第139話 名実48 (110~112 事務所での過ごし方と実行指示)

「ほんと、頼むわ! こっちは、葵にやられた兄貴の敵討ちのつもりで、一切合切いっさいがっさい明かそうとしてんだよ! 俺に合わせろよ! 昨日から焦りすぎだぜ、特にあんたは!」

正直、日下に向けたと思われるこの東館の発言は、この男に殺された3名のことを思えば、到底許せるものではなかったが、そんな近視眼的な正義感を現時点で振り回したところで、何の根本的な解決にはならない。西田達は勿論、おそらく目の前で対峙している遠賀達も、それなりに強く思う所はあっただろうが、じっと我慢して、話の先を聞き出そうとしている。


「ああ、そうだな……。お前の気持ちは、こっちも重々承知してるつもりだ」

遠賀が、何とか我慢して絞りだすように言うと、

「わかってんならいいけどよ……。じゃあ続きだ続き! それでだ、そいつらの年格好は、高校出てからすぐぐらいの、大体20ぐらいに見えたな。2人組で、見た目は今風というか軽い茶髪だった。事務所で夜会う時は、常に2人共私服だったが、ヤンチャな感じで、まともな大学生やら普通のサラリーマンという感じは受けなかった。ただ、2人の会話を聞く限り、おそらく建築関係の仕事をしてる作業員か何かじゃないかと、俺と兄貴は話してた記憶がある」

と、東館は詳しい情報を喋り出した。


「その判断の理由は、どういう会話からだったんだ?」

日下が如何にも疑問だという調子で尋ねると、

「俺がまだ北見に行ってない頃、おっさんから、最初にそいつらが兄貴達に部屋で紹介受けた時に、『オーバーハングでもないのに、随分部屋が広く感じる』みたいな会話があったらしい」

という答えが返ってきた。

「オーバーハング?」

目の前の取り調べ担当の2人は、同じ疑問をほぼ同時に口にしていた。


「オーバーハングってのは、建築業界の言葉で、下の階より上の階の方が広く作られてる形のことを言うんだよ。上の階の方がせり出してるような奴だ。わかりやすく言うと、ほら、長銀ってのがあったろ?」

「長銀? ああ、破綻した銀行の長銀か?」

「そうだ。あれのビルがよくニュースでテレビに映ってたが、やけにバランスの悪い感じがしたろ? あればオーバーハングって奴だ」

日下の確認に東館は大きく頷いた。


※※※※※※※


 長銀という名前で知られた、日本長期信用銀行は、通常の銀行と違い、集めた預金を貸し出すのではなく、金融債と呼ばれる債権を発行し、その対価として得られた金額を貸し出すという、いわゆる特殊銀行として、戦後の1952年に設立された銀行である。バブル期に、不動産関連融資に積極的に取り組んだため、結果としてバブル崩壊の影響を強く受けることとなった。


 山一證券や北海道拓殖銀行が破綻した97年以降、金融機関の経営状態が悪化する中、長銀も公的資金注入を受け入れたが、経営陣が98年に粉飾決算に手を染め、これをきっかけに株価が急落。経営は迷走状態になり、政府主導で合併などの救済策が模索されるものの合意に至らず、最終的にその年の10月に金融再生法などを利用して実質国有化された。


 更に翌99年には、旧経営陣が粉飾決算を理由に逮捕されることとなった。現在は新生銀行として営業している。


※※※※※※※


「昨日も言ったように、俺が駿府(組)に入ったきっかけもそうだが、駿府は元々土建や建築を正業としてやってた組だから、今でもフロント(企業)はそれに絡んでるわけだ。兄貴もそっち方面の管理をしてたこともあるから、建設関係のことは詳しいんだよ。だから、そいつらの言葉に反応したってわけよ」

4階の集会場である大広間を見て、下の階の全体的なスペースより、広く感じたが故に、そのような表現をしたのだろうが、思わず専門用語が出たことで、2人の素性の一端が明らかになったということなのだろう。


「それに俺が来てからも、いつも食い物や頼んでおいたモノを持ってくる時間帯の、午後8時に間に合わなかったことがあって、その時に、『小間割り舐めちゃって残業する羽目になったんで、遅れて申し訳ない』と謝ってた。『小間割り舐める』って言い方は、現場でよく使う業界用語みたいなもんだ。仕事が所定の時間内に終わらないって意味でな。一般社会じゃ、そう使う言葉じゃないだろ? こっちがそういう言葉に対しての知識があることは知らないはずだから、そいつらが普段日常会話で違和感無く使っていて、普通にそのまま通じると思って口から出たんじゃねえかな? だとすれば、職業経験は、学校出てから建設現場でしかないと見ていいんじゃねえかな?」


 東館は、ここで捜査員よりも先に、やけに鋭い推理を披露してみせた。東館の話が本当なら、確かに建設作業員の若者が、協力者として絡んでる可能性は高いと言えるかもしれない。


「建設作業員……。これは伊坂組絡みですかね……」

横に居た吉村が、視線を東館に向けたまま西田に話し掛けてきた。それに対し西田も顔を微動だにせず、

「十分あり得るだろうな」

と呟いた。かなり重要な役回りを、おそらく大島の懐刀クラスのベテラン秘書であろう人物と共に、若い建設作業員系の2人組がこなしていたとなると、そいつ等はかなり大島に近い、否、信頼出来る筋の人間であることは間違いなかった。その意味では、その2人が伊坂組の人間であると推測することは、1つのセオリーとして合っているように西田も吉村も感じていたのだ。ただ、若い2人組という点が、少々違和感を覚えさせていたが……。


「それでさっきの話に戻るが、その2人組の顔は記憶にある?」

「写真見せられれば、ある程度はわかるとは思うが、断言は出来んぞ」

「いや、現時点ではそれで十分だ。確認は後でやる。それで、他にはそいつらについて何か情報はないか?」

遠賀は穏やかな口調で、更なる情報を引き出そうとしていた。


「情報ねえ……。ああ! そういえば、俺が来る前からあった何枚ものコンパネが、既に穴だらけになったんで、追加で持ってきてもらった時に……」

その言葉を聞いた瞬間、黙っていた日下が思わず声を上げた。

「コンパネってのは合板のことだろ? それが穴だらけってのはどういうことだ!」


だが、その反応は、西田から見ても当然のものだった。それがどれだけ重要な意味を持つかは、ある意味明白だったからだ。

拳銃チャカの練習だよ、射撃の練習……」

いちいち言わせるなと言うばかりの口調だったが、捜査陣にとって重要な情報が飛び出したことは間違いなかった。銃撃と結びつきづらい「経験のない」メンツによる凶行は、それを補うための「訓練」を前提にしていたとなれば、筋が通るようになる。


「その練習のために、防音設備のある4階に潜伏してたんだな?」

遠賀も核心に迫ってきたせいか、早口になった。

「俺が計画したわけじゃないから、そいつは何とも言えないが、そういうこともあったかもな。拳銃チャカも、北見に持ってきていたのは、サイレンサー付きのトカレフだったから、防音もあって、中で射撃訓練やってたなんてことは、下の階に居た連中もわからなかっただろうよ。毎日のように、1人分で30発以上は使ってた。それを結局は、俺ですら10日間ぐらいやってたから、俺が北見に着いてから、1人当たり400発以上は軽く撃ってたんじゃないか? 銃弾たまは相当量、何でも1500発近くは、鏡が用意してたようだったから、無くなる心配は一切なかったな」


 使用されたのは、トカレフ、しかもサイレンサー付きだったのはほぼ確かで、それは報道には出ていない。つまり、東館による秘密の暴露の自供でもある。

「どんだけの量を運んできたんだ? 当然手荷物チェックがある飛行機じゃないよな?」

日下の追及に、

「拳銃と銃弾は、鏡が自分で手荷物として列車で運んできたって話だ。俺は後から聞いただけだが、2人共別々に北見入りしたみたいだな。帰りは帰りで3人別行動で帰ったけどよ」

と答えた。聞いてもいない、北見からの出入り時の行動までバラしたのは想定外だったが、これは時系列的に、今は追及する必要はない。取り調べの2人もその点は後回しにしたいと見え、それ以上の追及はしなかった。


「ところで、それまでに、お前は拳銃は撃ったことはあったのか?」

「それはな、まだアメリカの出入国が、ヤクザに今程厳しくなかった80年代前半に、ハワイに行った時に射撃場で撃ったことはあった。ただ、日本じゃ手にしたことはないな。ウチはシャブはやるが、拳銃は基本的にやらんということもある。兄貴も同じだったと思う。鏡の方は当時、国内でも山の中とかで撃ったことはあったみたいだぞ。少なくとも俺が来た頃には、しっかり腕前も仕上がってた。俺とかにも親身に指導してくれたわ。まあ、そんなに難しいモンでもねえし。それより人間相手に撃つ度胸の方が必要だったな……」

日下の問いに、当時を思い返しながらしみじみと語った。


「4階の広間の面積は、松島の病室より確実にあるはずですから、事前の練習場所としては十分だったはずです」

その様子を見ながら、吉村が西田に情報を改めて伝えた。東館が北見に来たのが10月31日だとすれば、決行日が11月11日で10日以上あったのだから、人に向かって撃つという心理的な壁はともかく、技術自体を習得するのには、確かに十分だったろう。


「しかし、穴だらけってことは、中には貫通したのもあったんじゃないか? その銃弾は部屋の中で壁やらガラスなんかに当たらなかったのか?」

当然の疑問を、遠賀がしっかりと聞いてくれた。

「だから、最終的に、コンパネを2枚使って、1枚を貫通した後、2枚目で止める形にしたんだ。まあ、最初はさすがに銃弾の力の具合がわからず、数発が1枚しかなかったコンパネを貫通しちまって、兄貴と鏡で『こりゃまずい』って話になったみたいだな。それで2枚使う方法になったようだ。俺が北見に来る前の話だから、それ以上の詳しいことはわからん」

「なるほど。その点はわかった。それで2人組に話を戻すが、コンパネの持ち込みをそいつらに頼んでたって話だが、使い終わったコンパネの処分はどうしてたかわかるか? 銃弾の処理は?」

「使った銃弾は、2枚目のコンパネに突き刺さった分はペンチで引き抜いて、最終的に鏡が全部持ち帰ったよ。使用済みのコンパネについては、あいつらは山の中で燃やすとか言ってたような……。実際にそうしたかはわからん」


 射撃練習に使われたコンパネが焼却処分されたとなると、証拠としては残っていないということになる。練習に使用した銃弾も自分で持ち帰ったとなると、残っている可能性はほぼないだろう。残念ながら、そちらでの証拠の押収は、厳しいと言わざるを得なかった。しかし、その次に東館が口にしたことは、まさかの展開を意味していた。


「それにしても、あいつらも拳銃については俺より使い手だったな。ちょっと撃たせてくれって話で、見事にコンパネに付けた的の真ん中付近をぶち抜いてたよ。とても素人には見えなかった」

「その2人とも拳銃が撃てたのか?」

いつの間にか再び追及側になった日下が、証言に飛び付いた。

「ああ。はっきりしたことは聞いてねえが、何か拳銃使ってやらかしたこともあったみたいだな。腕を褒めてやったら、そいつらは、山の中で地元のヤクザに射撃訓練受けてたとか言ってたぞ。俺達に協力してたわけだから、単純なカタギではないのはわかってたが、それを聞いて尚更そう思ったな。ただ、自分達は俺達みたいな本職ヤクザではないと言ってたんで、チンピラみたいな扱いだったのか、まあこっちからしてもよくわからん奴らだったな……」


 当然西田としては、この2人が拳銃を使えたという意味の大きさを理解していた。病院での銃撃事件の前に、北見網走管内の土建業者などに、銃弾が打ち込まれる事件が相次いでいた。そしてそのことが、北見共立病院銃撃事件の布石として利用されたと見ていた西田にとってみれば、この2人がその犯人ホシである可能性が浮上したわけだ。しかも、当時、地元ヤクザの洗い出しでは、実行犯が出なかったことも、この2人のような、おそらく「構成員」ではない人間が絡んだとすれば、納得できる材料の1つだった。


 何より、病院銃撃殺人という大事件に、このような「若造」を協力させるということは、かなり信頼できる関係が大島側と構築できていたはずだが、もし、その前の建設会社への銃撃事件に、既に2人が絡んでいるとすれば、納得出来るものだった。2人が、おそらく伊坂組の人間ではないかという推測を前提にすれば、射撃を教えたのは、伊坂組と関係が深い双龍会の人間である確率が高くなる。東館達と違い、山の中での射撃訓練だったようだ。


 射撃練習場所の違いは、病院銃撃では、事件を起こす決定から実行まで、短い時間で済ます必要があったことや、逃亡の時間など、アジトと病院までの距離が出来るだけ近い位置に潜伏する必要があったことで説明出来るはずだ。それが大島海路の、防音設備を完備した市内中心部の事務所を選択させたのだろう。そしてもっとも大きな理由は、大島海路という「名前」が、実行犯潜伏の蓋然性の低い段階での、警察の捜査を完全にブロックしてくれることを期待出来たからであることは明白だった。


「吉村、すぐに大島海路の秘書リストと伊坂組の社員の写真と名簿手配してくれ! 出来れば7年前近辺と今の両方だ! 大島の方は、おそらく番頭クラスの、相当信頼の厚い秘書だろうな」

「わかりました」

西田の言葉に吉村は小さく1度頷いた。これだけの事件に関わらせた人間だ。おそらくまだ伊坂組に居る可能性が高い。言うまでもなく、佐田実殺害時に協力した喜多川と篠田の2人の出世劇よろしく、この2人もそれなりのポジションに居るだろうと西田は事前に踏んでいた。


 一方、取調室では、内容が実行時の状況へと移行していた。遠賀が主導して質問を続ける。

「実行日は、具体的には事前には決まっていなかったそうだが、もし決まった場合には、どういう連絡で伝達されることになってたんだ」

「俺は直接は知らん。兄貴達が事前に聞いていた分には、病院に内通者が居て、その人間から何か情報が入った段階で、おっさんがゴーサインを出す手はずだったそうだ。そして実際にそうなった」

「その内通者についての情報は何もわからない?」

「ああ。詳しいことは兄貴達も聞いてないはずだ。少なくとも俺は知らん」

これは、自殺した病院理事長の浜名であることはほぼ明白だったが、遠賀が敢えて聞いてみただけだろう。しかし、やはりこの点についても、内通者と実行犯の双方に詳しい情報は行っていなかったようだ。もし、浜名が松島を殺害する計画そのものを、具体的に前から知っていたなら、少なくとも結果として自殺することもなかったに違いない。


「それで、肝心の実行日が決まったのは何時なんだ?」

「それについては微妙なところだ。実際に殺しを実行する必要があると告げられたのが、実行日の2日前だった……と思う。ただ、殺し自体は決まったが、実行日と時間については、その後具体的な指示があるまで待てと、おっさんから伝えられていた。だから実際に指示が来たのは、直前も直前だった記憶がある」


 この証言と、殉職した北村刑事の行動を考えると、おそらく殺害が実際に決まったのは、松島が上申書を提出すると決めたことが、看護師との会話か何かの盗聴で、浜名から大島・中川側へと伝わった時ではないかと西田は推理した。そして直接的な殺しのゴーサインが出されたのは、北村に上申書を渡すと連絡した時点、つまり、殺害当日の、北村が遠軽に西田達と共にカラオケしに向かっていた時間帯ということになるだろう。


 ただ、西田にはここで新たな疑問が湧いていた。北村が銃撃に巻き込まれたのは、東館と鏡が上申書を奪う際、たまたまそのタイミングにあの場に居たからに過ぎなかったという考えを、以前西田は持っていた。しかし、よく考えれば、上申書を奪う目的だけで、且つその存在を北村が知らないタイミングなら、何時でも殺害は決行出来たのではないかと言う疑問が改めて出たのだ。それどころか、奪うだけなら、場合によっては、そもそも松島自体を殺す必要すらなかったかもしれない。


 しかし、実際には状況は違った。殺害決行の決定と実際の決行日の決定が、2段階の指示だったという東館の証言が出たわけだ。その間に奪える可能性がなかったとは言えまい。今になってみると、その点について改めて考えさせられたわけだ。

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