第18話 2月8日 穏やかな尋問


「それにしても、いきなり付き合わせちゃって迷惑だったかな……。やっぱり迷惑だよね、突然二人きりで話がしたいなんて。……すみません、守くん」


 彼女――香川さんは、飲みかけのコーヒーのカップを受け皿に戻し、ひざの上で両手を重ね合わせると、おれに向かって深々と頭を下げた。


「いえいえ、いいんですよ、気にしないでください。出かける途中といっても、ちょっと近所まで買い物に行くだけだったんで」


 香川さんの丁寧な態度に恐縮したおれは、コーラのストローからあわてて唇を離し、早口で言葉を返した。


「でも、あの女の子――アパートの前で、守くんとしばらく小声で言い争ってたよね……。ひょっとして、これからデートだったんじゃなかったの、守くん。……なんだか彼女、ひどく恐い顔してたから」


「ち、違いますよ、デートだなんて。彼女はただの知り合いで、別にそういう関係じゃ……」


 なぜか『デート』という言葉に過敏に反応し、しどろもどろになって口を動かすおれ。


「……そうです、か。では、そういうことにしておきましょう」


 香川さんはその顔ににっこりと笑みを浮かべた。


「……それにしても、あの女の子、すごく綺麗だった。私の推理では……うーん。北欧……いや、たぶん……スラブ系かな? あんな美人の外国の子を彼女にするなんて、守くんも、ナカナカやりますね」


 のんびりとした口調で、でも最後にちょっとからかうような雰囲気を漂わせて、香川さんはつぶやいた。


「ですから! 『彼女』とかじゃないです!」


 おれはやっきになって否定した。香川さんの、その眼鏡の下の目が、くすっと細められるのが見えた。

 いつまでたっても香川さんが肝心の本題に入らずに、関係のない話題を続けるので、おれの方から思い切って話を切り出した。


「ところで、千紗姉ちゃんのことを聞きたいそうですが、一体何を話せばいいんですか?」


 香川さんはおれの瞳をまっすぐ見つめると、きょとんとした顔をする。しばらくたってから、やっと何かを思い出したという風に、目を大きくして、「ああ……そうだった」と、一言ひとことぼそりとつぶやいた。


 ――なんかこの人、ちょっと変わった人だなあ。千紗姉ちゃんの友達だというけれど、なんか千紗姉ちゃんの性格とは正反対の感じだな……。


 香川さんは、うんうん小さく何度もうなずいてから、口を開いた。


「今、千紗は守くんのアパートに同居してるのよね?」


「ええ、そうですよ。数日前からいます。さっきおれが香川さんと初めて会った時も、部屋にいたのに――なんで直接会って話をしなかったんですか?」


「そうね……。あそこで守くんを見つけて、千紗のことで二人きりで話がしたい、そう説明したら、『今、そこの部屋で酒飲みながら寝転がってます』という返事でしょ? びっくりした。……まあ、ひょっとしたら、守くんの部屋に居る可能性もなきにしもあらずとは、思っていたんだけれど……」


 そう言って、香川さんはコーヒーカップを手にとって再び口をつけた。


「うん。やっぱり高級なブルーマウンテン使ってる……。いいお店見つけました。またこの公園の近くに来るようなことがあったら、寄っていこう」


 嬉しそうに微笑む香川さん。


「香川さん、なんで、千紗姉ちゃんをわざわざ探してたんですか? 友人なら、携帯なりメールなり、いつでも連絡とれるんじゃ?」


 おれがたずねると、その疑問はもっともだという風に、香川さんは急に真面目な表情になって、黒ぶち眼鏡の奥の目をすっと細めた。


「実はね、千紗と連絡が取れなくなったの。二週間ほど前から。……大学時代と違って、お互い社会人になってからは、別にしょっちゅう付き合いがあったわけじゃないけど、月に何度かは電話してた。……で、先々週のある晩、携帯に電話をしたら、留守電になってて。それで、翌日の夜、今度は自宅のマンションの固定電話の方に電話をしてみたの。そうしたら、そっちも留守電で。まあ、それだけのことだったら、千紗、仕事が忙しいのかなと思うだけで、別に不審がったりはしなかったんだけど……」


 そこで香川さんは会話をいったん切った。おれは続きをうながすため、無言のままでいた。


「でね、数日後、また電話したの。そうしたら、その時も留守電。だから、彼女、仕事でアメリカの本社にでも行ってるんじゃないかと思って、メールを送ったんだけど……。千紗が、海外でも毎日メールチェックしてるの知ってたから……。でも、返信は無し」


 香川さんは、カップの中のコーヒーを飲み干し、それをテーブルにそっと置いた。


「それで、少し心配になってきて、先週の日曜日のお昼に、直接千紗のマンションに行ってみたの。マンションのエントランスはオートロックで、最初は入れなかったけど、ちょうど来た他の住人の後ろにぴったりくっついてマンション内に入って。それから、千紗の部屋の階まで上がって、インターホンで室内を呼んでみたけど、無反応。……そして、ドアの郵便受けに、何日分もの経済新聞がたまっているのを見つけて……」


 香川さん、そのおっとりした風貌とは裏腹に、非常に行動的な一面も持っている人らしい。


「あれ?」


 不意にそうつぶやくと、香川さんは、急にぽかんとした気の抜けた表情になった。


「えっと……。わたし、今、どこまで話進めたかな?」


 小首をかしげながら、香川さんはおれの方に問いたずねてくる。――やっぱりこの人、かなり変わってる……。


「マンションで郵便受けを確認したところまでです」


 おれが答えると、――ありがとう、と香川さんは言って、両手で顔の眼鏡の位置をそっと直しながら、話を再開した。


「こっちが連絡しても、返事がない……。最初は、何か千紗を怒らせるようなことをして、嫌われて無視されてるのかと思ったけど――彼女の性格からしたら、そんな無視なんて陰険なことしないで、ただひとこと、『もうあなたとは付き合わない』って、はっきり絶交を宣言してくるはずだから……」


 おれはその説明に心の中で強く同意したのだった。香川さん、千紗姉ちゃんの友人だというだけあって、よく相手の性格を理解している。


「それで、おかしいなあ、千紗どうしたんだろうと思い悩んだ結果、おととい、とうとう彼女の会社の部署に直接電話してみたの、そしたら……。――本田はつい先日弊社を退職しました、という、素っ気ない回答があって……」


 チン、と陶器が響く音がした。香川さんが、コーヒーカップのふちを指で軽く弾いたのだった。


「千紗、会計コンサルの仕事は順調だって話してた。チーム内での昇進の話も出てたらしいのに……。なんで、突然会社を辞めたのかな? 別に、よその外資に転職するとも言ってなかったし……。まあ、しかたないか。本人が自分の判断で行ったことだもの。わたしがとやかく言うようなことじゃないよね……」


 口元に右手を添えて、物思いにふけるようなおももちで、香川さんは静かに言葉を漏らした。

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