第109話 名実18 (40~41 道報 機雷事故60周年記事)


 問題は、この後の内容だった。浜辺が鮮血で染まった、阿鼻叫喚の凄惨な爆発事故現場では、当然のことながら、巻き込まれた遺体のほとんどは、到底まともな状態ではなく、遺体の個人の特定はかなり難しかったことがあった。あくまで死者数は、当時現場に居た中で、その後現れていない人物を死者として扱っただけの場合もあっただろう。


 一方、その現場に居た中で、4名で来ていた鴻之舞の技師集団の1人が、実は事故後に行方不明になったままだというのだ。ひょっとすると、公的な記録である112名ではなく、死者は113名居たのではないか、そういう中身の記事であった。


 無論、竹下と北見で会った時に、取材のおおまかな内容は、大方聞いていたこともあり、記事の内容は大方知っているはずだったが、大分だいぶ記憶から抜けていた部分もあった。


「ふーん……。今と違ってDNA検査もないし、歯医者もロクになかったはずだから、歯型からの鑑定も厳しい。死ぬ前の家なんかに残っていた指紋と照合って言っても人員が足りないし。色々大変だったろうな」

西田は、そんなありきたりの感想を、ブツブツと独り言のように呟きながら、他の記事へと目を移した。


※※※※※※※


 旭川を過ぎると、目を覚ました吉村が、新聞を読みたいと言い出したので、西田は新聞を渡して、たまたま2つとも空いていた通路を挟んだ隣のシートへと移り、ゆったりと座りながら車窓の景色で暇をつぶしていた。上川を過ぎると、人里離れた鬱蒼とした森林と山岳地帯を走り続ける。


 石北本線のサミットであり、単線の、上下列車の行き違い用に設けられている、上越かみこし信号場を超えると、白滝村(2002年当時。現在は合併により遠軽町白滝地区)の小さな集落と崖を削り取るように流れる河川を縫うように、オホーツク3号は遠軽へと緩やかな下り坂を進む。


 そしていよいよ遠軽駅へと滑りこむと、進行方向が逆になるため、西田と吉村は、それぞれシートを回転させて進行方向へと向きを合わせた。


「ちょっとホームへ降りる!」

そう吉村に一声掛けると、西田は、やや停車時間が長いことを利用して車両から降りた。特に降り立つ意味もなかったが、何となく外の空気を吸いたいのと、昨日見た「三王岩」の影響か、遠軽駅ホームからも良く見える瞰望岩を、ウインドウを通してではなく、直にじっくり見たいという気持ちがあった。


 札幌を出た時には、調度良い涼しさだったが、ドアから出た直後、軽く身震いした。おそらく昨日の三陸ぐらいの気温だろうか。背広のみでは肌寒かった。


 遠軽は、遠軽署から転勤後も、何度か通ることもあったが、勤務時代のように、瞰望岩をじっくり眺めていたわけでもなかった。そのせいか、ホームの外れから望むそれは、思ったより高さがある印象だ。昔、アイヌが敵を偵察するのに使ったと言う天然の「見張所」は、西田が日常的に見ていた当時と当然何も変わらずそこにあった。悠久の自然の時間の流れの前では、7年など一瞬の出来事に過ぎない。殺人事件の15年という時効もまた、それと大差ないものだろう。しかし、今の西田にとっては、その一瞬もまた見過ごすことは出来ない時間だ。


 そんな思いに浸っていると、停車時間の数分など、これまたあっという間に過ぎた。乗り遅れるわけにも行かないので、進行方向が変わって、最後尾から今度は先頭になる車両へと小走りに駆け込む。


「課長補佐、あれ? 何も買ってないんですか? てっきり駅弁でも買い込むつもりだと思ってたのに」

吉村が、戻ってきた西田が手ぶらだったことに驚いた……、というより明らかに不満気だった。言われてみれば、確かに、時間的には午後1時過ぎで、昼食を摂るには丁度良い時間帯だった。

「ああ、失敗した!」

思わず舌打ちするも時既に遅し。とは言っても、車内販売で買っても良いし、北見へは後1時間も掛からないで着くから、北見に戻ってからでもいいやと思い直した。

「北見に着いてからでもいいだろ?」

「まあ、大して腹は減ってないから、それでいいですが……」

吉村はそう言いつつも、口ぶりは納得出来ていないようなものだった。その後、2人は北見駅で降りてから、駅前の食堂で昼食を済ませると、そのまま北見方面本部へと直行した。


※※※※※※※


「どうもお疲れさんです」

捜査一課の部屋へ入るなり、同僚や部下と挨拶を交わす。


「どうでしたか、岩手は?」

遠賀係長が休みなので、主任の日下が、同じ捜査チームの中で声を最初に掛けてきた。

「本州とは言え、さすがに結構寒かった。今日のこっちと同じぐらいかな」

「そうですか。東北北部ですから、そう不思議なことでもないんでしょうね」

「いや、初日は結構いい感じで、ポカポカ陽気……、ちょっと曇ってはいたけど、そんな感じだったんだけどねえ」

西田はそう言いながら、お土産を部下に渡す。お土産と言っても、花巻空港で慌てて買い込んだモノで、果たして、本当の意味でのお土産と言えるかは微妙なものだった。ただ、大船渡名産の「かもめの玉子」は、大船渡市へと行っていたことを考えれば、買った場所が違うだけで、まさに地元の菓子と言えるのではないかと、ある種の言い訳を内心持ってはいたが……。


 どうせなら、田老で貰った「かりんとう」をもらった分だけでなく、買っておけば良かったと飛行機に搭乗してから思ったが、空港にも売ってない以上は、かなり遅い後悔であった。かりんとうは西田、吉村それぞれが、貰った1袋を実家に置いてきていたので、北見の同僚達に渡す分は既になかった。


※※※※※※※


 5月26日の日曜日。まさに1942(昭和17)年5月26日に発生した「湧別機雷事故」から60周年のこの日、竹下達の連載記事も最終掲載を迎えていた。竹下は、早朝から紋別支局に出勤していた。本日は濱田と共に、慰霊式典そのものを取材する予定だ。その準備もあって、取り敢えず支局に来ていたのだ。そして、本日の朝刊で自分達の記事を確認していた。


 連載最終日の今日は、60年前の事故が現在とどう繋がってくるかという、如何にも最後らしい総括の内容だった。元々、広く一般に知られていない事件が、更に風化しつつあるという事実を前に、どう世代を超えて継承していくか、戦時中のその他の出来事と含めて考える内容で締めとしていた。本日の慰霊式典そのものの記事は、明日の朝刊で別に出すことにしていた。


 月曜から日曜までの7日間、上手くまとめてきた感覚こそあったが、同時に少し不満足な点も竹下にはあった。報道する以上は、「裏取り」は当然常にしておくべきというのが、記者としては「基本中の基本」的行動ではあるが、今回は、それが弱いと感じていたからだ。


 というのも、元々事件があまりメジャーなモノではなかったことは勿論、60年という歳月の壁のため、証言や事実関係の把握が十分に取れていなかったことがあった。また、記者が少ない支局だけに、他の記事も色々書いておく必要があり、それに集中出来なかったことも理由としてあった。


 それにしても、これだけの記事を書くのに、北見青洋大学の大内教授からの情報だけを中心に書き進めるのには、やはり不安があった。何しろ大内教授が自分で直に調べた情報ではなく、前任の高田教授の数十年前の調査結果を受け継いだだけだからだ。


 新聞を机に軽く放り投げると、竹下は椅子から立ち上がって、社屋の窓の外からオホーツク海を望む。気温こそ5月末にしてはかなり低かったが、好天で遠くまで見通すことが出来た。


「天気は問題なさそうだ」

窓まで歩み寄ると、不意に顎に手を当てた。朝、顔を洗う時、ついでに電気シェーバーで剃ったはずの無精髭が、親指の腹に当たりチクっとした。きちんと剃ったつもりが、どうやら剃り残しのようだ。

「やっぱり、髭剃りもやっつけじゃダメだな……。T字のカミソリでちゃんとやらないと……」

竹下はそう呟くと、顎を何度か指で往復させて確認した。


「竹下さん、そろそろ出た方が?」

濱田がそう促すと、

「そうだな。そろそろ行くとするか」

と、竹下はカバンの紐を肩に掛けた。


※※※※※※※


 5月27日月曜日。竹下はこの日休みで、ボケっと昼前の民放のニュースを見ていた。しかし、携帯電話に突然、熊田デスクから連絡が入った。

「何か管内で事故でもあったかな」

慌てて出ると、

「おい、連載記事でクレームが本社に来たらしいぞ!」

と、いきなり叱責された。


「えー、自分の機雷事故の件ですか?」

「ああ、勿論それだ!」

「そうですか……。どんな件で?」

「説明は後だ! とにかく今からすぐ来い! わかったな!」

そう一方的に言うと、勝手に切られてしまった。


「こりゃ嫌な予感が当たったかな……」

渋い顔をすると、早速外出の準備を始める。幸い、支局までは歩いて5分程度だ。その点は助かる。


※※※※※※※ 


 部屋に入ると、既に濱田が、熊田デスクの机の前に立っていた。彼は今日は出勤していたので、とっくの昔に呼ばれていたのだろう。

「どうも」

他の記者達にも声を掛け、熊田の前まで行くと、デスクは机の上の紙を指でトントンと指して、「しっかり見るように」促した。それを受けて、竹下は紙を手に取った。一瞬ざっと見た感じ、どうやら本社の社会部長からのモノらしい。


「どうだ?」

熊田は、いきなりそう尋ねてきたが、竹下はまだ肝心の問題点までは把握してなかった。

「まだ中身を見てないので」

「早く読め!」

苛ついた熊田の声が室内に響いた。

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