14 -もしも-
俺の服を握ったままの手は、眠りに落ちても力が抜けることはなかった。
それは自室に戻って、サクラをベッドに寝かせようとしたときに障害となった。
仕方ないんだと言い訳をして、深く眠るサクラを抱きしめながらベッドに横になった。
時折うなされる彼女の頭を、髪を梳くようになで続ける。
大丈夫、俺がいる。
何も心配しなくていい。
俺はサクラの味方だ。決して裏切ったりしない。
俺のぬくもりを感じることで、少しでも安心してくれたらいいと思った。
しばらくして、サクラは目を覚ました。
先ほどのような理解できない言葉ではなく、普通におはようと挨拶をした。
言葉が通じなくなったのは、精霊の気まぐれによる一時的なものだったらしい。
よかった、と安堵のため息を吐けば、サクラはうれしそうに笑った。
「ずっと、抱きしめていてくれたんですね」
「……お前が放さなかったんだ」
俺は言い訳を口にして、サクラと距離を取ろうとする。
けれどやっぱり、服をつかんでいる手が邪魔をした。
それで初めてサクラは自分の手の所業を認識したようだった。
「あはは、それはすみません。寝てても欲求に忠実なんですね、私」
謝りながらも放すつもりはないらしい。
このまま触れ合っていたいと、サクラも思ってくれているんだろうか。
腕の中にあるぬくもりを、心地いいと感じている自分がいる。
だからこそ、このままでいたら本当に、手放せなくなりそうで。
適切な距離を取りたいと思っているのに、サクラはそんな俺の都合など考えてはくれない。
もう少しくらいは大丈夫だろう、と俺はため息をついて元の位置へと戻った。
サクラは俺の仕事が大丈夫なのかと聞いてきた。
仕事中に部屋に乱入してしまったことを気にしているようだ。
精霊の客人が最優先だからかまわないと告げると、サクラは苦笑した。大げさだとでも思っているのかもしれない。
もちろん、サクラが精霊の客人だから、というのもないわけではないけれど。
本心は別のところにある。
気にさせたくはなかったが、葛藤しながらも俺は口を開いた。
「……お前を、一人にしたくなかった」
何よりも守り慈しみたい存在。
悲しみを癒して、苦しみは取り除いてやりたい。
サクラはこの世界に家族がいない。知人もまだ本当に少ない。
頼れる人がいないというのは、きっと心細いものだろう。
少しでもいいから、俺を頼ってほしかった。俺に甘えてほしかった。
他の人よりは、心を許してもらえているという自信がある。自惚れではなく、確実に。
だから、手が放されないうちは、傍にいてやりたかった。
「隊長さんってもしかして、けっこう私のこと好きだったりします?」
どこか間の抜けたような顔で、サクラはそう口にした。
うっかり口からこぼれ出た、といった様子だった。
「けっこう、ではすまないほどにな」
そんなことは今さらだ。
もう、後戻りなんてできないほどに、サクラにおぼれている。
好きで、好きで、大切で、守りたくて。
だからこそ傷つけないために、自身から遠ざけるほどに。
「……本気で?」
「気づいていなかったのか?」
驚いたように問いかけてくるサクラに、俺のほうが驚く。
とっくに俺の気持ちなんてわかっているものだとばかり思っていた。
だとすれば、今までの俺の言葉をどう解釈していたのか、怖いものがある。
身体目当てだとでも思われていたんだろうか。心外すぎる。
「両思いだったんですね」
「お前が俺のことを好きになればな」
呆然としながらつぶやいたサクラに、俺はそう返す。
少し嫌味ったらしかったかもしれないと気づいたのは、言葉にしてからだった。
「好きですよ、隊長さん」
サクラはムッとした顔で、睨むように俺を見ながら言った。
そこに心がこもっていないのは、わかっているはずなのに。
それでも揺れてしまう自分が嫌で、俺はサクラから目をそらした。
「……いい加減、聞き飽きた」
これ以上、俺の心を揺らさないでくれ。
そんな思いを込めた俺の言葉に、サクラがため息をつく気配がした。
「もう決めました。信じてもらえるまで、いくらだって言います」
サクラの宣言は、どこまでもまっすぐだった。
思わず、これは本気なのではと思うほどに。
ぎゅっと、背中に腕を回して抱きついてきたサクラに、俺はあわてた。
「場所を考えろ。この場でおそわれても文句は言えないぞ」
「むしろおそってくれるなら話は早いんですが」
そんなこと、できるわけないだろう。
俺の葛藤なんてサクラはきっと知らない。だからこんなことが簡単にできてしまう。
絡みつく白く細い腕だとか、押しつけられたやわらかな胸だとか。
好きな女に抱きつかれて、何も感じないわけがないというのに。
わかっていないからこその無防備さなのか、わかっていての誘惑なのか。
どちらだとしても、俺は誘惑に負けるわけにはいかないのだけれど。
「隊長さんはどうしてそんなにかたくななんですか?」
サクラは抱きついたまま、俺を見上げてきた。
かたくな、と来たか。
明らかな非難を含んだその言葉に、俺はどう答えたらいいものか困った。
「私の言葉がそんなに信じられませんか? そんなに私は信用がないんですか?」
そういうわけではない、とは言えなかった。
サクラの言葉はいつも軽い。その場のノリで言っているようなことが多い。
信用がない、というのも間違ってはいないのかもしれない。
けれど、それだけではなくて。
信じられないのは、きっと、サクラにだけ問題があるわけではない。
「出会いが出会いだ。それに……俺は、女に好かれるような男じゃない」
いつだったか、まだ王都に住んでいたころ、付き合っていた女性から言われたことがある。
『遊ぶにはいい男だけど、あなたと恋愛はしたくないわ』
その言葉に、俺は納得してしまった。たしかに俺は恋の相手には向かないだろうと。
遊ぶには有利に働く特権階級や社会的な地位といったものは、恋をするには邪魔になってくるものだ。
面倒な階級がつきまとってきて、仕事ばかりで融通の利かない性格をしている。
あのときよりもさらに責任のある隊長職についている今は、余計だろう。
気の利いた口説き文句を言えるわけでもない。女よりも仕事を優先する。目を引く容姿だって、怖がる者も多い。
過去に付き合ってきた女性だって、あの言葉からもわかるように、どこまで本気で惚れていてくれたかなんてわかったものではない。
本当に、心から好きになってくれる者なんて、今までいただろうか。
「隊長さん、モテるくせに」
「外見や立場的にはな」
俺がそう言うと、サクラは言葉につまったような顔をした。
どういったことなのか、軽くは理解してくれたらしい。
「私は全部好きですよ。隊長さんの見た目も、隊長としての責任をきちんと負っていることも。真面目なところも融通が効かないところも、優しいところも全部」
気を取り直したように、サクラは微笑みを浮かべながら言葉を並べる。
こいつは、本当に、どうしてこう……。
身体を密着させたまま、俺のすべてを好きだと言う。
わざとあおっているようにしか思えない。
これ以上は限界だと、俺はサクラの肩をつかんで距離を取る。
そのまま身体を起こして布団から出て、ベッドの端から足を下ろした。
「そろそろ口説き落とされてくれませんかね」
背中側から声がかかる。誘惑の声だ。
そんな言葉にすら動揺させられてしまう自分が情けない。
どうやらサクラは本当に俺を口説き落とそうとしているらしい。
そこに想いがあるのかどうかはわからないが。
彼女なりに本気であることは、たしかなようだ。
「……考えておく」
そう答えてしまったのは、どうしてなのか。
もう、なぜ自分がサクラから逃げようとしているのかわからなくなってきている。
サクラが好きだと言ってくれているなら、それでいいじゃないか、と。
けれどサクラの気持ちを信じられずにいる自分も、やはりいて。
そんな複雑な感情が、中途半端な言葉を口からこぼれ落ちさせた。
もしも、サクラが信じさせてくれたなら。
その時こそ、俺は自分の想いに素直になってもいいような気がした。
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