大島指紋採取実行

第86話 明暗65 (258~259)


 最終的に、事情を知っている北見方面本部の鑑識主任・柴田と、お目付け役的な立場を担う比留間管理官も加え、警備そのものに参加する竹下を除き、沢井課長、西田、吉村、黒須、大場、遠軽署鑑識の松沢主任、合計8名が、裏捜査することになった。大場を入れたのは、直近では北見に出入りしていないので、仮に警備担当と鉢合わせしても、怪しげな行動には見られないのでは? という、やや心配性な考えからだった。


 細かい点については、沢井に指揮を任せ、竹下は警備課との打ち合わせ、西田と吉村は射殺事件の捜査に、基本的には計画実行日まで従事していた。また、伊坂政光が会合に参加しない理由は、土日に会社の関係で札幌に出張するかららしいと、どこからともなく情報が入ってきていた。


 大友や倉野、比留間によるヤクザ関係の洗い出しは、「アベ」という苗字、葵一家との関係性がある全国の構成員・関係者にまで及んでいた。しかし、なかなか該当者が絞りきれていなかった。同姓で可能性がある者が何名か居たが、いずれも犯行日の前日、当日、翌日のいずれかに明確なアリバイがあり、時間的、物理的に、まず犯行は無理であると判断されていた。そのような流れもあり、「アベ」発言とは捜査を撹乱する目的のデマを流したのではないかと言う考えまで、首脳陣の間には生まれたらしい。


 しかし、北村が音声を録音していたと、実行犯の2人が知っていたかどうかは、西田からしてもありえない話だった。仮にもしそうだとすれば、中途半端に、仕掛けていた盗聴器の存在を匂わせたとは思えないからだ。そもそも知っていたとすれば、テープをそのまま現場に残したのは、警察の捜査への「罠」でしかないが、そこまで知能犯という印象も犯行の様態からは見えなかった。


 そして、おそらく浜名の自死は、彼が設置したと思われる盗聴器による盗聴を示唆しているはずだった。ただ、テープの中身を捜査員全員が全て把握しているわけではない以上、それらの推理については未だに公に出来ないでいた。全部を開示する状況になるかは西田の専権事項ではない


 一方、佐田実殺害事件からの、共立病院銃撃殺人事件へのアプローチは、伊坂や松島の周辺への聞き込みを終えてからは、ほとんど2つの捜査へと変貌していた。


 まず1つ目は、ヤクザの洗い出しへの捜査協力。これは西田や吉村のように、「アベ姓」についての情報を知っているモノは、大友達の調査済みリストの再チェック、そうではない一般捜査員は、道内や全国の葵一家系ヤクザの全体的な情報を中心にしたチェックだった。


 2つ目が、逃亡犯の行動範囲を考慮すると、周辺にアジトのようなモノがあったのではないかということを元に、逃亡に使われた盗難車があった空き地の半径2キロまでの、単身世帯用の賃貸物件を洗うことだった。事実、事件直後の検問設置はかなり迅速であったが、犯人には事実上逃亡されていた(と見てよかった)。


 当日の検問設置は、郊外から市内中心部へと狭める形でされていたので、時間的にも車で逃亡した場合、検問をくぐり抜けて市外へと出た可能性は低いと見てよかった。勿論、抜け道や山林などを通った可能性や徒歩による脱出もあり得ないわけではなかったが……。


 そうなると、どこかで警察による検問等の動きが一度収まるまで待ち、それから逃亡を実行したという「時間差攻撃」を行った可能性があった。その場合、ホテルなどでは捕まる可能性がかなり高い上、実際のところ、警察側もチェックしていたのだから、その点は無視して構わないはずだった。また、北村が松島の病室へ聴取に訪れてから殺害までの時間的近接性、そして、かなり事前から準備しておかないと、「上申書」を渡すタイミングに併せて殺害出来ない点を考慮すれば、事件発生前からある程度の期間、北見に入っていないとならないという点とも合致していた。


 当然とも言えるが、事件から5日程度経った頃、空き地から半径1キロまでの賃貸物件へのチェックは、実は捜査本部は既にしていた。それを2キロに広げて、当時該当人物がいなかったか再チェックしていたのだ。


 結局のところ、その2つへの捜査協力に忙殺されるばかりで、佐田実事件からの捜査については、実質的に動き様がない状態が続いていた。原因の大半は、大島海路へ直接結び付く証拠がないのと、埋めつつあった外堀が指紋の不一致でおかしなことになっていたからだった。温根湯温泉での「最終決戦」に、これからの捜査方針がどうなるか懸っていると言えた。


※※※※※※※


 12月9日土曜の午後、一見、刑事とは思えない私服の男達が、ホテルのラウンジに待機していた。そこにフロントから戻った西田がやって来た。

「部屋割りどうしようかな……。比留間さん、柴田さん、松沢と、その他で分けましょうか?」

西田の提案に対し沢井は、

遠軽刑事課うちはそれでいいが、比留間さんは?」

と確認した。実は直前に、3部屋取る予定を2部屋に変えていた。予算の問題もあったが、たくさん部屋を分けると、いちいち捜査員が移動するのが面倒ということもあった。


「半々じゃなくていいのか? いいならそれで構わんよ」

比留間は新聞を見ていたが、一度西田の方に顔を向けると、そう言って再び紙面に向き直った。

「じゃ、そういうことにしましょうか。一息入れたら部屋へ行きましょう。これ比留間さん」

西田から比留間管理官、沢井課長にそれぞれキーが渡された。その時、比留間が新聞を机に広げたまま置いたのだが、紙面は、前日12月8日の高速増殖炉のナトリウム漏れ事故の記事だった。西田も前日の夜のニュースで知っていた。先日の高垣の原発事故の隠蔽話もあり、「やっぱり安全ではないんだな」と漠然とした感想を持っていた。


※※※※※※※


 高速増殖炉とは、MOX燃料(プルトニウム・ウランの混合酸化物)を使用して、消費したエネルギー以上の燃料を得られるという「夢の原子力発電所」である。しかしながら、冷却に「金属ナトリウム」を使わなくてはならないなど、大変危険が伴う。ナトリウムは非常に発火性が高く、また水に対しても急激な反応を示すなど、安全管理が難しいとされるもので、「夢の原子力発電システム」でありながら、各国が導入をためらった大きな理由の1つである(他にも要因が多々あるものの割愛させたいただきます)。日本でも高速増殖炉「もんじゅ」が1995年12月8日にナトリウム漏れ事故を起こしている。現時点で廃炉の方向へと政策が変更される見通しである。


※※※※※※※


 しばらくすると、比留間が新聞を読み終わったので、タイミング良く一同は揃ってエレベーターへと向かった。


※※※※※※※


 大島は、朝一の便で女満別に着き、そこから網走の支援者詣しえんしゃもうでを済ませ、午後は北見の支援者との会合をし、そのまま温根湯温泉で親交会の予定だと言う。竹下は昨日から既に北見入りし、もう警備の仕事に入っている。全体的な状況は逐一、大友部長から、警備課長を通じて情報が入っているようだ。名目は竹下の仕事ぶりのチェック目的だが……。


 2つの部屋は、当然隣同士で和室だったが、思ったより広く小奇麗だった。隣の部屋も同じ広さだったが、鑑識作業のための大きなバッグが3つあったせいか、やや狭く感じた。やはり、数を半々にしないで良かった。これで、ホテル内に2部屋による簡易の捜査本部ちょうばが完成したわけだ。


 ただ、今は部屋で一仕事前にリラックスした感じを、どちらの部屋も醸し出していた。あと数時間で、色々と忙しくなってくる。取り敢えず今はゆっくりして、2時間後の事前の確認打ち合わせに備えた。


 午後6時過ぎ、大島海路と地元駐在の秘書である中川、支援者十数名一行、並びに北見署・北見方面本部の警備課、そして竹下がいよいよホテルに到着したと、ロビーで待機していたから大場から西田に連絡が入った。


 因みに中川秘書は、80年代から大島の地盤の網走と北見地区を仕切る役割の、番頭と呼ばれる地元の筆頭秘書であった。大島の地盤は、本来は網走が地元中の地元ではあったが、票田としては北見地区の方が大きいこともあり、ほとんど北見の事務所に勤務している秘書でもあった。大島海路の言うことは何でも聞く、言わば「イエスマン」だが、同時にその威光を元にして、地元ではかなり顔の利く立場だと言う。


 そして「御一行」が滞在中、竹下が上手く隙を突いて、大島が触れて指紋が付着した対象物を入手し、こちらに随時提供してもらう予定だ。


 竹下は、大島が一息ついて風呂に行く間に、大島が飲んでいた湯呑みを手に入れようとしたが、室内には秘書がそのまま待機していたので、第一のチャンスはまず諦めた。そのことについて、機を窺って、西田達に「失敗した」と短い電話報告が入った。


 次のチャンスは夕食だ。これを逃すと、翌朝の朝食まで機会はおそらくないだろう。西田から発破をかけられ竹下は気合が入ったが、相手や周囲の状況もあり、そう簡単に行くかどうかはわからなかった。勿論それ以前に、何か指紋が付着し、それを持ち出し確保出来るような機会があれば、躊躇せず実行するのみである。


 一方、西田達は、後の仕事に備え早目の夕食を味わっていた。否、確かに味わってはいたが、心から楽しんでいられる心中ではなかった。竹下から大まかな「実行予定」を聞いていたので、大島達が夕食を摂る前には済ませられるとは考えていたが、竹下がいつ指紋を確保するかわからないので、落ち着かない状態だったのだ。そんな中でも、吉村は余裕で舌鼓を打っていたように見えたのは、大物なのか鈍感なのか……。


「吉村、大場は今食べずに張ってるんだから、そんな呑気な面してないで、ちったあ後輩のことも考えて食べろよ」

そう軽く嫌味を言ったが、

「そんなこと言われても、俺は最近北見に出入りしてるから、連中に会うとマズイんで、目につく所には居れないって理由でこうなってるだけですから……」

と不貞腐れたような言い訳をした。ただ、その言い訳は屁理屈ではなく、真っ当なものではあったので、

「それはそうだが……」

と言いかけたところで、

「大事の前にくだらんことで言い争いするな! せっかくの美味い飯も不味くなる」

と課長に軽くたしなめられた。


※※※※※※※


 西田達が夕食を終えようとしていた頃、湯から出て来た大島達は、小宴会場での夕食を開始した。警備は宴会ということもあり、外から入り口付近を固めるだけだったが、フスマは開けっ放しなので、中の様子は常にチェック出来ていた。ただ、直接室内に入れないので、使用済みの食器やビール瓶、徳利などを自分の手で入手するのは無理がある。仲居も呼び止める暇もなくせわしない動きで、他の警備担当の目もある。案外難しいことに、今更ながら竹下は気付かされた。いざとなれば、仲居を呼び止めて、大島以外のモノもまとめて、という覚悟も決めていたが、チャンスは意外な所からやってきた。


「アチッ」「あーあ」「やっちゃったあ」「大丈夫か?」「フキンくれ!」

という複数の声が宴会場から響いた。様子を窺うと、大島海路後援会の斜里しゃり支部の会長が、酔って御膳の上の小鍋をひっくり返していた。丁度、大島から斜め対面の位置に座していたので、竹下は好機到来と駆け寄った。秘書の中川もトイレに行っていたようでその場に居らず、仲居がその時点で室内に一人しか居なかったのもラッキーだった。


「大丈夫ですか?」

竹下はそう言いながら、ふきんを持ってきた仲居からふきんを取り上げ、

「もっと持ってきてください」

と指示し、その場を離れさせた。どうせすぐ他の仲居もやってくるだろうが、一時的にせよ少ない人数でその場を仕切っておきたかった。もう一人の警備担当と共に、畳を拭きながら、チラリと大島の方を見た。大島はさすが大物政治家だけに、右往左往することもなく、どっしりとその様子を見ていたが、大島の横には、先程飲み終えたばかりの徳利が置いてあった。確実に大島がそれに両手で何度も持つように触れていたのは既に確認済みだったので、竹下は、色々片付ける振りをしながら、ドサクサに紛れ

「危ないんでこれ片付けてよろしいですか?」

と大島にお伺いを立てた。これが初めて直接交わす会話だった。

「ああ、構わんよ」

酒が入っていたせいか、テレビで聞いていた声より、否、ホテルに来るまでの会話での声よりは、高めの声でそう返された。そして、竹下が最初から想定していたように、背広の裏にセットしていた大きめの袋に、上手く目立たないように忍ばせることに成功した。本来ならば、直接手を触れるのは憚られるが、手袋をして警備するのも明らかに不自然なので仕方ない。既に鑑識の2人には、竹下の指紋は提出済みなので、それは除外してくれるはずだ。そして、そのままやってきた仲居と共に、処理を済ませると、何食わぬ顔でそのまま警備に戻った。


※※※※※※※


 それから30分程、竹下は宴会の警備に従事したが、夕食を摂るための交代が入ったので、隙を窺い西田に連絡を入れた。すぐに大場が徳利を取りに向かい、首尾よく臨時の捜査本部ちょうばに戻った。既に比留間側の部屋に全員が待機していた。


「これです!」

エレベーターを使っていたとは言え、緊張感のせいか息が切れ気味の大場から、ビニールに入った徳利を柴田が受け取り、松沢と共に鑑識作業に入った。

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