短い小話詰め合わせ

【彼女の隣の特等席】



 あーあー、とてつもなくめんどくさいものを発見してしまった。

 休憩時間、見回りついでに散策していたオレの目にとまったのは、精霊の客人にして、第五師団隊長の恋人。

 今現在、この砦にて最重要注意人物と言ってもいい、サクラ・ミナカミだった。

 別に、彼女自身がめんどくさいかというと、まあめんどくさいんだけど、それだけではなくて。

 普段は誰も来ないような棟の裏で、身体を丸めて膝を抱えた姿は、わかりやすすぎるくらい「落ち込んでいます!」と訴えかけてきていた。


 放っておこうかとも思ったけど、彼女の機嫌は上司の機嫌にも密接に関わってくる。

 少しの逡巡ののち、足音を殺すことなく近づいた。

 うずくまる彼女の隣に立っても、サクラは顔を上げない。

 いつものように笑顔の仮面をまとうつもりはないらしい。

 オレの前で取り繕ったところで無意味だとわかっているからだろう。

 もしくは、そうできないほどまで弱っているか。

 まあ、オレは別にどっちでもいいけど。


「言っておくけど、慰めに来たわけじゃないよ」


 ちらり、とサクラを見下ろしても、やっぱり彼女はこちらを見ない。

 その理由なんて、弱みを見せるのが下手な彼女の性格を思えば簡単なことだ。


「泣くなら隊長の前で泣きなよ。女の武器は有効活用しないともったいないでしょ」


 誰も見ていないところで泣くなんて、無駄撃ちもいいところだ。

 ストレス発散にはなるかもしれないけど、それだったら恋人に優しく抱きしめてもらったほうが何倍も効果的だろう。

 まあ、サクラが素直にオレのアドバイスを聞くとも思えない。

 しばらくの沈黙ののち、ずび、と鼻をすする音がした。


「言っておきますけど、私の隣は指定席なんですからね」


 言い返す声にいつもの覇気はなかった。

 指定席、ね。座ってないけど、と混ぜっ返すのはさすがにやめておこう。

 誰の、とは聞かなくてもわかる。

 彼女の恋人であり、オレの上司でもある、グレイス・キィ・タイラルド。

 あの人は、サクラの隣を誰にも譲ったりはしないだろう。


「オレの隣だってそうだよ」

「指定してもらえなくてもですか」

「はいはい八つ当たりは見苦しいね」


 嫌味を軽く流すと、ふふっとサクラは弱々しく笑った。

 それから。


「……隊長さんには、内緒にしておいてください」


 ぽつり、と小さくつぶやきが落とされた。

 その言葉の裏にある思いは、心配かけたくないから。ただそれだけ。

 ほーら、やっぱり。

 本当にめんどくさい子を恋人にしたものだ、隊長は。

 そうと知っていて焚きつけたのは、棚に上げる。


「なんのことだかわからないな」


 承諾も拒否もしなかった。別に言うつもりはないけれど。

 だいたい、オレが言わなくたって隊長が気づかないわけがないんだ。

 最愛の女性の心の陰りを見落とすほど、我らが隊長は盲目ではないんだから。

 サクラは彼を見くびりすぎだ。


「口止め料として、ハニーナにオレの長所の一つでも教えといてよ」

「そんな卑怯なことしませんよ!」

「そ? ざーんねん」

「恋は真剣勝負するものです!」


 真剣勝負から逃げてる本人が何を言ってるんだか。

 クスッとオレが笑うと、オレの考えを察したらしいサクラはむうっとさらに眉をひそめる。

 そんな顔するくらいなら、早く落ちてしまえばいいのに。

 第三者から見れば、至極単純で簡単なことなのに。

 自分の気持ちなんて考えてわかることじゃない。難しく考えたって全部無駄。

 特に彼女みたいなタイプは、衝動に身を任せてしまえば、きっと目の前が開けるだろうに。


「お互い、指定席にきれいに収まるといいね」


 柄にもなく少し優しい気持ちで、そう言ってやった。


 その席は、きっちり人の形をしている。






◇◆◇◆◇






【上手な邪魔の仕方】



「たいちょーさん! お仕事の邪魔してもいいですか?」


 ノックもなしに執務室に入ってきたサクラは、そう言って後ろから抱きついてきた。

 サクラは自由気ままなようでいて、意外と諸々をわきまえている。普段は仕事の邪魔なんてしたりはしない。

 この様子からすると、どうせミルトにでも、休憩時間になっても仕事をしている俺を休ませろと言われたんだろう。

 仕方ない、と決裁中だった書類を脇に追いやる。どうせ今すぐやる必要のないものだ。


「どう邪魔をしてくれるんだ?」

「こうです!」


 元気よく宣言して、ぐしゃぐしゃぐしゃ、と俺の髪をかき混ぜ始めた。

 少しクセのある髪をそうすればどうなるのかは、火を見るよりも明らかだ。

 被害が最小限で済むうちに、サクラの手を握って止めた。


「わぁ、ぐっしゃぐしゃ」

「……だろうな」


 サクラの手を握ったまま、俺はもう片方の手で髪を整える。

 鏡がない状態では元通りにはできないだろうが、少なくとも執務室を訪ねてきた部下が噴き出さない程度には直さなくては。

 部下に笑われる想像をしてため息をつくと、後ろからクスクスと笑い声が聞こえてきた。


「隊長さんの髪の毛って、見た目よりずっとやわらかいですよね。怖い顔してるのに本当は優しい隊長さんみたい」


 サクラは本当に突拍子もない。どこからそんな発想が出てくるのだろうか。

 楽しそうに笑いながら俺の首にじゃれついてくる恋人に、呆れながらも和んでしまうのだから、サクラの作戦は大成功だろう。

 ふと笑い声がやんだかと思うと、サクラは握っていた手を逆に握り返してきた。


「髪も、怖い顔も、背中も、手も、あと、他にもいっぱい。隊長さんの全部が、大好きですよ」


 差し出される肌と同じくらい、やわらかく、あたたかく、甘い声が染み渡る。

 不意打ちで胸を焦がされて、息ができなくなりそうだった。

 思わず手に力がこもってしまったのは、無意識に逃すまいとしたせいか。

 俺の武骨な手では、簡単に包み込めてしまう小さくか弱い手。

 この手に俺の心臓は握られているのだ。


「へへ……上手に邪魔できました?」

「……そうだな」


 楽しそうに、どこかしあわせそうに笑うサクラに、俺も自然と笑みをこぼしていた。

 お前を邪魔だと思ったことは一度もないが。そう、うまく伝えられない口下手な自分を憎む。

 彼女には敵わない、と。いったいあと何度思い知ればいいのだろうか。

 何度でも思い知らせてほしいと馬鹿みたいなことを考えるほどには、彼女に骨抜きにされているんだろう。






◇◆◇◆◇






【そして今日も朝が来る】



 朝、起きて。

 もう見慣れてしまった天井とおはようして。

 今日もちょっとだけ絶望する。

 そんな朝は、ご飯と一緒に飲み込んで、仕事して友だちと話して隊長さんにちょっかいを出して。

 いつもどおりに過ごして、いつもどおりに過ぎる。


 また、別の朝。

 もう当たり前になってしまったぬくもりに抱かれながら、目覚めて。

 そのぬくもりが優しければ優しいほど、私は胸が苦しくなる。

 大切なものは、たくさんあればあるほどいいと思っていた。

 選ばなければいけないものだとは思っていなかった。

 選ばれなかったほうはどうなるんだろう。大事じゃなくなるんだろうか。いつか忘れられるんだろうか。そんなことが、ありえるんだろうか。


 ぎゅう、ぎゅう、としめつけられた胸が鳴く。

 それはあるいは、寂しいと泣いているのかもしれない。


 ぽん、ぽん。頭を撫でる大きな手。

 どうやら狸寝入りはバレていたらしい。


「泣きたいなら泣け」


 何を言ってるんですか、って笑い飛ばせればよかった。

 優しいぬくもり。優しい手。優しい声。

 そのどれもが、私一人のためにしつらえられたもののようで。

 いつもどおり、が崩れる。

 隊長さんの前では、いつだって私は丸裸になってしまう。

 うぐ、と小さな嗚咽がこぼれたのが、合図。

 声もなく、音もなく。私はただ心が寂しいと泣くに任せて、隊長さんにすがりついた。


 どうしてですか、隊長さん。

 どうして隊長さんは、そんなに私に優しいの。

 私は、際限なく優しくしてくれるあなたに、何を返せるの。

 まだ何も選べていないのに。選べる日が来るかもわからないのに。

 ただ甘えるだけ甘える私を、どうして隊長さんは許してしまうんだろう。


 涙は無限には流れない。

 もやもやとしたものを一緒に流してしまえば、一時的にでも元気を取り戻す。

 涙で濡らしてしまった隊長さんの肌を、シーツでコスコスと拭った。


「もう平気か?」


 私の頬を包み込み、持ち上げるようにして、隊長さんは目を合わせてきた。

 気遣わしげなまなざしがあたたかくて、ずっと見ていたくなる。

 でも……差し迫った問題が一つ。


「えっと、今ブスなので、ちょっと見ないでください」


 泣き顔がきれいなのは二次元限定なんですよ。

 いや、もしかしたら絶世の美女は本当にきれいに泣くのかもしれないけど、私レベルじゃ推して知るべしというやつでして。

 涙でぐしゃぐしゃ、目も充血してるだろう今の私に、日を浴びてキラキラと輝く美貌の隊長さんと見つめ合うだけの図太さはない。


「お前はいつでもかわいい」

「くっ……! いっつもそんなこと言わないのに! アフターサービスまで完璧ですね隊長さん!!」


 聞きなれない褒め言葉に、不意を突かれて頬が熱くなっていく。

 どうせならもっと元気なときに言ってくれればいいのに! そしたら飛び上がって喜ぶのに!

 でも、こういうときだからこそ優しくしてくれているのもわかっているから、隊長さんは私の扱いをよく理解していると思う。

 ほら、そのおかげで。


「おはようございます、隊長さん」


 ようやく、いつもどおりに笑うことができた。

 隊長さんの優しさと愛に支えられながら、心がむくりと前を向く。

 おはよう、大好きな人。おはよう、大切な場所。そしておはよう、私をさらった異世界。



 絶望と希望を連れてくる異世界の朝を、私は今日も笑顔で始められたのでした。

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