第2話

この世界は、人間種、妖精種、長命種エルフと、大別して3つの人種が暮らす数多の国がある。


人間とエルフは交流があり、妖精とエルフも交流はあるが、普通の人間には妖精が感知できないため、人間と妖精の交わりは通常無い。

妖精を感知できる人間は、法術に精通した感覚の鋭い者と、生まれつき「視える」力を持つ者。

法術に精通した者は大抵軍属か近衛兵となり、視える力を持つ者も大体は法術士の道を歩むため、市井に暮らす人間で妖精を見ることができる者はごく稀である。


平和な国もあれば、争っている国もある。

争いが多いのは人間種。妖精種は、種族内でさらに細分化された氏族間で時々抗争が発生する。長命種はその生の長さと個体数の少なさ、さらには他種族―主に人間種―との抗争を避けるため、居住区に強い防御の法術を張り巡らせていることが殆どなので、そもそも争いごとと言えるようなものは発生していない。


長命種は殆どが森に暮らしている。

妖精種は自然の多い場所で暮らしていることが多い。

人間種は、長命種が暮らすような深い森を避けた場所であれば大体どこでも暮らしている。

人間種と長命種は、個体差はあれど大幅な体格差はないが、長命種の方が長身、人間種の方ががっしりした骨格である。

一方、妖精種は、彼らの大体1/10くらいの体格になる。

人間種の女の子が持つ着せ替え人形は、妖精種を模しているものが多いらしい。



マネキンが飾られている店があるのは、妖精の国の中で一番大きく、氏族人口も多い風妖精シルの国ラヌークの首都キエリ。


ラヌークは、長命種の一番大きな集落から少し離れた窪地にある。

樹々が屋根を作る細い獣道を抜けたところにぽっかりとできた、子供が秘密基地にしたくなるような小さな窪地の真ん中に、小指の先ほどの石を敷き詰めた街路が碁盤の目状に広がる。

整った区画には人間の腰くらいの高さの建物が並んでいる。

南側の窪地の一段高いところから、緩やかに石畳は坂を作り、窪地の脇にある小さな泉の淵までくると、渡し舟があり、泉の中央には、睡蓮を模した王宮がある。

風妖精シルに属する者は背中に有形無形の羽があり、王宮に用事があれば別の門から飛んで入場するため、この渡し舟は他種妖精のものになる。


見る者が見ればおとぎ話か夢の世界と思うような美しい光景だが、その実危害を加えようとする者があれば、五体満足で帰ることはまず不可能な仕掛けもたくさん施されている。

勿論、強固な法術で守られており、知らぬ者、悪しき心を持つ者には辿り着けず、見ることもできない国。その王宮は、見た目から「睡蓮宮」と呼ばれていた。

世界の理を支える役割を担う「柱」の一人「妖精王ニンバス」が、この睡蓮宮の中心で暮らしている。

なお、長命種は、ラヌーク含め妖精国全般への意図的な接近を、種族法として厳重に禁じている。破れば種としての加護を剥奪され追放処分となるため、長い歴史の中で禁を犯そうとしたものは無い。


ラヌークの首都キエリの職人区画の一角に、店は佇んでいる。

行き交う人が多い通りに面した路地を少し入ったところにあるその店は、南向きの日当たりがよく、通りから覗けば≪ニンフェリエ≫と書かれた看板がよく見える位置に立っていた。

見た目の店構えは小さいが、代わりにショウウインドウは大きく取られており、マネキン二体に、ゆとりを持って飾り付けができるほどのスペースがある。

マネキンの背景には、角度によっては少し向こうが透けて見えるカーテンが下がっているが、正面からショウウインドウをみると、薄い水色の布に見える。

今飾られているマネキンは一体。紫陽花の花がそのまま妖精になったらこんな服を着ていそう、と思わせるドレスを纏っている。

ショウウインドウに直接日差しは入らないが、足元に敷かれた銀砂が光を反射し、十分明るかった。


≪ニンフェリエ≫の前の道を通った先が大きな商店街への近道になるので、人通りは少なくない。

足を止めるもの、急ぎ通り過ぎる者と様々だったが、皆ちらりとマネキンに視線は向けていた。


隣通りに住んでいるニアお婆さんは、マネキンの服が変わるたびに見にくるのを楽しみに、散歩道にしていると語る。

≪ニンフェリエ≫のマネキンが同じ衣装を着ているのは10日もないので、お婆さんはさぞ散歩のしがいがあることだろう。

仕立屋側としては息つく間もなく次の仕事が舞い込むため、もう少し飾っていられたらいいのに、とうれしい悲鳴をあげていることは、また別の話。



妖精種の衣装は、主として植物繊維と花布かふで作られている。花布かふとは文字の通り、花びらを特殊な手法で布地としたものをいう。

多くは薔薇の花びらを布に加工したものが一般的だが、マネキンのドレスのように紫陽花のガクが使われていたり、香りの良いスミレや金木犀を布に加工することもある。

ただ、ラベンダーやかすみ草のような、もともと花自体に水気が少ないものは花布かふにできない。


工程の中で色がある程度抜けるため、色鮮やかな花布かふは大変高価である。朽ち止め加工をしても保つのはおおよそ2年。

よって、低所得層は主に麻や綿など、耐久性のある素材で衣服を作ることが多い。

類似素材として葉布はふもある。こちらは花布かふに比べ扱いやすく、破れにくいのでもう少し一般にも普及している。人間の感覚で言うなれば皮革製品に近い扱いになっている。

葉布はふは、少し練習すれば器用な人なら普段着くらいの質のものが作れるが、花布かふは専門の技術がなければ作るのは難しい。色鮮やかな花布かふを作れるものはさらに限られる。


マネキンのアンダードレスに使われている銀花布ぎんかふは、通常の花布かふに対してさらに特殊な工程を踏み、厚みを均一に極薄に仕上げたものを指す。人間の世界では紗と呼ばれる布地に近く、薄くほんのりと透け、肌触りが良い。夏はひんやりと涼しく、冬は暖かさを溜め込む性質があるため、貴族階級では肌着に使われることもある。

が、通常はドレスなどの晴れ着、特に質の良い銀花布ぎんかふは花嫁衣装に使われる事が多い。

ゆえに、飾られた紫陽花のドレスに、身につける花嫁の幸せそうな姿を重ねて思い浮かべる者もいた。



太陽が中天に差し掛かる少し前、地妖精ノルムの少女が1人、店の前をとおりかかり、稲妻にうたれたようにたちどまった。

おそらくどこかの店からの帰りなのだろう。肩にくったりと大きなカバンをかけている。

服は厚地の木綿。シンプルなワンピースに短め丈の上着。髪はまとめているが飾り気は無い。


彼女は、直射光こそ当たっていないが、角度の加減でちらちらと煌めくドレスを、穴が空くほどに見つめていた。

小柄な地妖精に、このドレスの丈は長すぎるが、そんなことは気にも留めていないようだ。

あちらから、こちらから。角度を変え見る位置を変え。後から通りかかる者が何事かと振り返るほどの熱を込めて。

たっぷり一刻もそうしていたか。

夏には少し早いとはいえ、日差しはそれなりに眩しく、決して涼しいわけでもない。徐々に顔色は悪くなってくるが、延々とドレスを観察しつづけていた。


そんな彼女を観察しているのが、店の内側に二人。


「メイリ、お客さんみたいですよ」

内側、要するに店内では、中肉中背の青年が、机に突っ伏して眠っている女性をそっと揺すぶっていた。

朝一度起きてうたた寝し、ブランチを食べてうとうとしているこの店の主人である。

「ん…留守です…」

「いるから。二人とも。ここに。」

寝言なのか起き抜けで頭が回っていないのか、よくわからない居留守を使おうとする主人メイリを揺すぶっているのは、従業員兼世話人のハイラン。

メイリは風妖精には珍しい黒髪に黒い瞳の痩せ型で、身に纏っているのはクリーム色の花布かふで作られた脹脛くらいの丈の長袖のワンピース。ゆったりとして動きやすそうだ。

一方、ハイランは一般的な風妖精の特徴でもある金髪碧眼。ただ仕立て屋にしては肩幅も上背もあり、黙って立っていれば武人に見えるような居住まい。

こちらは白いリネンシャツに、藍で染めたワークパンツを身につけている。


メイリがゆっくりと瞼をあける。白い肌に長い睫毛も黒。少しぼんやりとしていた焦点が徐々にあわさり、ショウウインドウの向こう側で熱心にマネキンを見つめる少女に目線を向けた。

マネキンの背景になっているカーテンは、マジックミラーの役割も果たしており、店の内側からだと外の様子がよくわかる。しばらくその状況を眺め、メイリはぼそ、とつぶやいた。

「あのこ、倒れそうだけど大丈夫かな」

ハイランは頷く。

「僕もさっきからそれを心配してましてね。声かけていいですか?今まで色々ディスプレイしましたけど、あれほど熱心に見つめてくれた人は初めてですし、ちょっと興味もあります」

見惚れる人、足を止める人、数え切れないので普段はハイランも気に留めないが、今店の前にいる彼女は、ちょっと熱の込め方が尋常ではなかった。

あれほど、何を気に入ってくれたのか?ドレス本体ではないが製作者の1人であるハイランは、彼女に興味がわいた。

通常、≪ニンフェリエ≫は一見客や通りすがりの客は招き入れない。もちろんニアおばあさんのようなご近所さんは別だが。だからこれは結構珍しいことなのである。


いいわよ、と鷹揚にメイリが頷いたのに礼を言い、ハイランは表に出る。が、少し遅かったようだ。

少女がふらふらと座り込む。慌てて駆け寄り抱き起こすと顔が赤い。

「あー、熱中症かも…」


店の中から見えたのだろう、すぐにメイリも外に出てきた。

小柄で小さな地妖精はメイリの細腕でも抱えられた。

ハイランが「大丈夫ですか?」と声を掛けると、少女は頷くものの目を閉じた。集まってきて心配そうに見守るご近所さんたちに、騒がせたお詫びを入れて、二人は店の中に入る。メイリでも抱き上げられることから、ハイランはメイリに世話を任せることにする。

自分は氷を貯蔵庫から出してきて、アイスピックで割り、氷嚢を作った。

メイリは二階の客室に運んだ少女を、目覚めて驚かない程度に服を脱がせて寝かせ、薄い掛け布団をかける。

ハイランが部屋に戻れば、少女は苦しげな様子はなく、ただ顔は赤くなっているが、そのまま目を閉じていた。

メイリは氷嚢を受け取り、頬や首、脇を冷やす。ハイランはもう一度階下に降りて、台所で砂糖水と塩とレモンを混ぜて脱水の時に飲む飲み物を作り戻ってきた。冷水ポットに詰めてあるそれを、サイドボードに置く。

少女に何度か声をかけ無理やり起こし、コップ半分ほど水分を飲ませた。

そして最後にハイランは、部屋の隅にある冷風陣に法力を流し、部屋の温度を少し下げてやる。

しばらく見守っていると、少女が静かに寝息を立て始めたので、二人はほっと顔を見合わせた。


「今すぐ何か、ということはなさそうね。一応、お医者様を呼んでおきましょうか」

「そうですね。よかったです。メイリ、食事にしますか?」

「んー。軽く食べようかな。この子、目覚める時間によったらお泊りになるかしらね?」


軽食を準備しながら呼んだ医者は、軽く診察して、大丈夫と太鼓判を押し、帰って行った。

二人は食事をとり、いつもの仕事をはじめながら、目覚めを待つことにする。



地妖精ノルムの少女が目を開けると、見慣れない白い天井が飛び込んでくる。

シーツも掛布も、洗濯された清潔な匂いがする。部屋に人気は無い。静かだ。

少し頭が痛く、顔が火照っていることに気がつき、少女はひっそりと苦笑いを浮かべる。

集中すると、周りが見えなくなって、我を忘れてしまうのは少女の悪い癖で、よく母や姉達に注意されていたのだ。

今もそうで、あのきれいなマネキンに目を奪われすぎて、立ちくらみを起こしたんだろう、と自分の行動を振り返る。

顔がヒリヒリするし、きっと日にも焼けてしまっているに違いない。結婚式が近いのに、母と姉に何を言われるか…。


とまで考え、ため息をついたところで置かれた状況に気がつき、少女は飛び起きた。

が、頭痛に頭を抑えてそのまま枕に倒れた。倒れた反動でさらに頭が痛む。

「うえぇ…」

と思わず声が漏れた。

すると、どこからか足音が近づいてくる。ドアが軽くノックされる。

少女は、小さな音にビクっとしつつ、なんとか返事をした。

「…はい」

「大丈夫かしら?暑いところに立っていたから、立ちくらみしたみたいだけど」

顔を出したのは黒い髪と黒い瞳の女性。

少女から見て、少女の姉とあまり年は変わらないように見える。

「す、すみません。ご迷惑をおかけしました」

取りも直さず詫びて、慌てて少女はベッドから降りようとするが、膝からかくりと力が抜けてベッドのわきに座り込んだ。

女性ーメイリは、慌てて駆け寄り、元どおりベッドに寝るのを手伝う。

次に、サイドボードに伏せたあったガラスのコップを取り出し、水さしから水を注いでいる少女に差し出す。

少女はひとくち味わい、ゆっくりと飲み干した。


「お家はどこかしら?遠いようなら今日帰るのはやめた方がいいわ」

メイリは首をかしげ、こちらを確かめるように少女を見る。小柄な見た目から、少女は年よりかなり幼く見られることが多い。

しかし、女性は子供をあやすようにではなく、純粋に心配そうな声と眼差しを向けてくれている。

「見た目からして、南の方にある地妖精の集落の人かしら?徒歩か、定期便かわからないけど、途中で具合悪くなると女の子じゃ大変よ?」

「馬車で帰るつもりだったんですけど…。どうしよう、泊まるところ探さなくちゃ」

少女は項垂れる。今日の午後には定期便で帰る予定だったので、宿は引き払っていた。

また、妖精の中でも小柄な地妖精、その中でも体が小さい方の少女は、暗くなってきたら絶対に宿から出るな、一人になるなときつく言われて送り出された。

その意味を知らないほど、彼女は子供ではなかったし、知らない人にも用心をしなければならないと強く思い、今回の旅行中も気を張っていたのだ。

美しいドレスに目を奪われたこともそうだが、初対面の見知らぬ他人に助けられてしまったこと。今も問われるままに事情を話してしまった。相手の名前も聞いていない。冷静に考えれば、物凄く迂闊な行動だ。

自分はしっかりしていると思っていたのに…。

少女は内心ひどく落ち込んでいた。

メイリが、少女をみて何か考えていることには気づかずに。



その時、再び戸口をノックする音がし、男性が顔を出した。きれいな金色の髪と、空の色をした瞳。

「メイリ、追加の飲み物を持ってきました」

「ありがと。…この人、部屋に入れてもいい?」

問われ、少女はきょとんとしたあと、気がついて頷いた。自分に気を使ってくれたのだ。

「あの、私。お礼も言ってなかった…。助けてくださって、ありがとうございました」

ベッドの上では締まらないかな、と思いながら頭をさげる。

少女が顔を上げるとメイリは微笑んだ。それまで、よく言えば癖の無い、悪く言えば印象に残らない、人形めいた人だと無意識のうちに思っていたが、微笑むことで急に可愛らしく、血の通った人に見え、少女は瞬きする。

「礼儀正しいのね。…あたしはメイリ。この店の店主よ」

「僕はハイランと言います。従業員ですが、この人の世話もしています」

メイリとハイランが二人揃って自己紹介をする。少女も慌てて姿勢を正した。

「わ、私はサーラ・リカルドと言います」

「リカルド?…ノイムエントの長の親族でいらっしゃいますか?」

サーラの言葉に、ハイランが反応する。サーラは頷いた。

「はい。…サーラ・テ=ポワナ・イルリカルドが本名です。すみません」


通常、この世界で名乗る時は名と姓だけを名乗る。

ただ、相手に礼を尽くす場合は、ミドルネームと家名に系譜をつけたものを名乗る、というのが決まりだ。

イルは直系、ニレは傍系を指す。


「テ、ということは職人仲間ね。よろしくね」

「…言わせてしまったみたいでこちらこそすみません。ハイラン・リテ=アルグ・イルアレウスです」

ただし、素性を明かしたくない場合は名乗らなくても、身分が同等かそれ以上であれば問題ない。今の場合はメイリは名乗りを返さず、ハイランは丁寧に自己紹介をした。

「イルアレウス…。アレウスって、聞いたことあるような」

サーラが首を傾げたところで、メイリが手を打った。

「ね、お腹すいてきたんじゃない?」


「え、と。あ、もう夕方…?」

時間経過に気がついた途端、サーラのお腹が鳴った。思わず赤くなって俯くと、メイリは声を立てて笑う。

微笑んだだけで急に可愛らしくなったメイリが、声を立てて笑うと目をひきつけられるような愛らしさがあった。

起きられるようならご飯をどうぞ、とメイリは続ける。サーラが再びベッドから降りようと足に力を入れれば、今度は立ち上がることができそうだった。

「では、僕は支度をしてきます。ゆっくりどうぞ」

ハイランが踵を返して階下に降りてゆく。メイリが手を差し出し、サーラはつかまりながらベッドから降りた。


空腹で力が抜けた私を攫うような悪者は多分まだ現れないに違いない…

サーラは着替えを手伝ってもらいながら、内心がっくり肩を落としたのだった。

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