第3話

「風妖精は、食事をあまり取らないって聞いていたのに」

メイリに手を引かれながら階下に降りたサーラは、並べられた食事を見て目を丸くする。


一階はリビングダイニングと作業部屋に分かれているようだった。現代で言えば2LDKの間取りが近いかもしれない。

表の作業部屋につながるらしい扉は、風の法陣を使って臭い避けがぐるっと扉周りに施されている。

リビングダイニングは机と椅子、ソファがある程度のシンプルな配置で、大きめのテーブルには、ランチョンマットが引かれ、白磁の器に三人分の食事が並べられていた。

パンは二種類。ライ麦とくるみをまぜたパンは薄切りにしてトーストしてある。どんぐり粉の薄焼きパンはサーラが普段食べているものと同じ。

小さなまるい陶器の器がふたつ。一つにはオレンジを漬けたはちみつ、もう一つには真っ赤なジャムがたっぷりと入っている。

ぷっくりと黄身が美味しそうにふくらんだ目玉焼き。こんがり焼けた、分厚いベーコン。

パリパリと歯ごたえのありそうな葉野菜は多分とれたて。真っ赤なトマトが添えられている。

透き通った玉ねぎが入ったコンソメスープ。

二人とサーラの違いは、ベーコンがあるかないかだった。育ち盛りで地妖精のサーラは、肉や魚を一食でも取らないと体が弱ってしまうが、風妖精はもともと食事量が少なく、肉はほとんど口にしないはずだ。

サーラが思わず感謝の言葉を述べると、ハイランは微笑み「あなた方でいうところの、朝食のような献立になってしまいましたが」と答えた。



食事をとる前のこと。

「遅くなったし連絡を取ったほうがいいわ。遠話機、使うといいわよ」

と、メイリはサーラに遠話機を貸し出した。


「…もしもし。おじいさま?サーラです」

おずおずと話すサーラ。通話口からは渋めの声が返る。

『帰ってこないから心配しておったよ。なにがあった?』

「ええと。ちょっと、倒れて…」

『倒れて!?』


祖父の大声に、思わずサーラが耳から受話器を遠ざける。苦笑してメイリが「かわって?」とサーラの袖を引いた。

「あ、あの。おじいさま、助けてくださった方の家に今いるんです。代わりますから…」

『もしもし?』

「代わらせていただきました。"リエ・ニンフェ"という店を営んでおります、メイリ・テ=アルカナ・ニケルフェネスと申します」


「サーラさん、こちらへ」

それまで、どちらかと言えばおっとりと穏やかに話していたメイリの、丁寧で落ち着いた話し方。

思わず聞き入ったサーラの、腕を引いてハイランは食卓に連れて行った。


ミドルネームは役職を表す。

テ、と役職を名乗ったので、メイリも同じ職人なのは間違いない。

だが、「アルカナ」という職位を、サーラは聞いたことが無かった。

サーラの「ポワナ」は、正しくは「ポル・ワナ」といい、ポル(編み物)ワナ(一番)という意味になる。

(アル・カナ)みたいに切れるのかしら?でも、「アル」がなんの技なのか、知らない…)


5分ほどでメイリは戻ってきた。

「今日はうちに泊まっていくと良いわ。許可は取ったし心配しなくて大丈夫よ」

サーラは驚き恐縮したが、メイリは気にしないでと手をひらひらと振るだけだった。

サーラから見て、父親も祖父も、結構頑固なところがあるのだが、あっさりと説得を済ませてしまったのだ。

見た感じほっそりと華奢で、物憂げな雰囲気のメイリは、意外と肝が据わっているのだろうか…などと、サーラはメイリに対する印象を新たにしたのだった。



ベーコンからはほんのりとりんごの香り。

スープの玉ねぎも、真っ赤なトマトも驚くほど甘く、卵は濃厚なのに臭みがなく。

サーラは短い人生の中で、これほど夢中で食べたことはない、と思うほどのご飯だった。



「ご飯はちゃんと食べたい方なのよね、あたし」

と、メイリはゆっくりと食後のコーヒーを飲む。

「風妖精では珍しい方、ではあると思いますけどね」

ハイランも言葉を添えながら紅茶を飲む。ご希望は?と聞かれ、サーラは紅茶を選択した。ミルクと砂糖を入れて甘くして飲むのがサーラの好み。実家では子供の作法とからかわれるが、ここではなにも言われない。勿論、客だからかもしれないが…。


本来風妖精は、普通の妖精がいう「食事」の代わりに専用の食べ物を取る。直接サーラは見たことがないが、粉状であると聞いたことがある。

粉、ニンファスは別名妖精の素とも言われている。

普段意識はしていないが、このニンファスはこの世の何にでも溶けている。

空気にも溶けているし、大地にも、水にも、勿論食べ物にも溶けている。

風妖精の活力は、このニンファスからが一番効率よく得られる。もちろん、何も取らなくても、普通に生きているだけである程度は取り込めるものだから、抜いたら即死んでしまうということはない。


粉薬のように飲む風妖精も居るが、多くは飲み物に混ぜたり、飴のように固めて舐めたり。パンに混ぜて取ることが多い。さっきの食事の中では、パンに練りこまれている。


ニンファスを作る専門の風妖精がいて、月に一度一定量が配給される。が、ニンファスは食事以外にも色々用途があるため、風妖精によってはニヴァを主食とする場合もある。

世界樹の果実を絞って煮詰めることで、ニヴァと呼ばれる、近い性質のものを作り出すことができるのだ。

学者曰く、ニンファスは全ての妖精の力の源でもある、ということらしい。


地妖精のサーラは、人間やエルフと同じく、食物から活力を得るので、その辺は学校で学んだ時にはピンとこなかった。


サーラは、メイリに広くないけどと言いつつリカルド家より広いお風呂を使わせてもらい(メイリはお風呂にも拘るんですとハイランが口添えていた)メイリのお古だけどよかったらパジャマ代わりに、と着心地の良いワンピースを渡された。

「…なんだろう。凄く気持ちいいさわり心地。こんな布あるんだなあ…」

サーラにはちょっと丈が長くて、床すれすれまでの長さなのに、全然肩が凝らない。布地が薄いわけではないので、おそらく布自体が軽いのだ。

サーラの生家は縫物を生業としているので、幼いころからそれなりに布には触れている。

しかし、何の布なのかは今一つよくわからなかった。勿論花布にも触れたことは有るのだが、花布とも違うような気がしたのだ。



風呂上がり、ワンピースの上から、こちらは自分が織ったストールに包まり、台所に向かう。

メイリとハイランにお湯を使わせてもらったお礼を言い、サーラは部屋に戻ろうとした。


メイリが声をかける。

「サーラちゃん、もう眠たいかしら?」

「ちょっと眠いです」

「じゃあ、寝る前に一杯飲みませんか。うちの習慣にお付き合い頂けるならですが。体にいいですよ」

と、ハイランがマグカップをサーラに渡した。

「これはなんですか?」

「コーディアルです。りんごと生姜、ラズベリーとぶどうかな、これは。アルコールは飛ばしてありますので大丈夫ですよ」

「こーでぃ…?」

「美味しいものをお酒で漬けたものよ」


何か違いませんか?と呟くハイランをメイリは「美味しいからいいのよ」といなし、サーラは一口、舐めてみる。

「…おいしいです」

甘ずっぱいけど、甘くておいしい。香りもすごく良い。

良い笑顔をしていたのか、メイリもハイランも、サーラに笑いかける。

二人とも今日初めて出会った、もっと言えば倒れて介抱してもらった身なのだが、サーラは厚かましいと自制しながらも、二人が昔から仲良くしてくれた、近所のお兄さんやお姉さんのように思えてきていた。



コーディアルを少しずつ3人で飲みながら、話は自然とサーラが何故あんなにドレスに見とれていたのかという話題になった。

「そういえば…。なんであんなにマネキンを見ていたの?」

首を傾げたメイリに、サーラは恥ずかしくなって俯く。メイリは続けた。

「いいたくなかったならいいんだけど。ノイムエントの人だし、やっぱりお裁縫好きよね?」

「…はい。編み物や織物が得意です」

「あらそうなの?もしかして今くるまってるストール、自作だったりするの?」

「はい」


恥ずかしそうに答えるサーラに、メイリは微笑む。ハイランが断ってからストールの端を手に取り、褒めた。

「…目が揃ってますね。色合いも綺麗だ。糸から作ったのですか?」

「いえ、糸は親戚の家が専門でしてるので、そこから。染めるのは自分でしました。…朝焼けを表現したくて」


サーラの許しを得て、ハイランが立ち上がり、ストールを広げる。

淡いピンクから、優しいオレンジへ。所々に細く、濃い藍色や、鮮やかなオレンジ。

移り変わる色に優しく沿うのは、綿雲の白。

ぱっと見る分には、薄いピンクとオレンジの、女の子らしい色合いのストールだが、コンセプトを添えて、広げてみればそこにあるのは確かに、美しい朝焼けだった。


「…サーラちゃんて、今年でいくつ?ごめんね、見た目でサーラちゃんと呼んでいたけど、本当は」

「あ、いえ。今年の夏で13になります。どうぞそのままで」

少し姿勢を正し、尋ねたメイリに、サーラはそのままの呼び名でいいです、と慌てて答える。

場に沈黙が落ちた。

ハイランが、慎重な手つきで丁寧にストールを畳もうとするのをサーラは止め、再び体に巻きつける。無造作に。


***


地妖精ノルムは鍛冶や手工芸を生業とする者が多い。

種族の系統は二種類。サーラ達のような、ノルム・ドノヴァンと呼ばれる者は手先の器用さと、生来の小柄を生かし、細かい手作業を必要とする加工を主に行っている。宝飾品や衣装・武具の装飾、象嵌。頼まれれば刺繍も編み物もなんでもする。

ノイムエントよりもっと南、地妖精の国カトルクラスには、ノルム・ドワーフという鍛治や金属加工を専門とする種族が暮らしている。


再び3人でコーディアルを飲みながら、話題を変えるようにハイランが呟いた。

「遠話機に慣れているようだったので、もしかしてとは思ってたのですが、本当に長のお孫さんだったとは」

首をかしげるサーラにメイリは、遠話機は高価で、維持もお金がかかるので普通はお金持ちか、遠距離連絡が必要な長クラスの家にしか置いていないと教えてくれた。

世間知らずだった事に気がつき、小さくなるサーラにハイランは気にしないでください、と優しく声を掛ける。


「普通こんな『ただの店』に遠話機は置いてませんからね。ちなみに僕の実家にも遠話機がありますよ。…僕の家名聞いたことがあるって仰ってましたよね?」

サーラは頷いて、考え込んだ。

「はい。どこで…と言われると…。瓦版で見たよう…な…?」

ハイランは笑った。

「まあ、瓦版には毎号出てるでしょうね。父が寄稿してますので」

「えっ!?」

サーラが目を丸くすると、メイリが説明を入れる。

「ハイランのお父様は、近衛騎士団長よ。彼は直系の三男」

サーラは開いた口が塞がらなくなった。ハイランは面白そうに眺めている。

「次の質問を当てましょうか?『どうして騎士様が仕立屋さんにいるんですか?』」

「なんでわかるんですか!!」

ハイランは爆笑した。メイリはそんなハイランを見て笑っている。

「…いや、すみません。あまりにもよく言われるので。そうだろうなあ、と思って言ってみたんですけど」

あんまりにも素直に反応されたのでつい、と謝られてしまっては、反応に困ってしまうではないか。


と、カップを両手に持って固まるサーラに、メイリは追加でクッキーを出してやった。



「話は戻るけど、テ=ポワナってことは、編み物が得意…どころじゃないわよね。まだ12歳なの?大したものね」

話を戻して、褒めるメイリに、サーラは心底恥ずかしそうに縮こまった。

「…お恥ずかしいです」

「どうして、あんなにドレスに夢中になったのかしら?」

サーラは、少し考え、おずおずと答えた。

「レースと刺繍が、とっても綺麗だなと…」

ハイランが微笑んだ。

「あのドレスのレースは僕が作っています。刺繍はメイリと二人でですけど。編み図を見ながら見よう見まねなので、あまり近くから本職の人に見られると恥ずかしいな」

「そんなことないです!!すごく綺麗でした。刺繍とよく映えて…。姉様のドレスもあんな風に作れたらいいのに、って見入ってたんです」

「お姉さんがいるの?」

「はい。私、姉が二人いて。一番上の姉様はもうお嫁に行ったんですけど。上の姉様がもう直ぐお嫁に行くんです。今ドレス作ってるのですが、飾りが寂しい気がして。もっと豪華にしてあげたくて」




この世界の名前には法則がある。

ファーストネーム、ミドルネーム、氏族名、という構成。

ファーストネームは、その人の持って生まれた能力に応じて文字数がある程度決まっている。

三文字以下は自由民、4文字は武人。5文字以上は王族か神官、というのが原則になる。

だからハイランは多少発音的なものもあるが、武人筋になると推測できる。

自由民と言われる人々は、職や生き方を自由に選ぶことができるけれど、4文字以上の名を持つ者は、ある程度自分の能力に添って生きることになる。5文字以上の人は、その能力の希少価値から、生まれて名前が定まった時から生きる場所が決まっている。


ミドルネームはその人の職業とスキルの熟練度を表す。

テ、というのは「職人」を指す。大体はテ=〇〇で何の職人をしているかを示すけれど、見習いだけは職関係なく「テ=イルマ」と称される。

ポルは編み物。ワナはいちばんの、とか最上の、という意味を表す。

テ=ポワナ・リカルドは、意訳するとリカルド一族で一番編み物がうまい、という意味になる。

サーラの生家リカルド家はノイムエントの長であり、ノイムエントで生産される物品の取りまとめと品質の管理をしている。また、リカルド家の人間は刺繍・編み物・織物関係に特化した技術持ちが多いため、事情を知る人には「ノイムエントでも指折りの」編み物がうまい人、という意味になる。

正式名を名乗ることで、何の生業でどれくらいの腕なのか、を示すことになるのが、この世界の常識だった。



「布もとっても綺麗で。なんの布ですか?ああいう、いろんな色が移り変わるような染め方、私もしたいです」

ハイランが微笑む。

「そのストールは十分、そういう染め方ができている気がしますが…」

メイリも微笑んだ。

「そうね。あの布は紫陽花の銀花布よ。紫陽花は、花に見える部分は花びらじゃないから、正式な分類は葉布かもしれないけど」

サーラは、遠い憧れのものを見るような顔をした。

「あれが、銀花布なのですか…」

「…銀花布、近くで初めて見たの?」

銀花布は非常に高価だ。メイリは作る立場なので見慣れているが、市井の人間はそうそう見る機会は無い。

「はい。…いえ、一度だけ、見たことあるかな…。薔薇の銀花布でした。薄い桃色で、ほんのり銀色掛かってて、とっても綺麗な花嫁衣装でした。」

「薔薇と、紫陽花じゃあ、質感が違うからわからないわね」

「それもありますけど、表のドレスの布の方がもっとずっと、質が良く見えました」

メイリがにこりとする。

「あら。花嫁衣装でしょ?それなりに質のいい薔薇の銀花布だったと思うわよ」

「そうなのですか?」

ハイランが答える。

「花嫁衣装に薔薇の銀花布を使うというのは、貴族発祥ですが古い慣わしでしてね。赤やピンクの薔薇から銀花布を作る手間、花嫁衣装にできるほどの質の布でドレスを作るということで、花嫁側の覚悟を示す、という意味があるんです。銀花布自体はあまり長持ちがせず、処置をしなければ2年ほどでダメになります。末長く大切にドレスを持っていられるほど、愛情をもってあなたに嫁ぎます、という覚悟ですね」


サーラは記憶のドレスを思い返した。

確かに、ドレスは大切に保管されていた。


「少しほつれていた気がします。確か式から2年くらい、だったのかなあ」

「しっかり手入れをしていれば、質のいいものなら10年、悪くても5年くらい保つわね。もしかしたら、少しグレードが低いものかもしれないわねえ…お高いし」

「嫁入り道具への信仰は根強いですからね…。『銀花布』に拘る家は多いと聞きますよ」


というメイリとハイランの会話に、サーラは一つ疑問がわいた。

「あの、銀花布も種類があるのですか?」

銀花布は銀花布で、『銀花布』という布の種類だとサーラは思ってきていたが

「そうねえ。大抵は薔薇のを指すと思うけど。うちは頼まれればなんでも銀花布にするわよ」

実際は「花の種類ごとに」銀花布がある、という事実を初めて知る。

「紫陽花の銀花布、なんて変わってますからね。サーラさんが休んでいる間に問い合わせと買取の連絡が…何件あったかな」

自分が見詰めていたあの美しいドレスは、珍しい布だったのだ、と知る。

「凄い、んですね。花布だって安くないのに。…あまり、違いがわかってないですけど」

しかしそうなると「花布」と「銀花布」はどこが明確に違うのか、が今度は良くわからなくなった。銀を帯びているのが銀花布、なのだろうか?

サーラは、花布も触ったことは有るが、高価な布ということもあり、しげしげと眺めたことが無い。

重ねて尋ねると、メイリが違うわよ、と細かく解説する。


「ええ。薄さも違うし、色も花布の方が濃いかしらね。銀花布は、薄いのと色の抜け方から、銀色を帯びて見えたりもするけど、花布はそういうこともないからね。…明日でいいなら色々見せてあげる。今日はもう遅いし、おやすみなさいな」


たくさんの布を見せてもらえる、という事に、隠しきれない興奮を見せたサーラは、年相応の少女に見えた。

おとなしく、礼儀正しいこと。ポワナという熟練度を持っていることから、メイリもハイランも、12歳というサーラが年齢よりも大人びて見え、どう扱っていいか内心考えあぐねていたのだが、サーラはもちろん、知らなかった。

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