第163話 名実72 (164~165 政光証言2)

「松島殺害の細かい計画については、事前に聞かされてたのか?」

西田が確認すると、

「俺は直接的に協力するつもりはなかった。佐田の事件について、警察にバラしかねない松島を始末しようって計画があると聞いて、基本的に中川の指示に従うように、あくまで坂本と板垣の2人に言い渡しただけだ。ただ、実行が具体的に決定された時は、俺にも連絡が来たし、2人からも話を聞いていた。だから、完全に無関係ではないが、実態としては、中川から聞いただけと言っていいんじゃないか?」

と答えた。この点は確かに板垣の証言とほぼ一致していた。

「実行犯については、何か聞いてたか?」

続いて吉村に聴かれ、

「いや、本州のヤクザに頼んだという以外は知らんし、勿論面識はなかった」

と概ね否定した。

「一応聞いておくが、松島殺害の件でも、中川から大島の関与について、具体的な発言はなかったんだな?」

「勿論俺にはなかった。ただ、さっきも言ったように、こんな重大なことに、大島が一切関わってないというのは、まず考えられないな」

西田は念のため尋ねてみたが、あくまで推測にとどまるようだ。やはり中川は、大島の関与については、具体的には言及しなかったようだ。まさに秘書の鑑とも言えた。


「ところで、共立病院の理事長の浜名……」

西田が質問をたて続けに言い掛けたところで、政光は、

「あの人も気の毒にな……。中川が浜名の自殺の後俺に言ってたんだが、松島を殺す話は、あの人は知らなかったんだとさ……。あくまで中川に指示されて、入院してる松島の様子を探る役割だけのつもりだったらしい。まあ、自分のやったことが殺人に絡んでたと知ったら、気の小さい人なら、ああなっても不思議ない」

と、事実関係を先回りして告白した。


「そうか、やっぱり詳細は知らなかったか……。良心の呵責に耐えられなかったんだろうな」

ある程度予想通りとは言え、以前、病院のピンチに世話になった、大島側の要請を断りきれなかったのが、致命的だったのだろうと西田は考えた。

「大病院の息子でありながらも、医者になれなかったようだが、人が良かったのが仇になったな」

そう口にした時の政光は、自分の立場と浜名を重ねていたように見えた。確かに似たような境遇の2人ではあったが、浜名は自らが無意識に関わった大罪に恐れおののき、政光は、部分的には拒絶したにせよ、根本的には自分の良心を突き放すことで、自ら悪に染まることも厭わなかったと言う違いがあった。ただ、今の政光もまた「審判」に晒されようとしているのだから、神もそれなりの働きをしたということだろうか……。


「そして殺害実行後、伊坂組の使ってなかった留辺蘂の施設を、実行犯の潜伏先に使わせてたはずだが、その点については既に、あんたの指示を受けてたことが部下の証言からもわかってる。これは否定しないな? だったら問題は、その使用については何時決めたかだが」

吉村に質されると、

「それについては、事件が起きた後に、中川から直接頼まれたはずだ。正確なことまでは記憶にないが、ほぼそれでいいと思う」

と返した。


 政光の話が本当だとするのなら、この点は事前の計画には無かったのだろう。実行犯をいつまでも、大島の事務所の4階に潜伏させておくのも、かなり問題だと考えたのかもしれない。それまでに3週間近くも滞在させていた以上、潜伏を延長していれば、確かに事務所の人間にも、かなり怪しまれる可能性があったはずだ。


「95年の10月に、本橋の佐田実殺害の自供の件で、あんたは警察こっちに、親父さんのことについて、任意で事情聴取されてるはずだ。その時、大島の関与については言うつもりは全くなかったんだな? 当時の(取り)調べ担当者から聞いた話では、特に何も言わなかったと聞いているが」

吉村が西田に目で合図してから質問を挟むと、

「親父が関与していたことは事実だったし、そこで大島の名を挙げたところで、会社にとっては何も良いことがないわけだから……。大島抜きに会社が成り立つのなら、親父だけのせいにされるよりは、ある意味マシだったのかもしれんが……」

と答えた。


 当時の北見方面本部・倉野捜査一課長の西田達への報告を元にした質問だったが、確かに、当時から始まった公共事業の減少を考えれば、当然の選択と言えたのだろう。西田も当時、その微妙な状況はある程度察知していた。そして、その選択を以ってしても、結果的には経営に行き詰まるという結論だったのは皮肉と言えただろう。


「さてとだ……。最終的に、坂本と板垣の2人は伊坂組の社員になり、出世もしたが、それは2人に事前に約束してたことか?」

再び西田が質問権を確保して尋ねた。

「勿論! 喜多川と篠田の時と同じだ。さすがにそれは保証してやらんと、相手も動かない」

「ただ、さすがに役員にするような真似はしなかったようだな」

西田のこの発言の裏には、政光が露骨な出世をさせると、喜多川や篠田の時と同様、疑われる余地を残すことになると、「自制した」と考えていたことがあった。

「しっかりバレてたか……。そう。だからこそ給与面のみ、役職以上の報酬にした」

「やっぱりそうか!」

西田は自分の推理が当たったこともあり、ニヤリとした。しかしそれ以上に、政光の本日の供述そのものに手応えを感じていたことも、その理由としてあった。


「それにしても、今日は良く喋ってくれた。正直助かったよ……。ちゃんと供述調書にするのに、また同じようなことを聞かれる羽目になるとは思うが、これからも我慢して答えて欲しい」

「こっちとしては、正直言いたくもなかったが……。兵糧攻めにされて、諦めざるを得なかっただけの話。ただ、会社継ぐ時以来だな、ここまで覚悟を決めたのは……」

西田の言葉にそう答えた時の政光の顔は、むしろ妙に安堵しているように見えた。抱えていた重荷が、良くも悪くも消えたということなのだろうか。そう思って、取り調べを終え、政光を留置場へと戻そうとする直前、不意に重要なことを思い出した。


「そうそう、うっかりしてた! 佐田実殺害の件でも、中川は何か関わってるかもしれないと見てるんだが、それについては何か聞いてないか?」

急遽取り繕うように質問してみた。中川は、87年当時から既に、大島の地元の番頭格秘書だったはずだからだ。それに加え、先日の鳴尾記者が証言し、物的証拠も出て来た、中川と本橋が北見駅で会っていたという件もある。当時から東京にほとんど居る大島に代わって、北見で何か事件に関わっていても不思議ではない。95年の捜査当時は、87年の北見での本橋らの犯行は、全て伊坂かその関係者が取り仕切っていたと当初見ていたが、これまでの捜査を勘案し、鳴尾の証拠を含めれば、中川も絡んでいてある意味当然と言えた。


「直接何か聞いてるということはないぞ。ただ……」

「ただ?」

「『あんたも会社を継いで色々と大変かもしれないが、俺も嫌な役回りがついて回る、こういう仕事をしてると昔からな』と、松島の殺害が実行されることが決まったと連絡された時に、愚痴られたことはあったと思う。そうなると、『嫌な役回り』の意味の取り方次第じゃないか? その時は特に思うところはなかったが、今にして思えば、そう捉えてもおかしくはないだろう」

政光はそう言った後、西田の様子を窺うような素振りを見せた。この状況から、おそらく本当に具体的なことは知らないのだろうと、西田は感じていた。

「ついでと言ったらなんだが、更に幾つか聞いてもいいか?」

更に西田は、言うべきことを忘れないようにと、誰かに急かされるかのように言葉を羅列した。

「構わんよ」

またかと言うような無愛想ぶりだったが、言葉上の社交辞令にそのまま甘えることにした。


「こっちは、北条正人の弟、正治の居場所を知ってる。あんたも居た東京の板橋だ。……と言っても7年前だから、そこに今居るかも、年齢的に達者かもわからんが……。もし良ければ、あんたの保管してる砂金、その弟に返してやってくれないかな? 勿論、居場所含め再確認しないといけないが」

そう頼まれると、

「本当か? そうか……居場所を探り当ててたのか。さすが警察ってところだな……。良かった。ただ、ちょっと落ち着いてからにしてくれ。家族にも頼まないといけないだろうし」

と感慨深そうに返した。預かり物の行き場が出来て多少肩の荷が下りたか……。

「その件については、証拠物件との絡みもあるから、すぐにというわけには行かないが、手続きさせてもらうつもりだ。正治も喜ぶと思う」

西田はそう言ってみたものの、それが何時になるかは、自身もよくわからなかった。

「じゃあそれについてはOKだな。それで2つ目だが……。あんたは、おそらく架空口座の人物から恐喝されてたわけだが、相手を訴えるつもりはあるか? 勿論、俺達は告訴なしに捜査に入れるが」


 西田の問い掛けは、事前の想定と違って、時効にかからないだろう伊坂家への脅迫者への告訴の意思の有無だった。無論、恐喝罪は親告罪ではないが、現実のところ、実際に恐喝された側の「被害者意識の強弱」が問われるのも確かだった。捜査上は告訴してもらった方がやりやすい。

「正直言って、もうどうでもいいという気持ちなんだわ……。取られた金はそれなりだが、こっちが正しいってわけでもない。親父の寿命は縮まったのかもしれないが、自業自得と言われりゃそれまでの話。俺がとやかく相手の罪を言う資格もなかろう? あんたらの好きにすればいい。俺はもう、どうでも良くなってるってのが本音だ。自分自身のことで精一杯ってところ」

敢えて継いだ会社の存続危機に、ヤケになったという部分も無くはないのだろうが、それ以上にこの10年、直接向き合ってきた大きな「不正義」の数々に、内心相当疲れきっていたのかもしれない。


「まあ、今はそう決める必要はない。気が変わったら言ってくれ。俺達は今は殺人の捜査に全力投球するが、それが片付けば、あんたや親父さんを脅してた奴に、篠田が殺人を犯した責任をとらせることになる」

西田は当然、吉村も、何とかして、米田の母親の代わりに敵討ちをしてやりたいと言う強い思いがあった故の発言だった。無論、篠田が死んでいなければ、直接的な殺人犯を挙げられたのだろうが……。

「そうか。まあ、俺には期待しないでくれ。今更騙されたと怒る気持ちにもならないだろうから……。俺のことは関係なく、あんた方が好きに捜査すれば良い。俺はもっと気にしなきゃならないことがある」

改めて会社の将来や家族の事に言及したのだろうか、政光はこの時ばかりは、西田を真っ直ぐ見据えて語った。


「その件は、じゃあ俺達で勝手にやらせてもらうことにする。それでだな、多分聞いてないとは思うが、先日東京であった、ヤクザの組事務所の爆破事件、何か中川とかから聞いてないか?」

西田はこれについて、元から期待せずに確認してみたが、

「は? その事件そのものは知ってるが、それについて誰かが何かしたとか、そういう情報は一切知らない」

と、すぐさま政光は否定した。おそらく、政光が聞いていないというだけではなく、実際に大島側も関与してないのではないかと思ってはいたので、あっさりと引き下がった。


※※※※※※※


 北見署の取調室を出た西田と吉村は、隣接した北見方面本部の建物へと向かった。伊坂政光がほぼ完落ちしたことも重要だったが、自白内容そのものにも大きな意味があった。自分達が95年から地道に捜査してきたことの大半が裏付けられただけではなく、それまでわからなかったことや新情報の幾つかが、政光の口を通して西田達に伝えられていた。


 ただ、基本的に佐田実の殺害事件関係の証言は、あくまで伊坂大吉の話が政光を通して語られており、大吉が死んでいる以上は、いわゆる「伝聞証拠」として法廷での証拠能力に欠ける。他にも、中川や大島海路の証言を必要とするものが多く、犯行の筋を理解することには役立っても、立証という点においては、壁は未だに高いままだったり、工夫が必要なものも多かった。


「全体像は相当見えてきたが、あとワンパンチ足りねえなあ。やっぱり中川を落とさないと」

そう口にした西田に対し、

「進展しただけでも良しとしましょう、今だけは……」

さながら、吉村は問題点を今は考えたくない気分のようだった。


「こっちの覚悟が決められるなら、伊坂の証言だけでも、大島の逮捕は不可能じゃないが、相手が国会議員の上、与党の大物となると……。高松政権下で、以前よりは影響力は低下しているが……」

西田はそう言うと舌打ちした。

「任意で参考人聴取ってのは、やっぱり無理ですかね?」

「大島が任意に応じてくれるって? そりゃ幾らなんでも無理だろ」

吉村の言葉に、呆れた様に返した西田だったが、吉村は、

「それはそうですけど、状況次第で無いと断言するのも……」

と口ごもった。ちょっと吉村が可哀想になったか西田は、

「まあ、全くないとまでは言わないが」

と誤魔化した。

「……それはともかく、伊坂を脅していた奴は、つい数年前までの間、金を政光からせびってたみたいですね。おかげで恐喝の件は時効を免れそうで、こっちとしてはむしろ助かりました」

直後、急に話を変えて来た吉村だったが、言う通り、米田青年が殺害されるきっかけを作った「脅迫者」を立件出来る目が、伊坂政光の証言後に確かに出て来ていた。死亡した、殺人犯としての篠田を挙げることは出来なかったからこそ、因果関係上は間接的でしかないが、脅迫者に責任を取らせることは重要だった。一人息子を失った米田の母親のためにも……。


「うむ。ただその件については、大島を何とか挙げることが出来てからでも十分と言うか、何が一番重要か考えれば、取り敢えずは後回しにせざるを得ないな」

西田は政光に告げたように、改めて「後での処理」を強調したが、

「それもそうですね……。やはり殺人犯を挙げないことには、本末転倒になってしまいます」

と吉村は納得してみせた。

「そういうことだ。じっくり腰を据えて捜査出来るようになってからでも、そう遅くはないだろ。もし、これから先の数ヶ月で、相手に逃げられてしまうと言うなら、既に逃げられてるとも言えるだろうし」

「わかりました。今はまず、目の前のやるべきことをしっかりやっておきましょう!」

相棒は胸を軽く拳で叩いた。

「それに政光の自白は、ほとんどが死んだ大吉からの伝聞証拠だ。捜査の参考にはなるが、法廷での証拠能力となると厳しい部分も多い。他の件も大島と直接絡んでる話はないから、大島を挙げるには、中川の証言が必要になることも多いだろう」

西田は、確認するようにそう言うと、少々渋い表情になったが、大枠で大きな成果を上げたのはやはり間違いない。捜査本部へと向かう足取りは、割と気分の良いものだった。


※※※※※※※


 8月15日の終戦記念日の午後、西田と吉村は、今度は中川の聴取に直接乗り出していた。昨日の伊坂政光の自供を元に、厳しいとは思っていたが、今度は中川を何とかして切り崩せないかと考えていたのだ。気温も25度に満たない、真夏としてはかなり涼しい状況だったが、取調室はやけに暑くなっていたように、2人には感じられていた。


 当然、ボスである大島海路への忠誠心の厚い中川が、幾ら追い込まれてかなり精神的に来ているだろうとは言え、何か口を割るということは簡単ではなく、刑事達が一方的に喋りかけている状態というのが正確なところだった。


「板垣も伊坂も、あんたが銃撃事件で、かなり重要な役割を演じていたことを暴露してるんだ。黙ってようが、起訴はもう避けられんぞ! その上、あんたが87年に佐田を殺した直後の本橋と、北見駅で会ってたことも、物的証拠から裏付けられたと言って良いからな! 勿論、どっちもボスの大島海路が黒幕だろ? 秘書が勝手にこんなことやるわけないんだから!」 


 中川が、87年の佐田実殺害当日の午後、本橋と北見駅で会っていたという、道報記者である鳴尾の確実な証言と物証がある以上は、中川が佐田実の殺害事件について、何らかの関与をしていたと見るのは当然のことであった。ただ、確実に「犯行自体」に関与したというには、成果の報告を聞いていたり、報酬の受け渡しなどがあったと立証する必要があり、それについては現状厳しいと言わざるを得ない。


 午前中に担当検事とも相談していたが、やはりこのままでは、中川の佐田実殺害関与は起訴レベルには難しいという助言をもらっていた。しかし西田としては、それで「はい、そうですか」と諦めるわけにはいかない。


「時効って知ってるよな? 佐田実が9月末に殺されてから、今年で15年目だ。殺人なら、丁度今年の9月末で本来の時効になる」

そう言いながら、西田は中川を観察していた。この時は中川は微動だにしなかった。

「でもな、実は実行犯の本橋が起訴されてから、判決が確定するまでの3ヶ月弱、この間の分が、もし本橋と共犯関係にあった人間が居れば、その人物の時効は、更にその分伸びることになるわけだ。ほとんどの人間は気付いてないがな。だから時効は9月ではなく、今年の年末だ」

西田の言葉に、中川は一瞬だが表情が変わったように見えた。それが「反応」なのか、単なる表情の動きなのかは、残念ながら西田にも、この時は判断がつかなかった。


「それにだ。あんたの佐田殺害事件への関与が判れば、当然起訴され、あんたの場合には事件そのものを認めてないわけだから、起訴から判決が確定するまで、余裕で1年以上掛かるだろう。そうなれば、あんたの親分の時効も、必然的に更に伸びるわけだ。あんたが余計なことを考えて黙っていれば黙っている程、否定すれば否定する程、大島の時効は延長されるというのは、何とも皮肉なもんだ」

西田の声は落ち着いた感じというよりは、むしろ冷えきったトーンで、言い捨てるような感じだった。中川は少し肩を揺らして息をしたが、それ以上何も反応することはなかった。

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