第199話 名実108 (256~257 本橋の犯行ノート6)
「いやあ、そうじゃなくて、本橋さんから見て、何となく『オモロイ連中や』と思われただけじゃないかと思いますよ」
竹下は、2人の言動を、ある意味確証を持って、内心はかなり真に受けていたが、敢えて謙遜も込めてそう返していた。
但し、事実問題としてはだが、
しかし、本橋が危惧していた様に、一部に「つながっている」刑事や警官がいるだけで、本橋にとってみれば、全体が信用ならんという形になっても、決しておかしくはなかったこともまた確かだった。それに、その点については、当時接した、大阪府警の捜査一課長・平松も、濁してはいたが、自身で言及していた部分でもあった。
そのような意味で、「北の外れ」からやってきた、手垢の付いていない竹下達への期待が、本橋の心中で新たに生じ、しかも本橋の行動や言動に違和感を覚えていて、強く追及したからこそ、そこにある種の「信頼性」を、逆に本橋が感じ取っていた可能性は十分にあったはずだ。しかしながら一方で、それだけが理由で、西田や竹下に、後年の捜査を託したわけではないとも感じていた。
「いやいや、絶対にそうや」
久保山は、竹下の発言に対して頭を2、3度横に振った上で、更に自分の意見を肯定する為かの様に縦に振りながら断言すると、再び肝吸いを
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竹下は、うな重を一部残して、時間を置かずに、再び他のその後の事件について書かれた日記代わりのノートの内容を確認し、テープの会話を聴いてそれを裏付けていった。
言うまでも無く、その都度2人にも、日記の内容は確認させていた。一連の事件では、それまで同様、瀧川から本橋へ依頼が行き、骨董店での手付金や成功報酬の受け渡しを行っていたようだった。
平成元(1989)年の、東京にあった有限会社・東央サービス事務所内で起こした、社長・
平成2年の、大阪・箕面での殺人は、京阪興業銀行の当時の専務である、佐藤という男からの依頼だったという。京阪興業銀行と言えば、葵一家と揉めた際に、箱崎を介して、むしろ結託してバブルの地上げで暗躍したという銀行で、95年当時の大阪府警・捜査四課の課長であった吉瀬から、竹下も色々と聴いてはいた。
そのコネを利用して、会社員の佐々木孝雄と文枝の夫婦を殺害した模様だった。ただ、佐藤の動機が何だったかについては、瀧川も電話では全く語っておらず、本橋も聞く素振りもなく、ノートにも当然その点については無記載だった。とは言え、無関係の人間を頼まれて殺す以上、もはや依頼者の動機など、本質的に無意味だったというのは、第三者視点でもある意味理解出来なくはなかった。
そして、最後の、神戸で老人を殺害したという事件から、本橋の態度や心境に、それまでと違う何かが、明らかに読み取れ始めていた。否、正確に言えば、それなりの葛藤は常に感じられていたのだが、この殺人からそれが露骨になったと言うべきかもしれない。
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H3.2.25
久しぶりに親父から電話があった。案の定また殺しの話らしい。今度は、葵自体も絡んどる案件。
正直な話、自分が何の恨みもない人間を、このまま殺し続ける羽目になるかと思う度、最近急激にうんざりしてきとる。この感情が、今になってはっきりと出て来たことが、遅すぎると言えば遅すぎるにせよ……。最近は夜中にうなされて、目が覚めることも多い。
さすがに、直接文句を親父に言うわけにもいかんから、どうにかして依頼を断ろうとしたが、まあそこは、元々押しの強い親父のこと、結局押し切られた。組への復帰まで持ち出してきたところを見ると、それをエサに、まだまだ付き合わされそうや……。やはり、打ち止めにする方策を考えんとアカンやろ。
相手は、神戸の元会社役員の爺さんということで、老い先短いというのが、多少気を楽にはさせたが、殺すことに変わりはない。
何でも、その爺さんが、直接は隠居しているように見せて、実際には、まだ経営に深く関係してる会社の取引先と、葵が関係してる会社の取引先が、バッティングしてるらしい。対立構造は表立っては居ないが、爺さんが居なくなれば、その会社は引くだろうということで、始末したいようや。まあ、相手がどんな奴であれ、非道をやり続けてきた以上、こっちは、最後はロクな死に方はせんやろうな……。
H3.2.28
取り敢えず、いつもの方法で手付の100万を受け取り、相手の様子を探ることを始めた。家政婦のババアがいるようで、そいつを巻き込まないようにする必要あり。
H3.3.12
相手の生活パターンがかなり読みづらい。2週間観察しているが、普段はゴルフやら酒飲みやら、悠々自適で、落ち着いた隠居というより、外ばかり出掛けて、掴みどころがない。
実行までは相当時間を掛けないと、失敗する恐れありや。幸いなことに、自宅前の道路は、人通りも車の通りも少なく、目の前の家からは生け垣で見えづらい。そういう障害はほぼないはず。家政婦は通って来ているもんの、基本的には1人暮らしなので、その点も助かるわ。
H3.3.19
親父から、何時になったらやるんやと催促の電話があったが、状況を説明して突っぱねる。やや険悪な形になるが、最後は親父が折れる。当然の話や。殺るのはこっち。こっちのペースも主張せな。
H3.3.25
未だパターンが読みきれないが、金曜日の夜は割と早く帰宅することが多いか。家政婦も、金曜4回のうち3回来ておらず、日曜も休みらしい。
平日なら、金曜は来ない可能性が高いということか。日曜は、肝心の爺さんが出歩いたり出歩かなかったりで、しかも帰宅時間もはっきりしないことが多く、金曜より読みづらい。狙うなら金曜日の夜か。とは言え、まだ確証はない。
H3.4.1
エイプリルフール。これまでのことが全部ウソなら良かったもんの、これが現実。色々考えたが、やはり、今回が最後にすべきと言う結論。
一応は、組に与えた損害へのケジメも、これまでのことで、十分付けたと言えるやろう。とは言え、まともに断れば、組に残してもらった子分共の待遇にも差し障るやろうし、その辺は困ったもんや。
言うまでもなく、自首などは、親父とのことをうたわんとしても、ほぼ裏切り同然なのは自明。組に残した連中のこともあるが、さすがにその汚名を己から着るわけにもいかん。どうやってこれを最後にするかは思案のしどころ。
H3.4.6
前日の金曜は家政婦が来ており、まだはっきりせん。ただ、先月の月初めの金曜も来ていたことを考えると、金曜でも、月初めだけ来ているのかもしれん。
H3.4.15
また、親父から催促の電話がかかってきたので、状況を説明する。少なくとも、今月の末までには何とかしろやと言われる。先週は予想通り金曜は来ておらず、やるなら、19か26のどちらかということになるか。
いずれにせよ、この後は、警察にわざとパクられた上で、犯ったことは否認しつつ、しっかりと立件されるのが、現状ではベストなケジメの付け方という結論に達する。おそらく死刑は免れんやろうが、やらかしたことへのケジメは付けんとならん……。
さすがの親父も、こっちが失敗してパクられ、否認し続けるという形なら、裏切りでもなく、諦めざるを得んはずや。
それにしても、まさかこういう形で人生の終幕を迎えるとは……。組長のポストが目の前にあっただけに、デカイ取引を焦り過ぎたわな。焦る乞食は貰いが少ないとはよく言ったもんや……。そのツケが、自分は勿論、公夫(黒田)達を大きく裏切ることになってしもうた。
H3.4.19
車を遠くに停めて、100m離れたコンビニからチェックするが、家政婦が来ている様子はなかったので、爺さんの帰宅を待つ。帰宅してから1時間程で、車を家の前に乗り付け、宅配業者を装いドアを開けさせ、すぐに2発ぶち込んだ。
すぐに、その場から逃げ出すことに成功。見られても居ないやろ。そのまま帰宅して、自ら親父に成功を報告。そのうちニュースになるやろうと伝えた。親父からは労われ、いつものように報酬を用意しておくとのことだったが、今回はそれを受け取ることはない。
H3.4.20
これまでの会話を録音したテープや、このノートを入れるための骨壷を購入。これを明日、日向子の墓にまるごと入れておく。残念やが、最後の墓参りにもなるやろうな……。とは言え、自分で撒いた種と思えば仕方ない。
※※※※※※※
竹下は、日記代わりのノートの該当箇所を、2人にも順に読ませながら、本橋の心境の変化について、思いを巡らせていた。
それまでは、組長への若い頃からの恩義や、破門の原因にもなった、シャブ取引の失敗に対するケジメ、組に残した子分のことなど、色々抱えていたこともあって、義務感で、あからさまに感情を持つこともなく、連続で殺しに手を染めていたが、さすがに時間の経過と共に、そのヤクザの論理よりも、本来の良心が一気に表に出て来たということなのだろう。
ただ、だとするなら、余りにも遅く、そしてその直後にも、最後の殺人に手を染めているのだから、到底許される訳でもない。しかし、本橋はその代償として、全て自分で背負い、死を以て償うことも、既に覚悟していたのは間違いの無いことだった。
また、墓の中にあった久保山に宛てた手紙で、「万が一」とかなり限定していたのは、元々、余程のことが無い限り、これらを使って事件の真相を暴露するつもりが無かっただけではなく、本来これらの証拠物件の「埋葬」の主目的が、別にあった為ではないかと竹下なりに、この部分を読む前から推測していた。そして、今読んで、その推測が確信へと変わっていた。
一方の久保山は、ノートを見終わった後も、表情はともかく、態度そのものには出すことはなかったが、黒田はかなり腹立たしかったようで、文章を読みながら、溜息とも唸りとも付かない声を発していた。そして、読み終わると、
「ホンマにアイツはアホや! というより馬鹿や!」
と忌々しそうに、事務所に響き渡る声で言い放った。
旧知の親友が、最悪の悪事を本格的に後悔するまでに時間が掛かった上、遅すぎる後悔の後にも、更に1人殺めていることに、純粋に憤りを感じていたが故だろう。日向子の墓の前で、久保山宛の手紙を読んだ際にも、怒りに任せて地面を蹴り飛ばしていたことを、竹下は思い返していた。昔の本橋を知っているからこそ、尚更苛立ちが増すというのはよく理解出来る。
それまで黙っていた久保山だったが、この発言を聞いて、
「黒田はん……。お気持ちは察しますが、さっきもワシが言ったように、極道の世界は、個人の道徳やら良識やらでは動いとらんのですわ……。そういう感覚の麻痺は、兄貴個人の責任とは別の問題になりますよって」
と、宥めるように語り掛けた。
「せやけど、あんたは、実際に相手を殺しかけて、最後は止めたんやろ? それが死んだ
黒田は、久保山が、ヒットマンとして事に及んだが、最後は殺人ではなく、殺人未遂で踏み止まったことを前提に、ヤクザの論理は言い訳にならないと反論したのだろう。それを聞いた久保山は、さすがに言い返せなかったか、一瞬返事を躊躇した。しかし、
「それは……、兄貴がヤクザとしては上だったっちゅうことやと……」
と、やっとの思いで答えようとしたが、言い終わる前に、
「そないなもんは、微塵も立派なんてもんやない!」
そう言い切って、その屁理屈を黒田はピシャっと拒絶してみせた。
本橋と黒田は、本橋がヤクザになった後も、良く言えば旧交を温める、悪く言えばズルズルと腐れ縁を続ける関係だった。本橋側から見たその
同時に、黒田の優しいながらも一本気な性格に、本橋が密かに、人として惚れ込んでいた部分もあったのかもしれないと、これまでの黒田の言動を通じて、竹下は感じ始めていた。
しかし自身は、本橋を見出し重用していたという、瀧川に対する恩義や、シャブ取引失敗の借りを返そうとして、人としての道の最後のラインを踏み越えてしまった。その一方で、最後のケジメも、その責任は自分で被ろうとするようなタイプでもあった。
そういう妙に義理堅い気質が、良い面で発揮されたのが、敢えて自分のヤクザとしての振る舞いを、会う時だけは完全に変えてまで維持しようとした、黒田との昔からの友情関係ではなかったか、そんな気もしていた。
それにしても、本橋がこのような形で、委託殺人の真相を明かす気になったのも、本橋が、何もかも1人で背負って死に行く覚悟を決めていたにも拘わらず、その悲壮な覚悟に対し、瀧川自らが「発覚させるな」と指示していた、佐田実の殺害についてまで、都合良く更に全て負わせようとしたからだったはずだ。そして、それを本橋自身の「忠義」或いは「献身」への重大な裏切りと捉え、「復讐」として結実しているのが、今、自分達が直接目に、耳にしていることだったと、竹下は確信していた。
更に、「あの時」は、表向き、瀧川達の意向に沿うような振りをしつつ、自分が死んで全て問題なくなったはずが、時効間際になってから全部ぶち撒けられるというのは、確かに復讐の方法としては最上級のやり口の1つと言えるだろう。そしてこれらことは、久保山も黒田も全く知らないはずだ。あくまで、一連の事件全体を指示して、本橋に対し、人殺しをさせたこと自体への復讐と捉えているに違いない。
「まあ、言い争わずに、会話を聞いてみましょう」
竹下は黒田からノートを受け取り、テーブルに置くと、場をとりなすようにそう言って、再生ボタンを押した。
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