4日間
@nokonokokinoko
第1話
八月半ばの数日。毎年この数日のために髪を伸ばす。あの人に会うために。
小さなアパートのその二階。表札もかかっていない部屋のチャイムを鳴らす。
ドアの向こうからぱたぱたという足音が聞こえて、ドアノブががちゃりと回る。
「久しぶり」
開いたドアから覗いた顔を見て、自然と頬が緩むのを感じる。
「……うん、久しぶり」
オウム返しのような返事の声は記憶の中と変わらない穏やかさ。一つにまとめられた、少し長くて明るい髪。両耳には小さなピアス。困ったようにも見えるはにかんだ笑い方。
一年前と何一つ変わらない彼に、私は会いに来た。
「相変わらず弟さんは留守なんだね」
自分の靴しかない玄関を見ながら呟く。彼には弟がいて、兄弟二人でここに住んでいた。
「この時期は墓のある実家に帰る決まりだからね。でもそのおかげで、ここでなら堂々と君に会える」
彼の笑顔につられて、私もまた頬が緩む。
一年ぶりの再会に舞い上がっているのかもしれない。彼の一挙一動が愛おしくて仕方がない。
これからの四日間を、大事に過ごさなければ。
私の恋人--彼は幽霊なのだから。
彼は数年前に交通事故で死んだ。私はその事実が受け入れられず、しばらく廃人のようだった、というのは後に知人から聞いた話だ。
その翌年の盆に彼の住んでいたこのアパートへと向かったのは、我ながら未練がましいと思う。けれど、その未練がましさがなければきっと、彼と今こうして再開することもなかったのかもしれない。
そのアパートの前で、私は見つけた。階段を上り、自分の部屋へと向かう彼の姿を。気づいた時には駆け出して、彼の名前を呼んでいた。間違いないと確信していた。弟の可能性なんて考えなかった。だってこの時期、彼の家には誰もいないはずなのだから。
向こうは気づいていないのか、こちらには振り向かない。
「ねえ、待って!」
階段を駆け上がった先で彼に追いつき、その手を掴んで引き留める。振り返った彼の目は、当然驚きで見開かれていた。けれどすぐに、その目はどこか困ったように伏せられる。そして次に開かれた彼の口から出たのは、どこか戸惑うような声だった。
「君は……」
そこでようやく、私の頭は急降下するような勢いで冷静さを取り戻した。
「あ、あの、私……」
やっぱり彼じゃないのではないか。はっきりと見たことはないけれど、顔がよく似ているという弟なのではないのか。そもそもどうして死んだはずの彼がここにいるなんて思えたのか。
「ごめんなさい、人違、いで……っ」
恥ずかしいやら情けないやら、申し訳ないやらで声が震える。視界もぼやけて、声を出そうとする度にしゃくりあげてしまってうまく喋れなくて、思わず下を向く。
「どうして、人違いなの?」
離そうとした手を強く握られて、聞き覚えのある声が聞こえる。その声も、私と同じように震えていた。
「君に会えるなんて思わなかったな。もう、忘れてると思ってたから」
見上げた先にあった顔は、困ったように眉が下がっていた。けれど口元は弧を描いている。私のよく知る、彼の笑顔そのものだった。
「……っ」
私はまた、むしろさっきよりも思い切り、ぼろぼろと涙をこぼして泣いてしまった。
「困ったな、泣かせるつもりはなかったんだけど」
抱き寄せて、ぽんぽんと私の背を叩いてくれる彼の背に、必死でしがみつくように腕を回す。手は空を掴むこともすり抜けることもなく、彼のシャツを掴む。彼が確かにそこにいることを改めて感じて、流れる涙も引きつる喉もそのままにすることしかできなかった。
これがどんな夢でも奇跡でも、彼にもう一度会えたことが私には何より嬉しかった。
彼との再会の興奮が落ち着いた後で、本人から事情を聞いた。そうしてまずわかったのは、彼はやっぱり死んでいて、いわゆる幽霊だということ。家の近くにいたのはお盆という時期だからであって、私に見つかったのは奇跡のようなものだったということ。
そして、生前の記憶がはっきりとしないこと。
そのことを聞いた時はやっぱりショックだった。けれど、それでも私を覚えていてくれた。そう思えば、辛さなんてほとんどないに等しい。だって覚えていないのなら、私が話して聞かせればいいのだから。
だから会っている間、恋人らしいことなんてほとんどしない。私はひたすらに彼との思い出話を語って聞かせ、彼の記憶の手助けをしている。
「それで、今日はどんなことを話してくれるの?」
彼の尋ねる声に、私は少しだけ背筋を伸ばす。また一つ、私の宝物で彼の記憶が埋まるのだと思うと、少し高揚感を覚えた。
「じゃあ今日は――」
こうして、彼との年に一度の四日間が始まるのだ。
4日間 @nokonokokinoko
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