死にたがりと神造天使<ラストルシファー>

藤咲悠多

第一章 出会い

第一話 終わりかけの世界

 太陽が爛々と地上を照り付ける夏ごろ。本部を出発する前に確認した古い温度計は摂氏34度を示していたが、体感ではそれよりも5度以上は暑く感じられる。

 黒のチューブトップで胸部を覆い、腰から下はベージュのハーフパンツ。その上に半袖のジャケットを羽織っているだけという、色気を無視して機能性を重視した出で立ちの函部白百合はこべシラユリだったが、その白い肌が焼かれる感触はどうにも好きになれなかった。首の辺りでざっくりと切った黒髪をキャップ帽で隠して直射日光だけはなんとか免れているものの、焼かれたアスファルトから照り返してくる熱気に汗が絶えず肌を伝い流れる。

 視野があまりよろしくないため、眼元を覆っていた大きなゴーグルを持ち上げて帽子に立てかけた。そうした途端に一陣の風に乗って吹き付けた砂塵が目に入り、慌てて擦る。

 白百合は早く調査を終わらせようと、気持ち駆け足になった。本部から持ってきた自動浮遊車フロートバイクを動かせば幾分か楽になるのは承知の上だが、燃料を節約する必要がある為、必要以上に運用することは許されなかった。そのためバイクは街の入り口付近で待機している貨物自動車トラックに積んである。

 陽炎が生じて視界が歪むほどの熱気が漂う荒れ果てた道を歩くこと数分。トウキョウの郊外にあった住宅街は、すでに瓦礫の山となっていた。


「水、ください」


 振り返り、背後を数歩遅れて歩く不精髭の男、鷹野暁たかのアカツキに水の入ったペットボトルを投げ渡してもらう。投げられたペットボトルは指貫のグローブをはめた両手の中に一度は収まるも、上手く掴み取れず何度か空中を跳ねてしまった。


「貴重な水だ、落とすんじゃねえぞ」


 白百合のそんな様子を、鷹野は苦笑しながら見ていた。

 あたふたと慌てながらもなんとか右手で持つことが出来たソレの蓋を開けて口をつけると、透明な水が唇から舌先を撫でて奥の喉を通っていく。ぬるい、というか、ほとんど熱湯だ。入れた時は冷たかったのだが、この熱気で水温が上がってしまったようだ。だが、汗となって体内から失われた水分を補給するには充分すぎる。


 ペットボトルの蓋を閉めながら、白百合は周囲を見渡した。


 元来はマンションの材料だったのであろう、山積みに放置されたコンクリートの塊からは錆びついた鉄筋がその断面を露わにしている。そしてそれらは雨風に曝されて風化し、丸みを帯びていた。

 もはや人が生活できるような場所ではなくなっていた。


 神が破壊し、見捨てた街。


 神が人類の殲滅を宣告し、機械天使による一斉攻撃を開始してから早一年。その間で各国の重要地区を除く人類の生活圏のほとんどは破壊され、廃墟と化していった。核兵器に次ぐ人類最高峰の兵器とされる巨大人型兵器「アーマードジャンク」も機械天使を相手に一切の歯が立たず、それからそれぞれの国家が神に服従を誓うまではとても早かった。そうして国家全滅を免れることはできたものの、その代償として各国家政府は文字通り、神の下僕に成り下がった。

 しかしトウキョウは日本の重要ではあるものの、その郊外にあるこの住宅街は重要と判断されなかったのだろう。不要と判断された居住区は有無を言わさず破壊し尽くされていった。

 天命に従って死ぬか、服従して下僕となって平穏無事に生きるか、それとも勝ち目のない戦いを続けながら生きるか。

 人類に委ねられたのはその三択であり、白百合や鷹野を始めとするトウキョウの叛逆者レジスタンスたちは、勝ち目のない戦いを選択したのだった。

 そして彼らは荒廃した村街に赴いては、同じように神に抗いながら生き続けている人を捜し求めていたのだが。


「こりゃあ、もう、生き残りはいねえか」


 鷹野が独り言のように、しかしはっきりと彼女の耳に届くように呟いた。

 その可能性が十分に高いことは、白百合も薄々と勘付いてはいた。どこを見ても瓦礫の山。人の気配は一切ない。たとえ瓦礫の下に埋もれていたとしても、この街が滅ぼされてから一年。もはや生きてはいないだろう。

 でも、と振り返った白百合は口火を切る。


「もしかしたら、誰かいるかもしれません。もう少し調べてみませんか?」

「この街に地下を伴った建築物はなかったはずだぞ。これだけ荒れている地上でどう生活してるっていうんだ」

「そ、それは、その、奇跡的に残っている建物とか……」

「ここからパッと見て、そんな建物があるか?」


 もちろん無い。

 だが、人がいる可能性も捨てきれない。白百合は鷹野を説得するための口実を必死に思案するが、口が酸素を求める魚のようにぱくぱくと開閉を繰り返すばかりで、16歳の頭では中々言葉が見つからない。

 半ば諦めかけて、今度は腰のポーチから取り出した双眼鏡越しに周囲を見渡してみる。度を最大にした二つのレンズは、はるか遠くにある景色まで事細かに映し出して彼女に伝えた。すると、ある違和感が彼女の瞳に飛び込んできた。ふいに、もっと良く見ようと首を前のめりに突き出す。

 双眼鏡を外すとソレはまったく見えなくなるが、先ほど見えた光景は間違いなく現実だと確信した。

 双眼鏡をポーチに戻し、白百合は脇目も振らずに駆け出した。


「おい、どこに行く!」


 鷹野のその声は、すでに遥か前方を走る白百合に届かなかった。


 双眼鏡のレンズ越しに白百合は目撃したのだ。


 遥か向こうに人がいた。黒髪の男と金髪の女。二人とも白い服を着ている。それ以上のことはわからないがこの熱いアスファルトに腰を降ろしていて、男の方は呼吸が荒そうな印象を受けた。


 砂煙を巻き上げながら大地を蹴り飛ばし、靴底から伝わるアスファルトの熱で足裏を火傷しそうで、激しい燃焼運動は太陽の熱と併せて全身をカッと熱く燃やし、頭に送られる酸素が欠乏して眩暈を起こし、陥没した地面や、朽ち果て倒れた電柱に、足を取られて、躓きそうになるが、それでも、あの人たちを、助けたいと、かなりの距離を、全力で、走り、続けて、とうとう、くだんの、二人に、辿り、着き、


「だ、だ、大丈夫です、かァァァァァ!!?」


 「大丈夫ですか」と言おうとして、しかし走り続けていた足は踏み止まれず、躓き、勢いのままに、顔面からアスファルトにずざざざぁーっとダイブした。

 そして真っ赤に擦りむいた鼻先はじゅぅ~と熱で焼かれ、慌てて飛び上がり手で扇いで必死に冷ます。この炎天下では、雀の涙ほどにも効果はない。

 突然現れて盛大に騒ぎ立てる少女の様子を、金髪の女性は目を点にして茫然と眺めていた。

 一方、黒髪の男性は彼女に目もくれず、右肩を押さえて荒く呼吸をしている。


「だ、大丈夫?」


 気にかけるはずが逆に女性を心配させてしまい、白百合は慌てて頭をぶんぶんと縦に振った。


「はぁ、ふぅ、えっと、はい、私は大丈夫です。それで改めて、そちらは大丈夫ですか!?」


 深呼吸して心を落ち着け、白百合は二人―――特に目立つ格好の女性を無意識に注視した。大人びた金髪の女性はその豊満な肉体を見せびらかすかのように、あちらこちらの肌が露出された白銀の鎧を纏っていた。白百合とは天と地との差ほどある豊かな胸部は最たるモノだろう。しかし白百合はそれ以上に、彼女の頭部に浮かぶ鎧とは対照的に黒い光の輪と、背中から飛び出した漆黒の翼に目を奪われていた。

 輪っかと翼と言えば絵本の中の天使を真っ先に思い出すが、まさか本物ではあるまい。機械天使にすら輪っかはなかった。鎧と併せて何かの仮装だろう。そう結論付けて、白百合はその疑念をさっさと捨て去った。

 そして彼女の視線に気づいた女性は柔和に微笑むと、答えた。


「ええ、私は大丈夫。けれど彼が……」


 やはりと言うべきか、危険な状態にあるのは男性のようだ。白百合よりも短い黒髪の男は、改めて見ると歳が近いように思われた。土や血で薄汚れた白の軍服には双翼のエンブレムが刻まれている。こちらも隣の女性には及ばないが、日常から逸脱した出で立ちであった。


「そちらも、だいじょう―――ッ!?」


 ただ、彼が押さえている右肩からは血と肉がこぼれているのだが。


「え、ちょ、ま、ち、血が、腕が!」


 削げ落ちた肩の断面から除く筋肉はぴくぴくと痙攣を繰り返していた。その度に空気を含んだ血液がぷっくらと小さく泡立ち、ぷつんと弾ける。鈍器で無理やりに叩き折られた骨はもはや血肉の赤と雑じって区別がつかない。

 そんな傷痕を目撃した白百合は、目に見えて狼狽した。すると少年は鬱陶しそうに顔を上げると、鋭い三白眼で彼女を睨みつける。


「五月蝿い、騒ぐな」

「いや、騒ぐなって、だって、このままだと、死……!」

「痛むだけだ。この程度で死ねるなら苦労はない」


 少年はあくまで冷静に言った。だが痛みと貧血からか顔面は色が失われて蒼白であり、熱さからとはまた違う汗がべったりと額を伝っていた。

 すると少年は、右肩から離した左手の人差し指を白百合に突き出した。


「お前、銃やナイフは持っているか」

「え、ええ、拳銃ならありますけど……」


 動揺止まぬまま、素直にポーチから拳銃を取り出して彼に見せた。22口径の自動式。弾は込められているが暴発防止のために安全装置が掛けられている。正真正銘の護身用だ。もっとも、機械天使を相手にこれでやり合うのは無謀と言うものであるが、それでもあるとなしとでは安心感が違う。

 それを一瞥した少年は続けた。


「なら、それで俺の頭を撃て」


 彼の口から突然飛び出してきた衝撃的な言葉に絶句した。開いた口が塞がらないという状況を、白百合はこの場で初めて経験しただろう。

 つまり「殺せ」と言っているのだ、この少年は。当然、白百合にそのようなことが出来るはずもない。

 彼女はアーマードジャンクに乗って機械天使を相手に武器を振るうことは頻繁にあるものの、生身の生物に、それも手負いの人間に自ら拳銃を向けることは今までに一度もない。


「聞こえなかったのか、俺を撃て、殺せ!」

「な、ななななんで!? た、確かに重症ですけど、あなたはまだ生きているじゃないですか! なんで殺さなくちゃならないんですか!」


 声を大にして拒絶する白百合。頑として自分の主張を撤回しそうにない少年に困り果て、助けを求めるように女性へ視線を送るも、彼女はまるで少年の主張に同意するかのように首を横に振った。頼みの綱も断ち切られ、白百合はますます余裕を失った。


「早くしろ! 奴らが来る前に!!」


 これも俗に言う修羅場だろうか。気分としては飛び降り自殺を阻止しようと言葉を尽くす民間人だ。しかし自分は仲間の男さえ言い負かさせられない。それでどうしてたった今知り合ったばかりの少年を説得できようか。


 そんな時、ポーチの中の無線通信機がぶるぶると震えた。助け舟が来たように安堵しながら、それを口元まで取り上げて応答する。


『今どこにいやがる、白百合!』


 聞こえてきたのは先ほど遥か後方に置いてきた鷹野の声だった。


「ごめんなさい! でも生存者二名発見! 一人は右腕を切断されて重症です! 保護しますので、鷹野さんも急いで来てください!」


 いつもの調子なら「無茶を言うな馬鹿野郎!」などと即答されそうだが、今回は違った。


『生存者ァ!?』


 鷹野の声は震えていた。そして軽く舌打ちすると、続ける。


『……おい白百合、そいつらを連れて今すぐそこから離れろ』

「え、そりゃあ離れるつもりではいますけど……でも、ちょっと問題がありまして」


 ふいに、舌打ちをした少年と女性がお互いを見合って頷き合う。すると女性の腕が白百合の右腕を掴んだ。


『いいから離れろ! そっちに使が向かっていやがるんだよ!!』


 何の前触れもなしにぐいと引き寄せられた白百合はしりもちをついてしまう。

 その寸瞬後。三人に降り注いでいた日射が突如として遮られ、巨大な影が彼らを覆い尽くした。

 トンッと金色のつま先が地面を突く。風は砂塵を伴って静かに流れ、彼らをすり抜ける。だがその巨体が大地を揺るがすことはなく、静かに風を煽りながら浮遊している。

 視線を感じた白百合は恐る恐る、ソレを見上げる。

 白銀の鎧を纏い純白の双翼を悠々と広げた、巨大且つ神々しい姿。女神像のような慈愛に満ちた微笑みを見せるソレの瞳は閉じられているのに、まるですべてを見透かされているような感覚さえ覚える。それは当に、天使と呼ぶに相応しかった。

 ソレは一体だけではなかった。翼を広げて雲を切り、飛来してきた天使たちはソレの背後で同じように地上へと降り立つ。全部で五体の天使は、総じて三人を見つめていた。


 神が人類を滅ぼすために寄越した最強の兵器、機械天使。


<選びなさい。我らが神に己を捧げるか。この場で天命をまっとうするか>


 まるで生まれたばかりの記憶を思い出すかのように、その声は白百合の脳から全身に駆けて響き渡る。

 答えたら最期。いずれを選択しようとも、その人格は滅びたも当然となる。


「走るぞ!」


 そう言うや否や天使と逆の方向に駆け出していた少年と同時に、女性は掴んでいた白百合の腕を強く引いた。

 ようやく我に還った白百合は女性に右腕を預けながらも天使たちから逃れるべく自分の脚で走り出す。


 浮遊を続ける天使たちは彼らを静かに見送っていたが、


<沈黙は神への叛逆と判断し、直ちに殲滅する>


 そんな言葉を白百合の脳裏に響かせると、真っ赤な瞳を大きく見開いた。


 

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