番外編
番外編 その後の惟規さん
大学寮から邸に帰って、何をするともなく『後漢書』を眺めていた私の目に、「
途端に、
「わ~、
という元気な香子さんの声が頭の中で再生された。
私たち貴族なら当然知っていることを知らず、貴族の女性の知らないことをたくさん知っている、千年先の世からやって来たという不思議な女性。
彼女の一挙手一投足を思い出して、私は思わずクスリと笑ってしまう。
そんな私の笑い声は荒れ果てた邸の中、ただ空虚に響いた。
――この邸はこんなに広く、静かで寒々しかっただろうか。
と、考えを巡らせて
――……ああ、香子さんが邸にやって来る前の状態に、戻っただけなのだ。
ということに、私は気付く。
そう、香子さんが邸にいてくれた日々は、何かと賑やかな毎日だった。
貴族の常識を教えて欲しい、琴を教えて欲しい、かな文字の読み方を教えて欲しい。
そう言って、私の部屋を香子さんが頻繁に訪ねて来てくれていたから、この荒涼とした邸にも一時灯りが点ったように、活気があったのだ。
香子さんのいた日々を私は懐かしく愛おしく思った。
この溢れてくる思い。
歌が上手な人なら和歌を詠むだろう。私は漢籍が専門なのだから、漢詩にまとめるべきだとは思う。
でも、香子さん、あなたに伝えるのなら、あなたも読めるようになった、かな文字の日記風がよいだろう。
と言っても、当然ながら、香子さんに渡す予定はまったくない。
それでも、私は自分の気持ちを目の前の紙へとしたためていった。
『香子さん、あなたと逢う前までは、兄と自分を比べて「どうせ私には兄のような才能なんてないんだから」と、自分のことをただ卑下するばかりでした。「才能のない者は努力したって無駄なんだ、父だって私には期待なんてしていないはずだ」と思っていたんです。
でも、香子さん、あなたの頑張る姿を見て……そんなふうに何もかも諦めている自分のことがとても恥ずかしくなってしまいました。
千年先の世から来たというあなたは、かな文字すら読めませんでしたね。琴にも触れたことがないとおっしゃっていた。
それなのに……。
あなたは、諦めるということを絶対に選択しなかった。
知らないことにも果敢に挑戦して、逃げることをしないで、毎日毎日この世界で生きるための努力を続けていました。
そんなあなたの頑張る姿を見て、私は……。
私は、これまでいろいろなことから逃げていた自分を恥ずかしく思うと同時に、あなたに惹かれていく自分を止めることができなかったのです。
頑張っているあなたを見ていると、私も頑張れる。
そんな勇気を、あなたからたくさんもらいました。
香子さん。
……たとえ、今後あなたが誰かの妻になる日が来るとしても。
私はいつまでも香子さんの味方です。
あなたのためにできることは、これからも何でもして差し上げたいと思っています。
そして、私も……少しでも香子さんに近づけるように、あなたのように頑張って、苦手なことも努力して、生きていきたいです。
あなたに恥じない生き方をしたい……そう思っているのです。
大好きなあなたに、少しでも近付きたくて』
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