第149話 名実58 (135~136)

 黛に4階まで鑑識職員を案内させ、西田達は、まず女性職員に名前を聞くと、菊田と名乗った。15年以上勤続しているということなので、事務所の改装歴などについて聞くと、はっきりした記憶はないが、勤務し始めるようになってから1度あったのではないかという。


 ただ、それが7年より前なのか後なのかは、よくわからないということだった。「おそらく、勤務し始めてから、そんなに年数は経っていない時期だったはず」だそうだが、それだけでは、到底安心は出来ない。


 他にも、東館達が潜伏していた間、どういう形で他の事務所職員を部屋に近づけさせなかったかについて、後で中川にしっかり取り調べすることにはなるだろうが、一応、2週間近く潜伏していた以上、この女性職員にも当時の記憶があるかもしれないので、中川の逮捕を告げて安心させた上で、確認してみることにした。


 すると、いつだったかははっきりしないが、普段事務所に居着かない中川が、かなり長期間、事務所に張り付いたまま、3階以上に近付けさせなかったことがあった記憶があるとのことだった。


 また、その時の理由付けは、「大島議員から重要なモノを大量に預かっているので近付くな」という、なんともよく理解し難いものだったが、地元の「大番頭」の指示のため従っていたらしい。


 但し、元々3階以上、特に4階の集会室は、そう頻繁に使用することもないため、長期使用しない場合には、4日に1回程度、風通しのために開ける程度のこともあり、違和感はそれほどなかったようだ。


 いずれにせよ、事務所の人間に対しては、過去、上の階に近付かせなかったことがあったことは間違いないようだった。菊田に「後から正式に参考人聴取することになるのでよろしく」と告げると、なんとも言えない表情を浮かべたまま頷いた。


 そして、浅田と宮部を下で監視させたまま、西田と吉村はすぐに4階へと足を運んだ。既に鑑識が銃痕と見られる部分を、周囲からまるごと壁から切り離す作業をしていた。署に戻ってから、念入りに分析するためだ。


 鑑識の河北は、その銃痕の周辺を中心にして、壁やテレビから指紋を採取していた。さすがに、7年前の室内の壁やドアノブ全体から指紋を採取するとなると、時間が掛かると同時に、そもそも拭き取られている可能性や、事件とは無関係の他者の指紋と相当数バッティングする可能性が非常に高く、どこの部分であっても、経年数も考えれば、検出は相当厳しいということは否定出来ない。


 よって東館の証言から、明確に触っただろう場所をピックアップして、あくまで「念のため」程度に作業することにしていたわけだ。勿論、場合によっては、最終的に室内全体の指紋を採取する必要が生じる可能性もあったが、現時点では、壁の痕が銃痕と確定することが、もっとも重要な証拠であることは間違いなかった。


「どう? いけそう?」

吉村が若手の鑑識職員に聞くが、

「現時点では何とも言えませんよ……。特に目に見えて、金属成分が付着しているようには見えませんねえ……。こっちが聞いてる話では、壁から銃弾を引き抜いた? そうですけど、そうなると、周辺の壁材ごと、一緒に剥がしてしまっている可能性もありますから」

と、何とも煮え切らない回答を得るだけだった。


 そのまま見ているだけなら、鑑識職員の邪魔になるということもあり、西田と吉村は、下の2人と合流して、事務所全体のガサ入れを始めた。西田と吉村は、外の駐車場の車をチェックすることにしたが、後から来た男性事務所職員に聞いた限り、既に事務所にある車は、5年前には全部新車に置き換わっていたと証言され、古い車両は既にスクラップ済みのようだった。相手側は既にやるべきことはやっていたらしい。


※※※※※※※


 警察が、有力議員である大島海路の事務所に秘書の殺人容疑でガサ入れし、地域有力ゼネコンの社員も同時に逮捕されたという情報は、警察からも「自然」にリークされ、午前10時前には、マスコミ関係者にも瞬く間に知れ渡ることになっていた。


 北海道で最も力のあるメディアである道報も、当然、すぐにその情報が関係のない支局にまで行き渡っていた。紋別支局の竹下も、当然その報に接していた。言うまでもなく、伊坂組社長である伊坂政光も逮捕されたのでは? という噂も込みで……。


「西田さんと吉村がいよいよ動き出したか……」

竹下は感慨深そうに呟いた。しかし、そう時間も置かずにデスクから、

「竹下! これから先、大掛かりな話に発展した場合、『北見に応援に行ってもらうことがある』と本社の社会部から達しが来てるから、正式に要請来たらすぐ向かってもらうぞ! おまえの警察時代の経験が買われたみたいだな。残念ながら、まだその段階じゃないようだが、心の準備だけはしといてくれ」

と、思ってもみなかった好機が伝えられた。勿論、二つ返事で

「わかりました。準備万端にしときます!」

と返してみせた。


 それにしても、まさか新聞記者になった後も、あの事件に関わる可能性があるとは、さすがの竹下も、警察を辞めてからは、一度も思ってもみなかったことだった。


※※※※※※※


 一方、取り敢えず押収すべきものの目処が立った西田と吉村は、昼過ぎに先に捜査本部に戻ったが、既に連行された4名は、ガッチリ取り調べを受けていた。


 三谷課長が担当指揮し、二課も伊坂政光の逮捕と共に協力してくれた伊坂組のガサ入れでは、逮捕した坂本と板垣の2人が、東館達をサポートするため事件後に何度か、当時伊坂組が保有していた、留辺蘂の温根湯温泉にある研修施設に、長時間に渡り滞在したという事実を裏付ける目的がまずあった。


 そして、伊坂政光の私文書偽造(領収書金額改ざん)の不正関連の裏付けや、他の不正がないかチェックする目的もあった。そのために、出面でづら帳などの法定出勤簿関連の書類や、経理の帳簿などを押収する行動に出ていたわけだ。


 しかし、出面帳は法定保管期限が3年で、95年時の佐田実殺害事件捜査において、喜多川と篠田の両専務が、作業員だった時代のアリバイチェックの際にも出てこなかったように、今回も出ることはなかった。


 あの時は、網走フィッシャーマンズスクエアでの労働災害が同時期に発生していたので、労基署から当時の出面帳を入手するという奇手が成功したが、今回はさすがにそのようなことも、今のところ思い浮かばず、おそらく勤務関連の帳簿から裏付けることは出来ないと目された。


 ただ、94年から97年まで、研修施設を管理していた当時総務部、現営業部の、杉村という当時の担当者が見つかり、その場で聴取したところ、何時だかはっきりはしないが、会社からの指示で、「1週間程他人に貸し出しているので、何か近隣住民から連絡があったら、その旨告げるように」と、上から言われていたという証言が出て来た。すぐにそのまま任意で引っ張って、既に簡単な参考人聴取が行われていた。


 とにかく、伊坂の領収書偽造を裏付けるだけでなく、更なる経済犯の別件の案件がないか精査する必要もあるため、ここは経済犯を専門とする、北見方面本部の捜査二課にも、特に頑張ってもらう必要があった。


 しかし、西田としては、伊坂組のガサ入れのことなどは余り眼中になく、やはり、大島事務所の壁に空いた穴が、銃痕かどうかが最も気がかりだった。その結果は早ければ明日中には出るということもあり、落ち着かない心境のままで、その後の捜査に臨んでいたのだ。この日は、最高気温が30度を突破したこともあったが、西田が普段より汗を多くかいていたのは、こういう心理的影響もあったに違いない


 取り調べの方では、事前に予想してはいたが、中川秘書は完黙(完全黙秘)に徹した。一方、伊坂、坂本と板垣は、まさか逮捕されるとは思っていなかったか、事件への関与は否定してはいたものの、相当動揺が見られ、坂本の取り調べを担当した日下も、板垣を担当した三谷も「若い2人はいずれ落ちる」と自信を見せていた。ただ、例の伊坂組顧問弁護士の松田弁護士が中川秘書にもついたので、夕方には4名それぞれに接見すると、残念ながら皆かなり落ち着いたようだった。


 一方の捜査側は捜査側で、実はかなり混乱状態にあった。特に最近は、極限られた捜査員のみの秘密主義で捜査していたこともあったが、応援の一般捜査員にしてみれば、準備・周知段階もほとんどなく、一気にガサ入れや逮捕まで行ったため、情報を共有出来ず、あたふたしていたのだ。


 いや、それだけではなく、捜査本部組であっても、当日直前までほとんど予定を知らされていなかったのだから、応援組なら尚更の結果と言えただろう。


 また、札幌の道警本部、旭川方面本部からも、応援の捜査員が合計12名派遣されて来ていた。事件の内容から見て、本来ならば、他本部応援組の数はこの数倍でも良いぐらいだったが、急な逮捕だったこともあり、状況をほとんど把握していない捜査員が大量に来ても、この捜査段階ではほとんど意味が無いのは確かだ。


 事前に、応援人数が多ければむしろ混乱を招くと、西田が安村方面本部長に進言していたこともあり、現時点では必要最小限の応援に留まっていたわけだ。


 とにかく、所轄・周辺所轄・他(方面)本部から急遽集められた応援組は、事件の概要そのものをほぼ把握出来ないままで参加させられたこともあって、戦力になる取り調べ担当は、事実上かなり足りない状態にあった。成り行き上、本来ならばあり得ない、三谷や北見署の松浦のような課長クラスまで、急遽取り調べ担当として取り調べに臨んでいたわけだ。


 西田も、現時点では、捜査の全体把握の元締めとしての役割を担ってはいたが、聴取する参考人が増えれば、そのうち取り調べに直接参加せざるを得なくなるだろう。吉村も西田とは別に、既に坂本の取り調べに直接関わっていた。


 刑事部長の小藪はと言えば、広報官と共にマスコミ対応に追われていた。さすがに有力国会議員の秘書が、殺人容疑で逮捕されたとなると、騒ぎが大きくなっていた。既に昼には、全国ニュースで流れる状態であり、北見署の会見場は、新聞やテレビの記者が集まり騒然としていた。3日には東館の起訴も予定されており、マスコミ対応でも更に忙しくなるのも明白だった。


 証拠隠滅阻止を図るためとは言え、病院銃撃実行犯の東館の逮捕・勾留はこれまで表沙汰にして来なかったのに対し、実行に協力した(と言っても中川は実行犯に等しい故の殺人容疑だったが)3名の逮捕は、そのまますぐに報道されるというのは、なんとも言えない皮肉な出来事だったと言えるが、捜査のためであり仕方ない。


 会見では、既に東館が、共立病院銃撃殺人事件で逮捕されていたこともようやく発表された。これについては、報道機関に全く連絡がないことを責める記者も出たが、小藪は、「捜査に支障が出るため黙っていた」で突っぱねた。


※※※※※※※


 東京の永田町でも、有力者・大島の秘書が逮捕されたことは、議員関係に衝撃が走ったようで、大島の関与を噂する政治記者も居たと、西田は後から聞かされることになるが、この時点で、東京のことまで気が回る程の余裕はなかった。


 尚、この前日の7月末日に、大島も籍を置いていた衆議院の通常国会は、会期末を迎えていた。しかしながらこの会期中、与野党から複数の議員に疑惑が持ち上がり、逮捕や辞職などの混乱を招いていた。


 会期末には、高松内閣への不信任案決議が採決され、否決されるなど、かなり混乱した国会を象徴する日だったが、その会期末翌日に、与党重鎮議員の地元・大番頭格の秘書が逮捕されるという事態は、この波乱の国会を象徴していたと言えるかもしれない。当然マスコミも、大島の家や東京の事務所に取材攻勢を掛けたが、大島は雲隠れしていた。



※※※※※※※


 8月2日木曜、前日とは一転して、最高気温が20度を切るという肌寒い中、西田が最も気になっていた鑑識結果が出た。


 期待通り、あの3つの穴は確かに銃痕だった。穴の縁の部分から、銃撃事件で使用されたのと同一の銃弾の外装ジャケット成分がきっちり検出されたのだ。


 その報を聞き、思わず勝利の雄叫びを上げた西田同様、捜査本部全体も歓喜に湧いた。さすがにこの段階では、これがどういう意味を持つかは、全員が情報を共有していたこともあった。


 後は、中川が銃撃事件の事前練習に関与したことと、事件後の逃走に関わったことを立証することだ。しかし、大島の事務所での事前の銃撃練習を立証出来たことで、東館のその他の証言についても、相当の信憑性を付与することになり、様々な証言と他の秘密の暴露だけでも、それらを立証出来そうな手応えは出てきた。残された課題は、大島海路本人や葵一家と事件の関与をどう結びつけていくかだ。


 逮捕された4名は、検察官による勾留請求の判断のため、昼には釧路地検北見支部へ送致されていた。言うまでもなく、勾留請求される前提での送致だ。今日中に勾留請求され、上手く行けば当日中、最悪でも明日には請求が認められ、勾留が開始されるはずだ。


 中川には、取り調べで銃痕の証明が出来たことを既に伝えたが、さすが大島の信用している人物だけあって動じることもなく、相変わらず「黙秘します」とだけ言った。中川の口から、これからも直接何か引き出せる可能性はかなり低いだろうと西田は覚悟した。


 そんな状況もあり、捜査本部全体としては、大島への忠誠が強いであろう中川秘書より、むしろ坂本と板垣から伊坂のルートを切り崩すことで、大島の犯行立証へと繋げる方が、近道ではないかという考えが主流になりつつあった。急がば回れという論理だが、日下の手応えからしても、その方が結果的に近道になると西田も考えていた。


 問題はどの程度、3人が事件の核心についての知識があったか、或いは関わったかだが、それはやってみないとわからないというのが本音でもあった。


 本来であれば、軽い犯罪(基本的に別件)から重い犯罪(本件)というのが再逮捕(作者注・逮捕・勾留後、別の容疑で逮捕されることを「再逮捕」というのが、推理小説や刑事ドラマなどで一般的な用法ですが、法律上、本来の再逮捕というのは、同一被疑事実についての逮捕のことを主に言い、言うまでもなく違法逮捕です。ただ、実質的によく使用されているので、この小説上でも普通に使っています)の流れだが、建設会社での拳銃の発射など、殺人幇助以外の余罪もありそうな2人の場合、別件での長期勾留も可能だという考えもそれを補強していた。勿論、病院から逃亡用の自動車窃盗を別件として扱うことも、既に捜査陣が考慮はしていたことは言うまでもない。


 ただ、中川以外の捜査ルートを重視する場合の問題としては、大島と中川との関係程、大島と伊坂政光の関係が強くないことが想定されており、大島の犯行関与を立証するのは、思ったより厳しくなるかもしれないという恐れがあることだった。だが、それでも尚、中川が口を開かないことには、どうしようもないのだから、やはり、そのルートからの捜査も考えておく必要はあったのだ。


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