第32話 明暗11 (65~72)

 9月19日火曜昼前、遠軽署刑事課に倉野・北見方面本部捜査一課長から連絡が入った。倉野が関わる、未だホシを挙げられていない連続女性殺人事件だが、不幸中の幸いとして新たな犠牲者は出ていなかった。もし出ていれば大問題になっているところだが、多少メディアの批判も落ち着いてきてはいた。そういう意味では、ある程度一息ついた状態の倉野だったろうが、かと言って他のことに目をやる暇はないはずだった。そんな倉野から久しぶりとは言え連絡が入ったということは、それなりに重要な案件なのは明白だった。慌てて電話を受けた沢井に倉野が話し始めた。


「沢井課長? 久しぶり。その後の健闘についてはこっちも色々聞いてるよ。力になれず申し訳ないが、この件についてはそっちに任せておいても、全く問題ないようだね」

社交辞令なのか自虐なのかわからないが、力なく笑う倉野の言葉に、

「いやいや、やはり人員は足りません。早く北見の援助を受けたいところです」

と沢井は謙遜した。

「こっちはなあ……。目星も付かない状態だ。五里霧中って奴よ……」

ため息が自然と出るも、気を取り直したように話を再開した。

「おっと、こんな話をしてる場合じゃない。喜多川の件で電話したんだ」

「喜多川? 何かありましたか?」

「ああ。いよいよ延命装置を切るという話が、家族の間でも出て来たらしい。北見共立(病院)側も、回復の見込みはないと家族に説明したそうだ。まだ話し合っている最中のようだが、状況は芳しくないな。共立の医師が警察沙汰なのを知ってるからこっちにも連絡入れてくれた。勿論警察の意向が反映されることはなさそうだが、遠軽としてはどうなんだ?」

「そうですか……。ある程度覚悟はしてましたが、脳ですからね。仮に回復したとしても、聴取出来るレベルには難しいでしょうし、仕方ないとは思います。あ、ちょっと待って下さい。西田と竹下にも聞いてみます」

沢井はそう言うと、西田と竹下を手招きして事情を説明した。二人共、沢井同様ある程度覚悟していたせいか、驚くことはなかった。今更あがいても仕方ないし、捜査はもう別の段階にあると考えていた。


「倉野課長。西田も竹下も、こっちは受け入れるしかないということです。そういうことで、病院側にお伝え下さい」

「そうかわかった……。そう伝えさせてもらう。後はしばらく遠軽署単独で頑張ってくれ。陰からだが応援させてもらう。じゃあこっちも色々あるんでこの辺で」

「ありがとうございます。そちらも早期解決を」

「ああ、じゃあな」

それを聞いて沢井が受話器を置こうとした時、受話器からなにやら倉野が叫んでいるような声が聞こえたので、沢井は再び耳に戻した。

「何か言い残したことでも?」

「その通り。危なく忘れるところだった。佐田と伊坂がセントラルホテルで食事した時、同席していた、元道議会議員の松島孝太郎の件だ」

「居ましたね。その松島が何か?」

「松島も北見共立に入院してるらしいな。こっちの情報では末期の肺がんだそうだ。そう長くないらしい」

「そうですか……。伊坂大吉、篠田が死に、そして喜多川と松島、事件の関係者が続々とこの世から去ろうとしてるわけですね」

「そうだな。それが8年という歳月の重みだろう。『本社』の遠山部長も、佐田と伊坂の関係が明確になった時に俺にも電話掛けてきたが、それをずっと言ってたな。そして4年前の怠慢捜査についてもネチネチと言われたよ。勿論今の北見方面本部の責任じゃないと理解はしてくれていたがね」

倉野はそう言いながらも気分は悪かったようだ。


「それはもうどうでもいいや! で、そっちとしては、松島について何か聞きたいことはないんだな? あるならもう時間がないからそのつもりで」

「自分としては、松島は偽証はしていた可能性はあると思ってますが、それはもう捜査には大した意味はないと思っているんですがねえ……」

そう言うと、再び西田と竹下に確認した。二人共異口同音に「特に問題はない」と言う様な発言をしたので、

「さっき同様、2人とも聞く必要なしとのことです。そもそも、松島に事情聴取するとすれば、かなり『絞れて』からじゃないと危険じゃないですかね?」

と告げた。

「危険? そうかボスの大島海路の件か。道警への圧力は当時よりは緩和出来てるだろうが、さすがに直近の取り巻きに聞くとなると、情報がすぐにそっちに行くから、影響がないかはわからんな」

倉野もその危険性の有無についてはなんとも断言しかねた様子だった。


 倉野との会話を終えた沢井に、

「しかし次々とあの世行きですか」

と西田は喋りかけた。

「うん。米田の殺害についても、篠田をホシとして公的に断定出来るかは微妙だし、時間は待ってくれないなあ」

「状況証拠は揃ってますが、幾ら結果的には書類送検で検察不起訴の流れとは言え、明確に証明出来ない以上、難しいところです。凶器はわかってるんですが、米田が殺害された時に篠田が現場に居たかの証明が難しい。例の『墓標』に佐田を隠したことは、壺についていた篠田の指紋で証明できますけどねえ。最初に捜査していた米田殺害の件よりも、佐田殺害の件が想定以上にドンドン進行して行ってしまってるのは皮肉ですよ。あの時の課長の捜査方針転換は、間違いなく功を奏しましたから、その点は良かったです」

「これはこれはお褒めに預かりまして」

沢井はおどけたが、それを見ながら笑うという精神的な余裕が出て来た一方で、西田は内心に説明の付かない嫌な予感を感じ始めてもいた。


※※※※※※※


 佐田の件で目覚ましい進展があったとは言え、さすがにそこから先もトントンと捜査が進むと言うこともなく、9月も末に近付こうとしていた。喜多川と篠田の、佐田失踪近辺のアリバイの不存在は証明出来たが、そこから実際に佐田の失踪とどう関わったかを証明することはまた別の問題であり、西田達はそこをどうするかに頭を悩ませていた。


 そんな中、「常紋トンネル調査会」の松重会長に、「遺骨収集調査が出来るようになったら連絡をくれ」と言われていながら、かなりの期間放置していたことを西田はふと思い出した。かなり文句を言われることも承知の上で松重と連絡を取ると、案外松重の態度は穏やかなものだった。

「長々と待たせまして」

平身低頭の西田に、

「いやいや、捜査が優先なのは仕方ないでしょう」

と大人の対応を見せた。ただ約2ヶ月前、松重相手に、

「今年の遺骨収集が出来なくなるなんてことはない」

と断定したことを、今から覆さなくてはならないことを考えると西田は頭が痛かった。

「それで何時から出来ますか?」

「それがですねえ……。実は捜査が進んだことで現場を余りイジられたくないという状況になってしまいまして……」

「え……?」

松重はしばし声を失ったままだった。確かに現場から佐田の遺骨まで発見されるに至り、ある程度は現場での捜査終結は見えていたが、大規模に遺骨収集が行われることは、事件が解決してない以上捜査陣にとっては好ましいものではなかった。しかし、捜査がどれだけ進んでいたかは、事件の詳細がほとんど報道されていないので、それが松重に伝わっていたとは言えないはずだった。西田は言える範囲で状況を説明し、雪の降る時期を考えると、かなり今年中の遺骨収集調査が難しいことを率直に話した。松重は十分納得したとは言えなかっただろうが、渋々という態度は口には出さず、それを許してくれた。


※※※※※※※


 9月24日日曜。非番だった西田の自宅に、生田原駐在の丸山から連絡が入った。自宅電話番号は署に居た竹下から聞いたらしい。

「西田係長お待たせしました。当時の佐田と接触したという老夫婦が居ました!」

「待ちわびたぞ! それでどういう話だ?」

「遠軽からの普通列車で、まず奥さんの方が佐田実と一緒だったそうです。常紋トンネルの近くに行くというので、安国駅で一緒に降り、迎えに来ていた自分の夫に頼んで、駅から例の常紋現場付近の『駐車出来る空き地』まで乗せていったそうですよ。どうもその前日にも生田原駅で、現地まで行こうと挑戦したものの、その時は失敗したような話ぶりだったそうです。前日の分の目撃者は出て来てないですね、現状では」

「その人に直接話を詳しく聞かせてもらいたいんだが?」

「そう言うだろうと思って、既に話は付けてます。年金暮らしのご夫婦ですから、いつでも構わないそうですよ。前田さんというご夫婦です。電話番号教えますから、都合のいい日を両者で相談してください。それじゃあ失礼します」

さすが丸山だ、手回しが良い。

「今日にでもと言いたいところだが、吉村にはきっちり休ませてやりたいからな。明日に回すか……」

西田はそう言いながら教えられた電話番号に掛けた。


「丸山から紹介受けました、遠軽署の西田ですが」

「はいはい、刑事さん? 丸ちゃんから話は聞いてますよ」

電話に出たのは老婦人の方だった。丸ちゃんというアダ名で呼ぶぐらい、丸山はこの夫婦と親密な関係を築いているのだろう。地元に密着した駐在の役割をしっかり果たしているようだ。すぐに翌日に事情を伺う約束を取り付け、家の住所も聞き出して西田は電話を切った。


「やっと動き出したか……」

しばらく停滞していた捜査に一筋の光明が差してきたように西田は感じていた。無論、佐田の殺人捜査の中では、本筋ではない部分の話ではあったが。直後、吉村に翌日の参考人聴取が決まったことを電話連絡すると、

「そんな話は明日でもいいじゃないですか。俺は付いていくだけですから……」

と投げやりなセリフを吐かれた。話を詳しく聞いていると、どうも遠距離恋愛の彼女と電話で口喧嘩した後だったらしい。それが判った時点で、西田は触らぬ神に祟り無しとばかりにさっさと会話を終えた。


※※※※※※※


 9月25日月曜の午後2時過ぎ、生田原町安国の前田夫妻の自宅で聞き取りが始まった。夫妻共に70を超えた穏やかな老夫婦で、夫の貴明は生田原で小学校の校長として教師人生を終え、愛着のあった生田原に、妻の咲子共々そのまま永住することにしたらしい。


「どういう形で列車の中で会話されたんでしょうか?」

和やかな雰囲気の中、吉村により聞き取りが始まった。

「遠軽からの普通列車で、対面のシートの目の前に同年代と思しき佐田さんが座っていまして、何となく世間話から始まりました。互いに自己紹介も終え、そのうち、『常紋トンネルの近くまで行きたいが、昨日は生田原駅まで行ったがタクシーも捕まらず、仕方ないので地図を見て歩いて行こうとして途中で道を聞いたら、止めることを勧められて、生田原駅まで戻ってそのまま諦めた』というような話をされていましたよ」

咲子は質問に丁寧に答えた。

「前日ということは8月15日のことですね」

吉村の指摘は、夫妻にとってははっきりした記憶がなかったため、

「そこはどうだったかわかりませんが、おそらくお盆だったとは思います」

という、咲子の返答は曖昧なものになった。日付をはっきり憶えていないのは仕方ないことで、旅館主人の篠山の証言で十分だと考えていたので、西田は適当に相槌を打って咲子に話の続きを求めた。


「それで私が、『そういうことなら、主人が安国駅に私を迎えに来ますから、主人に頼んで近くまで車でお送りしましょうか?』と言うと、佐田さんは喜びましてね。駅前で待っていたウチの人に事情を話して、安国駅から常紋トンネルの近くまで通じる山道を走りました。

「なるほど。ただ、地元の方でも常紋トンネル付近に出かけるというのは、そうはないことだと思うんですが、お二人共、その点はどう思ってたんでしょうか?」

「ああ、それですか。確かに私達も『おかしいな』とは思ったんで、それとなく尋ねてはみたんですが、『ちょっと確認したいことがある』というような濁し方でして。余り詮索するのもどうかと思って、それ以上は聞かなかったんですよ。主人は口下手なんで、私に『聞け、聞け』と運転席から目で合図するばかりでしたが……」

妻の証言に夫である貴明はまいったなという表情を浮かべた。西田が考えていたことは当然夫妻も当時思っていたようだった。

「佐田さんは、そこまで送ってもらった後、どうしたんでしょうか? 帰りも勿論車に乗せたんですよね?」

質問権は吉村に移った。

「それは勿論ですよ。あそこに置き去りにするわけにはいかない。熊も出ますから。佐田さんにも『申し訳ないが1時間程待っていてください』と頼まれましたし」

「それで佐田さんが戻ってくるまで待っていた?」

「それがですね。車を佐田さんが降りた直後、雷雨になりまして……」

「雷雨?」

「そうです。雷雨でした。まあ確かにやけに黒い雲がかかり始めたのは、向かってる途中に私も運転しながら気付いてはいたんですがね……。まさかあそこまで急に雷雨になるとは思ってませんでした。天気予報も終日晴れでしたから。夏で暑かったですから、積乱雲が発生したんでしょうねえ」

説明は咲子に任せていたように見えた貴明がようやく口を開いて吉村に説明した。

「確かにそうでしたね。それですぐに佐田さんは車に戻ってきまして、止むのを待っていたんですが、そういうにわか雨みたいなのは割とすぐ止むのが普通でしょうけど、1時間ぐらい経っても止まなかったわけです。そんな状況では、さすがに山道ということで足場も悪くなりますからね。佐田さんに諦めるように言いました。佐田さんも無念そうな表情でしたけど、さすがに酷い雨が1時間も降りっぱなしなのは明らかでしたから。私達のアドバイスに従って戻ることになりました。遠軽に戻る普通列車までお時間ありましたから、わが家で時間つぶしにお茶を出させて貰いましたよ」

「ここに佐田さんが寄ったわけですか?」

西田が改めて聞く。

「そうです。ここでも世間話をしました。『明日はダメなんですか?』と聞きましたら、札幌に戻らないといけないとかなんとか。なんか銀行? だったか、それとの話し合いがあるとか言ってましたね。それ以上はやはり詮索しませんでしたけれど」

西田は、返済のことで佐田は銀行と話し合う必要があったのだと理解した。


「佐田さんは、その時点でスッパリ諦めたんですかね?」

吉村が質問した。

「それはないですね。今度また来るからまた案内して欲しいようなことを言って、電話番号聞いていったんですよ。因みにその日の交通費ということで5千円置いていこうとしましたが、それは気持ちだけいただくということで仕舞っていただきました。まあ律儀な方でしたよ」

貴明は当時の様子を振り返った。

「ということは、その後も彼はこちらに来たんですよね?」

「いいえ西田さん。その後は一切連絡がありませんでした。私共も何時来るという約束をしていたわけでもありませんから、そのまま時が流れるままとなりまして。まさか行方不明になって殺されていたなんて思いもしませんでしたよ。ニュースでも見た記憶が無い。丸ちゃんに聞くまではね。チラシやポスターも掲示してたそうですが、安国駅にはなかったもので……」

咲子の言ったように、事実、佐田の殺害が発覚したことは、テレビニュースどころか新聞にも大々的に扱われることはなかったはずだ。現在進行中の連続女性殺人と比較してニュースバリューがないということもあるが、警察側、いや遠軽署としても余り大々的にニュースにして欲しくないという意図が実はあったからだ。隠密捜査ではないが、真相が明確になるまで静かに捜査しておくことが、あらゆる「邪魔」を回避する最大の防御だからである。マスコミに「あからさまに」要請したわけではなくても、そこは警察とマスコミの阿吽の呼吸による「指示」と言えた。


「そうですか……。結局佐田はその後伊坂に会うまであの現場には行かなかったんですかねえ。それとも、前田さんを介さずに行ったのか」

吉村は首を捻った。

「ところで、車中やご自宅でも世間話をしたとのことでしたが、他に何か気になるようなことは言ってませんでしたか?」

「気になることでしょうか……。ああ、『生田原で大昔に3人の遺体が発見されたような事件はなかっただろうか?』とかそんな話をされてましたよ。私どもが生田原に来て15年程度で、聞いたことがないということを話しますと、『それじゃ仕方ないですね』と納得されてました」

咲子の発言は、間違いなく、あの兄・徹の手紙に書かれていたことを確認したのだろう。ただ、聞いた相手がたまたま地元に古くから住んでいる人間ではなかった、それだけのことだ。言うまでもなく、古くからの地元の人間だとしてもそれを知っていた可能性は限りなく低いだろうが……。


※※※※※※※


 聴取を終えて署に戻る車中、西田と吉村は前田夫妻の話について考えた。少なくとも佐田は生田原の現場には、旅館「志野山」に宿泊した2泊3日の間には行くことは出来なかったことは確定した。その後、伊坂に北見で会って失踪するまでの間に、現場に行ったことがあるかははっきりしなかったが、案内を約束してくれた前田夫妻を無視して行った可能性は、2人から見てそう高いとは思えなかった。


 一方、篠山の証言から得た「佐田は一定の満足を得て札幌に戻ったのでは?」 という情報を考慮すると、その満足が前田夫妻の協力を取り付けたことに向けられたものなのか、それとも単なる篠山の勘違いなのか、はたまた佐田の「社交辞令」だったのかは、正直わからないでいた。確実に言えるのは、その時には佐田徹の手紙に書かれていた「砂金が隠されていた跡地」に到達出来なかったのだから、それに対しては満足出来るようなものではなかったということだけだった。


「係長、結局佐田は殺害される前に、現場に行けたのか行けなかったのかが微妙ですよ。おそらく行けなかったか、もしくは行かなかった可能性の方が高いとは思いますが」

「その部分は予断を持たない方がいいと思う。引き続き丸山に調べてもらおう。その後に佐田が生田原に来ていたとすれば、何か話が出てくるかもしれない」

西田はそう言ったが、残念ながら丸山から追加の情報が出てくることはその後なかった。


※※※※※※※


 9月26日火曜夕方、強行犯係は事件の1つの節目を迎えていた。喜多川の延命装置がいよいよ外されたと連絡が入ったのだ。事件関係者3人目の鬼籍入りだった。西田は喜多川の義父である田中清が今この事態をどう捉えているのか、脳裏の片隅ではあるが気になっていた。喜多川について、彼が色々と気に食わない部分もあったのは間違いなかった。ただ、可愛い娘の愛した夫が死んだという事実が、道報の記事を見て西田に怒りを爆発させた田中の今の精神にどういう変化をもたらしたのか、はたまたもたらさなかったのか……。捜査の一環で関わった程度の間柄ではあったが、無視できない感情がそこにあった。


 翌日9月27日昼過ぎには、北見方面本部の鑑識主任・柴田から連絡が入った。DNA検査でも、見つかった遺骨が佐田実本人のものだと、息子の翔のDNAと比較した結果から判明したとのことだった。今更という結果だが、科捜研としては「実績を積み重ねる」ことが重要であって、結果の判明時期などは重要ではなかったということだ。柴田は科捜研とは関係ないポジションだが、DNA検査はこれからの科学捜査においてエポックメイキングになると電話口で息巻いていた。


 しかし、それから数時間経った夕方、思わぬグッドニュースが飛び込んできた。北見方面本部と北見署が総力をあげて捜査していた、連続女性殺しの被疑者が現行犯逮捕されたということだった。犯人は30代の曽我部という男性作業員だった。数年前に性犯罪を起こして収監されていた後、刑期を終え、四国から流れ流れて美幌の建設会社に来ていたらしい。逮捕の数日前にこの情報を掴んだ捜査本部が、マークし始めた矢先の逮捕だったようだ。しかし、逮捕自体は想定外の状況で行われたようだった。


 殺人捜査には直接関与していなかった、徒歩で北見市内をパトロール中の警官が、帰宅途中で曽我部の車に拉致されそうになっていた女子高生を発見し、逃走しようとした車のタイヤに向けて発砲。見事パンクさせたところで電柱に激突するという幸運が重なった。もし命中していなければ、かなり厄介な展開になりえただろう。丁度マークしていた捜査員が巻かれた直後だったらしい。一歩間違えるとただの捜査ミスとなるところだったが、テレビニュースではさすがにそこまでは報道されていなかった。


「これで北見もやっと楽になったな」

沢井は夜のニュースを凝視しながらしみじみと言った。

「この結果として、北見方面はこっちに協力するということになるんですかねえ」

大場が帰り支度をしながら聞いてきたので、

「まあこれから取り調べもあるし、すぐにこっちに参加するということはないだろ」

と西田は答えた。実際まだ起訴が確定したわけではなかった。これから取り調べ、起訴までは被疑者が認めたとしても、裏付け捜査、証拠固めも必要で、あっという間という訳にはいかない。北見方面本部も、所轄の北見署への指揮監督という立場が、協力という名目以上に強いのだから、すぐに関与を止めることも出来ない。


 そんな会話をしていると、倉野から突然電話連絡が入った。倉野も捜査指揮を執っているのだから忙しい最中だというのに、何があったのかと沢井は訝しげな表情のまま保留中の電話に出た。

「もしもし、お電話替わりました。沢井です」

「忙しいところスマン。連絡もあっただろうし報道でも知ってると思うが、こっちは取り敢えず一息付けたから。そっちが必要なら北村と満島を明日からでも派遣して構わんぞ?」

倉野は沢井がお祝いを述べる間もなく、一気に言いたいことを言い終えた。それで沢井はタイミングを失ったが、

「ああ、ともかくマル被確保おめでとうございます」

とまず社交辞令を優先させた。

「そっちはどうでもいいよ! うちらではなく、日常パトロールの地域課巡査のおかげなんだからさ。危うくまたマスコミに叩かれる材料を提供するところだった。マル被が元々こっちの人間じゃないんで、情報が入ってくるのがかなり遅れてしまった。広域事件もそうだが、都道府県警の情報縦割りの弊害がモロにでちまった形だよ……。まあこれから取り調べもするが、精液のDNAが残ってるからそっちメインでやろうという話になってる。時代だな……」

倉野は達観したような言い草だった。肩の荷は下りたのだろうが、捜査本部としての責任を果たしたとは到底思っていないのだろう。しかし、そんなことを言っている場合じゃないかと思い直したか、

「いや、そんなことはどうでもいいんだった。2人が必要なのか?」

と改めて聞いてきた。

「確かに捜査は続けてるんですが、人員が足りないというより、捜査そのものが行き詰まってる感がまた出て来てるんで、人だけ居てもしゃあないってのが正直なところです」

「そうか……。わかった。ただ、どっちにしても1週間以内には2人はそっちに派遣する。勿論それ以上必要ならそうするし。こっちも人数だけ居ても邪魔なだけだから。あっ、スマン。ちょっとマスコミ対応しなくちゃならんらしい……。それじゃひとまずそういうことでまた」

倉野はあっけなく電話を切った。そもそも、本来なら遠軽の案件に関わってる場合でもなかろうが、気にかけてくれていたのだろう。沢井も受話器をガチャリと置くと、

「さあ、北見が事件を解決した。今度はこっちの番だな!」

と、自分にも言い聞かせるように部下を励ました。


※※※※※※※


 翌朝、連続女性殺しの記事が一面に踊るのを眺めながら、西田はソファで朝刊を読んでいた。捜査員が巻かれたことは、道報にも全国紙にも載っていなかった。警察記者クラブ制度が、ジャーナリズム的には悪い意味で、警察的には良い意味で機能したらしい。現場にとってやりやすいと言えばやりやすいのだが、竹下的な考えを徹底すれば、権力の腐敗と言うことになるだろう。


 西田はそのどっちに付くというタイプの人間でもないが、組織の一員とすれば、やはり後者を支持してしまうだろうと何となく考えていた。喜多川の別件逮捕・意識不明絡みで批判された時と打って変わったような報道には、強い違和感を覚えていたが、かと言ってそれを批判する資格もまたないとも感じていた。


「係長、能代の商工会議所から、例のが来たみたいです」

警務課の女性職員が刑事課への郵便物を持ってきたので、それをチェックしていた吉村が声を掛けてきた。

「お、やっと来たか」

西田は新聞を机に置くと、吉村から封筒を受け取り中身を取り出した。


※※※※※※※


 捜査に手詰まり感が出た9月20日、秋田県警能代署に、北条正治が勤務していたという熊澤水産についての調査を電話で依頼するも、「それなら商工会議所の方で調べて貰った方が良い」と体良ていよく断られた上、紹介された商工会議所では、「いますぐ調べるのは無理なので、後から調査結果を郵送で」と言われた末のやっとの到達だった。


「どうです?」

「まあちょっと待て、まだ見てない」

焦る吉村をなだめつつ、西田は折りたたまれていた紙を開いた。


「えーっと、熊澤水産は平成3年に倒産。社長も家族も現在行方不明。社員だったと言う北条正治についてはそのような状況のため、現状を報告することも連絡先をお伝えすることも出来ない……」

「結局こっちも追跡不能ですか」

西田が結論が見えたので途中で音読するのをやめると、吉村はすぐに残念そうに言ったが、西田はある程度は覚悟していた。実際問題、仮に正治と連絡が付いたとしても、聴けるのは、長兄・佐田譲の北条兄弟に関する話が本当かどうか、そして正治が佐田家から「金の在処」を聞いた後から、2度目の佐田家への訪問までに「事件と関係する何かがあったか」どうかぐらいだった。譲が嘘を付くことも考えられず、その後に何かあったかどうかも疑問である以上は、それ自体は捜査が頓挫するほどの大きな問題でもないと考えていた。勿論聴けるモノなら聴いておくべきではあったが。


「あれ、確か弟の北条正治は滝川に居たことがあるって話ですよね?」

「そんなことを譲が言ってたな」

「北条なんて苗字、武将じゃないけど、道内は勿論全国的に見ても相当珍しいでしょ? もしかしたら、今でも滝川に親戚が居たりすれば、すぐにわかるんじゃないですかね?」

「まああり得ない話じゃないな」

「折角だから試してみませんか? どうせ、捜査で今やってることと言えば、現在の伊坂組社長である息子が事件と関わってないかの身辺調査でしかないし。そっちは主任達が主に取り組んでますからねえ。俺らは暇とまではいかないにせよ余裕がありますから」


 吉村の言う通り、今、竹下達を中心とした捜査陣が主に取り組んでいるのは、伊坂大吉の息子であり、伊坂組の跡取り社長である伊坂政光の調査であった。行き詰まった捜査を打開するために、政光が大吉の犯罪について知っていて、協力していたのではないかという切り口からの捜査だった。ただ、政光が伊坂組を継いだのが1993年の春であり、それまでは東京の大手ゼネコンの大黒建設に勤務していた。高校から札幌の有名公立進学校を経て、早稲田の理工学部、理工学部大学院まで出てからずっと大黒建設に居たようだ。


 仮に父・大吉の「犯罪」を知っていたとしても、8年前からずっと本州の本社、支社に勤務しており地理的にも事件に関わっていると考えるのは無理があるという流れがあった。東京の大黒建設本社に聞き込みに行くという選択肢もあったが、現状成果が期待できるほどではないので、課長としてもそこまでの結論は出しあぐねていた。そして、竹下達は勘付かれない程度に北見で今日も聞き込み中だったのだ。成果はほぼ期待薄であることを前提にして……。

「わかった。おまえの意見に従ってみるか……」

西田はそう言うと、重くはないが、実際の体重を見れば軽くもない腰をあげ、滝川署へと電話を掛けた。


 滝川署の地域課への電話口で、北条と言う住民の登録がないか聞いてみた。交番などが住民をチェックするときに住民台帳を作成しているからだ。北条という苗字が珍しいにせよ、さすがにすぐにはわからないという返答だったので、「何時でもどれだけ掛かっても構わないから、もし居れば、リストアップして連絡してくれ」と伝え、西田は再び新聞を読み始めた。


 同日、北見へ「遠征」していた竹下と黒須が戻ってきたのを迎えた上で、一言「お疲れさん」と労いの言葉を掛けた後、西田と吉村は課長に挨拶をして、本日は帰宅しようとした。すると突然電話が鳴った。大場が受話器を取るとすぐに、

「係長、滝川署の地域課の久松って人からですよ」

と告げた。当然「北条」の件だろう。西田は大場に保留させて、自分の机の受話器を取った。

「もしもし、電話替わりました」

「西田さん? 依頼されてた件ですが、見当たりませんね、残念ながら。管轄の新十津川(町)、浜益村(作者注・現・石狩市浜益区。2005年に石狩市に編入されたことにより、管轄署が当時の滝川署から札幌北署に変更されています)まで調べてみましたが、1件も見当たりませんでした。珍しい名字ですから、見落としてることはないと思いますよ」

「ああ、そうですか……。大変残念ですが仕方ないですね。お忙しいところすみませんでした。本当にどうも」

西田はそう言うと受話器を置いた。

「ダメでしたか?」

そう聞いてきた吉村に黙って頷いた。

「でもな、今しがた滝川署からの話を聞いていて思ったんだが、親戚が必ずしも滝川に住んでいるとは限らんのだよな。勿論北海道全部探すというのはかなり厳しいし、そこまでする必要はないだろうが、滝川周辺を管轄している砂川署や赤歌署、深川署ぐらいなら調べてもらっても、人口的にはなんとかなるような気がする」

「なるほど。さすがに札幌は勿論、旭川なんかだと担当所轄あっちが嫌がりますが、そこら辺の管轄人口なら、北条という苗字を探し出すのは、それほど極端に難しいわけじゃなさそうです。滝川でも1日で連絡くれたわけですから、滝川の周辺署にも聞いてみるというのは手ですね!」

「それはいいとして、今から頼むのは無理があるから、明日に回そうか」

西田は結果が出なかったものの、今日の「空振り」を前向きに捉えた。

そんな2人の会話を聞いていた沢井は、

「精が出るな」

と一言だけ言ったが、

「まあ実際に調べるのはあっちですから……。こっちは頼むだけですから」

と西田はそう冷めた言葉を口にすると、予定より遅れたが刑事課を吉村と後にした。


※※※※※※※


 9月29日金曜日、朝から西田と吉村は手分けして、砂川署と赤歌署、深川署に、「北条」姓の住民が居ないかの調査依頼をしていた。滝川署ではすんなり受諾してくれたので勘違いしていたが、やはり「面倒だ」という態度をあからさまにする職員が多く、「殺人捜査の一環」という説明を入れないと、なかなかOKを出してくれなかった。しかし、よくよく考えれば、他の所轄に数万レベルからのリストアップ作業を依頼されれば、珍しい名字が対象とは言え、心情的にやりたくないというのは当然でもあり、2人共文句を言える立場にはなかった。最終的に平身低頭で3所轄への依頼を「ねじ込んだ」。ただ、「しばらく掛かる」という返事から、まず滝川署のように当日中の連絡はないだろうとも確信していた。


※※※※※※※


 10月2日月曜、示し合わせたかのように、モノの見事に土日が開けてから、立て続けに調査結果が強行犯係に報告された。結論から言えば、唯一赤歌署から「北条姓を発見」との成果報告があった。赤歌署から連絡があったのは既に夕方だったため、西田はほぼ確実に在宅しているであろう夕飯時に、その「北条」家に確認の電話を掛けてみることにした。


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 赤歌署は、元々赤平警察署と歌志内警察署の2つあった所轄が、1976年に合併して誕生した警察署である。正確な理由はわからないが、おそらく産炭地の衰退による両市の人口減が影響したものだろう。そして歌志内市は人口が1万を割る全国で唯一の市である(これは1995年当時であり、2014年時点で4千人を割っているようである)。


※※※※※※※


 確認された北条姓は、赤平市に2世帯あり、そこに1994年時点の台帳で合計5名の住人が居るという報告を受けていた。西田は2世帯の内、単身世帯ではない、世帯主・「北条 一郎」の家に電話を掛けていた。


 電話に出た北条一郎は、赤歌署よりファックスで送られた台帳のコピーには当時47歳、現在なら48歳か誕生日によっては49歳になっているはずだが、声は大変若々しかった。一郎の世帯は、一郎の母(同姓のためそう考えられた)、妻と当時中学生だった1人の子供が居たという記録だった。西田はもう1世帯の「北条 ヨシ」が親戚かどうかまず確認してみた。もし親戚なら、場合によっては2度手間になるかもしれないからだ。

「北条ヨシは、自分にとっては叔母ちゃんになるんだよ。亡くなった父ちゃんの弟、これまた亡くなってるんだけど、その人の嫁さんですよ」

「なるほど、その件はよくわかりました。それでですね、はっきりしたことはわからないんですが……、昭和20年前後に滝川? に住んでいた北条正治という人、その人の兄は北条正人と言うんですが、その人達と親戚じゃないかと思って電話したんですが……」

西田の質問に、一郎は一瞬黙ったが、

「警察の人だよね? 何か問題でもあったのかい?」

と聞き返してきた。西田は慣れた口調で、

「いや、捜査の一環でお尋ねしているだけで、容疑者(一般人に判りやすいように被疑者とは敢えて言わなかった)とかそういうことじゃないんです。安心してください」

と告げた。

「それなら良かった。警察からだって言うからちょっとびっくりしてね……。なんかその2人、名前を死んだオヤジから聞いたことはあるんだが……。少なくとも正治さんという人には小さい頃に会ったことはあるらしいが、さっぱり記憶がねえんだよな。うちの母ちゃんに今聞いてみるからさ、ちょっと待っててよ」

そう言うと、受話器から保留中のメロディが流れた。そしてメロディが途切れるとほぼ同時に一郎が再び喋り出した。

「あ、待たせたね。今、事情話して母ちゃんと替わるんで、ちょっと耳が遠いから、割と大きめの声でゆっくり話してもらえたらありがたいんだけど、頼めるかい?」

そう一方的に頼んだ末にガチャガチャという音が聞こえた後、老人特有のしゃがれた声が聞こえてきた。

「もしもし……、お晩です、お電話替わりました」

「お晩です。遠軽警察署の西田と申します。よろしく」

北海道の中年以上に特有の夜間の挨拶である、「お晩です」に自然と合わせた西田だったが、まずは自己紹介をした。ただ、一郎に言われたのを忘れ、老人相手に話す意識はなかった。幸い相手は聞き取れたようで、

「お勤めお疲れ様です。梅子です」

と、ゆっくりではあるが、最初より力のある声で相手も自己紹介した。

「それでですね梅子さん。北条正人、正治という方についてご存知ないか、電話させてもらったんですよ。正人さんは既に亡くなっているようですが、正治さんについてはどうですか? 秋田に行ったところまでは掴んでるんですが、その後がわからないで困ってるんです」

「あー、はいはい、そういう話でしたー。正人さんと正治さんなら、亡くなった主人の従兄弟です。主人の父親の弟の息子兄弟でした。ただもうずっと会っていないんですよ……。2人の父親は炭鉱の爆発事故で亡くなって、母親も苦労した挙句、昭和15年……より前だったか、その頃に空知川で入水自殺したそうでねえ……。両親ともに遺体が出てこなかったから墓すらない。まあ墓を建てるお金も無かったかもしれない……。私が主人と一緒になる前の話だから、詳しくは知らないんだけれども……。2人も小さいころから相当困窮してたそうだけど、主人のウチも貧しくてあんまり助けてあげられなかったって……。もともと2人は隣の芦別(市)に住んでたんだけども、正人さんは(尋常)小学校出たら、しばらく父親同様、地元の炭鉱やらで働いてて……。だけどちょっと肺を石炭で悪くしてから、その後は道内の飯場を渡り歩いてたという話です。正治さんは身体が正人さんより弱かったので、小学校出たら滝川の商店で奉公してたみたいですよ。地元に居た正治さんは、主人と私の祝言に出てくれました。その後は正人さんが赤紙で召集されて戦死して、弟さんも召集されたけれども何とか生き残ってねえ……。戦後しばらく経ってから秋田に行って、水産加工の会社に勤めた後、色々あって今は東京に独りで住んでるって……。秋田に出て行った後はこっちには一度来たきりで、年数だけが過ぎました。ただ年賀状だけはずっとやりとりしてるんです」

西田はそれを聞き終えると、吉村に見えるように指でOKサインを作って見せた。吉村もそれを見てニンマリとした。

「大変失礼なんですが、正人さんの詳しい住所わかりますか? 是非連絡したいんですよ。聞きたいことがあるもので」

今度は、梅子にはっきりと伝わるように西田は喋ったが、横に居た吉村は事情を聞いてはいなかったものの、その様子から把握したようで、自分の耳を指さし、相手の耳が遠いのかジェスチャーで聞いてきた。西田は無視するのも悪いので適当に頷いて返答とした。それよりも梅子の回答が重要だ。

「えーっと、年賀状があったはずだったけども……。ちょっと待ってくださいね」

そう言うと、保留のメロディが再び流れた。西田はその隙に吉村に、

「北条兄弟の従兄弟だった人の奥さんと話してる。耳が遠いみたいだが、「ここ」は大丈夫みたいで、今やり取りしてる年賀状を探してくれてる。結婚していたはずだが、今は東京で一人暮らしみたいだ」

と、「ここ」と言う時に自分の頭を指さしながら小声で教えた。

「あれ、結婚してたんじゃなかったっけ?」

吉村は呟いたが、

「年齢的に死別していても不思議はないからな」

と西田は言うにとどめた。


 5分程経過した時点で、一郎が、

「母ちゃんまだ探してるけど、もうちょっと掛かりそうなんで掛け直した方がいいかな?

と提案してくれたので、西田はそれに甘えることにした。電話番号を教え、1時間程度は待つと伝えた。


 折り返しの電話を待つ間、吉村と西田は北条姓での「探索」が成功したことについて話し合っていた。

「やっぱり珍しい名字ってのは効きますね。大した人口がないと言っても、各署とも数万人は抱えてるんですから。そこからピックアップ出来たのは、珍名サマサマってところでしょ」

「ただなあ、さすがに滝川というキーワード地名があったから絞込が可能だったってのは忘れちゃいかん。これが単に道内ぐらいの「幅」だったとすれば、札幌、旭川、函館、帯広、釧路、小樽、そして北見なんかも含めるとなると、やっぱり無理だっただろ?」

西田は浮かれ気味の吉村をたしなめた。

「それもそうでした。でもよく考えたら、手紙と証文に一緒に出て来た『免出』ってのも北条以上に相当珍しい苗字ですよねえ。一緒に埋められていた高村はともかく、免出の親族やその遺児とやらを探し出すのも、道内縛りで本気でやろうと思ったらやれるんですかねえ……」

吉村は証文を、資料を収めたキャビネットから取り出すと、机の上にやや乱暴に置いた。


「佐田の息子が言ってたように、免出ってのは、確かに広島には多く見られる苗字のようだ。勿論多いって言っても、あくまで広島周辺に多いってだけの話で絶対的少数なことには変わりない。遠山部長に頼んでおいた行方不明者捜索願いからは、道内は勿論、広島県警にも該当者はなしだったのが残念だ。いや、仮に出ていたとしても、戦前のモノじゃ抹消されちまってる可能性もあるからな……。結局、免出が広島辺りからの開拓者の子孫で、こっちで産まれた道産子だったのか、それとも本人の代で流れ流れて生田原まで行ったのかはわからんがね。元が流れ者だったとすると、かなり厳しいだろう。まして私生児だという免出の子供とその母親は、間違いなく姓すら違うだろうからなあ……」

西田はそう言うとタバコに火を付けた。吉村は西田がタバコの煙を最初に吐くのを確認したかのように、

「それにしても、伊坂と桑野は仙崎の遺した金を得たのか得なかったのか、はたまた最初から無かったのかはわかりませんが、もし探し出していたとすれば、相続するはずだった、北条正治と免出の子供は可哀想ですよ。ネコババされたようなもんです」

と怒ってみせた。

「そこはどうだろうなあ。でも伊坂は戦後事業を立ち上げて、それが今はデカイ建設会社だ。桑野はわからんとしても、少なくとも伊坂については、創業資金に充てていたとしても不思議はない。そうだとすれば、おまえの言う通り気の毒だな」

そう言うと、西田も佐田徹が遺した証文を机から取り上げて、ただじっくりと見つめていた。


 それからは課長や夜勤の小村、澤田、大場とたわいもない話をしていたが、北見に出て伊坂の周辺調査をしていた竹下と黒須は、まだ戻ってきていなかった。そろそろ電話を切ってから1時間経とうかという時に、やっと待ちわびた電話が鳴った。時計は午後8時を回っていた。

「遅れて申し訳ない。母ちゃんが本来あるところじゃないところに仕舞っちゃってて。見たところ、東京の板橋区のオオヤマでいいのかな、大きな山で大山町○○○○大山栄荘204号室って住所になってる」

西田はそれをすぐに復唱しながらメモした。

「ついでと言ってはなんですが、電話番号か何かはわかりますか?」

「いやあ、年賀状のやり取りだけだね。住所だけしかわからないよ」

「そうですか。いや、それだけでも十分です。本当に夕飯時に色々迷惑かけちゃって」

「なんもなんも。夕飯なら食べた後だったから、丁度良い腹ごなしになったぐらいですよ」


 如何にも田舎の実直だが飾り気の一切なさそうな一家との会話を終えた西田に、やり取りを聞いていた沢井課長は、

「北条正治は東京に居るのか……。伊坂政光が東京時代に何か事件と関わったかどうかの捜査も出来るならやっておきたいと思ってた。政光、正治、どちらも何か決定的なモノが得られるとは思えないが、調べられる範囲のことは、やっておいてもいいかもしれない。どうだ、予算もまだあるし、両方を調べに東京で聞いてみるという手は? 北条正治が何か当時のことで知っているかもしれないし、何も出てこなかったとしても、佐田譲の話と正治の話で整合性が出てくれば、事件の背後関係についての信憑性も高くなる。立件の可否についてはともかく、事件の概要をあぶり出すには、行ってみる価値はあるんじゃないか?」

と提案した。その場に居た部下全員が、

「おお、東京か!」

と言う、オーバーに言えば歓声に近い反応を示した。


「取り敢えず、俺の中じゃ西田か竹下のどちらかの組を派遣しようと思ってる。竹下が戻ってきたら決めよう」

それを聞いた小村は、

「東京かあ、係長と主任が羨ましいっすよ」

と半分冗談で恨めしそうに言ったが、遊びに行くわけではないので、実際に行くことになるかもしれない側としては余り気楽な立場ではなかった。ただ、横の吉村は屈託のない笑顔だったので、こいつはいつも通りだなと西田はある意味感心していた。


 竹下と黒須が戻ってきたのは午後9時過ぎだった。課長から状況を説明された竹下は、ちょっと考え込んだ後、

「係長としてはどうですか? 確かに伊坂政光は今自分達が追ってますけど、そっちの昔の話についてきちんと捜査に携わって把握してるのは係長の方ですからね。政光の話は、極端なことを言えば、背景がそれほど複雑じゃないですし。逆に北条の件については複雑ですから、やっぱり係長が行ってきた方がいいと思いますよ」

と私見を述べた。

「確かに手紙と証文は色々複雑ではあるが、札幌に出張したのも俺達だから、今度は竹下達でもいいんじゃないか? 話についてはそっちも十分把握は出来てるだろ」

と西田は言ってみた。地元ばかりの捜査では面白くないだろうという西田の配慮でもあった。

「じゃあ、こうしよう。恨みっこなしのじゃんけんだ!」

沢井は2人共に譲り合っているのを見ると、極々単純明快な解決方法を提示した。勝った方が東京へ行くということである。両者共にそれで納得すると、

「最初はグー、じゃんけんぽん!」

と定番のじゃんけんスタイルで勝負した。西田がパー、竹下がグー。一発で勝負は決まった。

「よし、決まったか! それじゃ西田と吉村、東京へ行ってきてくれ。明日という訳にはいかないだろうから、準備完了次第だ。明後日には可能だろう。政光が勤めていた大黒建設はアポ取れると思うが、北条については、住所所轄の警察に電話番号知ってるか聞いてみた方がいいかもしれんぞ!」

「そうですね。そうして置いた方が良さそうです」

西田は課長のアドバイスに従うことにした。


 その時、突然竹下が思い出したかのように、

「そうだ、忘れてました。今日、北見市役所の食堂で公共事業関係の市職員に聞いたんですが、伊坂組の40周年で出した社史に、伊坂大吉が太助から大吉に改名したという話があったと聞いて、図書館で確認したんですが確かにありました。係長の言うように、『財界北海道』の記事の写真を見て、佐田実が太助と大吉を同一人物かと疑ったとすれば、それが確信に変わるのは、社史でもわかるようにそれほど難しくなかったと思いますね」

と、沢井と西田に報告した。

「おお、それは良い話だな! うん。やっぱり佐田は伊坂太助と大吉は同一人物だと確信出来たと思う」

西田は自分の説に自信を深めた。


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