第三章(三)

 急なカーブの続く林道を、車のフロントを、やや上向きにしながら、縫うように走り、奥へ奥へと進んで行く。すれ違う対向車はここ一時間ほど見ていない。

 レオの気分が最悪になり胃の中の物がこみ上げてきた時、タイミング良く車が止まった。

 レオの死んだ目に白い大きな建物が現れた。建物の窓ガラスが夕日を反射している。サングラスをしていなければ眩しくてまともには見られない。

 建物の周りには工事用のフェンスが張り巡らされている。ざっと見たところフェンスが途切れているのはここだけのようだ。 この場所にはガードマンが二人立っている。

 その内の一人が車に近づく。やけに鋭い目付きでこちらを睨む。身のこなしも慎重だ。ただのガードマンではない。レオからは見えないが、恐らくズボンの後ろには銃を挟んでいるに違いない。残った一人もフェンスの影に体を半分隠しているが、隠れている方の手に銃が見えた。あれはH&KMP五の一0ミリ弾仕様だ。恐らく同業者だろう。

 ガードマンが身分証明を請求したので、ハリーはFBI捜査官の証であるバッジを見せた。レオにもバッジの提示を求めてきたので、面倒臭いが上着のポケットからバッジを取り出し男に見せた。

 身分が証明ができたので通ることを許され、車は建物に向かって歩くような速度で動き出しす。

 何気なく建物の屋上に目をやると、そこには数人の影があった。あの制服はSWAT。銃口はこの車に向けられている。少しでもおかしな行動をとれば、間違いなくM16の集中砲火をあびるだろう。レオはなぜか、ハリーのアクセルにかかっている足を思い切り踏んでやりたい衝動にかられた。

 車は建物の地下駐車場に入り、二人はそこで車を降りた。

「要塞か、ここは」

 サングラスを外しながら呟く。

「こっちだ」

 ハリーは足早に歩く。レオは慌ててついて行く。

「この建物は病院だ」歩きながらハリーが説明し始めた。「本来は、重度の障害者のリハビリセンターとして今年の春に開院するはずだった」

 ハリーが駐車場の出口のドアを開く。レオはそのドアを後ろから閉まらないように手で持ち、ハリーに続いて中に入る。

 廊下を歩きながらハリーの説明が続いた。

「しかし、たった一人の老人を入院させるために延期になってしまった。表向きには資金難で工事が中止になったと発表している」

「まさか工事中の建物の中に教皇が入院しているなんて誰も思わないってわけか」

「そのつもりだ」

「ごまかしは、いつまでも通用しないぜ」

 エレベーターに乗る。階を示すランプを見ると数字は五まで。ハリーの指を目で追うとⅢのランプを押した。

 エレベーターが開くと、スーツ姿の男と戦闘服に身を包んだ武装した兵士が出迎えた。およそ20人。知ってる顔も何人かいる。

 天井にはプレートがぶら下がっていた。それを見ると、左がメディカルセンター。右がリハビリセンターと、矢印で示してある。

 ハリーの後を歩いて、廊下を進む。知ってる顔に片手を上げて挨拶する。相手は苦笑いで応えた。

 突き当たりの、右のドアを開ける。本当はドアなど無いはずだが、特別に取り付けたのだろう。

 中は応接室になっていて、やはり、スーツ姿のFBI捜査官がいた。奥にもドアがあった。大きなリハビリセンターを、いくつかに間仕切りしているみたいだ。

 部屋には、知り合いのFBI捜査官が一人の他に、若い神父が一人。考えてみれば奇妙な取り合わせだ。

 捜査官はデズモンドと言い、レオよりもかなり先輩の捜査官だ。見るからに厳つい顔つきで、マフィアの潜入捜査などには持ってこいの人材だが、以外と心根の優しい男だ。

 デズモンドはレオの顔を見るなり立ち上がり、二人が入室するのを妨げる。

「お前たち、今はまずい。暫く外で待機していろ」

「久しぶりに会ったのに、冷たいじゃないか」

 レオは不平を漏らした。

「トラブルでもあったのか」

 ハリーが聞いた。

「ヴァティカンのガザーロ国務長官が来ているんだよ。局長がご丁寧にこの事件の調査報告書をご進呈したんだ。レオ、お前さんのことは、国務長官も知っているんだ。無用なトラブルは避けろ」

デズモンドが、耳元で囁いた。

「へー、俺も有名になったもんだ。光栄なこったね。おふくろが喜ぶぜ」

「悪いことは言わない、見つからないうちにさっさと出ていけ」

「わかった。また後で出直す」

 デズモンドの真剣な表情に押されたのか、ハリーがレオの腕を引く。

 仕方なくレオが引かれるままに出て行こうとした時、奥のドアが開いた。

 レオが振り向きドアを見ると、出て来たのは政府関係者と思われる数人の年配の男と、紺の法服に紫の帯、頭には、赤い小さな帽子を乗せている。ヴァティカンのナンバー2、国務長官ガザーロ枢機卿だ。

 レオの視界の端に、デズモンドの頭を抱える姿が映った。

 神経質そうな眉毛だ。まるでテープで無理やり引っ張り上げているみたいだ。痩せた頬も、額と眉間に刻まれた皺も、この老人の性格を表しているようである。

 レオは初めて写真で見た時の感想を、実物を目の前にして再確認した。それも写真よりも三倍くらいに増幅して。

 事件があってから、レオも自分なりにヴァティカンについて調査した。その時、印象に強く残ったのがこのガザーロ枢機卿だった。ヴァティカン切っての保守派であり、改革派の前教皇からの国務長官で、前教皇との不仲説が噂されていた。そして現教皇も改革派のため、ヴァティカンが分裂するのではないかと懸念されている。

 また、その激しい気性も有名で、若い頃は他宗教や、キリスト教の他の宗派への過激な批判、暴言、実力行使により、何度も破門されそうになったりしい。国務長官に留まっているのも、教皇の補佐としてではなく、むしろ、ヴァティカン改革を阻止するためだと言われている。

 現在は確か、八五歳。その歳に似合わない、ぎらぎらした瞳。『食い殺されそうだ』とレオは思った。

 レオたちは、入口の脇によけ、国務長官をやり過ごそうとした。ハリーとデズモンドがレオの前に立ち、国務長官の目に触れないように楯になる。レオはあまり気にしていなかったが、余計な問題をわざわざ起こすこともないと思い、二人の陰に身を沈める。

 国務長官は、政府関係者と談話しながら歩いているので気づかれる心配は無いと思っていた。しかし、高を括っていたのがまずかった。国務長官が隠れているレオの前を通り過ごした瞬間、気が抜けた。長い間車に揺られていたレオは、突然眠気を感じて、大きな欠伸をしてしまった。それがガザーロ枢機卿の目を引いてしまったらしい。

 国務長官がレオを睨む。

「君、そんなことで、教皇猊下をお守り出来るのかね」

ガザーロ枢機教がイタリア訛の英語でレオを一喝する。それと同時に顔色が変わった。レオの正体に気づいたらしい。

 側にいた、政府関係者に問いただす。

「何故、彼がここにいるんだ。暗殺未遂事件の根源ではないか」

「それは違います」困惑する一同を尻目に、ハリーが一歩前へ出る。「彼は査問委員会により、無罪が確定しております。彼に一切の責任はありません」

「では、誰に責任があるというのだね」

「それを、調べるために来たんですよ。俺も濡れ衣を着せられて、黙ってられませんからね」

 レオはつい心にも無いことを言ってしまった。売り言葉に買い言葉だ。そして、さらに言葉を続ける。

「あなたのように、先入観だけで、短絡的に犯人当てをしたがる連中を、見返してやろうと思いましてね」

 ガザーロ枢機卿のつり上がった眉が、さらにつり上がる。

「それを言いに、わざわざ私がいる時に来たのか」

 ハリーが、仲裁に入った。

「今日来たのは偶然です。まさか、国務長官がいらしているとは、知らなかったものですから」

「当たり前だ。教皇はイタリアで療養中となっているのに、私がアメリカに足しげく通っているのが、公に知れたらどうなる。極秘に来るしかあるまい。だから私は、アメリカに入院させるのは反対だったんだ。出来ればすぐにでも連れて帰りたいくらいだ」

 頭の禿げ上がった所まで、真っ赤になっている。

 緊張が高まる。政府の役人も取りなそうと必死だった。このままでは、さすがにまずいと思った時、一人の神父が現れた。

「遅くなって申しわけありません。国務長官。ところで何をお怒りですか」

 物腰の柔らかい若い神父だ。

「おお、コレット君か。すぐに、教皇を連れて帰る準備をしてくれたまえ。こんな連中には、任せておけん」

 国務長官の表情が、まだ怒っているものの、やや軟化した。この神父はよほど信頼されているのだろう。

「まあまあ、何があったか知りませんが、この方たちも教皇猊下のために一生懸命、尽力されています。どうか、お心をお静め下さい」

「しかしだな」

 言いかけた国務長官の言葉を遮って、コレットと呼ばれた神父が話しを続けた。

「それに、もう間もなく、教皇猊下のために、ラビエルの少女たちが、来ると聞いております。しばらくのご辛抱を。そうですねFBIの皆さん」

 コレット神父が、レオたちに微笑みかける。優しそうだが、何か引っかかる笑顔だ。

「はい、只今、エージェントが交渉中であります」

ハリーが答えた。

 国務長官は、しばらく、黙ってレオたちを睨つけていたが、やがて口を開いた。

「わかった。コレット君がそう言うのなら待とう。しかし、早くしろ。私にも我慢の限界がある」

 国務長官は、そう言い放つと、部屋を出て行った。

 コレット神父は、教皇の顔を見てから後で落ち合うと、国務長官に話し病室に残った。

 一同、国務長官の姿が完全に消えてから、安堵の大きなため息をついた。

「神父さんて、優しい人ばっかりだと、思ってたけどな」

 レオが言った。

「あの方は特別です。ヴァティカンでも手を焼いているのです。あの性格を何とかして頂かないと」

 コレット神父が下を向いて、軽く首を振る。

「我々もご一緒に、教皇猊下のお見舞をさせて頂いてよろしいでしょうか」

 ハリーが神父に問いかける。

「ええ、勿論ですとも。私もいろいろ、お伺いしたいことがありますので。さっ、参りましょうか」

 教皇の病室に続くドアに向かって、神父が歩き出した。レオはその後を追った。


 質素な部屋だった。ベッドに椅子が一つ。目につく大きな物はそれだけだった。

 この部屋に入るまで、レオはカトリックの教会を想像していた。あのきらびやかな大聖堂、大きなパイプオルガン、金に縁取られた装飾品。しかし、この部屋にはそれが一切見当たらない。

 壁には一枚の絵がかけられていた。女性の絵だ。頭には金の冠をかぶっている。もしかしたら後光が射しているのかも知れない。肌の色は黒いが、黒人というわけでもない。美人なのかそうでないのかも判断できない。描かれているのは顔の部分だけで、もっと大きな絵の一部を写したという感じだ。美術に関心の無いレオには有名な絵なのかどうかはわからない。でも何か心をひかれる絵だ。

 病室には珍しく音楽が流れていた。部屋の隅にCDデッキが置いてあった。あのCDの女の子の歌だ。車の中で聞いた。わずかな期待を込めて、流し続けているのだろう。

 教皇ヨハネス二四世は、腕に点滴を刺され、キルトの中からは、排泄用に腹部に差し込まれたチューブが見えている。瞼は開いていて、瞳は見えているものの、瞳孔が開きっぱなしで、意識は無い。 コレット神父が心配そうに、教皇の顔を覗く。

「教皇猊下には、お変わりは無いようですね」

 安堵の表情になる。本当に心配しているようだ。

「ところで、紹介してくれないか。こちらの神父さんを。お前は知っているんだろ」

 レオはハリーに言った。レオが知っているのは名前だけだ。それも、ついさっき知ったばかり。

「申し送れました。コレットと申します。司祭を勤めています。教皇猊下のアメリカ訪問の際、お世話をしていたのですが、あんな事件が起こってしまって。それも私の不徳の致すところです」

「こちらの男は、私と同じFBI捜査官のレオナルド・ジローラと言います。今回の事件解決と、天使の護衛のために任に就きました」 まだ、引き受けるとは言ってないぞ、と思ったが、ここで言い争いをするわけにもいかないので、黙って聞いていた。

「そうですか。ご苦労さまです。それで、少女たちはいつ、こちらに」そう言いながら、神父はCDデッキのボリュームを下げた。「失礼。子供の頃に聖歌隊で異常に耳が鍛えられましたので、音楽を聞きながら話しをするのが苦手なのです」

 確かに少々うるさかった。話しもしずらい。

「はっきりとは、わかりませんが、もう間もなくです。ご安心を」 ハリーの言葉に、微笑んで返す。

「一刻も早く、来て頂きたいものです。しかし、小耳に挟んだのですが、天使たちは病気だと聞きました」

「それは」ハリーは、一瞬、言葉が詰まったが、すぐに言葉をつないだ。「大した病気ではありませんので。それに、優秀な医師を用意しております」

「そうですか。それは、安心いたしました」

 そう言うと、コレット神父は、窓に視線を移した。外はすっかり日が落ちていた。

「それでは、そろそろお暇いたします。国務長官がお待ちなので」

「大変ですね。これから、あの爺さんの相手ですか」

 レオがそう言うと、コレット神父は黙って会釈をして病室を出て行った。

 ドアの外でデズモンドと神父が、何か話しをしているのが聞こえたが、それもすぐに聞こえなくなった。

 デズモンドが入って来た。

「てめえら、生きた心地がしなかったぞ。ただでさえ、心臓が弱っているんだからな、俺は。殺す気か」

「そんな風には、見えないぜ」

「不可抗力だ、気にするな」

 デズモンドは、なおも恨みの言葉を吐き続ける。

 取り合えず謝ってレオがデズモンドを静かにさせた。デズモンドが黙ったところで、ハリーに向かう。

「あちらさんは、相当期待しているみたいだけど、俺には信じられないんだけどな。歌なんかで、本当に治るのか」

「私も専門家ではないので何とも言えないが、少しでも可能性があれば、チャレンジするべきだと思う」

 レオは教皇のベッドに腰をかけて、顔を覗き込む。

「しかし、この爺さんも、このままの方が、幸せなんじゃないか。結構な年だし、そろそろ楽させてやれよ」

「そうは、いかんよ」デズモンドが口を挟む。「ヨハネス二四世は、人望が厚くてな。教皇の人徳によって、戦争や内乱が抑えられている国も少なくない」

「でも、ヴァティカンて、小さな国だろ」

「大きさの問題ではない」今度はハリーが答える。「ヴァティカンの抱える資産は約二百億ドル。それに、全世界の十億人の信者からの寄金、教皇庁の所有する絵画や彫刻などの、値が付けられない美術品を加えると、それこそ天文学的数字だ。ヴァティカンがその気になれば、世界経済を混乱させるなど容易い。下手に逆らえば、経済的な天罰が下る恐れがある」

「反対に、この爺さんを治せば、恩を売れる。神の恵みが受けられるってことか」

「その通りだ。だから我々には、ラビエルの少女たちを、無事にここへ連れて来る使命がある」

「おいおい、待てよ」レオは首を振りながら言った。「まだ、引き受けるなんて、言ってないぜ」

「しかし、貴様はさっき国務長官に、事件を解決するために来たと、言っていただろう」

「ああ確かに、聞いた」

 デズモンドがうなずく。

 レオは口を開けたまま、言葉が出なかった。しまった、つい売り言葉に買い言葉で言ったことが、逆手に取られてしまった。

「わかったよ」ややあって、大きなため息をつく。「やりゃ、いいんだろ。再訓練で退屈してたしな。暇つぶしに丁度いいや。それで、天使様が来るまで、何をすればいいんだ」

「連絡があるまで、待機する」

「そうかい。じゃぁ、帰ろうぜ。久しぶりに家で眠れる」

「だめだ、待機する場所はここだ。貴様は丁度、旅行の準備が整っているから、問題は無いだろう」

「家のベッドで眠れないのかよ」

 レオは抗議したが、ハリーに冷たく言い放たれた。

「ここは病院だ。ベッドならいくらでもある。好きなのを選べ」


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