第211話 名実120 (288~290 大島の突然の心境変化)

「そもそも、共立病院銃撃事件で、既にあなたは3名の殺害を指示したとして、先日起訴されています。この件で有罪になれば、年齢を考慮して実際に執行されるかは別としても、死刑判決を受けることはまず間違いない。ですから、佐田実殺害についてどうこう言っても、もはやあなたにとっては、大差などないということです」

西田はそう続けて言うと、大島の様子を観察したが、目を伏せたまま、敢えてか、はたまた無意識か、目に付く反応は示さなかった。内心やっかいだなと思いつつも、犯罪者が素直に認めるケースの方が少なく、こちらが先に音を上げる訳にはいかないので、一方的に押し続けるしかない。


「小野寺さん! 87年の佐田実殺害からこれまで、一体何人が不幸な最期を遂げたかよく考えてください! あなたの保身が、このような国会議員が殺人に絡むという前代未聞の事件を引き起こしたんですよ! あなたは一国民ではなく、権力者の側なんです。この事件について責任を負うことは勿論、説明する責任も普通の犯罪者以上に負っているはず。男なら潔く自分の罪を認め、真相解明に協力しようとするべきじゃないですか? 有名政治家としての矜持は、あなたにはないんですか?」

相手のプライドを刺激するような言葉を並べ立てても、何か言うでもなく、やや荒い呼吸の音だけが相手から感じられた。


 ただ、目に見える兆候がはっきりと捉えられないとしても、大島海路こと小野寺道利が、何の良心の呵責の欠片もない、生まれながらの悪人だったということもまた、西田や吉村も考えていなかったのは事実だった。と言うより、生まれながらの悪人は当然存在はしているのだが、思っている程……、否むしろ言われている程多くもないのが現実だった。無論、そこら中に居る「普通」の人々とは、やはり違う背景を背負っている人間が、犯罪者には圧倒的に多いという違いはあるが……。


 大島が明らかに過った道を歩んだ根本には、何と言っても、まず伊坂大吉による当選直前の脅迫があったはずだ。そして登りつめた後に、今度は佐田の伊坂に対する脅迫を利用した、再度の伊坂の奸計かんけいが一連の悲劇を呼んだのも確かだろう。


 一方それに対して、その程度の脅迫で殺人が肯定される訳がないという意見は、余りにも正論だろう。しかしながら一般的に見て、いわゆる「まとも」な部類の人間でも、ちょっとしたことから道を踏み外すことは、刑事の経験からそうあり得ないことではないとよくわかっていた。転落しはじめると、案外止められないものだ。こればかりは、当事者になってみないとわからないこともある。


 そんなこんなで、刑事2人が交互に責め立てるも時間だけが経過していき、午前と昼食を挟んだ午後も、何の成果も得られず終わろうとしていた。そして、西田は時計を確認すると、最後の手段とばかりにビニール袋に入ったある物を、老獪な有力者の前に置いた。


「これに見憶えがありませんか? 小野寺さん」

腕組みしながら目を閉じていた大島は、その声を聞いて、片目を薄っすらと開けた後、物体を視認して更にもう片方も開けた。そしてビニール袋を見やり、老眼のせいか少し顔を遠ざけた後、突然逆に顔を近づけてビニール袋を手に取ると、叫ぶように問い質す。


「君らはこれを一体どこで手に入れたんだ!」

思っていたよりも激しい反応に、西田と吉村の方がむしろ驚いたが、すぐに冷静さを取り戻し……、というよりは、その反応の理由を探るべく、

「東京都議を長年務めた、小柴さんという方をあなたはご存知ですね?」

と、吉村がすかさず確認した。


「勿論だ君! ということは、……これは小柴さんが持っていたのか?」

相変わらず興奮気味の大島に、

「その通り。と言っても今から7年前の、それこそ北見共立病院の事件が起きてから、1ヶ月もしない後に我々に送られて来たモノです」

と西田が告げた。

「そうか……。小柴さんが持っていたのか……」

大島はそう言うと、さっきまでの興奮が急激に収まり、押し黙ったままだった。


※※※※※※※


 西田が北見方面本部から送付してもらったのは、95年の11月末に小柴から送られてきた、例の端布はぎれだった。それは、小野寺の義母である多田桜により、死の前に小柴に託されており、その際、「義理の息子が道を過ったら、これを渡せ」というようなことが伝えられていたと、同封されていた小柴からの手紙には記されていた。西田はこの経緯を、何とか利用出来ないかと考えた末に、今、大島の目の前に置いたのだ。


 端布は血で染まっており、藍色の下地に白く染め抜かれた三角形の小さな模様が幾つも並んでいるもので、西田の推測では、湧別機雷事故の際に桑野欣也が身に付けていた服の一部ではないかと見ていた。大島こと小野寺が、湧別のポント浜で爆死した従兄弟の形見として、東京まで持って行ったものではないかとも考えていたのだが、それが小柴に託された流れについてはともかく、何故それまで桜が持っていたかについては、未だ謎ではあった。


 当然、今回の竹下が大阪で確保した証拠の数々が、それなりに大島を落とす切っ掛けになってくれることを期待していたが、大島の関与を決定付けるには、会話に伝聞として大島が出て来るだけというのは弱い。事実、大島もそれを以て抵抗していた。そこで、用意していた端布をここで見せたのだった。ただ単に「情に訴える」だけでは、勝ち目はないと思ってはいたが、藁にもすがる思いで敢えて切った手札だった。


 しかし、それ以降の大島は沈黙したまま、西田達の問い掛けにまともに反応することもなく、その日の取り調べは空振りに終わった。


※※※※※※※


「やっぱり、あれで落ちる程、甘くはなかったですね……」

札幌拘置支所から道警本部へと移動している車中で、運転中の吉村は如何にも「困ったな」という顔付きのまま、西田に喋りかけた様な、或いは独り言の様な、判断が付きづらい言葉を吐いた。


「ちょっと心が動いたのは間違いないと思うが、やはり、今更あんなもんを見せられても、どうにかなる程じゃなかったってことなのは事実だろう……。俺も一縷の望みに賭けたが、そうは問屋が卸してくれなかったってこった」

西田も、ほぼ諦めたていで答えた。


「まあこっちとしても、最悪のケース、北見駅での報酬受け渡しに絡んで、殺人幇助の教唆で何とか対処するんでしょうが、殺人の共同正犯で行けないとすれば、やっぱり明子さんにも申し訳ないですよ」

吉村は、佐田実の未亡人の名前を挙げて残念そうだった。


 吉村は、明子に懐いていると言えば、当時から大の大人だった彼に失礼だとしても、それに近い感情を抱いていた様子が窺えたので、そういう思いを西田以上に強く持っていて不思議はなかった。そもそも西田も吉村と同様に、佐田の遺族に申し訳がないという思いで一杯だったのだ。


「時間と死者の壁があった以上、ここまで来れただけでも御の字なのかもしれん……。瀧川を挙げられそうなだけでも、満足しとかなきゃならん」

西田は、そう自分に言い聞かせる様に言うと、唇を噛み締めながら助手席で目を閉じた。


※※※※※※※


 翌日、10月10日木曜。予定通り、葵一家の長である瀧川皇介の、本橋が絡んだ最初の殺人絡みでの逮捕が、大阪府警組対部を中心に行われた。当然、連絡を受けた諸マスコミが、しっかりとカメラに収める中での逮捕劇だったが、さすがにヤクザ界のドンの逮捕となると、子分連中と組対中心とした警察の間で小競り合いがあり、公務執行妨害で20名以上が逮捕されるという混乱があった。


 とは言え瀧川本人は、一応は悠然とした体を装い、警察のワンボックスカーへと乗り込んで、府警本部の留置場へと連行されていった。西田と吉村も、北の地でテレビ映像を見つつ、これから先のことに考えを向けていた。


 そして10月11日金曜には、大島海路こと小野寺道利……、否、正確に言えば、逮捕状の名前は「田所靖」名だったが、奴が佐田実に対する殺人容疑で再逮捕された。


※※※※※※※


 10月12日土曜の午前10時過ぎ、午後からの遅番に備えて自宅に居た西田に、突如札幌拘置所に朝から居た日下から連絡が入った。大島海路が、西田と吉村に条件付きで話したいことがあるというのだ。当然ながら取るものも取り敢えず、すぐに札幌拘置所へと自分の車で向かった。


 30分程度で拘置所に到着し、階段を駆け上がりながら取調室へと急いでいると、すれ違った道警本部の捜査一課の広瀬という刑事が、

「吉村さんが、もうスタンバってます」

と、向こうから話し掛けてきた。西田はついでに、

「大島は?」

と、息を切らしながら尋ねると、

「一度自分の房に戻ってるはずです」

と答えたので、そこで急ぐのを止め、ゆっくりと取調室へと向かった。


 取調室に入る前、先に裏の控え室へ行き、既に来ていた道警本部・捜査一課長の馬場に挨拶すると、

「何か知らんが、わざわざ2人をご指名だ。一体何を条件にして、何をゲロしてくれるやら」

と、それほど期待しているような節は見せなかった。横目にした、マジックミラー越しの後ろ姿の吉村だが、それだけでも、何となく落ち着きがないのは見て取れた。


「しかし、わざわざ呼び出すんですから、自供に近いものはあるんじゃないですか?」

そう言ってみせた西田に、

「まあ、仮にそうだとしても、やっぱり条件だよ条件! 面倒なもんじゃないと良いが」

と、何度も言わせるなとばかりに、馬場は少々不機嫌な口ぶりだった。


 取調室の方へと入ると、吉村が待ってましたとばかりに立ち上がって、

「課長補佐、遅かったじゃないですか!」

と、少し不機嫌そうな表情を浮かべた。

「悪い悪い! それと、今後ろで馬場さんと話してたもんだから」

そう言い訳したものの、

「まあいいですけど……。大島の奴、何を話すつもりなんですかね? 事件について喋ってくれるんでしょうか?」

と、こちらもさっきと同じような話になった。

「こればっかりは、大島が来て話してみないとわからんわ」

一歩間違えれば、投げやりと捉えられかねない言い方になったので、慌てて、

「とにかく、何か重要なことだとは思うぞ」

と、西田は言い直した。


 すると、数分もしない内に、刑務官に連れられて大島が取調室へと入ってきた。そして、椅子に座る前に、

「わざわざ呼び出して申し訳なかったな」と、思いもせず、いきなり詫びて来たので、

「重要な話をしてくれるということだったので、こっちとしても願ったり叶ったりですよ」

と、西田は急ごしらえ的な挨拶で応じた。


 老議員は徐に椅子に座り、

「さて、こっちが話すのに条件を付けたことは、既に君らは聞いているかね?」

そう確認してきたので、西田も吉村も黙って頷くと、

「で、その条件とは」

と、そのまま西田は尋ねた。

「その条件とは……」

大島自身がそう繰り返し、数秒固まったように見えたが、

「私の政治家としての最後の遺言を、どうしても君らに聞いてもらいたい」

と、やけに口を早く動かした。


「政治家としての遺言?」

思わぬ言葉に、2人は思わず顔を見合わせたが、

「その通りだ。私が政治家・大島海路としては最後に語る、言わば政治的遺言を、是非聞いてもらいたい」

と念を押す様に喋った。


「要は、小野寺さん! 受け入れるべき条件とは、あなたの言いたいことを、こっちが黙って聞くだけで良いってことですか?」

吉村が発言の中身について確認すると、

「ああ、簡単に言えば、そう思ってもらって構わない」

と、少し口元を緩めた


「しかし、何故我々にそれを話そうとするのか、よくわからないんですがねえ……」

西田が改めてそう問う。確かに、全てを打ち明ける条件として、政治について刑事に語るメリットはよくわからない。

「まず、私の言葉は……。残念だがもう既に、政治家の言葉としての力は、一般社会相手には無いということだ。つまり、誰もが聞く耳を持たなくなってしまった現実がある。そして私の人生について、これまでの捜査で、ある意味、私の家族よりも深く知っているだろう君らにこそ、私の政治家としての思いを最後に伝えておきたい、そういうことだな。それに、私の人生について追ってきたのならば、おそらくは私の発言の真意を、他の人間より理解してくれるかもしれない、そんな淡い期待があるからだ。そして今日は、更に詳しくそれについて話すことになるだろうから、より理解しやすいとも思う。とにかく今の私は、誰かにこの思いの丈を伝えずには居られんのだ! だからそれを聞いてもらいたい。そりゃ思う所はあるだろうが、それでも構わない」

大島はその理由を、少々難解な言い回しで解説してみせた。


「なるほど。何となくは理解出来ました……。その程度なら喜んで。で、それと引き換えに、あなたが今日我々に話してくれることとは?」

西田は、説明を受けたものの、正直なところ、「何を言ってるんだ、こいつは?」と強く感じていたが、お首にも出さずに、まずは最大目的を優先させた。大島はそれに対し、

「君らが追っている事件の全てを話そう」

ときっぱりと言った。


 言うまでも無く、そのような可能性についても既に考慮していたが、こうあっさりと告げられると、2人は思わず息を呑んだ。そう簡単に行く訳がないという思いは、やはりある程度持っていたので、それがいきなり良い意味で裏切られたからだ。

「ちょ、ちょっと待って下さいよ! 小野寺さん! それは佐田実殺害、北見共立病院事件、どちらについてもですか?」

西田が慌てたように聞くと、

「ああ。両方共に洗いざらい正直に話させてもらおう」

と、刑事2人より、むしろ落ち着いたままでそう言った。


「それはそうと、ところで、何でそういう心境に?」

西田が言うべきことを代弁するように、横の吉村が意外と冷静に尋ねると、

「今更黙秘したところで、結果に大した違いもなさそうだと言うのは、弁護士は『希望を捨てるな』とは言っていたが、接見でも何となく伝わってきた。そして何より、君らに見せられたあの布だ。最後の決め手になったのはな……。あれが自分の背中を最後にトンと押したんだ」

と返した。


 西田が敢えて賭けに出た、あの端布を大島に見せたことは、こちらが思っているよりはるかに、相手の心理に影響していたようだ。

「そうですか……。ちょっと待っていてください」

西田はそう言うと1人取調室を出て、取調室がマジックミラーで丸見えになっている、後ろの控室へと回った。


 待ち構えていた馬場は、さすがに驚いた様子で、

「おいおい、お手柄だな! まさか、あっちから全部ゲロってくれることになりそうだとはな!」

と、かなり興奮気味に西田に話し掛けてきたが、

「すみません。かなり話が長くなると思います。今日は供述という形ではなく、あくまで、これまでの事件の流れを一通り、奴に喋ってもらうという形にしても良いでしょうか?」

と許可を求めた。


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