第弐話-因島海賊編(弐)


 因島いんのしま帆景ほかげは三島海賊連合の血を引いていない。

 三島海賊連合の生き様は魂に刻まれていたが、少なくとも三島海賊連合御三家の血筋ではないことは確かだ。

 出自は判らない。橋の下で拾ったとも聞かされていたし、小舟に乗せられて流されていたところを拾ったとも聞かされている。

 事の真相は帆景にも判っていなかった。

 確かなことは二代目は帆景のことを自らの養子として受け入れてくれたことと、物心を付いた時から二代目が父ではないと知っていた上で父と慕っていたことだ。

 父と呼ぶには二代目は若かった、確か帆景よりも年齢が十二歳程上なだけだった気がする。どちらかと云えば、歳が離れた兄と云った方が正しかったのかもしれない。それでも二代目は自分のことを父と呼ばせた、それが当たり前だったから父と呼ぶことに違和感を覚えることはなかった。

 不思議なことに二代目には妻と呼べる存在が居なかった。ただ枯れていただけかもしれないが、決して不能なわけではなかったと思う。

 家族を持たないことを不思議に思って訊けば、「因島海賊が俺の家族だ」と云い、妻帯しないのかって問えば、「お前はお父さんと結婚するとは云ってくれないのか?」とはぐらかされた。子は作るつもりはないのかと云えば、「お前が俺の自慢の娘だ」と胸を張って云われてしまうのだ。

 溺愛されていた、と思う。二代目だけじゃない、因島海賊の全員から愛されて育ったと自負している。

 小舟に乗って、二代目と二人で釣りに行ったのを憶えている。自分と違って、二代目は釣りをするのが上手かった。帆景が一匹を釣っている内に、二代目は四匹、五匹と釣り上げてしまう。卑怯だ、と云えば、違いない、と二代目は憎たらしく嗤ってみせる。「悪党の生き様は何時だって卑怯なもんさ」と二代目は何時も云っていた。結局、帆景は釣りは下手なままだったが、釣りをするのは好きだった。具体的に云えば、糸を垂らしたまま、ぼんやりとしているのが好きだった。

 今日も帆景は釣りをする、因島海賊の拠点である因島には絶好の釣り場所がある。誰も此処で釣りをしようとしないが、少なくとも帆景にとっては絶好の場所だ。

 座り心地の良い岩があって、秋と冬は太陽の光がよく入る。まるで日向ぼっこをしているように、ぽかぽかとした気分が味わえた。夏になれば少し場所を移動しただけで、木々の影にはいることができて涼しかった。腕が悪いせいか、てんで魚は釣れなかったが年中使える絶好の釣り場である。

 何か考え事がある時や、一人になりたい時、なんとなく足を運んでしまう場所だ。


「頭領様~ッ! いらっしゃいますか~!?」


 そして頃合いになると誰かが自分を呼びに来る、帆景は座りっぱなしで凝り固まった躰をうんと伸ばして解してみせた。

 今日は誰が迎えに来てくれたのだろうか、それを当てっこするのが帆景が密かに嗜んでいる遊びである。

 声から察するにあいつに違いない、因島海賊の元気一番――――


「やっぱり、此処にいらっしゃ……うひゃぁっ!!」


 ――不安の一番手。

 帆景の隣まで駆け寄って来たかと思うと、ずるりと足を滑らせて、そのまま悲鳴と共に川の中へと背中から飛び込んでいった。

 此処の川は結構深い、綺麗に落ちたので怪我はしていないはずだ。泳ぎも得意なので特に心配はいらないだろう。

 針が刺さってはいけないな、と帆景は糸を手繰り寄せる。


「ぷはぁっ! ああ、もう、まぁた、ずぶ濡れです……」


 真っ白の道衣に紺色の袴を着た女が川の水面から顔を出した、水に濡れた真っ黒の長髪が川に流されている。見慣れた光景に帆景は嘆息交じりに嗤ってみせる。


「あー、今、嗤いましたね! 酷いです!」


 道衣の女が立ち泳ぎをしながら、不機嫌そうに口先を尖らせる。ごめんごめん、と帆景は平謝りをしながら川岸まで歩いて降りる。


「でもさあ、走ったら危ないって何時も云ってるじゃない、お鶴」

「まあ、それは、そうなんですけど……つい、と云いますか……なんと云いますか……」


 帆景が手を差し伸べると、水浸しになった鶴が照れ臭そうに目を逸らしながら帆景の手を受け取る。

 彼女の名前は大祝おおほうりつる、因島海賊の元気一番、不安の一番手だ。先代から付き従う者が多い因島海賊の中で、唯一、年齢が近い女性同士ということで仲良くなった。

 また年齢は鶴の方が一つ上だ。しかし昔から元気ばかりが先行して、何時も心配をかけさせられていた。おかげで姉というよりも妹という認識の方が強い。

 ちなみに鶴の身長は五尺六寸約170cmと帆景よりも八寸約24cmも大きい、少し大きめの妹なのだ。


「ほら、そこに立ってよ。乾かしてあげるからさ」

「うへぇ……でも、頭領様。私、あの魔法は嫌いです」

「放っておいたら風邪を患うよ」


 形だけは嫌がってみせる鶴を目の前に立たせて、帆景は彼女の足元に魔法陣を形成する。


「やだなあ」

「観念しなよ」


 往生際の悪い鶴を一言で斬り捨てて、帆景は魔法陣に魔力を注ぎ込んだ。

 すると鶴の足元が光り輝き、ぼしゅう、と鶴の全身から水蒸気が噴き出した。おふぅ、と鶴の力ない声が漏れる。

 全国に住まう主婦の味方、一瞬で衣服の水気を取る炎属性の乾燥魔法。

 ふっくらとした出来上がりが帆影の密かな自慢である。


「この真っ白の煙が、むわって来るのが嫌なんですよ。むわって、生温い煙が全身を撫で上げる気持ち悪さです」

「失礼ね」


 嫌なら転ばらなければ良いだけの話だ。それに他人に向けても火傷しない安心仕様なのだ、多少の不快感は目を瞑って頂きたい。


「ところで、お鶴は私に何を伝えに来たのよ」


 たぶん御飯の準備が出来たとか、その辺りだろう。

 鶴が怖気に自らの躰を抱きしめるのを止めて、帆景に向き直って口を開いた。


「ああ、そうです。頭領様、来島んとこの頭領が来たことを伝えに来たんです」

妙姐たえねえが? そんな予定あったっけな?」

「頭領様の予定なんて私に判りませんよ」


 帆景の独り言に反応した鶴が呆れるように溜息を吐いてみせる。

 だよね、と帆景は苦笑してみせる。

 鶴が知らないことは知っていた、最初から欠片ほども期待してない。


 瀬戸内海、三島諸島、因島。

 此処には三島海賊連合に所属する因島海賊が本拠とする集落がある。

 人口は千五百人程と都会に比べるほどではないが、決して小さいと云う程の規模でもない。農作物や畜産にも手を付けており、少ないながらも酒も生産している。

 一見すれば質素な村だが見所はある、それが因島海賊御自慢の造船所だ。

 海岸沿いの崖にできた大洞穴を活用して作った造船場は関船を四、五隻を停めておけるだけの空間がある。此処では何時も木槌を叩く音が響いており、壊れた船の修復や新たな船の開発を行っている。昔は二代目が引いた図面で船を造っていた。今は帆景が図面を引いている、図面の書き方は二代目に叩き込まれた。

 造船所は因島にある最大の施設であり、此処には帆景が私用で使っている部屋がある。

 頭領として使う屋敷は別にあったが、帆景の私生活を鑑みれば、造船所が近い方が都合が良い。洞穴という立地上、此処に倉庫が用意されているために荷物の搬入も此処で行われている、それが帆景の私生活にとって何よりも都合が良かった。

 帆景が洞穴造船所に訪れると、普段は見慣れる関船があった。見慣れないだけで知らないわけではない。

 桟橋を渡り終えたところに忘れられない顔があった。


「妙姐っ!」


 帆景が声を大きな声を出して手を振ると、妙姐と呼んだ女性は帆景の方を振り返り、嬉しそうな笑みを浮かべる。


「おけい、久しぶりね」


 帆景のことを馴れ馴れしく愛称で呼ぶ相手こそが、三島海賊連合御三家が一人、来島海賊くるしまかいぞく二代目頭領を務める来島くるしま船妙ふなみだ。

 三島海賊連合において、最も美しいと称される美貌の持ち主だ。船妙は同性の帆景も綺麗だと感じる程に顔は整っており、膝下まで届く黒髪は艶があって流れるように美しかった。幼さ残る帆景と比べて大人の色香を感じさせ、そこに帆景は密かな憧れを抱いている。髪を伸ばすのも船妙を真似てのことだが、つい煩わしくなって、帆景は馬の尻尾のように縛ってしまっている。

 また御三家の血筋は遺伝的に巨躯の家系でもあり、四尺八寸約146cmしかない帆景と比べて、船妙は六尺約182cmと大きく、二人が並ぶとまるで大人と子供だ。実際に船妙の年齢は二十四歳で、帆景よりも八つも年上であるために大人と子供と云えば、その通りではあった。

 帆景は馬の尻尾を振って、彼女の傍まで駆け寄ると、船妙は少しだけ膝を曲げて、帆景の頭を撫でてみせる。


「ちゃんと良い子にしてたようね」


 もう頭を撫でられるような歳ではないのだけどな。そう思いながらも船妙があまりにも嬉しそうに頭を撫でるため、つい帆景も頬の筋肉をゆるめてしまうのであった。

 そのせいか船妙も止めてくれる気配を見せてはくれない。まあ自分が童顔であることも自覚しているため、きっと傍から見れば違和感なく映っているのだろうな、と帆景は半ば諦観気味に受け入れている。

 これが鶴ならば、また違った見え方になるのだと思ている。


「ところで今日は何の用事に来たの?」


 思う存分に撫でられた後に帆景が問うと、船妙は少し物足りなさそうな仕草を見せてから口を開いた。


「可愛い妹の顔を見に来たってのが第一で、そのついでに興味深い情報を得たから伝えに来たのよ」


 こういう時に船妙が口にする理由は、大体、二番目以降が本題であることを帆景は知っている。

 それが判っていても、ちょっと嬉しかったりするのは内緒だ。

 船妙の悪戯っぽく嗤っているから、たぶん判って云ってるのだろうなと思いはしても秘密である。


 因島の造船所は洞穴の中にあるために、外敵の侵略に対して最も強固な造りになっている。

 そのことを知ってか知らずか先代は帆景の部屋を洞穴内に設けていた。職業柄、先代は因島から長く離れることがあったために、寂しくないようにと常に誰かしら居る造船所に部屋を用意してくれたのかも知れない。先代亡き今となっては真相は判らず終いだ。

 帆景が頭領になってからは好き勝手に改修したので、当時の面影は何一つとて残っていなかった。部屋の形すらも変わってしまっているために記憶の中に残すのみとなってしまった。思い出としては初代の頃から頭領が使って来た立派な屋敷を残してあるため、特別に困るようなこともない。

 さて、部屋の中には使い込んだ実験器具――鶴が云うには奇妙な道具――が大机の上に並べておいてある。これらは帆景の趣味の道具であり、簡単に云ってしまえば錬金術を扱うために必要な帆景愛用の道具達である。何度も通しているため、じっくりと話しをするために部屋へと招き入れた船妙は特に驚く様子は見せない。ただ一言、また道具が増えたわね、と云うだけだ。

 彼女を目いっぱいに持て成す為に近頃、帆景は嵌っている黒い豆を取り出して、擂鉢すりばちで砕き始めた。

 芳醇な香りが部屋に充満する。


「良い香りね、何を作っているの?」

「珈琲だよ。苦いけど癖になる味でね、近頃は因島でも栽培を初めてみたんだ」


 珈琲の木は寒さが苦手な植物だと聞いているが温度調節の魔法は帆影の得意分野だ、冬場に差ミサを凌ぐためによく活用している。

 二、三年後には実を付けるという話だから今から楽しみである。

 魔法陣が書かれた石版の上に小鍋を置いて、砕いた珈琲豆の粉を放り込む。それから魔法陣に魔力を流し込んで、じっくりと弱火で時間を掛けて煮込んだ。表面に噴き出して来た泡を掬って、均等に湯呑の中に淹れる。阿波が出なくなるまで繰り返し、出なくなったのを確認してから小鍋の液体を沸騰させて、湯呑の中に真っ黒な液体を注ぎ込んだ。

 底の粉は飲まずに上澄みだけ飲む様に告げると、些か理解し辛かったのか船妙は曖昧に頷いてみせた。

 笑顔こそ崩していないが船妙が湯呑を前に警戒しているのが判る、真っ黒な液体は見慣れないのか口を付けるのに戸惑いを感じているようだ。

 帆景が手本を見せるように珈琲を口に付ける、熱かった。ちびちび、と口先を付けて啜ると船妙は可笑しそうに笑ってみせた。

 それから漸く、船妙が珈琲に口を付けてくれた。


「苦ッ!」


 驚きに湯呑から口を離す船妙の姿に、「その苦みが癖になるんだよ」と帆景は今度は帆景が嗤って、程よく冷めた珈琲を啜った。

 船妙は少量ずつ真っ黒な液体を口に含みながら、随分と濃い味がする茶ね、と渋い面で珈琲を評価した。茶請け代わりに用意した干し柿を何時もよりも多く口にしているのが、なんとなく可笑しかった。

 まあ確かに癖になる味かしら、と多少は味に慣れてきてからも船妙は訝し気に呟いている。


「そろそろ本題に入りましょうか」


 と珈琲を飲み終えた船妙が上品に口元を拭きながら話を切り出してきた。


「初代の頃からの仇敵である鬼ヶ島海賊が再び不穏な動きを見せ始めたという情報を入手しました」


 鬼ヶ島海賊という言葉を聞いて、帆景は身構える。

 まだ帆景が物心を付けるよりも前、三島海賊連合と鬼ヶ島海賊の間には十年間にも及んだ戦いの歴史があった。

 瀬戸内海における覇権を巡って五度も繰り返した衝突は、邪馬大陸における人類史上初となる本格的な海戦として世に広く知られ、「東の三島、西の鬼ヶ島」と民衆を大いに賑わせる語り草になった。五度の衝突では決着を付けられなかったが、その戦績を讃えてか畏れてか、今では二大海賊と称される悪党衆となっている。

 当時を戦い抜いた三島海賊連合を率いた御三家の初代達は亡くなられて代替わりしてしまったが、鬼ヶ島海賊の頭領は当時から変わっていなかった。名は鬼ヶ島おにがしま興鉄こうてつと云う。姿形は伝聞でしか知らないが、帆景にとっては義父の仇になる。

 冷静でいられる名ではない。

 帆景は残った珈琲を流し込んだ、濃い苦味が思考を鎮めてくれる。


「具体的には?」


 短く問うと、船妙は首を横に振ってみせる。


「そういう情報を仕入れただけよ、事の真相は今調べさせているわ。今回は気を付けてねって云いに来ただけね」


 船妙が視線を落として嘆息する。


「あれから一年、長いようで早いものね。でも体勢を整えるには充分な時間よ」


 二大海賊が五度繰り返した衝突は今から十年以上も前の話だ。

 そして近年に至るまで距離を取ることで衝突を避けてきた両者の関係は、一年前に鬼ヶ島海賊が戦端を切り開いたことで破られる。

 二代目は、そこで致命傷を負って、亡くなられた。

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