第107話 名実16 (36~37)

「なるほどわかりました……。ところで、それにしても、あの堤防ですか? 凄い高さですね。津波を押しとどめるためのものですか?」

西田は場の空気を変えるように、話題を、捜査とは何の関係もない防潮堤に変えた。

「いわゆる防潮堤ですね。世界一ですよ。高さ10mで、Xの字の形で町を囲んでいます。総延長で2キロを超えます。海外からも視察に来るぐらいですから。過去の2度の津波被害を糧に作った、わが町の守護神です」

佐々木は胸を張った。

「ただ、あれだけの壁だと、三陸の綺麗な海が見えないのは残念ですね」

吉村が、悪意は無かったのだろうが、取りようによってはケチを付けるようなことを言った。

「それについては、防潮堤の向こうに行ったら幾らでも見れますから。それに防潮堤の上は普通に道になってるんで、その上から見た眺めもなかなかのもんですよ」

佐々木はそう言って笑った。


「じゃあ、後で行ってみようかな……」

西田は、時間がかなり余りそうな結果を踏まえて、時間つぶしを考えざるを得なくなっていた。勿論、ある程度そうなる覚悟はその前からあったが……。

「あ! お時間あるんですか?」

「ええまあ……。昼ぐらいまであると言えばあるんですが」

バツの悪そうに頭を掻いた西田に、

「もし良ければ、町内を案内しましょうか? 昼までならそこそこ名所は案内出来ると思いますよ」

そう佐々木が言ったと同時に、岩手美人とも言える、若い女性職員が茶菓子を持って入ってきた。


 佐々木は、女性職員が西田達の目の前に菓子鉢を置くなり、

「あのなはん、警察のお客さん時間余ってるみてえだがら、ウチの名所みたいなどご、せえでぐってくれねが?」

と話し掛けた。地元の人間同士らしく、訛のキツイ会話だった。 

「そんなら、三王岩さんのういわあだりでええのでは? ただ、わだしもすごどありますから、午後は無理です」

「うるでるこどねえ。午後じゃなぐて、午前中だ」

「そんならでえじょうぶです。でもわだすひどりで行ぐのすか? 佐々木主任もあべ」

「わかった。おれもあべ」

「そんならそういうことで」


 2人は、お互い地元の人間ということもあって、ずっと強い訛りでしゃべっていたが、吉村がチラチラと女性職員の胸元あたりに視線を2、3度やっていた。

「ああ、こいつは、胸が大きい女好きだもんなあ。おまけに美人だし」

西田は部下の様子を窺いながら、その視線の理由まで、心中考えていた。


「もう一度確認させていただきますが、お昼、つまり12時前後までは、お時間あるって話でしたよね?」

「大体午後1時前ぐらいまでなら、花巻空港の最終便に間に合うかなと思ってます」

女性職員が話し終わり出て行った後、佐々木が時間の確認を再度してきたので、西田はそう返した。

「じゃあ、私とさっきの彼女が、三王岩という景勝地を案内させてもらいますから。ついでに自慢の防潮堤にも登ってみましょう! 大した距離もないんで、三王岩見るのにそんなに時間は掛からないですから。その後防潮堤に寄って時間潰せば、丁度良いぐらいでしょう」

「そうですか。じゃあご厚意に甘えようかな……。案内よろしくお願いします。ところで、これは何ですかね?」

西田は菓子鉢に入った、丸い小さい煎餅のようなものを指さして尋ねてみた」

「これはですね、ウチの町で有名な菓子店のかりんとう(作者注・田中菓子舗の『田老かりんとう』で、そこそこ有名な菓子のようです)です。見た目は、普通のかりんとうとはかなり違いますけど、かりんとうです」

「ほう……、この形でかりんとうなんですか。じゃあちょっといただいてみようかな……」

そう言うと口に運ぶ。確かにかりんとうの味がする。そしてかなりの歯ごたえだ。バリッボリッと音を立てながら香ばしさを味わっていたが、いつもなら食い物には目がない吉村が、まだ手を出してないので、不思議に思っていると、突然口を開いた。


「すいません、さっきの女性、名札見たら、『及川』さんって方のようでしたが?」

その発言を聞いた西田は、思わず咳き込んだ。結婚している部下が、気に入った女性の名前を聞き出そうとしていると思ったからだ。すぐにでも止めさせようと、急いで口の中にまだあったかりんとうを飲み込もうとした。


「ちょっと、聞いてもいいですかね?」

飲み込んでいる最中にも、更に何か聞き出そうと吉村はした。

「お前! ちょっといい加減にしろよ!」

吉村は、西田が突然太ももを叩いて、発言を止めようとしたことに驚いた表情を浮かべ、

「え、何かまずいんですか?」

と聞き返してきた。さすがに具体的な「理由」を、この場でそのまま口にするのは憚られたため、西田は口ごもった。


「何にも問題ないですよね? じゃあ……。佐々木さんと及川さんのさっきの会話聞いていて、少し気になったことがありまして……。方言について詳しくないんで、もし間違ってたら申し訳ない。アベさんという人が、さっきの話に関わってるようには聞こえなかったんですが?」

吉村の言いたいことが西田にはよくわからなかったが、佐々木にもよく伝わっていなかったようだ。

「ちょっと意味がよくわからないんで……」

そう言いかけた後、突然

「ああ!」

と声を上げると、

「そうかそうか! 確かにねえ」

と笑い声を上げた。


「『あべ』の部分ですね、おっしゃってるのは?」

「ええ」

吉村は、佐々木に確認されて深く頷いた。

「あのですね、『あべ』ってのは、こっちの言葉で『行こう』とか『行きましょう』って意味なんですよ。紛らわしくて申し訳ない。そりゃ、地元の人間でもなければわからんですよね」

苦笑した佐々木を尻目に、西田は、吉村が重大な点を突いていたことをやっと理解した。女性職員の胸元をチラチラ見ていたのは、彼女の名札をチェックしていたかららしい。話を聞き出して、西田の方へ顔を向けた吉村も明らかに興奮している様子が見て取れた。


「その件で、もうちょっと確認させてもらっていいですか?」

「はい? どうぞ」

突然、西田が話に割り込んできたので、佐々木は再び素っ頓狂な顔つきになった。

「あべってのは、岩手じゃ一般的に使われる方言ですか? それとも田老周辺だけの方言なんですか?」

「理由がわからないけど、また随分突っ込みますね。御二方がそこまで執心する理由はわかりませんが、『あべ』は『ああべえ』やら『あえべ』、『ええべ』などある程度パターンがあるかと思いますよ。それから、私も詳しくはないんでわからんのですが、宮古や田老だけじゃなく、おそらく岩手県全体的に使うと思いますね」

そこまで聞くと、西田は吉村に、

「ひょっとしたら、ひょっとしたかもしれんな」

と小声で告げた。

「ぶちあたりましたかね……」

吉村も短く応じた。


「もうよろしいですか? 構わないなら、出かける準備をしてきますが」

「あ、いやどうもすみません! 早速行きましょう! いや、『早速アベ!』」

西田は付け焼き刃の知識で応じてみせた。

「そうですそうです! そんな感じ」

佐々木も内心は呆れていたのだろうが、愛想よく付き合ってくれた。


「じゃあちょっと用意してくるんで。すぐ戻ります」

佐々木がそう言って退出すると、2人にとっては、もはや観光話などどうでも良くなっていた。すぐに北見の遠賀係長に電話し、警察庁・組対部・須藤係長の電話番号を聞き出した。勿論すぐに須藤に連絡を取る。


※※※※※※※


 死んだ鏡の関与がわかった後、テープで「早く一緒にアベ」と叫んだ人物が、鏡本人かどうか親族に確かめた際、「似ていないような気もするが、本人かも知れない。正直よくわからない」という回答を得ていた。残念ながら、殉職した北村の録音状況が、鮮明な音声を録音出来る状況でなかったこと。そして実行犯の二人共、声が特徴的ではなかったことの2点から、「アベと叫んだのが鏡ではない」という否定論とは、当時の捜査で結びついていなかった。


 しかし、もし「アベ」の意味するところが、相手の苗字ではなく、方言の「行こう」だとすれば、テープを聞いた鏡の親族の違和感と、捜査線上にアベが浮上してこなかった理由の説明がいとも簡単に付く。勿論それだけではない。「早く一緒にアベ!」の意味も全く問題なく通じることになる。そして、その後の「悪い癖が出た」発言も、思わず出た、他者には理解できない自分の方言に対し、「悪い癖」と考えたことにも繋がる。


 勿論、話の辻褄が合うようになるのはそれだけではない。鏡を殺したホステスの証言で、鏡が事件後にうなされていた時に発した言葉が、現場で録音されていた「コンセントの所だってよ、早くしろ!」と言うものと、ほぼ一致していた。しかし、話の流れ上、「アベ」と呼び掛けられた方が叫んだセリフとするなら、今までのアベが姓だという前提では、鏡がアベと呼び掛けられたことになり、辻褄が合わなくなっていた。しかし、アベが名字でないとするならば、その点についても問題がなくなるわけだ。まさに、新たな捜査の道筋が見えてきたと言えた。


※※※※※※※


「北見方面の西田ですが!」

「はいはい、先日はどうも」

決まりきった挨拶だが、若干冷淡な気がしたのは、お互いに余り好印象を持っていないせいか。

「鏡の共犯の件で、確認してもらいたいことが急遽わかったんだが、調べてもらえますかね?」

「それは別に構わないですけど……、調べるに値するんでしょうね?」

須藤は、何やらいきなり牽制球を投げてきたが、その時、佐々木が戻ってきたので、西田はそちらに向けて軽く会釈して会話を続ける。


「値するかどうかはわからないけれど、ひょっとするとと言うところかな」

既に、西田の中では確信に近いものがあったが、須藤の

「それじゃあ困るんですけどねえ、こっちも暇じゃないから」

と、舌打ちしながらの発言を聞き流しながら、本題に入る。

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