインをすると、看護師は不服そうながらも、何も言わずに書類を収め、また翠は別室に移動のようだ。


泣いてスッキリした脳は驚くほど動き始めてきたので、運ばれながらも静かに気持ちを整え、記憶を糸を紡ぐように慎重に取り扱う。私は物部翠として、1996年9月5日に1000回目の誕生をする事を決めて来た・・んだったと思う。なぜこの時代を選んだのか、肝心な所はすっぽりと抜けている。


物部翠は17歳まではぬくぬくと何も覚えておらず、普通に育ってきたようだ。ただ、よりによって、物部の娘として生まれただけに、この時代の一般的な女性というわけにはいかなかったようだけど。何故物部の子になるか、理由があっての事だったと思うが・・思い出せない。 これが1000回目の人生なのだなと思った感触が確かにある。懐かしいような、寂しいような感覚。


生きているうちに、死んでからの記憶が蘇った事は今までの人生で一度も無いし、そんな人間に出会った人生も無い。今まで沢山の時代を生きてきた。一つ一つ忘れられない体験なのに、生まれたら全て忘れてしまうし、死んだら全てを思い出す。生きて死ぬという事はそういうルールだったと思う。


これまで、最も古くは紀元前3千652年。最も新しくは、2168年の人生をランダムに行き来してきた。21世紀初頭と言えば、壊滅の8月が丁度ある時だ。このまま人類が滅亡してしまうだろうと地球上、全ての人間が確信したと伝えられる・・。


物部翠か。取り立てて何の能力も無さそうなこの肉体と平凡な頭脳を使って私は何をしようと生まれてきたのだろう。


あ、でも常世トコヨにはこの体でも行き来できるのかな?

常世に行くのは肉体では無くポンカロイド。例え生まれ変わり続けたとしても、ポンカロイドには忘れること無く修練の結果が刻まれているはずだから、アクセスは可能なはず。


「はい、痛くないですからねー。目が覚めたら全部終わってますから安心してくださいねー」気づくと突然目の前にいた医者は、愛らしく爽やかだった。


こういう優しくも事務的な医者というのも、この時代の日本を特徴する興味深い現象だなと思っているうちに眠りに落ちた。



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見覚えのある河が流れている。


このピンク色の河と、金色の山、紫の空それにこの甘い匂い。という事はここはターミナルか。久しぶりだな。


現世コノヨ常世トコヨ彼世アノヨの中間地点。何度か来たことはあるが、未だにここが何なのかは分からない。懐かしい。何の拍子でこんな所に来てしまったんだろう?麻酔で眠ってここに来たという事は、意外と危なくて死にそうになっているという事なんだろうか。まぁ、それならそれでいい。


あれ、舟だな。乗っているのは 鬼と人みたいだ。鬼と人が同じ舟に乗るなんて珍しい事もあるなあ。それにしても、改めて見ると不気味だけど雄大な景色。あんなに大きな山もあれば、こんなに豊かな河もあるのに、生き物の気配がしないって、現世コノヨを見たあとに見ると不思議で気持ち悪い。


あれ?なんだあれは?あれは常世の民だな。いつ見ても奇妙な形してる。あいつらにしては妙に行儀良く行列してる。大名行列みたいで微笑ましいけど。数えられないぐらい壮観な数。それにしても常世の民がこんな列をなして歩いて行くなんて事、考えにくい。ずっと川上目指して一体何匹いるんだろう? 少なくとも、何十万、いや百万の大群という感じに見える。あっ、そうか、壊滅の8月に向かっているんだ。あいつらはこうやってターミナルからやって来たという訳ね。


あっ、よく見えないけど、舟の上で、鬼から人に何かが受け渡されたみたい。人のエネルギィに鬼のエネルギィが混ざり合っている。大丈夫なのかな?そんな事して? おっ、人が舞い上がっていく。現世に戻っていくようね。あれ?鬼もいなくなってる。舟は空っぽだ。


翠が誰もいなくなった舟をしばらく見続けていると背後から突然声が聞こえた。


「これはこれは。今おぬしが生きている世では、確かお主は物部翠、という名前じゃったな」年老いた声が後方から聞こえる。


「名前などどうでもいい。あなたはさっきまで舟にいた鬼ね」翠は振り向かずに、河を見つめながら言った。


「ワシが鬼という事もわかるんじゃな。まぁ、見られて悪いことしていた訳でもないし、むしろ良い行いをしたんじゃがのう。ヒョッヒョッヒョ。実はのう、お主にも用事があるんじゃ。お主が今生きている21世紀、知ってのとおり、人類の歴史にとっても重大な局面じゃ。そこでどんな事が起こるかも、お前さん、よう知っとるんじゃろうて。ヒヒヒ。ヒヒヒ。それでじゃな。さっき舟におったのはの。あの男にその分岐点で一働きしてもらおうと思ってのう。力を与えたんじゃて。いや、与えたというよりは引き出したと言うべきかの」


翠が振り返ると、人の良さそうな老人の姿があった。ヒゲが足に届くまで生えており、眉毛もやけに長いが頭髪は無い。仙人の安っぽいデフォルメな外観にちょっと嫌気がさした。


「いや、一応人間に会う時は礼儀としてな。驚かせないようにしておるんじゃ。これでも」と老人は言い訳がましくこぼす。


「そんな事はどうでもいいわ。それより一働きしてもらうって、壊滅の8月に何かさせようと思ってるの?一介の鬼ごときが、人を使って何かを変えようなんて考えるとはね。」翠は、ポンカロイドに刻まれた記憶を慎重に引きずり出しながら言った。


「かっかっか。確かにわしは一介の鬼じゃ。何かを変えるなんて大それた事、出来るわけもない。」


「あなた何者よ?人間に力を与えたって、何のため?」鬼は答えたくないのか、聞こえなかったように暫く沈黙し、言った。


「ここは時間が弱い事は知っとるじゃろうて。常世トコヨ彼世アノヨ、それに現世コノヨを分かつ中洲のような場所じゃからの。だが、変わりに河が時間みたいな役割をしておる。ほれ、よく見るとずっと同じ光景じゃろう。同じ光景がずっと続く。永遠に続いておる。景色が繰り返し繰り返し出てくるじゃろうて。これがどこの時代にもつながっておる。まぁ、ここにはそう滅多には、誰も来ないがのう。彼世アノヨからも、常世トコヨからも、お主がいまおる現世からも偶には紛れ込んでくる奴がおる。来る奴は、本人は知らん所の何かに引き寄せられて来るのじゃよ。さっき舟におった黑鉄くろがねという男もそうじゃ。」


「壊滅の8月、異形の者と言われた常世の民達が唐突に現世に溢れ出して、あっけなく人類が築き上げてきた文明は滅んでしまった。あの日突然現れて、何もかもを混沌に巻き込んだ奴らが、こうやってターミナルから厳密な秩序の下に行列作ってやって来たっていうのは、皮肉というべきなのかしらね」


行列を眺めながら、2人はしばらく沈黙した。あの行列が向かう先に、きっと現世につながる穴かなんかがあるんだろう。こうやって、異形の者、とか、物怪、モンスター、色々と現世では呼ばれているが、常世の民がこんな所にうじゃうじゃいるとは思っても見なかった。


翠のこれまででも、常世の民に出会ったことのある人生なんて数得るほどしか無い。確かにそれぞれ、異形としか言いようのない面構え。しかしそれが無限に続く配列は神々しいとすら言える。


「ああ、あれか。そうじゃ。ワシもここにいつからかずっといるつもりなんじゃがの。あいつらいつのまにやら湧いて来おったんじゃわ。ここでは大人しいし、愛らしいのうあいつらは。ワシは見てるだけしかできんが、現世に行ってもうたら後は歴史が示す通りじゃて。ヒッヒッヒッ。カッカッカ」不気味にあざけるように老人は笑う。


「あんた何か知ってるね。とぼけても無駄よ。ちゃんと言いなさいよ」翠は露骨に不快感を表明したかのように、睨みつけた。


「ワシはもうひと仕事せねばならんのでな、そろそろ行くわい。また会う事になると思うぞい。翠ちゃん」


「何、鬼のクセに馴れ馴れしいわね。待ちなさいよ」


翠が言い終わらないうちに、老人は消えてしまっていた。目線を河の舟に移すと、何喰わぬ顔で老人姿の鬼が乗っており、流れと逆行する事も何のその、スイスイと滑るように河上に舟を登らせている。



鬼は、気持よく河の流れを切りながら、川上を目指していたが、ふと気配が刺して後方をちらっと見た。


「ところで、あんたは誰なの?」翠が舟の後方先端に立っていた。


老人の姿を脱いだ鬼の背後を取った。舟の最後尾につま先立ちで、バランスをうまく取りながら、ここでの体の使い方を馴染ませているかのような慎重さと大胆さをもって動く。


「おっ。中々やりおるわい。お主がそこまでうまくポンカロイドを動かせるとは知らなんだ。ワシか。ワシは見ての通り、単なるターミナルに住み着く名も無き鬼じゃよ。まぁいいわい。せっかく来たんだから、どれ、お前さんも一緒に連れてってやるかのう。責任は持てんがの。ヒヒヒ。ヒヒヒ」舟は変わらず川を浮くように直進する。翠はじわじわと今までの経験や知識が戻ってくる中で、このターミナルの性質について思い出してきた。岸に辿り着いた。


「お主は舟で待っとれ。どれ、ちょっと用事を形付けるとしよう」鬼は、岸辺から小高い岩に飛び乗ると、そこにタイミングを合わせたように、人が二人岩陰から降りてくる。


鬼はまた狡猾に老人の姿に戻りながら、よろよろと二人に遭遇した。演技が妙にうまいのが苛立つ。鬼は、二人をうまく誘い込んだかと思うと、躊躇なく鬼と化した。


一人の男を捕まえようと手を伸ばす。すると、もう一人の男が鬼に狙われた男をかばうように岩から突き落とした。 鬼は一旦落ちた男を諦めたのか、突き落とした男をひょいっと持ち上げを飲み込んだ。いや、喰ったという表現が似つかわしいか。体を巨大化させ、丸呑みした。その瞬間、翠は鬼の背後に瞬時に移動し、本能的に鬼のクビを切断し、中から食われた男を引きずり出した。こんな事ができたんだっけ?と翠は我ながら驚いた。


「まぁまぁ、そう焦るでない」鬼の足が顔に変化し、切断されたクビは瞬時に修復する。顔が体を伝ってクビに渡り、元通りの形に戻った。


「翠ちゃん。色々昔話でも話したいのは山々じゃが、また今度じゃわい」鬼はひと吹きで翠を川に吹き飛ばし、翠は川に落ちた。体が重くて動けない。そのまま沈んだ。

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