06:真面目な話をされました

「言わなければ、とずっと思っていたんだが」


 夜、めずらしく仕事を持ち帰ってこなかったらしい隊長さんは、食事のあとにそう話を切り出した。

 ご飯を食べ終わってすぐに、隊長さんの隣に席を移していた私は、ばっと顔を上げる。


「愛の告白ですかっ!?」

「違う」


 勢い込んだ私の言葉は、即座に否定されてしまった。


「なーんだ、しょんぼり」


 私は肩を落としてソファーに座り直す。思わず隊長さんに迫っちゃっていたのです。

 わかっていたけどさ、それでもちょびっとくらい期待しちゃうものじゃないか。


「お前のこの先の人生に関わることだ」

「人生って、そりゃまた大きいですねぇ」


 こちらに顔を向けた隊長さんの、真剣な様子を見ていると、ついつい茶化したくなってしまう。

 だって、真面目な話って苦手なんですよ、私。

 他でもない自分のことなら、ちゃんと聞かないといけないんだろうけど。

 たとえるなら、校長先生の話の最中にどうでもいいようなことを考えてにやにやしちゃうみたいな。

 隊長さんも私のそういう性格を知っているからか、スルーしてくれちゃうしね。


「お前は精霊の客人だ。そして精霊の客人は国に保護され、後見人をつけてもらう。このことは覚えているな?」


 ……なんのことだっけ、それ。

 私は目をぱちくりとさせた。

 精霊の客人というのが異世界人を指していて、私のことを言っているのはわかる。

 でも、国に保護されて、後見人をつけてもらうって?

 そんなこと、聞いたことあったっけ?

 記憶を掘り返そうとしても、全然思い出せない。

 真面目な隊長さんのことだから、言い忘れていたなんてことはないだろうし。

 ってことは、やっぱり私が忘れているだけなんだよね。


「すっかり忘れてました」

「……そうか」


 私が素直に言うと、隊長さんはため息をついた。

 えーと、ごめんなさい。

 たぶん私は、忘れていちゃいけないことを忘れていたようですね。

 からっぽな頭をしているせいで、隊長さんを呆れさせてしまったようだ。


「つまり、お前には本来、この世界での保護者ができる」

「すでに隊長さんが保護者みたいなものですよね」

「この砦ではな」


 この砦では?

 まるで、この砦以外の場所が私にあるような言い方だ。


「え、ってことは私、この砦から出ることになるんですか?」


 そんなこと、考えたこともなかった。

 ずっと、この砦で暮らしていくものだと思っていた。

 娯楽は少ないけど、いい人たちばかりだし、私はこの砦のことがけっこう好きになっていた。

 何よりここには、隊長さんがいる。

 それだけで、わたしがここにいる理由になる。


「後見人によっては、そうなる」

「嫌です、そんなの! 後見人いりません!」


 非情な言葉に、私は思わず叫んだ。

 後見人のせいでここから離れなきゃいけなくなるなら、後見人なんていらない。

 今までだって、後見人がいなくても特に困らなかった。

 なら、別に現状維持でいいじゃないか。


「いらないと言って断れるようなものではない」

「だって……」


 何か言いたくて、でも声がのどの奥で詰まって出てこなくて、私は黙り込む。

 隊長さんは、それでいいの?

 私がここからいなくなっても、隊長さんは全然気にならないの?

 違うって、言ってほしい。

 でも、隊長さんの考えがわからなくて、聞くのが怖い。

 不安がもやもやと胸のうちに広がっていく。


「問題は、王都からなんの連絡もないということだ」

「連絡?」


 いきなり話が変わって、私は首をかしげる。


「精霊の客人を保護したと、早い段階で王都に報せてある。だが、どうやら情報を隠している人間がいるらしい」

「えーっと、それってどういうことなんでしょう?」

「お前に対して、というよりも精霊の客人に対して、何かしら思うところがある、と考えるのが普通だろうな」

「……よくわかんないです」


 何かしらって言われても、何がなんだかわからない。

 精霊の客人って、丁重にもてなされるような立場なんじゃないの?

 前に聞いた話では、そういう印象を受けたような気がする。

 ……まあ、この砦では丁重にもてなされたことなんてないけど、それはむしろうれしいことだからいいとして。

 そりゃあ、必要以上にもてはやす必要はないよ。でも、歓迎はされたいなぁ。

 そう思うのは贅沢なんだろうか。


「相手の目的は不明らしい。単に精霊の客人が気に入らないのか、それとは逆に手に入れたいのか、おそらくそのあたりだと思うが」

「わー、うれしくないですね」


 なんだそれ、どっちにしろ大変じゃないか。

 どうやらイージーモードとは限らない、ということだけはわかった。

 私みたいな一般ピープルじゃなくて、たとえば元の世界で専門職に就いていたような人だったら、この世界を変えちゃうような知識やら技術やら持ってたりするだろう。

 だから、反感を持たれることもあれば、利用しようと考える人もいるってことかな。

 そういえば、精霊に気に入られた人間はめずらしいとも言ってたっけ。

 利用価値はいくらだってある、ということですかね。


「そこで、お前に聞きたい。王都に保護してもらいに行くか?」


 隊長さんは静かな声で、私に問いかけた。

 今までの話が、この問いのための前振りだったのだとわかった。


「直接王都まで行ってしまえば、相手も隠しようはない。危険がないとは言わないが、俺が必ず守る」


 ダークブルーの瞳には真摯な光が宿っている。

 守る、って隊長さんが言うからには、絶対に守ってくれるんだろう。

 爪の先すら傷つけられないように、しっかりと。

 それくらいの安心感が隊長さんにはある。


「隊長さんもついてきてくれるってことですか?」

「ああ、そのつもりだ」


 隊長さんは嘘をつかない。

 だから、私が王都に行くときは、本当に一緒に行ってくれる気でいるんだ。

 王都まで、隊長さんと一緒に。

 そこに行ったら、何が待っているんだろうか。

 何かが、変わってしまうんだろうか。


「……先延ばしにしちゃ、ダメですか?」


 あまり考えないで、その答えは出た。

 そんな答えしか出せなかった。

 後見人とか、精霊の客人の利用価値とか、難しいことはよくわからない。

 ただ、王都に行くことで、この砦に……隊長さんの傍にいられなくなるかもしれないということが、嫌だった。


「私、まだ砦にいたいです。隊長さんの傍にいたいです」


 隊長さんの顔色をうかがいながら、私はそう告げる。

 ただの甘えでしかないとわかっていても、思ったままを言葉にした。

 できることなら、隊長さんにも同じ気持ちでいてほしかったから。


「わかった」


 隊長さんは真剣な表情のまま、一つうなずいた。


「いつかは、王都に行くことになるだろう。精霊の客人は、隠そうとしても隠せるものじゃない」

「しばらくの間でいいんです」


 後見人がつくのが絶対なら、どうしたって王都には行かなきゃいけなくなるんだろう。

 たぶん、精霊の客人っていうのは国賓みたいなものなんだろうから。

 先送りにしたって、いずれ問題と対面しなきゃいけなくなるときは必ず来る。

 それくらいは私にだってわかってる。

 でも、期間限定だったとしても、ここで今までのように暮らしていたい。

 もし、いつかここから……隊長さんから離れることになっても。

 笑って、今までありがとうございました、と言えるように。


「サクラ、一つ言っておくが」

「はい?」


 物思いに沈んでいた思考が、隊長さんの声で現実に戻る。

 隣に座る隊長さんを仰ぎ見ると、眉間にしわが刻まれていた。

 いつもの隊長さん……よりも少しだけ、機嫌が悪そうだ。

 隊長さんは難しい顔のまま、ため息を一つ。

 それから手を伸ばしてきたかと思うと、膝の上の私の手に、その大きな手を重ねた。


「俺は、お前を手放すつもりはないからな」


 ぎゅっと、私の力じゃ払えないくらいに強く手を握られる。

 ぬくもりに心がほぐれていくような気がした。

 不安が、少しずつ溶けてなくなっていく。

 一緒にいたいのは、私だけじゃない。隊長さんも望んでくれている。

 私がここからいなくなっても気にしないなんて、そんなことあるわけなかった。


「……私のことが、好きだから?」


 だから私は欲張って、そう尋ねてみた。

 隊長さんは眉間のしわを増やした。

 不機嫌なわけじゃなく、困っているんだって、私にはわかった。


「言葉に、してほしいか?」

「もちろんですよ! 私ばっかり言ってたんじゃ割に合いません」


 不満を伝えるように、私はわざとらしく頬をふくらませてみた。

 割に合わない、なんて本気で思っているわけじゃないけど。

 隊長さんにも言ってほしいっていうのは嘘じゃない。

 言われなくたって、隊長さんの気持ちはわかっているつもりだ。

 でも、それでも。言葉があるかないかっていうのは、大きい。

 さっきみたいにちょっとしたことで不安になってしまうことだって、減るかもしれない。


 隊長さんは口を開いたり閉じたりを何度か繰り返す。

 それからまた小さくため息をついて、手は握ったまま片腕でそっと私を抱き寄せる。

 期待に私の胸はドキドキと音を立てる。

 数十秒か、数分か。

 その体勢のままで待っていると、それは鼓膜を揺らした。


「愛してる」


 聞き逃してしまいそうなほどかすかな、吐息のようなささやきだった。

 それでも、ちゃんと私の耳に届いた。

 心臓をぎゅっとわしづかみにされたような感覚がして、息が止まった。

 うれしいとか、しあわせとか、そんなことを考えられるだけの余裕もなくて。

 なんだか、涙が出てきそうになった。


「……へへ、私も大好きです」


 なんとか笑顔で言葉を返すことができたのは、奇跡に近い。

 隊長さんの言葉は率直で、実直で、どこまでも私に誠実で、甘く優しく響いた。

 心を丸ごと、投げ渡されたような気になった。

 まっすぐな愛の言葉は、無意識に目を背けていたものとか、考えないようにしていたこととかを、全部眼前に突きつけてきた。



 ああ、もう逃げられないな。なんて、心のどこかでそう思った。

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