第69話:竜殺し
精鋭の準備は整った。災害とすら称される竜のとの対決の準備も今のところ万全だ。それすなわち英雄の誕生を示すが、正直いって竜を倒すのは英雄としての最低条件とも言える。
こことは事情などが違うが、かのジークフリートによるファフニール討伐。つまり竜殺しやベオウルフによる竜殺しなど、英雄と称される存在には必ずしも強大な存在の討伐が肝心だ。
それは特別な武器や才能などが必須となっているが、実際に竜殺しなんぞ特別なものなど必要ではない。
必要とされるのは最低限の武具と勇気、それに工夫だろうか。
武器が弾かれるならば鱗と鱗の隙間を狙ったり、柔らかい箇所を狙えばダメージは通る。魔法が反射されるならば魔法を自身の強化に転化したらいい。
ただそれが行えるのが数百年、数千年に1人と言われる化け物であるだけである。あるいは幸運を手にした者か。
「行動開始!」
その指示とともに作戦に沿った行動を皆が始める。
回復担当を3人とルーク、リグリットを抜いた8人はそれぞれが二人一組をつくり、ペアが合計で4ペア確保できた。
例外となるルークとリグリットに関しては、ルークは全体を見ながらの行動になるため、リグリットは単独の方が動けるため、である。もっと有り体に言って仕舞えば両者の実力が抜きん出ているため。
ハピアとクラーリももちろん強い。ハピアは対応力、戦況を見通す力はピカイチだしクラーリもその速度と体格の小ささを活かした攻め、加えて野生的な勘は十二分に強い。
しかし、勇者を除いて人種歴代最強とすら謳われるルークはやはり別格だ。闘技大会からまた腕を上げたのか太刀筋や体捌きが鋭くなっている。経験に裏打ちされた戦術眼に天性の武と鍛錬により重たい一撃を素早く繰り出せるようになっている。
一方のリグリットはルークほどの戦闘力はない。しかし俺の教えた隠形を独自に改良したものを使用しての死角からの一撃はよくあるゲームにおける暗殺者のように一撃が鋭い。ルークとは違う意味での強さ。正面対決ではルークに分があるが、夜闇に紛れての奇襲ならばリグリットに分があるかもしれない。
加えるならば今回のリグリットの武装は俺が渡したものを更に強化したもの。毒は効かないだろうが鋭さには磨きがかかるだろう。
陣形はルークを先頭にした三角。リグリットは気配を消して潜み、回復役は後方にて待機する。
集中すると時間は長く感じられる。ジリジリとした時間が兵士たちの間には流れているだろう。準備は万端。後は迎え撃つだけ。
「......来たぞ!」
およそ空を翔ける生物の中では最速であろう速度で飛んでくる竜。狂ったような奇声をあげながら、即座に攻撃体勢へと入り、突貫して来る。
その突撃に対して動いたのはルーク。俺が渡したタワーシールドを両手で構え、地の中に足を埋めるようにして踏ん張る。真正面からの迎撃。他も一瞬はたじろいだものの、精神安定化の魔法をあらかじめかけてあるためすぐに平静へと戻り、自身のやるべきことを行いはじめた。
形容しがたい爆音と共に砂煙が舞う。地面はえぐれ、しかしそこにあるあらゆるものを粉砕するであろう竜の突撃は後方まで来ることはなかった。
「全員......拘束開始!」
土煙の中から即座にルークの声が飛ぶ。声や魔力視によって確認したが、さすがルークなだけあって完全に衝撃を防ぎながらほぼ無傷であった。
ルークの声に従い、周囲の兵士が拘束を開始する。
拘束は竜討伐の手順としては必要なものだ。空という戦場を減らすだけでも大きく勝利へと近づく。
拘束具は金属を鎖状に加工した特注のもの。魔力によって竜の翼に向かって鎖を飛ばす。先端には重りと爪がつけられているため簡単な操作で翼に絡みつく。
さらには魔力操作に長けるものは長めの鎖を飛ばし、竜を地へと拘束する。先端に設けた杭により地面に鎖が固定され、竜は体勢を制限された。
「拘束完了しました!」
「全員攻勢!全力だ!」
拘束完了の報を受けてルークが号を飛ばす。皆、竜に肉薄して効果的なダメージが入るように攻撃を繰り返す。鱗の隙間から突き刺したり、打撃武器で打ち付けたりが主な攻撃方法だ。
魔法剣の使い手であるリーリスはその剣に属性を付与するのではなく、その分の魔力を強化に流用し切りつけていた。
竜の鱗は魔法を無効化するわけではないが、大きく減衰させる。それは属性にも適用される。故に今回はその持ち味を殺すことにはなるが、持ち前の魔力操作を活かして剣の強化と拘束具の操作を担当してもらった。
「
ルークの存在感が膨れ上がる。気迫は離れていても感じられる程に強く、その剣気は至近距離から当てられれば良くて立ちくらみ、最悪意識を失うだろう濃密なものだ。
ルークが行ったのは肉体と精神のリミッターを解除するもの。精神は即ち魔力であり、肉体は身体能力。それらは常に使い切らないように、自身を傷つけないように肉体により制限されているが、それを強制的に解除することで全力が出すというものだ。
ルーク程の強者が使えば十二将にも匹敵するだろう。
無論デメリットも存在する。わざわざ能力を制限しているところを強制的にぶち破るのだからその反動は大きく、全身の筋肉に異常をきたし、筋繊維の断裂は避けられないだろう。魔力も欠乏症を超えてしばらく生成されないなどの反動がある。
だが、そうしてようやくルークの攻撃は効果的なものへと昇華される。
「ハァッ!」
目にも留まらぬ速度でルークは駆け、大剣を担ぐように肩へと乗せ、一思いに竜の顔へと振り切る。直前で竜が首を捻ったために本来の狙いとはズレたようだが、それでもルークの斬撃は竜の左眼を両断した。
「GRYAAAAAA!!」
さしもの竜も眼を潰されて悲鳴をあげた。拘束に対する抵抗が増す。おそらくだがもう数秒もすれば縫い付けている拘束も剥がされるだろう。
竜が首をもたげた。魔力の反応だけでなく熱源が急速に蓄えられた。悪魔と融合された影響で急速チャージになったようだ。
「ブレ......」
叫ぼうとした瞬間、この場から一瞬音が消えた。
おそらく発動時間は数秒程度。しかしその一瞬で赤黒い力の奔流により、3人の兵士の時間が掻き消えた。残ったのはわずかに首あげた故に残った3人の足首から下だけ。灰すら残らなかった。
「チャージから3秒経ってないぞ......マジか」
だが今の一撃でブレスの仕組みは理解できた。
この速度の仕組みは発動する前から周囲の魔力を徐々に吸い上げることによるもの。ブレスの属性は火と悪魔の瘴気のようなものが混じっている。その性質から悪魔のものが混じったのだろう。掠るだけでも心が弱いものは精神が冒され、肉体も朽ちることになる。直撃は先ほどの3人と同じ末路になる。絶対的な物理破壊力と精神汚染の複合ブレス。兵士たちに防ぐ手立ては現状、無い。発動の兆候から予測して全力で避けるか祈るしかないだろう。
だが驚くべきことに士気はあまり下がっていない。ルークが鼓舞でもしてくれたのだろう。顔に恐怖が浮かびながらも自分の仕事をこなしている。竜も連続ではブレスを使えないようで、一時的に力を使い切ったためか少し抵抗が弱くなった。
それでも竜だ。拘束が解かれた。
「作戦を次の段階へ移行!投擲開始!」
今度は俺が指示を飛ばす。兵達もすぐに従い、一度後退、剣をしまってから指示通り作戦を開始する。
次は体力を減らすこと。状態異常や出血などによるダメージを狙う。
その際は俺が配布した特製武器の出番。形状は球状で四方に刃がついているため投げにくくはあるが、鋭さと人の投擲能力、それにこの刃に込められた魔法によって竜に対しては鱗の間に引っかかるようにして効果を及ぼす。
効果は傷による微量な出血や出血毒。麻痺毒に腐蝕毒、呪毒。それも強弱酸性アルカリ性など多種多様のものだ。竜の再生力を阻害する毒なんてものも含まれているため、かなり効果的と言えば効果的である。ちなみにこれらの毒の作成はリグリットを中心に行わせた。将来的に薬師にするための下地作りとも言えるだろう。
1人につき2つ。ルークとリーリスは引き続き直接攻撃を加え、リグリットは潜んでいるため、それらと回復役を除いた14個。少なくとも14種類の継続ダメージが竜へと与えられる。そのどれもが僅かなもの。竜にとっては取るに足らないものだが、塵も積もれば山となると言うように微小継続ダメージが積み重なれば竜の体力も減らすことができるだろう。
その時フッと周囲の体感気温が下がった。実際には気温に変化はないのだが、これまで姿を隠していた人物が行動したことにより、その錯覚は起こった。それは竜も同じように感じたらしく、理性なき身でありながら周囲を少し気にする。
しかし彼女を見つけることは叶わない。
「ハァ......」
小さな息遣いと共に竜の背にリグリットが姿を現す。極限までに抑えられたその存在感はもはや無と言ってもいい。しかし確実に感じられるのは殺気のような何か。生物の本能に死を刻みつけるような悪寒が全員に走っていた。
そして。
「ハァッ!」
音としてはスッと情けなくも鋭い音だった。しかしその一太刀は完全な知覚外からの一撃であり、竜の左の翼を断ち切った。
「GRYAAAAAAAA!!!」
思わず竜が悲鳴をあげた。これがリグリットの持ち味だ。一対一で相手の意識の隙間をついた一撃。多対一などの乱戦などでは姿を隠し、相手ごとに弱点を見極めて一撃を加えて離脱するのを繰り返すヒットアンドアウェイ戦法を駆使する。
実はこれに気づいたのは訓練中の偶々だったが、隠形を上手く用いた立ち回りは初期の暗殺者の頃とは大違いだった。
「攻勢!」
左眼の喪失に加え、機動力を大きく削がれることになる翼を失ったことにより一時的にではあるが竜の勢いが衰えた。それを目敏く察したルークにより攻勢の指示が出される。兵士たちはその声に従い、全兵士は竜へと駆け、その武器で攻撃を加える。腐蝕毒のおかげか鱗が脆くなっている箇所が多く、各所で竜の鱗が破壊されていた。
鱗は竜にとっての鎧であるが故に、鱗を破壊する行為は竜のその高い防御力を喪失させる行為に等しく、竜にとってはかなりの痛手になるだろう。しかし竜は己の状態をよく理解する。空戦能力を失い、防御力をも失ったこの竜も退却という行動は頭に浮かんでいないだろうが、防御を捨てての攻撃に走るだろう。それは人間にとってはかなり危険なことを意味する。
「回復担当は即座に発動させられるように待機。多少魔力をロスしても構わん」
その指示に従い回復担当の兵が回復魔法を待機させたところで竜が吼えた。
「GAAAAAAAAA!!!」
ブレスでは無い単純な咆哮。しかしそれは人の恐怖を煽るのに効果的であり、更には爆音が近くで鳴ったせいで一時的に兵達は動きを止めた。そこを見逃す竜では無い。
「左側面にスタンピングだ!避けろ!」
ダン!と地を揺らす程の衝撃が走る。狙われたのは特に鱗の破壊が酷かった左側面にいる兵達。直前に注意できたことで直撃は免れたが、咆哮により一瞬動きが遅れたため、兵の1人が足を潰された。すぐさまペアの兵が引きずるようにして下げ、回復担当が魔法を施す。足は復活しないがそれでもその目に浮かぶのは絶望感ではなく悔しさだったようだ。いい目をする。
再度竜がスタンピングをする瞬間、ヒュンとかなり速度で黒い影が竜へと攻撃、竜のスタンピングにより体勢が傾いたのを利用して竜を滑らせた。
やったのはクラーリのようだ。そこからは持ち前の機敏さを活かして竜の尻尾や爪などを躱しつつ、全身に攻撃を加えていく。どうやら少し離れたところにいるハピアを見るにハピアが竜の動きを見極めて
思い返せば城を出たあの時に荷物持ちだとか夜伽だとか言っていた奴隷の少女がハピアであった。クラーリも後ろにひっついているようなまだまだ子供であった。つくづく思うのは人生どうなるかわからない、と言うことだ。
ただの一獣人奴隷であった彼女らが今では竜相手に果敢に戦っている、というのは親代わりとしてなんだか感慨深いものがある。
「ブレスの兆候だ、気をつけろ!」
感慨に浸っていても注意は怠らない。今度はハピア達に方向へとブレスが放たれた。だがそこには既に誰もいない。竜はブレスを吐いている間はほぼ無防備になる。今回の蓄積ダメージは大きかったようで、ついに竜は転ぶようにして体勢を崩した。
「ハァッ!」
ルークが残った右眼を切り裂く。リグリットは尻尾を断ち、ハピアは脆い部分を攻撃しながらクラーリに指示を出し続け、クラーリはまるで滞空しているかのように竜の体自体をうまく使って翼を切り刻む。リーリスも多少攻撃力で劣るものの、その継ぎ目ない連撃により鱗を破壊していき、その下にある皮膚を裂く。
他の兵達も各々が持つ武器の特性をしっかりと理解した上で的確に攻めている。
ここに竜殺しは成った...............はずだった。
「っ!?全員全力で下がれ、結界を張る!」
首筋がチクリと感じた瞬間に俺は叫んでいた。ボコボコと竜の体が泡立つようにして膨張している。嫌な予感がする。
周囲の瘴気が目に見えて濃くなってきている。これ以上は人体に毒だろう。どうしてこうなっているのか。発生源はその竜。
本当は手出しするつもりはなかったが、仕方がない。
竜に対し、地面を透過するようにして球状の結界を張る。物理的魔法的だけでなく、熱や音、気流に病気や瘴気などあらゆるものを防ぐ結界。それを多重展開したおそらく俺の中では最も硬いであろう結界だ。これくらいは使わなければならないと判断した。
「ユート殿!」
「ああ。全員臨戦体勢を解くなよ。回復担当は今のうちに帰る準備だ。もしもの場合は一目散に逃げろ。これはマズイ」
結界内は濃すぎる瘴気に大地が死んでいた。竜は完全にその原型を無くし、瘴気の中に埋もれた。おそらくこの光景は見ただけで心に深くつき刺さる危険なものだ。今結界内を把握できるのは俺だけで本当に良かったと思う。
おそらく中にある瘴気は悪魔のものに人の怨嗟が重なったもの。可視化されるにまで至った怨嗟は人を狂わせるだけでなく、命あるものを喰らう。故に大地が喰われた。
正直危険なんてものでは無い。今すぐ結界ごと異空間へと放り投げるくらいしか対処できないだろう。浄化なんて以ての外だ。
だが、それができない。結界を動かすことができない。
「チッ、仕方がない」
久し振りの全力。普段は薄く放出している魔力の放出を止め、その全てを結界へと回す。周囲に霜が降り始めたが、これは魔法による影響ではない。先ほどリグリットの時に感じた寒気によるもの。つまりプレッシャー。強すぎるプレッシャーは世界に影響を及ぼす。
「その呪いは俺が貰う!」
グッと結界を圧縮させる。中にあるものごとそれは小さな石になった。禍々しい怨嗟の石。日本の昔話に触れた者を殺す殺生石があったというが、それはまさにこのことだろう。その石は狐が成ったものではあったが、これは竜が成ったもの。しかし特性は同じだろう。
呪いの最も基本的な解呪方は受け入れること。だから俺はこの呪いを受け入れる。
殺生石となった怨嗟と瘴気の塊を俺は掴み、自身の身体へと押し付ける。身体中に走る激痛。頭の中には怨嗟の声が響き、瘴気が身を蝕む。心配する声が聞こえるが構っている暇はなかった。
この怨嗟が誰の怨嗟なのかはわからない。竜か悪魔か、生贄にされた者達か、殺された兵達か。だが俺はその全てを受け入れよう。飲み込んで、溶かして、一部となる。
前にも一度やったことだ。二度目は俺にとって簡単なこと。
怨嗟も瘴気も何もかもが身体に溶けていく感覚がする。気持ちの良いものではない。しかし身体は受け入れるかのように黒く黒く染まっていくように感じられ、それがまた闇に同一化していく。やがて俺の意思の一つとなった。
「......竜殺しは成った。おめでとう、君達は英雄だ」
兵達は怯えていた。ルークは信じられないような顔。リーリスは歪んだ顔。リグリットは驚くような顔。ハピアはどこか痛そうな顔。クラーリは悲しそうな顔。
「ん?ああ」
俺は、笑った顔だった。
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