第19話 「翁島 1」


高校二年生の夏休みに、僕はとても奇妙な経験をした。


当時、猪苗代湖畔にあった叔父のドライブインに父が道楽で買った小さなモーターボートを係留していた。僕は毎週末にはそのモーターボートで湖上を疾走するために原付バイクで猪苗代湖畔まで出かけた。今はどうだか知らないが当時は無免許でも平気で運転できた。公道のように警官たちが目を光らせて取り締まるということはなかったからだ。


ある日、僕はそのモーターボートに乗って湖上に浮かぶ小さな島に行ってみようと考えた。島の名は翁島(おきなじま)と言う。島といっても直径20メートルぐらいの小さなもので、無人の土地には、樹々が生えているだけで、遠目でみると湖上にこんもりとした森が浮かんでいるように見える。会津若松側から進むと島が地続きの半島のように見える。夜になればそれが不気味な雰囲気を醸し出すのだ。さらに不気味なのは島の周辺に村が沈んでいるのだ。


その村に関しては翁島の由来に窺える。昔、1人のうらぶれた僧が今の翁島周辺にあった村にふらふらと辿りついた。彼は酷く喉が乾いていたのだろう、村人たちに水を懇願したが、誰もがとりあわない。しばらくして1人の老人が僧に水を与えた。僧は大層感謝して、「あなたの慈悲の心が幸運を生むでしょう」と言って村を立ち去った。その3日後、磐梯山が噴火してその集落は湖に沈んだが、老人が住んでいた土地だけが沈まなかった。それが翁の島となって、翁島と名付けられたというものだ。翁の土地以外は湖底に沈んでしまったということだ。


島の近くには有栖川宮の別邸がある。その後高松宮に移譲されて、天鏡閣と呼ばれ県の迎賓館となっている。父は「あの上に天皇の別荘があるんだぞ」と言っていたが、僕をそこまで連れて行ったことはなかった。


原付バイクで郡山から中山峠を超えると、湖水浴場地として最も大きな上戸浜に抜ける。そのまま北上して会津若松方向に走って野口英世記念館を過ぎると蟹沢という小さな集落が見えてくる。僕の父親はこの集落に生まれた。叔父のドライブインもこの地の湖畔にあった。ドライブインは叔父の所有物だが、実際の経営者兼料理人は甥の孝だった。彼は僕より7歳年上で、この時、若松の女性と結婚したばかりの新婚ほやほやだった。


僕は原付バイクをドライブインの隅っこに止めると、ヘルメットを被ったまま裏口から建物の中に入った。裏口の近くには事務所と厨房がある。厨房を覗くと何かを油で揚げている孝と、丼にご飯をよそっている孝の嫁の佐知子が見えた。2人とも真剣に作業しているので、僕には全く気がつかない。

僕は孝に「モーターボート出してもいい?」と声をかけた。孝と佐知子はいきなり入ってきたヘルメットの僕に驚いて作業の手を止めた。

「なんだ、勝弘げ?ばぁが、いきなりヘルメットを被ったまま、入ってくっからびっくりするべよ」

「あだしは強盗かと思っちゃったわよぅ」

「へへへ、ごめん、ごめん、こんちは」慌ててヘルメットを外して「ねぇ、ボート動かしてもいい」と聞いた。

孝は長い菜箸で油鍋からトンカツらしい揚げ物を鍋の横にある金網がついた金属製の盆に置いて「まぁだボートが?おめぇは勤叔父さんに似て能天気な奴だな。こごに来れば遊んでばっかりなんだがら、たまには店でも手伝ったらいいべさ」ボート出してもいいがら、まずは飯を食ってがらにしろや」

「そうだよぉ、ご飯食べでがら行きなよ」佐知子はご飯を詰め込んだ丼に千切りにしたキャベツを載せている。どうやら孝特性のソースカツ丼を作っているらしい。

「うん、じゃ、いつものソースカツ丼作ってよ」

「おう、ほんじゃ、出来たら呼ぶがら2階に上がって休んでろや」

「うん」

ヘルメットを取って階段を上った。ドライブインの建物は2階建てで、2階は客室になっていたが、そこを使うほど客が入ったところを僕は見たことがなかった。




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