電脳の外の三つの革命《ドラマ》

空っ手

0-1 制作決定の記念すべき夜

 ……う、うるさい。

 うるさいなあもう。

 発端は騒音だった。

 いや、正確にはそれ以前にも長くて深い静寂が続いていたはずなんだけど、意識に上らないことを取り沙汰してもしょうがない。

 なので、とにもかくにも始まりは騒音。都会の雑踏に突然放り出されたような、耳をつんざくばかりの大音声が真っ暗な世界を駆け巡り、反響し、次から次へと湧き出していく。なんの音なのかも判別できない轟音の渦に晒され弄ばれ、それでもじっとこらえていると、徐々に雑音は沈静化していき、相変わらずの闇の中ながら状況が少しずつ飲み込めてきた。

 眠っていたのだ。

 机に突っ伏して。

 周囲の喧騒が聴き取り可能なレベルにまで落ち着いたところで、眼球に貼りついた両瞼をゆっくり持ち上げた。開幕開幕。それにしても重い暗幕だこと。なんだか頭も痛い。

 無茶な体勢で寝ていたなと自分でも思う。片頬を冷たいデスクに押しつけて、両腕は腰の横にダラリと垂れ下がっていた。

 頬が冷たい……しまった、こりゃよだれだよ。


「おはよー、やっとお目覚め? ……うわ、ちょっと汚いよ」


 早々に気づかれた。はす向かいにいたマリンの柔らかい声を完全無視して、上体はそのまま手探りでティッシュを取り出す。


「なんだおい、涎か?」背後から神埼かんざき大先生の声。チッまだ社内にいやがったか、酔っ払いめ。ところで今何時?


「違うッス。体液ですよ」

「違わねえだろアホ」


 せめて腕を添えて俯伏うつぶせるんだった。全く、いつの世でも後悔は先に立ってくれない。

 マリンが意地の悪い眼つきでこっちを見ると、


「どうせ夢の中で〈アンプレ〉のハンバーグセットでも食べてたんでしょ」


 そこまで食い意地張ってないわいな。机と口の周りをきれいにし、静かに起き上がり伸びのポーズ。どこかの骨が威勢のいい音を立てた。

 ぼんやりした視野の中央に浮かぶ機能性重視の卓上時計は、九時半を示していた。


「夢に出てきたご馳走をタダ喰いか? いい身分じゃないか、おい。今日はこの俺でさえ、ミーティング後もこうして残ってやったってのによ」

「そんなにいぎたなくないですって、あたしゃ」

「アホッ、〈いぎたない〉ってのは寝るに汚いと書くんだ。お前のは〈意地汚い〉の誤用だぞ。お前が〈寝汚い〉ことに変わりはないがな」

「はいはい。昔から語学苦手だってもんで、すいませんね」

「アホ、母国語だろ」


 あーうるさい。他人の間違いを正すことに生き甲斐を感じる性悪男め。安眠を妨害してくれた最前の轟音の正体、恐らくはこの声だったに違いない。背後より襲いかかってくる神埼大先生の話し声は、他を圧倒せんばかりに抜きん出て大きかった。出力過多にもほどがある。難聴か?

 あんたは早く雑用終わらせて、居酒屋で一杯引っかけたいだけでしょうが。ったく、どっちがんだか。


「神埼先生、早く先方に連絡してあげて下さいな。もう長いこと待ってるはずですよ」


 御船みふねさんが助け舟を出してくれた。ナイス御船さん、我が事業部内ではわたしに次ぐ良識派、しかも美人!


「判った判った。じゃ、繰り返しになるが、特に今回の奴は、社運が懸かってるということをくれぐれも忘れぬように。初のメガヒットタイトル目指して、各自仕事に取りかかってくれ……今俺が言ったこと、鵜飼うがいと、あとバイトの彼にもちゃんと伝えておけよ」

「了解でーす、お疲れ様でしたあ」

「お前が言うな」


 頭を小突かれた。堪らず噴き出すマリン。屈託のない笑顔だ。チキショー、暴力反対。


「頭に攻撃はナシですよ、〈禿鷹の城〉の暴君じゃあるまいし」

「誰がハゲだ」

「違いますって。ウトゥカ大陸随一の、超巨大なお城の君主サマですよ。のちに〈異形のものども〉と結託して主人公を苦しめる、敵対勢力の親玉じゃないですか」

「まだ寝ボケてんのか」


 駄目だこの人。プロデューサーだってのに、今度の新作の舞台も知らないなんて。さすが会社のバランスシートしか記憶していないと陰で囁かれるだけのことはある。


「今度のプロジェクトは、わたしかなり頑張ったんですから」

「おいこら、シナリオライターが企画段階から頑張らんでどうするんだ。余計な口出す前に、もっとアイデアを出さんか」


 ゲームの内容はとんと知らないくせに、うまいこと言いやがって。これには閉口するしかない。マリンの奴ってばまだ笑ってるよ。

 型通りの挨拶を済ませて大先生が引っ込むと、お次は早くも帰り支度を済ませた銀縁眼鏡のプリンスが、社員数の割には結構な広さのこの会議室にご入場となった。

 スタッフほぼ全員出揃っての、新作ソフトに関する長い長いミーティングが大団円を迎え、販売元のお偉方をホクホク顔で見送った直後、臨界点を突破したわたしは心地好い睡魔に身を委ねていた。その間に部屋の外へ出ていたのだろう。まあ元々存在感の稀薄な人なので、こっちの意識があるうちに席を離れたとしても、気づいたかどうかはちょっと自信がない。


「プロデューサー帰った?」

「はい。商談があるそうで。料亭で」


 御船さんの言葉に空返事で応じ、そそくさと出て行くプリンスの生気のない背中にマリンが厳しい視線を注いでいる。


「マリン、眼が怖いよ」

「シイちゃんこそ眼ヤニついてるよ」

「あら本当」


 今度は御船さんも交えての爆笑と相成った。視界が悪いのは、転寝うたたねに備えてコンタクトを外していたからだけではなさそうだ。どうも今日は切り返されてばっかり。調子が悪いのかな。


「やれやれ、天下のプロデューサー大先生がいなくなったら、とっととお帰りですか王子様は」無人のドアに再び眼をくれ、肩をそびやかして毒づくマリン。人形みたいな仕種。

「まあまあ。若王子さんの場合、これからが地獄なんですから。今日ぐらいはゆっくり休ませてあげましょうよ」


 穏やかな口調でそう返す御船さん。


「まあね。ていうか、今日も家帰ったら早速プロトタイプの打ち込みなんじゃないの?」

「慢性的な人手不足だしね」

「少数精鋭と呼んで下さい」


 御船さんの声音がいささか厳しくなった。その辺も一般事務・経理担当の頭の痛いところなのだろう。

 自分のデスク上に散らばっていた絵コンテの類いやら何やらを片端から手に取り、マリンがトントンと揃え始めた。


「マリンも帰るの?」

「まだいるよ。終電までには帰るけど。やっぱり男がいないほうが気楽でいいやねー」


 随分と可愛い顔に似つかわしくない台詞を吐いてくれるものだ。


「そんなこと言ってるからプライヴェートでも」

「うるさいわね。お互い様でしょっ」

「へいへい。でもわたしは帰ろーっと」


 コンタクトレンズを装着し終え、そう言い捨ててやった。ハンドバッグを開け広げて携帯電話に眼をやる。受信メール・電話着信共にゼロ件。寂しい限りだ。最近ずっと働き詰めだったし、平日の夜は得てしてそんなものだろう。

 メモ帳と虎の子の大学ノートをバッグに仕舞い入れ、すっくと立ち上がる。立ち眩みこそしなかったものの、少し頭がふわふわした。


「んじゃ、帰ります」

「今度のあれ、楽しみだね」マリンが書類の束から顔を上げて言った。

「まあね。契約まで漕ぎ着けたし」

「シイちゃんの意気込み、半端じゃなかったもんね。前作までは有名ライターさんのお手伝いって感じだったけど、今回初のピン仕事でしょ。構想何年だっけ?」

「大まかなキャラ設定とかなら、小学校のときに考えたのをそのまま使ってるけど」

「すごい。まさにシナリオライターになるために生まれてきたようなもんだね」

「そりゃ大袈裟だって」

「名は体を表すっていうけどホントだよね」

「あははは」

「あとはシステム周りをどうするか、ね。プリンス大丈夫かしら」

「どうせうちらも駆り出されるんでしょ。勘弁してほしいわー」思わず嘆息。

「下手したら、鵜飼さんにも手伝わせそうじゃない?」

「鵜飼さんはほとんど社内にいませんから、それはないと思いますけどねえ……」御船さんの語尾が揺れて消えた。

「鵜飼さんなんて、毎日が地獄でしょ。鬼の営業で」

「じゃ、御船さん。もし鵜飼さん戻ってきたら、よろしく伝えておいて下さい。万が一、戻ってきたらでいいんで」

「判りました」御船さんが相好を崩す。

「◯.◯一パーセントの確率でも、それはなさそうだよ」


 マリンの容赦ない言い方に、釣られて笑ってしまった。ドアノブに手を伸ばす。更に彼女は続けて、


「おーい、上着忘れてるよ!」


 と、レグノチェアの背凭れにだらしなくかかったハーフジャケットを指差し、声を張り上げた。最高に肌寒い時期は過ぎていたけど、さすがに上着なしでの外出は突風にでもあおられようものなら身体の芯に堪えそう。


「おっと不覚」

「まだ眼醒めてないね。早く家に帰りなよ」

「シイナさん、ここのところ特に大変でしたからね。お疲れ様。ゆっくりお休みなさい」


 ううっ、なんと優しいお言葉。慈母の如き御船さんの美声に、これまた不覚にも涙を浮かべてしまうのだった。コンタクト外れそうだよ。



 上着を羽織り雑居ビルの裏口を出たところで、例のに襲われた。

 はたと立ち止まり、光源の乏しい周辺の宵闇を見渡す。息を潜めて眼を凝らす。何も異常はない。ないはずなのに。

 誰かいる……?

 肉眼では捉えられない。でも気配は感じる。むしろ予感と言ったほうが正確かも。肌が訴えかけてくるのだ。微弱な電波のような、何者かのを。

 まただよ……ったくもう、気色悪いったらありゃしない。今日は長年温め続けてきた構想の、めでたい門出の日だっていうのに。

 見慣れた夜の風景だった。

 最初の直線はそう狭い路地ではないし、視力は人為的に矯正されていたものの、車の通りが皆無なため、前方に点在する街路灯の明かりだけでは見通しが悪い。遠くに見えるコインランドリーの家明かりも、なんだか頼りなく感じられる。このいやらしい〈視線〉を避けたくて、今日は車両や人の往来が多い正面玄関を敢えて避けたというのに。

 やっぱり気のせいなのかな?

 幾度となく考えたその可能性も、現実に感じている〈潜んでいる感覚〉を否定するには甚だ弱い。これが気のせいなのだとしたら、きっとわたしはノイローゼなのだ。どのみち困ることに変わりはない。

 決心は早かった。

 今日も泊まりだ。家に帰るのはよそう。

 光の届かない暗がりを一瞥いちべつしたのち、三月の寒風を避けるようにきびすを返し建物内に戻った。昨日まで作業に没頭していたから、頭も体も重くてしょうがない。疲労が蓄積している。そんな状態で、なおかつあの感覚を引きずりながら帰途に就くなんて真似、到底できない。

 自転車があればね……がむしゃらにペダルを漕いで大急ぎで家に帰ることも可能なんだけど。

 今年に入ってから二度も自転車の盗難に遭い――しかも一台目は電動機つきの、決して安いとはいえない買い物だった――以後は往復二十分のタイムロスを承知の上、徒歩で通勤するようになっていた。歩くのも悪くないよねと己に言い聞かせながら。でも、さすがにこんなときは自転車がないのを悔やみたくもなる。薄気味悪い視線を感じるようになったのも、ちょうど自転車通勤をやめた頃からだし。

 青白い照明がつけっ放しのビル最上階・五階通路。両脇に五枚ずつ、規則的に扉が立ち並んでいる。左側の五つが、食器や家具調度を設計・製作しているという下請け会社の事務所のものだ。ここの会社はうちと違って定時上がりが常識となっている。午後十時を回ろうという今現在、当然人はいない。

 対する右手側。

 手前にある二つのドアに細く穿たれた採光窓から、明かりが爛々と洩れ出ている。一番近くの窓のすぐ下に〈株式会社ソーダケイク ソフトウェア開発事業部 すたじお・トランセンデンタル〉と書かれた表札。つい数分前に暇を告げ出てきた、我が事業部のドアである。気鋭のゲームクリエイター集団、〈すたじお・トランセンデンタル〉。誰も気鋭のとは呼んでくれないけど。

 まだ残っている人がいるんだろう。挨拶だけでもしておこうかな。


「あら、どうしたんですか」


 軽くノックしてドアを開けると、パソコンのディスプレイから顔を覗かせた御船さんが声をかけてきた。マリンの姿は見当たらない。


「やっぱりここで寝ることにします」

「そうですか。でも、昨日もお泊まりだったんじゃ」

「はぁ。まぁシャワーはあるし、おやつもあるしで寝起きする分には困らないんで。マリンは?」


 訊くと、なんでも携帯に誰かから連絡があったそうで、結局今度の作品の絵コンテも置いたまま帰宅したという。顔を合わせなかったのは、彼女が表玄関から退出したからだろう。

 まさかとは思うが、男関係の連絡か? 抜け駆けして独り身脱出を狙ってるとか?

 ま、まさかね。先を越されちゃ堪らないよ。


「じゃ、〈瞑想室〉にいますんで。御船さんも早く帰ったほうがいいですよ」

「ありがとう。お休みなさい」


 そのとき、デスク上の電話が無機質なベル音を響かせた。小さく眼配せをして御船さんが応対に出る。


「はいこちら〈すたじお・トランセンデンタル〉でございます……あら、鵜飼さん。ええ……はい……」


 鵜飼さん、ようやくご帰還らしい。思うに、日常生活における、いわゆる世間一般でいうところの時間感覚というものを超越した地点に、この事業部の外回りという職種は属している。一言でいうなら、絶対にやりたくない業務ということ。

 電話の邪魔にならないよう、会釈してそっとドアを閉めた。



 手前のドア二つが、パーテーションで区切られた応接間兼ミーティングルームで、三つ目のドアが開発室。コンピューターのプログラミング・グラフィック・音源その他諸々の制作現場となっている部屋だ。

 そして四番目のドアが、仮眠用の寝具一式を完備した休憩室――通称〈瞑想室〉。ビルの外窓に最も近い最後のドアは、更衣室・シャワールーム及びトイレに通じていた。

 シャワーを浴びたいのは山々だけど、今日はそれすら面倒臭い。顔だけ洗ってさっさと寝てしまおう。

 シイちゃんなら地下の倉庫でも寝れるんじゃない? とマリンにからかわれるほど、わたしは寝床に苦労しない体質だった。睡眠の欲求を満たせるなら、大抵の平面はベッドの役割を果たしてくれる。あんな携帯も繋がらないような寒々しい場所で眠るのはさすがに気が滅入るけど、この休憩室は半ばわたし専用の個室になっているくらい、利用頻度が高かった。ただし、そんな話をプロデューサーのいる処でしようものなら、〈寝れる〉じゃなくて〈寝られる〉だろうが! 言葉の乱れは生活全体の乱れだ、婦女子たるもの云々……てな具合に酒臭い息で突っかかられて、大いに辟易するのが関の山だろうけれど。

 ちなみにその地下倉庫というのは、元来隣の下請け会社が在庫置き場に利用していた地下駐車場型の広大なスペースで、現在は維持費云々の問題で使われなくなっていた。より正確にいうなら倉庫跡か。

 通常、夜の九時に警備員さんがいなくなったのち、深夜十二時になると同時に表玄関と裏口が自動でロックされるので、出入りは不可能になる。ところが、吹きさらしの倉庫と上階を結ぶ秘密の通用口が存在することを、たまたまマリンと一緒に一階の見知らぬ区画へ迷い込んだ際に発見して以来、忘れ物を取りにそこを通る機会が何度かあったりした。

 下請け会社の人間ならともかく、うちの事業部でこの抜け道を知っているのはわたしとマリンくらいだろう。今日あの極秘ルートを通っていれば、〈視線〉に出くわさず足留めも喰わなかったかもしれない。そう思うと残念でならなかった。明日からはもっと活用しよう。

 それはさておき……あの視線のこと、誰かに打ち明けるべきなのかな?

 洗顔と着替えを終え、〈瞑想室〉の二段ベッドの下段に倒れ込んだわたしは、謎の視線について思いを向けてみることにした。

 不規則な生活が続いたせいで、神経が少々過敏になっているのは致し方ない。でも、誰かに見られているあの感じは、本当に疲れに起因するものなのか。自分でもその辺りがはっきりしない。それが判然としないことには、友人や職場の仲間に相談するのも憚られる。

 証拠さえあれば、何者かがストーカーじみた熱視線を注いでいるという確証さえ掴めれば、速攻で誰かに相談できるのになあ……。

 あ……この顔。

 ふと、姫島きじまさんの柔和な笑顔が、枕代わりにしているクッションの表面に思い浮かんだ。

 そうだ、もし証拠が挙がったら姫島さんに連絡してみよう。御船さんも捨てがたいけど、親身になるあまり世話を焼きすぎて警察に通報とかしかねないし、マリンはいい娘な反面好奇心旺盛だから、興味本位に首突っ込んで事態をますます攪乱かくらんしてしまいそうだ。うちの職場の男衆なんて論外もいいところ。全く、まーーったく、誰一人として当てにならない。ならないに決まってる。決定的である。

 おっしゃ、こりゃもう姫島さんしかいないよ。これ以上見事な出逢いの口実は、当分見つかりそうにない。

 そういえば、最後に姫島さんと逢ってから、何ヶ月くらい経ってるんだっけ……ちょっとちょっと、もう半年も会ってないんじゃないの!?

 ああ待ち遠しい、早く証拠見つけなきゃ。というか、どうしてすぐさま姫島さんに思い当たらなかったのだろう。むしろそのことのほうがショックだった。

 当てない思考は続く。

 もしかして、あの厭な視線の正体が熱烈に想いを寄せる姫島さんの仕業なのだとしたら……そんなふうに考えたら、ちょっとは眼が冴えた。いやそんなはずは絶対ないんだけど、でも、うーん、それはそれで複雑な心境だわ。嬉しいような悲しいような。見る見るたかぶりが収まっていく。萎えていく。錐揉きりもみ回転奈落の底への急降下。

 いやいやいやいや。ないないない絶対ない。独り身悶え、頭を抱えて小さく呻いた。

 姫島さん疑ったりしてごめんなさいごめんなさい。


「ごめんなさいっ!」


 勢い余ってか、はたまた心の箍が外れたか、思わず声に出して謝っていた。

 は、恥ずかしい。誰もいなくて良かった。

 居たたまれなくなり、クッションに思いっきり顔をうずめてみた。

 うっ、何か臭う……これ、そろそろ洗ったほうがいいかも。あと、このパジャマもいい加減洗濯しないと。精神衛生上、というより普通に衛生上問題がありそうだ。

 週末深夜のランキング番組でMCが着てそうな、チャーミング度MAXコットン百パーセントの上下。腰のところのポケットが深く作ってあって意外に実用的。札束がどれだけ入ることやら。すぐにでも試してみたいけど、実現できるのは何年何十年先になるやら。

 クッションから顔面を持ち上げ、大きく深呼吸。

 どうも不安定な思考回路のせいで、一つの考えに集中できなくなっているみたい。落ち着け自分。

 まあ、しょうがないか。昨日まで――正確にはつい三、四時間前まで――は、そんな瑣事に気が回らないくらい、極限まで気持ちが張り詰めていたんだから。

 とにもかくにも、今回立ち上げた新規ゲームソフト制作の、最初の山場は乗り越えた。幾重にも積み上がった見えない重圧からの解放感は、常々思うことだが何物にも替えがたい。決して快適とは呼べない布地に埋もれた頬の肉が、弛緩しているのが判る。

 本日をもって、携帯型ゲーム機用ソフトの企画制作は販売元のゴーサインを得た。あとは実際に創るだけ。

 もう胃腸薬の世話になんかなるもんか。とはいうものの、この先も必要になるのはまず間違いない。制作側の真価が問われるのは、むしろこれからなんだよね。

 薄れゆく意識の中で、想像する喜び。幼い頃、空想の中で遊ばせていたキャラクターたちが、仮想世界を自在に動き回り、笑い、泣いて怒って奮起して、縦横無尽に駆け巡る。

 売れるだろうか? 気になる。

 プレイしてくれた人に、気に入ってもらえるだろうか? それも気になる。

 そういった種々雑多な思惑も含めて、今は想像できることの喜びを享受しようじゃないか。あー楽しみ。楽しみだ。

 脳裏にこだまするBGMはもちろん、お気に入りソング〈ロッカー〉の人懐こい音色と無骨なフレーズ。一時期はヘヴィーローテーションの一角を担っていたあのアルバムも、忙しさにかまけてもう随分聴いていない気がする。

 企画が第一歩を踏み出したお祝いとして、明日は必ず聴くことにしよう。何せユニット名をそのままゲームのタイトルにしてるんだから。


 プロジェクトは始動した。

 〈すたじお・トランセンデンタル〉待望の新作、〈オルター・イーゴ〉の夜明けは……幕開けは近い。

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