ノンフィクションライター・綱渡通のフィクション

よろしくま・ぺこり

オープニング

 ノンフィクションライターの綱渡通が雑誌『スピンオフ』編集部に入ると、編集長の鯖目の席の横に、見慣れない男が座っていた。何事か話しをしている。今日は編集長に、出来上がった原稿を持ってきたのだが、ここは邪魔しては悪そうなので、近くで暇そうにあくびをしていた、編集員の鱈子に話しかけることにした。

「鱈子さん、あれはどなた?」

 すると、鱈子はあくびをこらえながら、

「ああ、『小説野獣』の編集長の虎尾さんだよ」

とのん気に答えた。

「『小説野獣』? 小説畑の編集長がなんで男性情報雑誌の編集長に用事があるのかな?」

 綱渡が尋ねると鱈子が答えた。

「なんでもね、連載小説を載せていた南野圭子先生が不眠症で寝込んじゃったんだって。それで、代役に誰かの短編を載せたいんだけど、今、たまたま手持ちがないんだってさ。あの二人、同期でとっても仲がいいんだ」

「しかし、それにしたって男性情報誌の『スピンオフ』に来ることはないんじゃないの。毎年やってる『野獣小説賞』なんて千本からの応募があるじゃないか。最終選考に残った誰かに頼めばいいんじゃないの。ホイホイって書くと思うよ」

「『野獣小説賞』は長編でしょ。虎尾さんが探してるのはだいたい三十枚くらいの短編なんだよ」

「新たに書かせればいいんじゃない」

「最終選考に残った人は今頃、次の長編を書いてて手が離せないんじゃないの」

「デビュー出来るなら、長編は一休みして、短編を書けばいいじゃない。プロ作家デビュー出来る」

「そうはいかないよ。新人賞獲ったら賞金をもらえるし、だいたいデビューのインパクトが違う」

「じゃあ、こんなのはどう? 編集長子飼の小説家に書かせるんだ。一人か二人はそういうのいるでしょ。三十枚くらいなら。一晩徹夜すれば簡単に書ける」

「甘いよ、綱渡さん。虎尾さんは先月まで『ドラゴンボーイ』っていう、ライトノベル専門誌の編集長だったから、子飼の作家に書かせたら、剣と魔法と、姫様にオタク少女が出てきちゃって、大人のエンターテイメント小説誌『小説野獣』の読者にそぐわない作品が出てきちゃう」

「ふうーん」

 綱渡が頷いていると、

「鱈子! 喋ってないで仕事しろ。おう、ツナ、来てたのか」

編集長の鯖目が綱渡にようやく気付いた。

「どうも、原稿持ってきました」

 デスクに近付く綱渡。

「おう、ありがとさん」

 鯖目は相撲の懸賞金を受け取る仕草をして原稿を受け取った。

「ところでツナ、お前何学部だっけ?」

 鯖目が聞く。

「一応、文学部ですよ。史学科ですけど」

「そうか、史学科かあ、じゃあ小説作法は知らないな」

「そんなことないですよ。大学の文芸部で歴史小説書いてましたから。素人の手慰みですけどね」

 綱渡が言うと、横にいた虎尾が、

「おい、じゃあ短編の時代小説、明日までに書けるな。三十枚だ」

と割って入って来た。

「む、無理ですよ。資料集めだけで一日、二日かかっちゃいますから。歴史小説って手間がかかるんですよ」

「時代考証なんてどうでもいいよ。とにかく面白きゃいいんだ」

 無理を言う虎尾編集長。

「ご冗談を。読者の目は厳しいですからね。嘘書いたらクレームのメールや電話がいっぱい来ちゃいますよ」

 綱渡は言い、

「それに面白い話書くのは、もっと大変です。人を楽しませるのは悲しませるのの数倍のエネルギーが必要です。編集長だって知っているでしょう?」

と続けた。

「ならよう。ノンフィクションをちょっと転がしてフィクションに出来ないか」

 虎尾がしつこく粘る。

「えっ?」

「実際にあった話をちょっとアレンジするんだ。簡単だろ」

「ううむ。でも私にもノンフィクションライターとしての矜持がありますからねえ」

 乗り気でない綱渡。そこに鯖目が割って入って来て、

「じゃあ、ツナ。もし、やってくれたら、このまえ、お前が持ってきた、書き下ろしノンフィクション。書籍部に頼んで本にしてやろうか?」

とエサを撒いてきた。

「本当ですか?」 

 綱渡はそれに食いついた。

「うーん、仕方ない。じゃあ一本だけですよ」

「よし、わかった!」

 虎尾が叫ぶ。

「じゃあ、明日の昼までにな。頼むぜ」

 虎尾は綱渡の肩をポンと叩くと編集室を出て行った。

「俺からも頼むぜ、ツナ。よろしくな」

 鯖目が頭を下げる。

 こうなっては、逃げられない。それに、この前書いた謎の天才落語家の話には少々自信がある。それに、本になれば、いくばくかの印税が入る。ここは張り切って頑張ろう。綱渡はそう決めて家に帰った。


 家と言っても小さなマンションである。そこにたどり着くと、まずは飼いねこへのエサやりである。このマンションはペット可の物件だ。愛するねこの名はミケランジェロ、略して、ミケである。いい名だと思うけれど、ある人からはセンスがないと言われた。種類はもちろん三毛ねこだ。

「今日は忙しい。カリカリで我慢してくれ」

 綱渡はミケにドライタイプのエサを与えた。ミケは缶詰タイプの方が良かったらしく、「ウプッ」っと怒っている。だが無視する。エサやりの次はねこトイレの掃除である。ねこのフンは臭い。水気が少ないからだ。だから毎日始末しないと、部屋中臭くなってしまう。だからどんなに忙しくても、これは欠かせない。それが終わると、やっと人間様の食事である。綱渡は料理が得意なので、今日は肉じゃがとアジの開きを焼いて食べた。ミケは野良ねこの血が濃いので人間の食べものには食いつかない。普通の家ねこなら、アジの開きに反応するのだが、全く目もくれず、カリカリを貪っている。その点では楽なねこだった。

 食事が終わると後片付け、部屋の掃除、入浴と続き、風呂から上がると、読書に励む。綱渡の好みは日本のミステリー。同業者のノンフィクションは絶対に読まない。それにしても綱渡は一向に執筆に入らない。大丈夫なのか。そして時計の針が十二時を指すと、「おやすみなさい」と就寝してしまった。頼まれごとを忘れてしまったとしか考えられない。しかし、心配ご無用、午前三時になるとパッっと目を覚まし、机に飛びついて、パソコンを起動した。それが綱渡の執筆スタイルなのである。

「さて、何を書こうか?」

 綱渡はファイルを開いて、過去の自分の取材メモを見る。

「これは駄目だ。これも駄目」

 ファイルを開いては閉じる。ノンフィクション用の取材メモだけに、下手なものを書くと、特定個人が判別し、最悪、名誉毀損で訴えられかねない。それは避けたい。そうすると書ける題材は絞られてくる。

「うん、仕方ない。これにするか。ノンフィクションだと問題があるが、逆にフィクションにすれば書けるかもしれない」

 綱渡は一つの事件に決めると。ワープロソフトを起動して、執筆を始めた。時刻は午前六時。


 午前十時。

「さあ、出来たぞ。小説は素人だからな。どう評価されるか?」

 綱渡は軽く食事をとると、『小説野獣』編集部に向かった。

 

 

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