視える僕と、助言する猫

蒼月 紅

第1話 夏休みは海へ――前編

 そろそろ夏休み、といったある日。

 教室で、ぼんやりと窓の外を見ていると、セミの声が聞こえ、日差しがジリジリと痛いくらいで、そろそろ夏休みだなぁ、なんて考えていた時、春に会ったばかりの新入生の頃から僕の親友だという東堂が話しかけてきた。


 東堂実篤(とうどうさねあつ)、高校一年の春、同じクラスで前の席だった明るいムードメーカーな奴。

 あったその日から話しかけられ以外に気の合う友人になったが、よく言えばムードメーカー、悪く言えばお調子のりといった感じ。

 身長は低くもなく高くもなく、標準くらいで髪の色は黒よりも茶に近い、明るい色の茶だが染めてはないはず。

 まぁ、仲はいい、と僕も思う。親友だとは恥ずかしくて口には出したことはないが、彼は平気でしょっちゅう聞かされる。


「なぁ、城見、夏休みにどっか行かないか?

 ほら、お前のとこの姉さんとか委員長とか誘って」

 姉、それは同じ学校に居る二年生の秋音のことだろうかと思ったが、何故そこでクラス一、いやひょっとしたら一年の中では一番人気の委員長がと、思わず顔を向けた。


 委員長こと相澤真奈美(あいざわまなみ)、同じクラスで多分このクラスで一番可愛いと新学期から噂されている女子生徒。成績も良く、推薦で委員長になったまさに優等生。

 長いくせのない黒髪が背中まで伸ばされていて、文系かといった大人しげな外見だが、意外にスポーツ万能でテニス部に所属している。

 隣の席なので仲がよくなったけど、それよりも彼女の友達の相談事を片付けた、とある案件が理由の大部分を占めているんじゃないかと思う。

 あの一件で、委員長とその友達の紫藤響子(しどうきょうこ)さんとは仲良くなったんだろうと思う。その件に関してはまた後日にでも。


 委員長と目が合うと、僕と東堂にひらひらと手を振って、にっこり笑ってくれた。

 それを見ると、やっぱりクラスで一番可愛いなぁ、なんて思う。

「……既に委員長には約束済?

 で、僕の姉はお前とは会わせたことはないはずだけど」

「女子の数がさ、足りないんだ。

 でも、もう一緒に行ってくれそうな女子の心当たりもないしさぁ、やっぱ男女同数ってのはマズいだろ?

 それでさ、お前の姉さんなら行ってくれるかなって。

 お前の姉さん、秋音さんなら見たことあるよ、学校では知る人ぞ知るって有名人だし」

「有名人だったのか……それは知らなかったな。

 で、うちの姉……秋音だけでいいのか?」

「さすが俺の親友、心の友よ~。

 できれば、お姉さん二人共来てくれると有難いな」

 いかにも【期待している】、ではなく、【これは決定事項である】、みたいな顔をして、東堂が僕の肩を叩く。その顔はにんまりと口の両端が上に上がっているはずだ。

「……心の友はいいから。

 それで、行き先は?」

 どうせ、このまま押し切られるだろうし、僕だって夏休みはどこかに行きたいとは思うけど、どこに行くつもりなんだろう。

 行き先によっては、夏海と秋音二人共来てくれるかも知れない。

 ひょっとしたら僕と一緒ならどこでも来てくれたりするんだろうけど、なんて思うのは末っ子の僕だからかも知れない。

「んー、今の所二つに意見が分かれててさぁ、お前ならどっち?」

 東堂が何かの写真が印刷された紙を机に置く。

 一枚はコテージだろうか。丸太で作られていて、まるでキャンプ場にあるような建物と丸太作りじゃない建物と海の写真だった。

 もう一枚は、山らしく、木々の中に立つ白いペンションのような建物が写っていた。

「山……か海って所か」

 海なら、委員長の水着が見れるかなと、想像しかけた時に委員長に声をかけられた。

 シャンプーだろうか、席を立って近付いて来た委員長からふわりといい匂いがして、ちょっとドキドキする。

「私はね、海がいいなって思うんだけど、城見くんならどっちがいいと思う?」

「そうだな、夏だし泳げるし、海がいいかな」

「いやいや、夏だからこそ、涼しい山だろうっ?」

 そう言いながら、東堂は手帳に何やら書き付けている。

「東堂?」

「ん?

 ああ、これ?」

 手帳から顔を上げて、僕を見る東堂。

「海と山とのアンケート調査と結果ってとこかな。

 あとお前の姉さんたちの意見が最後で、今の所は海が優勢かな」

「何票差で?」

「あはは、聞きたい?」

「私も聞きたいな、東堂くん」

 くすりと笑いながら顔を傾げる様子が、すごくドキリとさせられる。

 東堂が手帳のページを広げたまま、僕と委員長を交互に見ながらわざとらしくこほんと咳払いを一つする。

「今の所、三対一で海!」

「あれ、四人てことは今の時点で6人?」

 僕がその内の一票だとして、姉二人を入れると6人か、結構大所帯だな。

「なぁ、東堂。

 お前と僕と委員長と、あと誰?」

「声かけたのは委員長と紫藤さん、それに俺と、お前と姉さんたち、全部で6人かな。

 やっぱこういうのは男女同数より女子が多い方が、安心だろ、その、色々と」

 なるほど委員長の友達の紫藤さんもなら、委員長がすんなりと行くっていうのも納得。

 紫藤さんとはちょっとした相談事というか、そのぶっちゃけてしまえば、ストーカー騒ぎで知り合ったんだけど、委員長のお友達でクラブも一緒だから、委員長が居るなら行ってくれそうな気がした。

 多分それを見越して委員長には紫藤さんと一緒に、とか最初に行ってたんだろうと思う。

 東堂が誘ったからとか、僕が居るから、で泊まりになるような旅行に行こうと思ってくれる関係じゃないから、それは東堂の誘い方の上手いとこだと思う。

 それに、うちの姉二人が入っているなら秋音はともかく、夏海なら大学生だし、保護者代わりとして親御さん向けの言い訳にもなるし、こういう所は抜け目ないというか、東堂のすごいところだと思う。

「分かった。

 姉さんたちには今日の夜に了解取り付けておくよ」

 そう言った途端に、東堂が僕の手を握り締めてこくこくと頷く。

「サンキュー、城見。

 やっぱお前は心の友だなぁ!」

 東堂の感謝の言葉に、他にもまだ何か理由があるのかとちらっと頭を掠めたが、とりあえずは委員長も楽しみにしてると言って部活に行ったし、特に理由なんて無いのかも知れないと考え直して、夏の海に思いを馳せることにした。


 翌日、教室に入るといつもは始業ギリギリで来る東堂が珍しく居た。

「おはよう」

 声をかけると、僕に気付いた東堂がひらひらと手を振ってくる。

「あのさ、海の話なんだけど──」

「それは、また後で。

 他のヤツラに聞かれるとちょっとマズい」

 口元でひとさし指を立てる東堂。

 クラスの皆には秘密の企画だったらしい。

 それもそうか、【クラス一可愛い委員長参加の旅行】なんて、知られたら参加者が続出するか、僕らは袋叩きになりそうだし。

「分かった、昼休みに屋上で──いいよな?」

「了解っ」

 東堂の、敬礼めかした右手の動きに笑いそうになってしまう。

 が、ここで笑い出すと目立つので──耐えた。

 授業の間、ふと思い出しては笑いそうになって、いい加減耐えるのも限界じゃないだろうかという頃に昼休みのチャイムが鳴った。

 夏海特製弁当を持って、東堂に先に行くとジェスチャーしてから教室を出て階段に向かう。

 久しぶりに来る屋上は、空に雲が適度にあり、影が広がっていて、それなりに過ごしやすくなっていた。

「おー、風もあって気持ちいいかも」

 屋上にあるベンチに座っていると、風が当たって気持ちいい。

 東堂が遅れてやってきて、ふと誰も居ない屋上で男二人のランチって、ちょっと薄ら寒い図だなと思ったが、それは仕方ないかと諦めて二人でベンチに座って昼食を取る。

 卵焼きをひとつ取られてしまったが、それは虎の事を話すのに我慢することにした。

「あのさ、東堂。

 今度行く海の……コテージだっけ?

 あれってさ、ペット連れてくのってありかなぁ」

「ペット? んー、ちょっと待って」

 東堂がスマホを出して何やら読んでいる。

「あー、大丈夫かも。

 ただし、犬はコテージ内には入れない事って書いてある」

「……猫は?」

 僕の言葉に、東堂が更に携帯に目を向ける。

「猫は……と、トイレを管理事務所で借りて──、後始末をちゃんとしたらOKみたい」

 東堂がコテージの規約をスマホで読んで教えてくれるには、どうやらペット可らしい。

 これであとは、虎を連れて行っていいかを聞くだけだ、虎一人……いや、一匹を留守番には、なるべくならしたくない。たとえ留守番してくれるって気でいても、一人いや一匹だけ家に置いて来るとかしたくないし。

「で、どうして犬猫可かどうかを気にするんだ?」

 来た、これで切り出さないと話が進まない。

「あのさ、東堂。

 実は──姉二人共参加OKなんだけどさ、そうなるとうちの猫の世話をする人が居なくなるんだ。

 うちは今、僕と姉二人で暮らしてるわけだから──」

「ああ、そっか。

 お前の家って、親父さんたち海外だっけ?」

「うん……それでうちの猫、連れてっても構わないか聞きたくてさ……。

 で、どうかな……うちの猫、聞き分けはいいし、大人しいんだけど」

 僕が言った途端に東堂が吹き出した。

「聞き分けいいって、なんだよそれ、犬みたいだな」

 う……、まぁそうだよなぁ……。

 普通は猫に聞き分けがいいとかって言わないだろうし。

「いいんじゃないか?

 委員長と紫藤さんが猫嫌いとかアレルギーとかないか聞いてみるよ。

 俺は、猫好きだよー、ふかふかして柔らかいし」

 いや、うちの虎は、男はどうでもいいらしいから、東堂に懐いてってのはまずないだろうと思う。

 けど、それは別に今言わないでもいいよな、うん。

「助かるよ、東堂」

 礼を言っていると、まだ残っていた弁当のから揚げを取られてしまった。

 代わりに東堂の弁当から何か取ってやろうかと思ったが、男二人で弁当のおかずの取り合いとか……やっぱりちょっと寒い図なのでやめた。

 予鈴が鳴って、そろそろ午後の授業が始まるというので弁当を片付けて、教室に戻る準備をしていると、女の子が二人、僕らの方をちらちらと見ながら気まずそうに、そそくさとドアから出て行った。

 ひょっとしたら、誰も居ないと思ってたのに、先客が居たんだろうか、そして、おかずの取り合いを見られてた?

 何だかなぁ、ともやもやした気持ちのままため息をついて、知らない女生徒だし、まぁいいかと思うことにした。

 あ、忘れないうちにこれも言っておかないと。

「そうそう、東堂。

 夏姉がさ、車出してくれるって。

 行き先の住所とか地図とかあったら早めにくれると助かるよ」

 「まじ?

 ラッキー!

 電車で行かないで済むなら、こっちこそ助かる!

 でも、いいのか?」

「うん、夏姉から言い出した事だし。

 ただ──車はかなり目立つ派手なのだから、覚悟しといてくれ。

 その代わり、荷物は十分乗るから」

「へぇ、それは便利だなぁ……。

 お姉さんにお礼言っといてくれよ」

 確か、あの車なら3列シートで更に後ろに荷物が置けて、いざとなったら屋根にもおけたはずだ。


 放課後、委員長が僕の机に来て、ぽんぽんと肩を叩く。

 途端に周りの男共の視線が一斉に向いて、注目を浴びる。

「何、委員長?」

「あのね、城見くん。

 帰りにちょっと付き合ってもらっていい?」

「えっ?

 う、うん、いいけど、何?」

「あ、付き合ってじゃなくて、お家にお邪魔してもいい?」

「へ?」

 委員長の言葉に、いやに間抜けな声が出てしまった。

「お姉さんにお礼を渡してもらいたいし、その……猫ちゃんに会わせて欲しいなって」

 ああ、車の件と、猫か。

 びっくりした、寿命が縮まったかと思った。

 それにしても、猫に合わせてって言う委員長の、少し赤くなった頬が照れているようで可愛い。

「ああ、それなら大丈夫、夏姉も今日は午前中で帰って来てるはずだし」

「よかった。

 じゃあ、途中でお土産買うから寄り道してね」

 ぽんっと両手を叩く仕草に見惚れそうになり、くるりと背中を向ける委員長のスカートの裾がひらりと翻って、胸がどきりとする。

 話が終わると教室がざわざわしていて、気のせいか、やけに背中が痛かった。

 僕が委員長と一緒に帰るのに気付いた奴らの視線が、突き刺さって、何であんな奴と、とか言う声まで聞こえる。

 いや、別に僕目当てってわけじゃないし!

 委員長は家の猫と姉に会いたいだけで──。

 でも、誤解を解く為に何故かっていうのを言えば、更なる嫉妬を産みそうだし──。

 とりあえず、自然に、あくまで自然に、たまたまだという感じで振舞おう。

 教室から出るまで視線が痛かったが、さすがに廊下を曲がるとそれも無くなって、校舎の下で靴を履いて委員長の来るのを目立たないようにして待った。


 家は学校から近いのだが、委員長の言われるまま遠回りの道を二人で歩いて、つかず離れずの距離が妙に緊張する。

 そう、近いものの微妙に距離があって、必ずしも恋人とかって関係じゃないよって位置。並んで歩いていても、それが普通って誰もが思うんじゃないかなってくらいの。……ちょっとそれが悲しいけど、しょうがないよなぁ……って感じ。

「あ、城見くん、あの店。

 あの店のチーズケーキが美味しいのよ」

 何やら可愛らしい外観の店に、僕の返事も待たずに委員長は入って行き、店に入るのを躊躇して、ドア前でぼんやりと待っていると、楽しげにケーキの箱を持って出て来た。

「城見くんのお姉さん、チーズケーキ好きかなぁ?」

「うん、好きだな。

 というか、嫌いなケーキがあるって聞いた事が無いよ」

 姉だけでなく、僕も虎もチーズケーキは好きです、あの焼いたはずなのにふんわりとろける甘いチーズとか、いいよなぁ……。

 ──聞かれてないけど。


 そんな風に、校門を出てから、遠回りのケーキ屋を経由して、姉の居るはずの家に着いた。

 普通の家よりちょっと大きい、白い壁の家。茶色のドアを開けようと手を伸ばして、委員長を伴ってドアを開けると、珍しく虎が向かえに来ていた。

「きゃあ、可愛いっ!」

 中に入った途端に目に入った虎に、委員長が喜んで手を伸ばす。

 その手に、躊躇なく擦り寄る虎。

 相変わらず、女の子が好きだよなぁ……。

「わぁ、綺麗な目……黄色……ううん、金色?」

 擦り寄る虎に気をよくした委員長が、虎を抱き上げている。

「おかえり……って、お客さん?」

 玄関に出て来た夏海が、虎を抱いている委員長を見て驚いた声を出す。

「ただいま、夏姉。

 今度の夏に、一緒に海に行くメンバーの一人の委員長。

 委員長、うちの姉の夏海」

 とりあえず紹介をする。

「こんにちは、初めまして。

 クラスで一緒の相澤真奈美です。

 夏の旅行では、運転もしていただけるということで、お礼とご挨拶に来ました」

 よくよく考えたら、そういうのは企画の東堂がするべき挨拶じゃないんだろうか、さすが委員長というか、なんというか。

「相澤さん、よろしくね。

 ここじゃ何だから、奥にどうぞ」

 委員長に客用のピンクに花柄のスリッパを用意して、上がってもらう。

 委員長は右手に鞄とケーキの箱を持って、左手というか左腕に虎を抱いている。

『冬樹、彼女か?』

 虎が委員長の腕の中から振り返ってにやりと笑うのに、首を横に振る。

 リビングの横を通ると、既に和気藹々と二人が話していて、僕が居なくてもいいんじゃないかという雰囲気が感じられて入りづらくなっている。

 まぁ、もともと委員長は僕の客として来たというよりは、姉と虎の客だから別にいいか、とそのまま部屋に行くことにして階段を上る。

 二人の話に入れないのは少々心残りだったが、それも先の夏休みに入ったら、きっと違うんだよというので我慢した。


 宿題と予習も終わって、コーヒーでも飲もうかと一階に下りると、そろそろ日も落ちそうな頃合になっていて、リビングを覗くと秋音が帰って来ていた。で、委員長と姉たちと3人で仲良く話し込んでいるようだった。

 虎は、といえば、既に委員長の膝も飽きたのか、廊下の床で寝そべっていて、僕に気付いて近づいて来た。

 僕の足元をするりと抜けて、階段に足をかけて虎が振り返る。

 そうしてトントンっと階段の縁を叩いて、僕に上に行くぞ、というように合図された。

 器用に階段を上っていく虎の後ろから、降りたばかりの階段を上って、部屋に戻る僕。

 部屋に戻ると僕が椅子に座る前に虎がベッドに軽々と登って居た。

『冬樹』

 ベッドの上に身体を落ち着かせながらの虎に呼ばれる。

「何?」

『あのお嬢さんが海に行くわけだな』

 しばらくリビングで話を聞いていた虎に頷く。

「あと、女の子はもう一人、虎の好きそうなキリッとした美人さんが行くよ。

 それと僕の友達の東堂」

 虎は意外に気の強いタイプが好みらしく、それは胸の大きさに勝るらしい。

 抱かれるのは無条件に胸の大きさだが、それと性格の好みはまた違うのだという。

『そうか。

 それは楽しみだな』

 そう言うと、僕のベッドの上でごろんと横になってしまう。

「虎?」

『女たちの姦しさに疲れた、ちょっと寝かせろ』

「あはは……わかった」

 どうやら虎は僕に用があったわけではなく、ただリビングから逃げ出して、落ち着きたかっただけらしい、それなら虎について部屋に戻って来なくてもかったんじゃあ……、苦笑混じりのため息をついて、部屋を出て今度こそコーヒを飲もうと階段を下りると、ちょうど話が終わった所らしく、コーヒーを入れてる匂いがリビングからしてきた。

 何をまだ話すことがあるんだろう、とか思いながらリビングに顔を出して、僕にもコーヒーを、と頼もうとした。

「姉さん、僕にもコーヒー……」

 頂戴と言おうとして、僕の時間が止まりかけた。

「え?」

 僕の家のリビングで、何で委員長が水着になってるんだ?

 いや、委員長だけじゃない。

 夏海と秋音もリビングで水着になっていた。

「きゃあああああっ!」

「……何やって……」

 ぽつりと口に出た言葉に、一番早く反応したのが秋音だった。

「冬樹―っ!」

 スパコーンといい音がして、秋音にスリッパで殴られた。

「痛い……」

「あったりまえだーっ、痛いように殴ったんだから!

 ──とりあえず、出てけ」

 僕を殴って、少しは落ち着いたような秋音に言われ、リビングから出て廊下に座り込む。

 まだ頭がズキズキと痛い。

「……びっくりしたなぁ……」

 はぁ、とため息をついて何があったのかを考えていると、ふいにさっき見えた委員長の水着姿が頭をよぎり、かぁーっと顔が赤くなっていくのが分かった。

 ……意外に委員長って胸大きいんだな……。でもあの水着はちょっとサイズが合ってないような……、それに色も青よりはピンクとか明るい、のがいいんじゃないかなとか思ってしまった。

 夏海と秋音の水着姿も本当に久しぶりで、実の姉ながら、夏海のあのビキニは青少年には目の毒だろう。たとえデザインが普通のビキニでも、夏海のサイズで着たら、絶対に目に悪い、うん。

 それに引き換え秋音は一瞬競泳用かと思うようなシンプルなワンピースで、夏海の横に並ぶと哀れさを誘う──特に胸のあたりが。

 でも、何で委員長がうちのリビングで水着になってたんだろう。

 今日はケーキ屋しか寄り道してないし……。

 あんまり気になったのでリビングに向かって声をかけてみる。

「委員長―、その水着どうしたの?」

 声をかけた途端にまたスパコーンと頭の上でスリッパの音がした。

「今日バーゲンで買ったのを試しに試着してみるかって誘ったの!」

「あ、あのお姉さん……あまり乱暴な事は……」

 顔を上げると秋音が居て、ちょっと離れた場所から委員長のおずおずとした声が聞こえてきた。

「……秋姉、水着何着買ったの?」

「二人で4着」

「……そんなに着ないだろ……一泊か二泊なんだろうし」

「いいじゃないの、可愛いのたくさんあって選べなかったのよぉ」

 夏海の声がして、僕の前にコーヒーカップが差し出される。

 ああ、部屋で飲めってことね……はいはい、お邪魔さまでした。

「ありがと、じゃあ部屋に戻るよ」

 極力後を振り向かないようにして、階段を上り部屋に戻ると、さっきの騒動が聞こえていたのか、虎が面白そうだなという顔でベッドに座っていた。

『騒がしかったな、冬樹』

「……なんかさ、皆で水着の試着してたみたいで、秋音に二発殴られた……」

 まだ後頭部がちょっとヒリヒリしてる。

『ご愁傷さま。

 で、どうだった?』

「どうって?」

 虎が何を聞いてるのか分からなくて、床に座って、覚めないうちにコーヒーを飲もうとする。

『誰の水着姿が一番だったかって事だ』

「──っ!」

 思わずコーヒーが器官のどこかに入ってしまい、げほげほと咽て何度も咳込んでしまう。

 口に含んだコーヒーが少量だったのが救いだ。

「と、虎っ、咽たじゃないか……」

 漸く息がつけるようになって、虎に文句を言う。

『何を驚いている?

 で、誰だ?

 委員長さんか、それとも夏海かね?』

 なぜか名前も出されない秋音がちょっと不憫に思えた。

「虎……、実の姉が一番だとかいうのは人としてどうかと思うよ」

『ふむ、では委員長さんか。

 それは旅行が楽しみだな』

 ぐ、と言葉に詰まった。

 旅行は楽しみだ、それは嘘じゃない。

 それに、海がいいと……いったのもそりゃあ僕だって男だから、可愛い女の子の水着は……嬉しくないとは言わないし、見てみたい。

「……まいったな……、そうだよ。

 昨日よりもっと楽しみになったよ」

 虎には負ける。

 本音を言えば、さっきのリビングを見て、すごくわくわくしてるし、海で委員長の水着姿を見られるのはすごく楽しみになった。

 ──もちろん、本人には言えないけど。

「あ、言い忘れてたけど、虎も連れて行っていいってことになったから」

『ほう、それは僥倖。

 さぞかし目の保養になるだろうな』

 ……虎、その言い方はオヤジ臭いぞ。

 まぁ、どうせ僕にしか聞こえないけど。

「だから虎の持っていく物も用意しないと。

 缶詰かドライフードと、あと何がいる?」

 水はペットボトルでいいし、とかトイレ用のシートが何枚いるか、とか考えていると、ベッドから降りてきた虎の肉球が太腿に置かれた。ぷにっとしてて気持ちいい。

『浮き輪みたいなものがあると嬉しいんだがな。

 そうだな、別に浮き輪でなくても水に浮かぶものならそれでいい』

 小さいボートかビーチマットか、ビニールのシャチとかいいな。

 ……ビニールのシャチに乗る猫……可愛いかも。

 そんなのなら、ホームセンターとかで手に入りそうだ。

 ペット用のは高いから、人間用ので何とかなるだろう。

「わかった。

 近い内に見てくるよ。

 水に濡れないように水に浮けるのがいいんだよな?」

『ああ、頼む』

 虎も猫だから、水はあまり好きじゃない。

 浮き輪よりはビーチマットみたいな、あれだ、海が透けて見れて、寝転べるあのマット、名前は知らないけど、それがあるといいなぁ。夏だからホームセンターにでっかくコーナー作ってるだろうから、それで探してみよう。


 すっかり醒めてしまったコーヒーを飲み干して、空になったコーヒーカップを持って下に降りると、既に委員長は夏海が車で送って行ったらしく、もう居なかった。

 せっかく家に来てくれたんだから、帰りくらいは送って行こうと思ってただけにがっかりしてしまった。

 ……夏海のバカ……。

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