第18話 王道は正義! シンデレラにリトル・プリンセスは永遠にすべての女子の憧れなのです

 私はタイムスリップにおける重大な禁忌を犯してしまったのだろうか。それとも、私がしたことによって逆に史実通りに進むことになったのだろうか。

 しかし、紫式部が男だなんていままで聞いたことがないし……。

 やっぱりここは平安時代によく似た異世界なのだろうか、と悩んでいると、車の外からいままでこの時代にタイムスリップしてから聞いたことのないような大きな声が聞こえてきた。

「おう、お隣さん、どこかにお出かけかい」

「ああ、最近、都のいちだとどうにも物が売れやしない。ちょっくらこれから近江辺りまで行商に行って来ようと思ってな」

「そうかい、気をつけて行っておいでよ」

「ありがとうよ」

 私が驚いていることに気付いたのか、式部さんは車の側面についている小窓を指して、

「そこから覗いてみればいい」

と言った。

「あっ!」

 外の光景を見て、私は思わず声を上げる。

 私がタイムスリップして降り立った場所も、その後、惟規のぶのりさんにお邸まで連れて帰ってもらった道々にも、周りには大きな邸宅しか見なかった。もちろん、その邸宅というのは、現代なら大きな由緒あるお寺の周りに巡らせてあるような立派な塀で周囲を覆われていたので、おそらく大きな邸宅がその内側にあるのだろうという推測しかできなかったわけだが。

 しかし、いま目の前にあるのは、塀などない木でできた小さな小屋のような建物群。間口もせいぜい3、4メートルぐらいにしか見えない、本当に小さな家ばかりだ。間口から想像するに、よほどウナギの寝床のような構造をしていない限り、その中にはせいぜい六畳から十畳ほどの部屋がある程度の大きさではないかと思われる。屋根も、瓦葺きなどではなく、薄い板が乗せられているだけだ。

 時代劇ドラマでよく出てくる長屋が、更に貧相になったような建物だ。

「ここは?」

 式部さんに尋ねると、

「五条の辺りになる。我が邸があるのは四条の辺り。五条辺りからは、平民ただびとたちの暮らす小家こいえも目立つようになってくる」

と、答えてくれた。

 “ただびと”とは、聞いたことがない言葉だったけれど、いまで言うところの庶民というところだろうか。

 先ほど、行商に行くと言っていた男の人も見送った男の人も、貴族には見ない服装だった。貴族よりだいぶ丈の短い袴を履いている。ふくらはぎの辺りまでしかない袴だ。戦国時代の武士が、戦に出るときのような短い裾がすぼまった袴を履き、トップス部分もボトムス部分も貴族の衣のように鮮やかな色ではなく、茶色やベージュの地味な色合いだった。布ももっと、ゴワゴワしているように見える。

 しかし、何より驚くのは周囲から聞こえてくる喧噪だ。

 貴族の邸ばかり建ち並んでいた区画では、ほぼ何の声も聞こえて来なかった。おそらく塀から邸までの間に広い庭園かあるせいで、中に住む人たちの声が外に漏れないせいだろう。

 そして、道路にも現代のような大きな騒音を出す車が走っているわけではないから、通り自体とても静かなものだった。たまに、牛の鳴き声が聞こえてくる程度である。しかし、ここは違った。

「おまえは家の手伝いもしないで何をほっつき歩いているんだい。さっさと家の中にお入りよ」

「ああ、市に行くのかい? それなら、ついでに米を買って来てもらえないか」

「今年は豊作かねえ。ついこの前はお天道様が欠けたし、心配だよ」

など、様々な声が小さな家から漏れ聞こえてくる。

 当然、防音措置も何も施されてなどいない、板一枚に遮られているだけで、ほとんどの家が窓を開け放っているため、家の中の会話まで通りに筒抜けなのである。

 この時代に来て、初めて活気ある人々の様子を見たような気がした。

「市もあるんですか?」

「ここよりもう少し下った七条辺りに、東の市と西の市がある。月のうち前半は東の市が、後半は西の市が開く。我々は直接行かぬから聞いた話でしかないが、布や米、魚に馬など、なんでも手に入るそうだ」

「月のうち半分しか営業しない市だなんておもしろいてすね」

 私は素直に感想を述べた。

「香子殿のいた未来では、どの市もいつでも開いているものなのか」

と、式部さんは驚いた顔を見せる。

「そうですね、コンビニなんかは年中無休、365日24時間休みなしで営業していますね」

「こんびに……? 365日というのはよくわからぬが、それは常に開いているということか。それでは、その店の主はいつ休むのだ」

 式部さんの問いを聞いて、この時代は太陰暦だから、一年は365日ではなかったのか、と気付く。

「そうです。一年中毎日、休みなく開いているということです。未来は、この時代よりもたくさんの人がいるので、何人もの人がその店で順番に働いているんですよ。職の方が足りなくて、人の方が余っているぐらいかな……?」

と補足説明をした。

「その“こんびに”とやらいう市では、どんなものが手に入るのだ?」

「そうですね、なんでも。生活に必要なものが売っています。食べ物、飲み物、それに本も少しだけど置いてありますよ。先ほど話した、“書店”よりはもちろん数は少ないですけれど」

「未来は、本当に便利なのだな。そのように簡単に書物が手に入るとは、未来の人々がまこと羨ましい……」

 式部さん的には、24時間オープンしていることよりも、本が簡単に手に入ることの方に感嘆の中心が移ったようだ。

 しかし、式部さんが羨ましがるのも確かに理解できる。

 この時代は本当に、娯楽が少ないのだ。

 それに比べて、平成の世では娯楽が多すぎて困る。学校から帰宅して寝るまでの間に、やることが多すぎてつい睡眠時間を削ってしまうほどだ。

 帰宅時間、電車の中で何もなくボーッとしているということはまずない。スマホをいじってアプリのゲームで遊んだり、オタク仲間と作っているLINEのグループで話したり、ツイッターのタイムライン警備に勤しんだりと忙しい。家に帰ってからは、マンガを読んだり、据え置きのゲーム機やパソコンのゲームで遊んだり。遊んでいるうちに萌えが高まって、その高ぶりを鎮火することができないことは、その萌えを駄文として書き綴ったりもしている。深夜になると、アニメも見なければならない。その他にも、もちろんネットで動画を見る。お気に入りの声優さんのラジオがある日はそれを聞く。ラジオがない日はドラマCDを聞いて萌える。そして、また萌えが高まったら……以下略、ループ。

 正直、平成の世では、一日が24時間では短すぎる。そんな寝不足な毎日を送っていた。

 それが、この時代に来てみたらどうだろう。タイムスリップした初日にとても驚いたものだが、とにかく灯りが暗すぎて、日が暮れたらもう寝るしかないのである。もちろん、式部さんのようにこの時代の文字が読めたなら、暇つぶしに物語も読んでみたいとは思う。しかし、私には読めない書物ばかりなので、日が暮れたらおとなしく諦めて寝る。こちらに来て、実に健康的な毎日を過ごしているように思う。

 そして、貴族の邸の奥に居候させてもらっていたから、私は働く庶民の人たちがいるということをすっかり失念していたのだ。私たち、千年後の庶民はみなそれぞれ余暇に娯楽を楽しんでいる。ときに、ブラックと言われる企業に入ってしまって残業だらけ、余暇なんて夢のまた夢という話を耳にすることはあるけれど。それでも私たちは、最初に式部さんに指摘されたようにまるで貴族のように恵まれた生活を送っていたと思う。

 目の前で働く彼らには、私たちのように娯楽を楽しむ時間はあるのだろうか。私がもし、この界隈に跳ばされていたとしたら、いったいいまごろどうなっていたのだろうか。

 この時代に来て初めて見る、庶民の働く姿を見て、私はそんなことをぼんやりと考えていた。

 そんな感慨をもって五条の界隈を眺める私に、式部さんが問いかけてくる。

「未来のこの辺りには何があるのだ? 人は住んでいるのか?」

 京都の五条通り……。私自身、京都に住んでいるわけではなく、修学旅行で訪れただけだから、正確にそこに何があったかは覚えていない。

 京の五条と聞くと、「京の五条の橋の上~」という、牛若丸と弁慶の歌を思い出してしまうのだが、それはこの時代よりももう少し後のことだったと思う。

「う~ん、お寺がいくつかあったと思うんですけど」

 観光バスの車窓から見た京の町は、他の都市に比べてあちこちに寺社が目立つ。そのため、この辺りにも寺がいくつかあったようにしか覚えていない。

「寺? と言っても、ごく小さなものであろう?」

 そう問われて、私は一生懸命バスの中で見た風景を思い出す。

「う~ん、はっきりとは覚えていないんですけど、ここからもっと南に下れば大きいお寺がいくつもあったような気がするんですよね」

「いくつも? 東寺と西寺のふたつであろう?」

「いえ、他にも……あ、そうだ本願寺! 西本願寺と東本願寺という大きいお寺が確かありました」

「なるほど、千年も経つと随分と都も様変わりしてしまうのだな」

と、式部さんはため息をついた。

 私の答えは、そんなに式部さんを落胆させるようなものだったろうか。京都と言えば、たくさんの寺社がある観光都市であるというのが現代人にとっての常識だ。

「確かに、この五条大路をそのまままっすぐ東へ行くと、清水寺に至る」

「あ、清水寺! 行きましたよ! もうこの時代にあるんですね」

「ただ、清水寺があるのは洛外。洛中……、つまりこの都を守る羅生門の内側にあるわけではない。洛中にある大きな寺と言えば、東寺と西寺だけなのだ。他はすべて、貴族たちが私的に祀っている小さな御堂ばかり」

 千年の時を隔てても、清水寺という同じ寺がそこにあるという事実に私は感動を覚えると共に、平安時代の京都には寺が少なかったという事実に驚いた。

「なぜ、東寺と西寺しかないのですか?」

 西寺なんてお寺、あったっけ? と思いながら、式部さんに問う。

「この都ができたのはいまから二百年以上前だから、私も言い伝えしか知らぬ。ただ、桓武天皇がこの山城国やましろのくにに遷都されたとき、洛中に建立を許したのは東寺と西寺のみだった。奈良に都があった頃には、その都の内にたくさんの寺院が建ち並び、力を持ちすぎた仏教勢力が政権を担う者として邪魔だったからだとも言われている。だから、これまで人が住んだことのなかった山城の土地を選び、寺を建てる場所は洛外に限ったのだ、と」

 なるほど、と私は頷く。

 この先の歴史を過去の人である式部さんに話すことはできないけれど、戦国時代になっても仏教は大きな力を持っていて、天下を取るためにはとても邪魔な存在だったらしい。信長が比叡山を焼き討ちしたり、本願寺勢力や一向一揆との戦いに手をやいていたのは、有名な話である。……きっと。私の場合、すべてマンガやゲームからの知識でしかないが。

 そんな信長の苦労を考えると、最初から仏教を都の内から排除しようとした桓武天皇というのは、すごい人だったんだな、と思う。平城京から遷都されて以来、江戸時代が終わるまで都が京都から動かなかったのも、それだけいろいろなことを考慮して造られた都だったからなのかもしれない。

 現代、特にゲームやマンガの中では、「平安京は風水的に守られた都市だから」なんてよく言われている。でも、きっとそれだけじゃなかったんだろうな、とあらためて思った。

 そんな思いに耽っていると、人の声に混じって、「ゴンゴンゴン~」と平成の世では聞いたことがない大きな音が聞こえてくる。

「何の音ですか?」

「実は、私もこの辺りに来るのは初めてなのだ。だから、よくわからぬが……。あの小家から聞こえてくるようだ」

 式部さんが示す方を見ると、家の中にうすのようなものがあり、その杵の部分に長い棒が取り付けられている。その棒の部分を男性が踏むと、杵が臼に「ゴン」と勢いよくぶつかるのだ。家の窓が開け放たれているので、その作業の様子がよく見える。てこの原理を使って、重い杵を一人で動かしているらしい。周囲には、稲穂のようなものが見えるから脱穀でもしているのだろうか。それとも、何か餅のような食べ物でも作っているのか。

 この時代の式部さんにわからないものが、私にわかるはずもなかった。

「この辺りの人たちは、みな何かの商売をしているのですね」

「そうだな。あとは、貴族の邸に仕えている雑色ぞうしき雑仕女ぞうしめたちも、この辺りには住んでいるだろう」

「“ぞうしき“?」

「そなたはまだ顔を会わせたことはないと思うが、我が邸にもいる。水を汲んだり洗濯をしたり掃除をしたり牛の世話をしたり。邸の雑務をする者たちのことだ」

 ということは、私が用を足したものを片付けてくれる人たちのことだろうか、と思い出して恥ずかしくなった。

 そういえば、私に毎朝着付けをしてくれる侍女の人は、本当に身の回りのことしか世話してくれない。手も水仕事をしている人には見えないし、ご飯を運んで来てくれるけれど、このご飯はいったい誰が作っているのだろうかと思っていた。貴族に仕えている人にも、様々な階級があるということなのだろう。それこそ、ピラミッドのような階層社会なのだということに気付かされる。

 私は本来なら、ここで働く人たちと同じ、一般庶民だ。だからこそ、偶然王子様と出会ってプロポーズされたり、異世界に行ったら急に偉い巫女様扱いされたり、プリンセスに転生していたりという夢を見るのだ。あり得ない出来事だからこそ、人は妄想する。

 たとえば、ここに住む人たちの元に、先ほど式部さんと共に作り上げた悲劇のプリンス源氏の君がやって来たらどうだろう。

 源氏の君は、身分の低い女性から生まれたとはいえ、この五条辺りに住む人たちから見たら、高貴な人であることに変わりはない。

 たとえば、私の元に「愛していますよ」とやって来たプリンスが、皇位継承権を持つ第一王子だろうと、庶子の第五王子だろうと、私の興奮度はさほど変わらないはずだ。

「この辺りに住むような人のところに、先ほど作った物語の主人公……仮に“源氏の君”としておきましょうか。彼がやって来たらどう思うでしょうか?」

と、私は式部さんに問う。

「“やって来たら”というのは、“突然訪問したら”という意味か?」

「いえ、この辺りに住む身分のあまり高くない人のところに恋人として通って来るんです。ただ、物語を読むのは貴族なのだから、完全に庶民じゃダメですよね。たとえば、もとは貴族だったんだけれど、零落おちぶれてしまって、身を隠すようにこの辺りに潜んでいる女性の元に、通って来るんです」

 小公女のようでもあり、シンデレラのようでもあるが、いずれにせよ女子にとって永遠の憧れ的シチュエーションであることは間違いない。

 栄華からの没落、そして救ってくれる誰かの訪れ。

「『落窪』の話のようだな。私は男だから女子がどういった場面で喜んでいるのかよくわからないのだが、既にそのような物語があるということは、きっと受け入れられるのではないか」

 式部さんは恋愛に対して鈍感だから、男子の萌えポイントもわからないんじゃないですか、とツッコミたい気持ちを抑え、目下の疑問を解決すべく私は尋ねた。

「『落窪』……先ほども、名前を聞きましたが、それはどのような物語なのですか?」

「落窪の君はもともと中納言の姫君だったが、中納言が再婚した継母にいじめられることになる。そこに右近少将うこんのしょうしょうという貴公子が現れて、姫を見初め、契りを結ぶ。そして、その虐げられていた落窪の君を救い出し、継母に復讐をするのだ。右近少将は後に太政大臣にまで昇進し、落窪の君は幸せに暮らした」

 女子のツボを非常によく抑えているが、どこかで聞いたような話だ。

「あ、それって、そのままシンデレラと同じ話!」

「しんでれ……?」

「あ、ええと、外国の物語です。よく似た話があって。でも、やはり不遇の姫が高貴な男性に救われ、めでたしめでたしというのは、王道なんですよ! だから、どの国にも似たような話があるってことですよ! 私をこの不幸から救ってくれる王子様、ウェルカム! これは、もう女性の憧れですって!」

と、興奮気味にまくしたてる私に式部さんは圧倒されたように

「あ、ああ」

と頷いた。

「それなら、そういった女君も登場させてもよいかもしれぬな。もしかしたら、お主上かみには手の届かぬような、中宮様の女房たちも物語を読むやもしれぬから」

ということで、五条辺りに住む女君も脇役として登場させることが、私の一存で決まったのであった。

 しかし、これも……やはりどこかで聞いた話のような気がするのである。

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