「まだ書き始められていない」物語の世界。そこにいる二人は、なかなか生み出されない他の登場人物の誕生を待っていた。そんな折、彼らは、登場人物を一気に何十人も増やせる方法を発見して……!?
「増殖!」
この世界に居るのは、今のところ、そしてもうずいぶん長い間、タツキとナナカの二人だけだった。
彼ら以外の登場人物はまだ誰も生まれていないのだ。最終的には敵味方あわせて十五人前後の登場人物数になるはずなのだが、タツキとナナカの他はなかなかキャラが固まらないのである。最低限必要なキャラクターがそろうまでは物語を始めることもできない。それゆえタツキとナナカはここにいても何もやることがなく、退屈していた。
「二人だけの世界は寂しいな」
「ああ。寂しいを通り越して虫酸が走るぞ、タツキ」
「お互いさまだ」
「まったくな」
タツキはちらとナナカを睨む。
ナナカも冷たい眼差しをタツキに向けた。
二人の登場する物語はいわゆる架空戦記で、タツキとナナカは互いに敵軍の兵士だった。
タツキはナナカから顔をそむけて言う。
「ふん、女だてらに兵士なんぞやりやがって、目障りな奴だ」
「能力のない男よりは能力のある女のほうが役に立つだろう」
「なんだと。もう一遍言ってみろ」
「別におまえさんのことを言ったわけじゃない。そんなふうにつっかかるな」
ナナカは地面に寝転がって、溜め息を吐き出した。
「はあ」」
それから、おや、とナナカは一行前を振り返った。
「なんだ? 私の台詞、鍵カッコの“閉じるほう”が一つ多いぞ」
それを聞いて、タツキも三行前を見た。
「ああほんとだ。タイプミスだろうな。どれ、仕方がない。俺が直してやろう」
タツキはにやりと笑い、目標とする台詞に向かって “ 「 ” を投げた。
「「はあ」」
その台詞表記を見たナナカは眉を寄せた。
「おいおい、増やしてどうする」
「バランスが良くなっただろう?」
「どうせなら右の ” 」 ” を取ってくれよ。これじゃあなんだか……」
――と、言いかけたナナカは、そこで自分の隣にある気配に気づいてハッとした。
見ると、ナナカのすぐ傍らに、先程まではいなかったはずの人物の姿がある。見覚えのないその姿は、なんだかどこを取っても特徴に乏しく、極めて印象が薄い。
「なんだこいつは。新しく来た登場人物か?」
「いや。それにしては……」
タツキは少し考えて、もういくらか遠くへ行ってしまった例のナナカの台詞に目をやり、こう言った。
「そいつはたぶん、鍵カッコを二つ重ねた台詞の表記によって現れたキャラクターだ。小説の表記では、ものによっては「「~」」を『二人同時に喋った台詞』だという意味で用いる表記法があるからな。無論、普通は先にキャラクターがあってそういった表記が使われるわけだが、逆のプロセスも有効とはな。鍵カッコを重ね増やすことでキャラクターが増殖するなんて、俺も初めて知った」
「ふうん。いいじゃないか、これなら手っ取り早くキャラを増やせる」
ナナカは目を細めて笑みを浮かべ、“ 「 ” と “ 」 ” を二つずつ、自分の次の台詞に向けて飛ばした。
「「「増殖!」」」
すると、ナナカの横に、新たに二人のキャラクターが現れた。二人とも、さっき出てきた一人と同様、特徴がなく印象に残らない姿をしていた。
「面白い。この調子で一気に増やそう」
ナナカは、鍵カッコの左右を大量に投げながら、もう一度叫んだ。
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「増殖!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
瞬間、ナナカとタツキの周りに何十人ものキャラクターが現れた。
彼らは皆一様に、なんだか茫洋とした、顔にも服装にも体格にもこれといった個性のない姿をしており、タツキとナナカの目には、二人以外のこれだけたくさんいるキャラクターが全員同じに見えた。
「はははは、増えた増えた! 本当にこれだけ増殖するとは」
「一気に賑やかになったな。しかし……」
タツキは顔をしかめて言った。
「ナナカ。こいつらは使えんぞ。こんなキャラクター立ちのしてない登場人物が何十人いたところでどうしようもない。十把一からげのキャラクターを大勢メインに据えても、物語は面白くならないだろうし、読者も混乱するだけだ」
その言葉に、ナナカもうなずいた。
「言われてみれば、確かにそうだな。……やはり、こんな方法でキャラを増やすのは無理があったようだ」
「ああ。それじゃ」
「うん。消すか」
タツキとナナカは、足元に置いてあった機関銃を同時に手に取り、それを、十数行前の台詞を閉じている大量の鍵カッコに向けてぶっ放した。
バララララララララッ! バッ、バララララッ! バビュッ!
´’∵´´¦´¦¨|¨'‥¦¨‥¨ 増殖!´’| ,_ ¦ ,_ ∵¦| ,_ ´’∵|_´’
二人の放った銃弾はその台詞を閉じる鍵カッコを残らず撃ち抜いた。
鍵カッコはすべて粉々に砕け散り、鍵カッコを失った
増殖!
の文字は台詞ではなく、単なる地の文のようになってしまった。
タツキは汗を拭って、自分の周りを見回した。
先程大量生産された登場人物たちの姿は、もうどこにもない。彼らを生み出した鍵カッコがなくなると共に消滅したのだ。
「やれやれ」
溜め息を漏らし、座り込もうとしたタツキは、そこではたと気づいて再度周りを見た。
いない。
ナナカがどこにもいないのである。
「しまった……!」
タツキは掌で額を覆った。
鍵カッコを壊せばその鍵カッコに対応するキャラクターが消える。
鍵カッコを追加したあの台詞は、もともとはナナカの台詞。なのに、追加した分だけでなくうっかり最初からあった鍵カッコまで壊してしまったため、その台詞を発したナナカが消滅してしまったのだ。
「くそ……こんなことになるなんて……」
タツキは呆然として立ち尽くした。
一人きりになってしまった。
自分以外誰もいない、孤独な世界。この空間で、一体いつまでこうしていればいいのか。新しい登場人物はいつやってくるか知れない。もしかしたら、いつまで待っても誰もこない可能性だってあるかもしれないのだ。そうなれば、永遠に一人でここに……?
そんなことを考えると、我知らず、タツキの片目から一粒涙がこぼれた。
そのとき。
「あ……そうか!」
タツキは不意に顔を上げ、頬の涙を拭った。
そして、今や地の文と変わらない
増殖!
の文字に向かって、一組の “ 「」 ” を投げた。
「増殖!」
と声が響くと共に、タツキの前にナナカの姿が現れた。
ナナカは、タツキにかすかな笑みを向けて言った。
「またこの世界に戻してくれるとはな。これ幸いと、消えたままにしておかれるかと思ったが」
「……おまえなんかでも、そばにいれば、この世界で一人きりになるよりはマシだからな」
「ふん」
二人は軽く睨み合い、そのあとふいと互いに顔をそむけた。
二人は背中合わせにその場に座った。
相変わらず、この世界に新しいキャラクターはやってこない。
タツキは呟いた。
「二人きりの世界は寂しいな」
「ああ」
うなずくナナカ。
「「でも」」
と二人は同時に言った。
-完-
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