once divorced
サタケモト
第1話
「おれ、バツイチ子持ちだけど、だいじょうぶ?」
そう彼はわたしに問いかけました。
「わたしはぜんぜん気にしません。大丈夫です」
そう即答したのは、わたしではなく、べつのクソみたいに厚かましい女でした。
さすが、厚かましい女。
(もう、厚かましいっていう形容詞を用いなくても、存在そのものから発するオーラで厚かましさ全開だから、厚かましいなんてことばは必要ない)
わたしは、しばらくただ、沈黙しました。
このような質問に、そう簡単に答えて良いものなのでしょうか。
すべてを見極めて、よく立場を理解したうえで、お付き合いしていきたいものです。
結婚を望む彼と、恋愛がしたい彼女のおはなし。
……とよくあるバツイチの男性へ恋愛した女性を描く恋愛小説だったはずが、ただの悪口へと変化しつつある、最先端ラブコメバラエティを装った悪口ヒストリー。
沈黙の最中に彼女が思ったのは、「バツイチが……とかそれはたいした問題じゃない。なにより問題なのは、あの女の存在だ。あなたを取り巻く周りの人間関係だ。っていうかもう恋愛とかどうでもいいし、とりあえずあの女をどうにかしてくれ。恋愛?もう願い下げます本当に。勘弁してくださいよ。とりあえず人間関係をどうにかしましょうや。百年の恋も冷めるってよくいいますけど、強烈なキャラをお持ちの方が出てくると本当にどうでも良くなりますよね。そりゃあそうですよね、自分の生活が危ぶまれるんだから」
そんな冒頭はさておき、真面目に書き起こそう。
わたしは、恋をした。
ずばり、「この人だ!」と短絡的に思ったのが彼との最初の出会いだと思うし、むしろこの恋愛の運の尽きだとも思う。
そのビビッときた瞬間は、宙にでも浮いているように、ふわふわと浮き足立っていたのを、いまでもはっきりと覚えている。
人生に一度は経験してみたいと思う部類のビビッと感であった。
『恋をした』という、実感のある恋だった。
だがしかし、その恋をした相手の恋愛遍歴には、結婚歴があり、わたしと面識を持つ以前に、彼はすでに別の女性と結婚をしていた。
最初の印象は、ただ、それだけである。
ただそれだけのことなのに、わたしは存外にショックを受けてしまった。
恋は、本当に思うようにいかないものだ。
どんなに努力をしても、頭を使って画策しても、何ひとつ自分が望んだような結果になる確信は持つことが出来ない。
まったく自分の想像を超えている。
ゆえに、この飽和状態に陥った世界のなかにおいてでも、『恋はスパイス』などと表現されるのだろう。
くり返すようだけれど、恋は、本当にスパイスだと思う。
考え方を都合の良いように変えれば、この破天荒な恋愛のおかげで、わたしはこのつまらない人生を退屈をしないで済んでいるのかもしれない。
わたしは、なぜショックだったのか、と自分の心理的な面を観察してみる。
それは不倫と似たり寄ったりで、相手に家庭があったということにショックなのかもしれないし、自分と出会う以前に、すでに愛し合ったであろう誰かがいたという、言い方が悪いかもしれないが、まるで彼自身がだれかの手によって中古な感じになってしまっているのが許せなくてショックなのかもしれない。
潔癖な人間であれば、許せない状況であろう。
しかしながらそれは、大概の男性が女性に対して処女性を求めるのと同等の精神性だ。
だれしも、相手にとって自分がはじめてで、唯一無二の存在でありたいと願う。
言うなれば、処女性の所望というやつだ。
日本人のほとんどは、初物が好きなのだからしかたがない。
たとえ、相手にどんな過去があろうと、相手の環境が望ましくなくても、一度好きになってしまえば、その好きという気持ちは自分ではどうしようもできなくて、持て余してしまう。
相手のステータスから導きだした数値でのみ、諦めがついたり、頑張ろうと思えたりするのだろうか。
そんな淡白に、冷静に、自分の心を動かすことが出来るのだろうか。
恋とは、不条理なことだらけだと思う。
不毛だと思っていても、時間が解決してくれるまでは、すべてがそのままである。
自分が行動を起こしても、流れに身を任せなければならないときもあるし、自分で行動を起こさなければ、なにも進展しないということもある。
そんなふうに恋愛に対してまるで恋愛を熟練したような達観したことをブログに
恋愛とため息は、付きものだ。
これを、『
演技じみた自分の行動にだって説明がつかなくなっていく。
他人の恋愛にしろ、自分の恋愛にしろ、ふとした拍子に白々しく感じてしまう。
パソコンの画面とスマートフォンの画面を見比べて、そっとどちらの電源も落とす。
筆は、思うように書き進まない。
目薬を取り出し、上を向いて薬品の匂いのする水滴を目に落とす。
眼球が物理的に潤い、目尻を流れてゆく雫をティッシュで拭って、目を瞑ったまま肩を揉む。
まるでいい歳をしたサラリーマンの仕事終わりのようなこの光景。
彼女は、二十代のまだうら若き乙女である。
大城かおり、この物語の主人公である。
好きになった人が、バツイチだった。そのうえ、子持ち。
はじめからそのことを知っているならまだしも、後から言われるとわりとショックだ。
一方的に勝手に相手に好意を寄せておいて、勝手な言い分だとはよくわかっている。
かと言って、具体的になにがショックかはよくわからない。
遅かれ早かれ訪れるショックな出来事である。
出会いかたも、さまざまである。
島倉千代子さんの唄にあるように、人生いろいろ、男もいろいろ、女もいろいろなわけである。
まあ、それなりに人生を歩んでいれば、相手がどのような経験をしていたとしても口出しをできることではないと学ぶだろう。
そもそもはじめから彼がバツイチで子持ちだと知っていたのだったら、恋愛対象にすらならなかったのかもしれない。
きっかけは重要だ。
故意的に黙っていたというよりは、当人がいちばん言いづらかったりするのだろうし。
たとえば仮に、バツイチ子持ちだったとして、なぜ後ろめたさを感じる必要があるのだろう。
大城のなかではどこか彼の決断や想いに矛盾を感じながらも、不思議に感じていた。
他人の目を気にするのは、ある程度大人であれば、当たり前のことで、当たり前に大事なことだと思う。
若いころのように、自分たちふたりだけの世界を作って、そこにずっと籠っていられるものでもない。
あくまで社会に出て、どこかの団体に帰属し、生活していかねばならない。
しかし、もっとも重大なのは、ふたりの間柄だろう。
世間からの圧迫、圧力、周囲や他者からの
それらがふたりの均衡を保った美しくも危うい関係を壊そうとしてくる。
部外者はどうせ他人の淡い恋心に単純な興味があるだけで、本当にふたりの幸福なんぞ望んじゃいない。
おもしろい状況になればおもしろい状況になるほど、周囲は盛り上がる。
そうやって邪魔立てて来る。やいのやいのやかましい、野次馬というこの世でいちばん鬱陶しい存在になる。
そのような障害すら乗り越えられなければ、愛は成立しない。
大城は、この現状をありのままに自分の親しい友人だけに相談していた。
信じられるのは、所詮、数えられるほどの人間だけである。
そうして、その友人には、決まっておなじことを言われた。
「子持ちじゃない人にすれば?」
「大城には、ほかにもたくさん良い人がいるでしょう?」
大城はうんうんとそれらの助言を神妙な顔で聞いているふりをしながら、本当はそうじゃないと内心では思う。
自分のなかで彼に対してネックになっているのは、果たしてなんなのだろうと考える。
離婚歴なのか、子どもなのか。そのどちらでもないのか。
恋愛の相談は、反論や反対意見を聞きたいわけではなくて、ただ肯定的に頷かれたいだけだと雑誌に載っていたが、そのとおりだと思っていた。
つらい恋であればあるほど、ちょっとしたことで簡単に挫折してしまいそうになる。
そんな弱い心ならいらないのだろう。
そんな弱い心なら、いっそ粉々に壊れてしまったほうがいいのかもしれない。
それに、そもそもでつらい恋愛をする意味が分からない。
自分の中でいちばんに何を求めているかを自分自身が知っている必要がある。
この世にはとても多くの人が存在していて、この人じゃなきゃいけないっていうことなんてそんなことは到底ありえない。
けっして何かひとつだけに執着や固執はしないほうがいい。
重たい気持ちは嫌われる。
だから、相手にまで重さを担わせようとは思わない。
重たく感じるのは、自分だけでいい。
厄介なものは、自分のなかに収めておくに限る。
そんなふうにぼんやりと重たい気分に浸りながら大城は、酒の席にいた。
斜め向かいに座り談笑をする彼を眺めながら、ぼんやりしたままそんなことを思う。
職場の食事や酒の席というのは、気分がすこぶる最悪だ。
なにも楽しくない。
食事が好きな人間ならいざ知らず、食事は好きだけれども、信頼のおけない腹の探り合いのような人間同士の食事は食べものが喉を通っても、苦痛なだけだ。
仕事に徹する姿勢で、あくまでも接待、接待、接待を念頭に置いてすべての行動を遂行する。
苦行である。
このあいだは彼の隣に難なく周りの流れによって自然に座れたのに、今日は座ることが出来なかった。
たかが、席順にどれだけナイーブになっているんだ自分と思うほど、相手の思惑などがそういったところに反映されていたりもして、精神の疲労すら伴うのである。
現在、彼のとなりには、べつの女性が座っている。
こんな状況に、思わずため息が漏れる。
となりの席に座れなかったことを嘆くのではなく、それは彼なりの大城に対する意思表示なのだ。
彼は、大城が率先して積極的に彼のとなりに行かないということを、熟知している。
言い換えるのなら、大城は自分から強引には行けないのである。
そんな自分に自己嫌悪を覚える。
恋愛において、ぜったいに、自分から相手になんらかのアピールをすることは必要だ。
受け身であることに利点など存在しない。
受け身であることが不利だとわかっているのに、その不利である状態に甘んじているのは、大城の元来からの引っ込み思案もそうだけれど、彼の周りを取り巻く状態、環境も考慮している。
大城は、空気の読める人間であった。
人間関係で重要なのは、空気である。
空気は読めるに超したことはない。
しかし大城の場合は、空気を読み過ぎて、損をする。
空気の読めないバカのような人間のほうがおいしいところを持っていくということが、間々ある。
そんな自分を知っているからこそ、ときどき空気を読めないふりをしたりするが、道化を演じている自分にまた自己嫌悪が生じて、余計に疲れてしまうのだった。
もっと破天荒になってしまえたら、きっと楽なのだろう。
すべてを先読みして、先回りしてしまう自分の性質が、大城には苦痛で仕方がなかった。
他人の望むことを自分よりも先に優先してしまい、自分の本来の望みを見失う。
彼は、モテる。
それは彼に資産があるのもそうだし、魅力的な容姿もあるし、人柄もあるし、いろんな面でモテるのだと思う。
モテる人というのは、大概そういうものだ。
べつに一部分だけを切り取ってモテているというわけではない。
彼のモテるところが、大城はとてもいやだった。
彼のあらゆる面を好ましく思っているけれど、モテるという点に関してはいやだった。
自分だけが彼の良いところを知っていたいという、ちいさい子供じみたヤキモチももちろんある。
実のところ、きれい事にはなってしまうが、大城は彼のそういう目に見える表面的ステータスな惹かれたわけではなかった。
「あなたのそんなところに惹かれたんじゃないんだよ」
そう言う機会を逃しに逃している。
そして、それはべつに言う必要はないのかもしれないと、様子をうかがってしまうのである。
どうせ、彼はいろんな賛辞を言われ馴れているに違いない。
もっともっとの感情が、わたしからのことばとしても望んでいるのだろう。
大城は自分のことばを無駄に消費したくなかった。
彼と話す機会には何度か恵まれている。
それなのに大城はいつも、思っていることの半分もことばに出来ていなかった。
会話が長く続かない。きっかけの話題を提示しても、けっきょく続かずに、結果、黙ってしまう。
頭のなかではいろいろ考えてみたりはするが、どれもことばにすることができない。
そうして、諦念が勝って、ことばなんてなくたって良いじゃないかという強引な結論を導きだしてしまう。
ことばが不要で不在の関係にどことなくあこがれを抱いたりする自分もいる。
それはただの自分の怠惰だと知りながら。
「どんなに通じ合っていると思っていたって、ことばにしないと、伝わらないよ」
しかし、普段なら苦になる他人との空間にひろがる沈黙が、彼といるあいだは、苦ではなかった。
彼も大城の前で、無理に話題提供をしようとはしなかった。
すくなくとも、大城にはそう見えていた。
それがなお、大城を甘やかすことになる。
甘えている状態が続くのは良くないことだというのは経験上、身をもってよくわかっている。
他人にはちゃんとことばにして伝えなくてはいけない。
それは幼い子どもであっても、理解していることである。
子どもであれば、親が手取り足取りなんでもやってくれるが、大人になればそうはいかない。
あらゆる甘えているところから、自立しなければならないのだ。
大城はその場その場の即興とも言える行動が、とても苦手だった。
いつも二の足を踏んでしまって、後々に後悔をする。
自分の身の上や考えを話すのにも、ぽつりぽつりと雀の涙と言えるそれくらい。
『言わない後悔』より『言った後悔』のほうが良い?
ことばは、一度口から出してしまうと、取り返しがつかないのである。
そうだった。
大城は生まれながらに、自分のことを他人に話すのが得意ではなかった。
自己紹介なんてもってのほかだ。さほど、他人を信用してはいなかった。
大城自身のことを親しくもない他人に訊かれると、うっすら嫌悪感を感じる。
うっすらどころではないかもしれない。
訊かれなければ、それに甘んじて何も話さない。
沈黙は苦ではないけれど、ことばを必死に紡ごうとする人を見れば、空気を読みつつ、当たり障りのない会話を提供する。
そんなもので良いと思っていた。
「大城さんって、あまり自分のことを話さないよね」
彼が不意に大城にそんなことを言った。
大城は、その彼のことばに身を強ばらせた。
やはり、自分のことを話していないというのは相手に容易に伝わっているものなのだと気付かされた。
ここで「べつに信用してないからとか、親しくなっていないから話していないというわけじゃないんだよ」と言っても、ただ単に言い訳がましくなるだけだから、黙ってしまう。
彼の言っていることが的を射ているからこそ、沈黙を生み、そうして会話を続ける機会を失っているのだ。
人によって物事の優先順位は、大きく異なる。
大城が彼を観察するに、彼は、彼の子どもをとても大事にしている。
会社の机の上には、彼の子どもの写真が飾ってあったり、誕生日や記念日には祝いごとを行っている。
それは評価すべきことだ。
仕事ばかりを優先せずに、家庭を大事に出来ること。
物騒なこの世の中で、我が子ですら大事にできない人間が多い。
もちろん、大事にし過ぎて間違った方向へ向かう人間も、世の中にはいる。
彼は、理性的に、理想的に子どもを愛しているように見受けられた。
それは、評価すべきことである。
彼には父性というものがあるのだろうか。大城は考える。
女性の母性というものは、出産によって自然と生まれるが、男性の父性というのは幻想でしかない。
男性は出産過程の痛みを経験しない。
いつの間にか父親という立場に置かれてしまうのである。
それなのに、男性に対して育児をしろしろと言うのも酷な話だ。
いろんな制度が改正されて、生きやすくなっていると思えば、どんどん窮屈な世の中になっているとも言える。
そんな生物の原始的なことを考えながらも、飲みの席での会話には耳を立てる。
会話のなかに盛り込まれるであろう、女性観、結婚観、心理性。
会話のどこに彼の真が窺える欠片が散りばめられているかは、わからない。
彼の欠片を集めて、彼の人となりを知る。
飲み会での目的は、そこにある。
彼と大城の目が、不意に合った。
思わず心臓の鼓動が跳ねる。
持っていたグラスを揺らされ、彼の指がこちらを指さす。
「大城さん、あんまりお酒、すすんでないんじゃない?」
彼は、大城のグラスのなかを見ていたようだ。
大城は、酒が決して得意ではない。
場に合わせて飲んでいるだけなのである。
自惚れているのかもしれないけれど……と思いながらも、彼が大城のことをよく見ていると自覚していた。
しかしながら、飲酒に関して言及されると、少しばかり分が悪い。
「そうですね……じゃあ、せっかくだからソフトドリンクでも飲もうかな」
大城は、そんな彼の観察眼に瞠目しつつ、食べもののメニュー表と飲みもののメニュー表を見比べて、そっと飲みもののメニュー表を手に取り、開く。
周囲の視線が自然と大城に集まり、大城はその視線に居心地の悪さを感じて視線から逃れるためにメニュー表に視線を落とす。
会話が途切れることなく続けば良いのに、間が出来る。
大城は、居たたまれない気持ちでいるが、あくまで平然を装う。
そんな大城に対して、
「ソフトドリンクじゃなくて、酒を飲めよ」
冗談めかして彼はそんなことを言う。
「ええー、わたし、お酒本当に強くないんですよ。冗談ぬきで」
場の雰囲気を配慮した上で断れない大城は、選びかけていたソフトドリンクを止め、困惑しながらもアルコール度数の低いカクテルを注文する。
彼はそんな大城を見て、満足そうに頷いた。
なぜ、そんなにお酒を飲ませたがるのだろう。
お酒は飲みたい人が飲めば良いのに。
困惑した面持ちで目の前に提供されたグラスを揺らして、同じように揺れる液体を眺める。
それに彼は、大城が酒に強くないことを知っていての行動だ。
意地悪にもほどがある。
酒に酔ったからどうとなるわけでもない大城としては、疑問が大きい。
そしてさほど喉も渇いていないため、飲みものを飲むのも正直しんどかった。
身体の欲求に反することをしている自覚があるのである。
アルコールを摂取しても、理性が吹っ飛ぶわけでも、陽気になるわけでもない。
どれくらいのアルコール量を摂取すれば、リバースするかも把握済みである。
「大城さんも、すこしずつでいいから、アルコールに慣れなきゃ」
彼は、そう言う。
「そうですね。まったく飲めないと苦労するので、すこしずつ努力します」
大城は、そう言うのが、やっとである。
「まいにち、一杯だけでもお酒飲むようにしますね」
「いや、そこまではしなくていいよ」
彼の意図するところがわからなくて、首を傾げるしかない。
彼は、大城の飲み進んでいなかった、最初の乾杯のビールのグラスを飲んでくれる。
「あ、ありがとうございます」
「ほんとうに周りに合わせるよね」
彼は大城にだけ聞こえるくらいなちいさい声で、そうつぶやいた。
それがどういうことを意味するのか、大城が知るのには時間がかかるだろう。
男がわざわざ金を支払って女に酒を飲ませたがるのには、下心がある。
どうせ、やりたいあり気のそんな俗っぽい単純な心理でしかない。
アルコールによる脳の影響が出やすいのは、前頭葉、小脳、海馬の三つである。前頭葉は人間の思考や理性の制御、小脳は運動機能の調節、海馬は記憶の保存を司っていると言われている。
酔っ払いが突飛な行動をしでかすのは、これらの機能の低下によって引き起こる現象と言える。
酔っ払いを見ていて楽しいのは、脳の機能のどこが低下したか見て取れるところである。
正常時は前頭葉によって理性というものが働いている。
ほろ酔いになれば、いろいろと口が軽くなり、普段思っていても聞けないこと、すなわち誰かの悪口や秘密、自慢話をする人がいる。
それは前頭葉が麻痺しはじめた前兆なのである。
また、ろれつが回らなくなったり、ふらふらと千鳥足になったりといった動作の異常さは、普段平衡感覚や運動機能を担っている小脳の機能の低下が見受けられる。
海馬はおもに記憶を司っている。
長期記憶や短期記憶の貯蔵庫で、酔っ払いがおなじ話を何度もしたり、記憶が飛んだりするのは、海馬への影響が見受けられるということになる。
「酒は百薬の長」だなんてことわざがあるけれど、果たしてそんな健康効果があるのだろうか。
先ほどの胸のときめきを抑えながらも集中しなくては、と大城は思った。
大城は、集中力を持ってなにかを為しているときに、飲み食いは出来ない性質だった。
ふたつ以上の物事の同時進行というのはむずかしい。
ひとつのことに対して、脳がフル回転の状態である。
食も細く、酒も弱く、なぜ食事の席にいるかと言えば、お付き合いで来ている気遣いやの人間と思われる程度の存在。
本当のことを言うと、食事をともにしたいと思う人間が違うのだ。
大城の中ではっきりとした線引きが出来ている。
それはわざわざ言葉にすることでもないので、周囲に言っていないだけである。
言ってもどうしようもないことばは、排斥する。
周囲は徐々に気付いているのかもしれないし、気付いていないかもしれない。
そういう点に関しては、大城は他人に気を遣わない。
普段、気を遣っているからそういうところでは別に良いでしょ?と思う。
気を遣ったところで、どうしようもない。
自分のなかでブレないもの、他人に譲らないものが、ひとつくらいあったって良いはずだろう。
他人がどう思っていようと、ある一定の基準を自分がこなしていさえすれば、ほかはどうだっていいのだ。
ずいぶんと昔に、おいしいものはたくさん食べた。
おいしいお店にもたくさん連れて行ってもらった。
だから、もう食べるのには飽きた、というのが大城の心情である。
「食べるものって言うのはね、なにを食べるかより、だれと食べるか、それがなにより大事なんだよ」
そう、だれかが言っていた。
それは大城が昔、食事をともにしていた人間であり、今後もそんな人間と食事をともにしたいと思う。
しかし、現状での彼のいる飲み会の席は、大城にとって、とても充実したものだった。
たとえ、緊張して何も食べられなくても、集中することがあって、脳がフル回転であっても、心いっぱい、胸いっぱいで、胃は満足していた。
厳密に言うのならば、満足しているのは脳かもしれないが、そういうのもどうでも良くなるくらい、心地よいのである。
恋愛をしているときに分泌される脳内のホルモンは、じつに素晴らしい。
ただ、彼の周りにいる人間はクソだ。
どんなに恋愛的に盲目になったとしても、目にはいって来るのは蠅の群といった感じである。
たとえば、彼に飽きが来たとしたら、比喩を用いるのなら彼はウンコで、彼の周りに集る蠅の図が想像出来る。
現状だって、おこぼれを待つハイエナが集っている状態、金魚の糞にしか見えない。
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