38:作戦決行しました、そして失敗しました
小隊長さんの意見には一理ある、と私は思った。
たしかに少女漫画とか読んでると、女の子側は恋愛対象と一緒にいるとき、いつも頬を赤らめている。
男性側だって告白シーンとかではやっぱり顔を赤くしている。
好意を伝えたり、抱きついたり、キスをしたり。場合によっては声を聞いたり目が合ったりしただけで照れる。とにかく照れる。
恥じらい、というものが恋には必要不可欠だってことだ。
ということで、私は一つの作戦を立ち上げた。
題して『キャッ! 目が合っちゃった、恥ずかしい!』作戦。
これは、目が合うというすごくどうでもいいようなことでも大事件のように感じる、内気で恥ずかしがり屋な乙女の行動パターンをマネよう、という作戦だ。
詳細としては、自分から近づかない、自分から声をかけない、自分からさわらない、というもの。
恥じらう乙女は、そんなに簡単に好きな人に近づけないんです。
抱きつくなんてできるわけない。キスなんて絶対無理!
だから私はそのとおりに行動することにしました。
作戦を決行してから、五日ほど何事もなく過ぎた。
何度か隊長さんの姿を見ることはあったけど、私からは近づかない。
隊長さんは隊長さんで私と距離を取っているから、話す機会はまったくなかった。
偶然に隊長さんと目が合ったときには、作戦どおりすぐさま目をそらした。
そういえばこの作戦、ある意味で『押してダメなら引いてみろ作戦』でもあるよね、ということに今さらながら気づいたりもした。
でも……一つ言ってもいいですか?
これ、私が欲求不満になりそうなんですが!
会いたいな~、傍にいたいな~、くっつきたいな~。
仕事はちゃんとするけど、日々にうるおいが足りない。
惚れた腫れたとか関係なく、隊長さんとの時間は大切なものだったんだって、思い知らされた。
エルミアさんには怪訝そうにされ、ハニーナちゃんには心配された。
ごめんよ、私は大丈夫。ただちょっと隊長さん成分が足りていないだけなのさ。
小隊長さんには「また変なことやってるね」なんて言われた。
他でもないあなたの言葉を参考にして作戦を決行したんですけどね。
一週間過ぎても何も進展がなかったら、この作戦は失敗ってことにしようかなぁ。
隊長さんに会えないのは、私のほうがつらいから。
これくらいならまだ、前みたいに押せ押せゴーゴーしていたほうがよかったかもしれない。
そもそも、隊長さんに会えていないのに信じてもらおうなんて、なんだかおかしい気がするし。
やっと、私がこの作戦の本末転倒っぷりに気づいた、そのころだった。
恐れていたことが起きたのは。
「エルミアさん、これお願いします」
回収してきたシーツを、私は今日の洗濯係のエルミアさんに渡そうとした。
エルミアさんが不思議そうな顔をして、首をかしげた。
口を開いて、何かを話した。
……何か、を。
聞いたこともない、音の羅列だった。
私はシーツをその場にばらまいてしまった。
拾おうだなんて考えられなかった。
怖い、怖い、怖い。
エルミアさんはさらに何か言っているようだけれど、聞き取れなかった。
ぱくぱくと動く口を見るのが、知らない音を聞くのが、とてつもなく恐ろしかった。
気づいたら、私はエルミアさんから逃げ出していた。
「隊長さん! 隊長さん!!」
困ったときに頼れる人は、隊長さんしか知らなかった。
作戦だとか、そんなものはもうとっくに頭から消え去っていた。
ただただ、隊長さんに会いたかった。
会ってどうなるのかなんてわからない。
隊長さんだって言葉が通じないかもしれないのに。
それでも、あの灰色の瞳を見て、低い声を聞いて、がっしりとした身体にすがりつきたかった。
走って走って、隊長さんの部屋に行った。
でも鍵は開いていなかった。それも当然のこと。今はまだ仕事中なはず。
私はすぐに身をひるがえして、また駆け出した。
知らず、足は隊長さんの執務室へと向かっていた。
一度も行ったことのない場所。でも、ためらいはなかった。そんなことを考えている余裕はなかった。
すれ違う人たちは、何事かと私を振り返る。
言葉として捉えられない音が耳をすり抜けていく。
私はそれを振り切るように、ただ走った。
「隊長さんっ!」
執務室の扉を勢いよく開く。
室内には隊長さん以外にも人がいた。
でも私は、他に注意を向けることなく、隊長さんだけを視界いっぱいに映した。
隊長さんの姿を見ただけで、少しだけほっとした。
すぐに、また地獄に突き落とされたけれど。
「た、たいちょ……」
呼び声が途切れてしまったのは、それだけショックが大きかったから。
驚いた顔をした隊長さんは何かを言っていた。
でもそれは、私には言葉として聞き取れないもので。
足がガクガクと震える。たまらず私はその場にひざをついた。
ここまでずっと走ってきて、疲れていたのもある。
でもそれ以上に、絶望が足元から這い上がってくるようで、立っていることすらできなくなった。
隊長さんが駆け寄ってくる。口をぱくぱくとさせながら。
その口から出てくるのは、理解できない音ばかり。
「ふぇ……や、やだ……」
もう限界だった。
ぽろぽろと、あとからあとから涙がこぼれ落ちていく。
どうやって止めればいいのかわからなかった。
怖くて怖くて仕方がない。
言葉が通じないことが、こんなに怖いことだなんて知らなかった。
なんて言っているのか理解できない。相手が何を伝えようとしているのか、何を思っているのか……何も、わからない。
私の言葉を理解してくれる人も、どこにもいない。
……私は、一人ぼっちだ。
もう何も聞きたくなくて、何も見たくなくて、私は耳をふさいで目をぎゅっと閉じる。
まるで嵐が去るのを待つように、身体を縮こまらせて。
そうして自分の心を守ろうとした。
そうしなければ壊れてしまう、と思った。
「――クラ」
聞きたくないのに、鼓膜を揺らす隊長さんの声。
意味のある言葉のように聞こえて、私は思わず顔を上げる。
灰色の瞳が、心配そうに私を映していた。
「サクラ」
今度はしっかり聞き取れた。
隊長さんの低い声が、私の名前を呼ぶ。
独特なイントネーションだけど、ちゃんと私の名前だって、わかる。
言葉として理解できる。
たったそれだけのことが、私はうれしくて。
恐怖が全部どこかへ消えていって。
なのに、余計に涙は止まらなくなった。
私は手を伸ばす。
座り込む私を覗き込むようにひざを折っていた隊長さんに、倒れ込むように飛びつく。
隊長さんは驚いたみたいだったけど、ちゃんと私を抱きとめてくれた。
ぽんぽん、と優しく背中が叩かれる。
サクラ、と隊長さんが私を呼ぶ声が耳をくすぐる。
「たいちょーさん……」
すごくほっとして、全身から力が抜けていく。
それでも、隊長さんからは離れたくなくて。
隊長さんの背中に回した手で、ぎゅうっと強くシャツを握った。
「サクラ、サクラ」
私の名前だけを、何度も連呼する隊長さん。
落ち着いた低い声が耳に優しい。
ベッドの上で睦言を聞いているときみたいな心地よさだ。
だんだんとまぶたが重たくなっていく。
驚いたり不安になったり恐怖したり安心したり、感情の振り幅が激しすぎて疲れてしまったのかもしれない。
私を包み込むたしかなぬくもり。
大丈夫、ここは安全地帯だ。
私はそのまま眠りに落ちていった。
* * * *
オパール色の空間。
ああ、夢だ。私はすぐに納得した。
《サクラ、フルーオーフィシディエンが泣いているよ》
オフィの、いつもと違って元気のない声に、私は振り向く。
少し高い位置を飛んでいたオフィに手を伸ばすと、ちょこんと私の両手の上に座り込んだ。
か、かわいい……!
重みを感じないのは、これが夢だからなのか、オフィが精霊だからなのか。
まあどっちでも別にいいけどね。
「泣きたいのは私のほうなんですが」
《うん、そうだね。ごめん、ごめん、ってフルーオーフィシディエンは言ってる。泣きながら謝ってる》
私が苦笑して言うと、オフィはそう教えてくれた。
そうか、一応反省はしているのか。
だったら……責められない、かなぁ。
私の一部なんだもんね。一緒に悲しい思いをしたんだもんね。
それ自体がフルーのせいなわけだけど、不思議と怒る気にはなれなかった。
精霊ってつくづく得な存在だよね。
「……どうして、フルーはこんなことをしたの?」
だから私は、怒る代わりに質問をした。
怖い思いをすることになった理由を知りたかった。
《キミが感じたものを中の子も同じように感じるって、言ったでしょ。彼に会いたいっていうキミの思いを、フルーオーフィシディエンも味わっていたんだよ》
なるほど、それはつらかっただろうね。
隊長さんと会わないように決めてから、ずっと欲求不満だったからね、私。
いつも隊長さんに会いに行く時間をどう使ったらいいのかとか、けっこう悩んだりもした。
結局はエルミアさんやハニーナちゃんと過ごす時間が増えただけだったけど。
誰かと一緒にいても、隊長さんは今何をしているかなぁなんて、気になっちゃったりして。
そういうのを全部、フルーも感じていたんだよね。
もどかしい思いをさせちゃったのかな。
《だから、彼に会えるように画策した。キミが一番に頼るのは彼だとわかっていたんだね》
でもってそのとおりになっちゃったわけか。
ちょっと悔しいような、まあ当然かって納得できちゃうような。
フルーには、私の気持ち、全部筒抜けなんだもんね。
《そのせいでキミの不安や恐怖まで一緒に感じることになって、かなりつらかったみたいだけど、それは自業自得ってヤツだね》
かわいらしい外見に似合わず、オフィは辛辣なことを言う。
けど、それに関しては私も同情するつもりはない。
本当に、本っ当に怖かったんだからね。
同じ気持ちを感じたフルーにはわかっているだろうけど。
「これからはちゃんとサボらず仕事してくれますかね」
《大丈夫じゃないかな。たぶん、こりたでしょ》
オフィは苦笑を作った。
精霊も表情豊かなものなんだなぁ。
オフィはいつも笑ってばっかだったから、それが標準なのかと思ってた。
「フルーに言いたいことがあるんだけど」
《普通に話せばいいよ。夢でも現実でも、フルーオーフィシディエンには全部聞こえているから》
わかった、とオフィに笑いかけてから、私は目を閉じる。
私の中にいるというフルーの存在を感じることはない。
聞こえるのは自分の鼓動だけ。
……夢、なんだよね? なんだかすごくリアルな感じがする。
普通の夢とは違うからなのかな。
だったら夢の中でくらい、フルーと会話できればいいのに。
仲良くなれたなら、きっと楽しいのに。
「ねえフルー、聞こえてる?」
私は自分の内側に向かって声をかけた。
返事はないけれど、私は続ける。
「見捨てないでよ、フルーオーフィシディエン。あなたが頼りなんだから」
異世界トリップする直前の笑い声を思い出しながら、優しく語りかけた。
フルーに聞こえているのかはわからない。
私の身体は何も反応を返さなかった。
でも、それでもいい。
フルーと私はもう一心同体。
仲良く付き合っていくしかないんだから。
「これからも、よろしくね」
返事はなかったけれど、きっと了承してくれたことと思いたい。
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