消雲堂怪談
消雲堂(しょううんどう)
第1話 「エレベーター」
「エレベーター」
以下はN総合病院に入院する田所昌司の話だ。2014年2月4日に彼が入院している北病棟の個室で聞いた。田所が入院した理由に関しては後述する。
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僕は浦安に住んでいる。この2年間に続けて両親が死に、肉親は妹だけになった。僕たちの親族は東北の方にいるが、両親が存命の時から疎遠になっていた。疎遠になった理由は知らないが、僕たち兄妹は子供の頃に東北の湖のある町で叔父と叔母に会った記憶があるくらいのつきあいだ。その叔父と叔母もかなり前に死んで、その後どうなったのかも知らない。
僕は結婚して浦安に居を構えたが、妹は両親と一緒に浦安の隣のNという江戸川区の街に住んでいた。駅の近くに建つそのマンションの4LDKが僕の実家だったということになる。両親が死んでからは彼女がひとりで住んでいた。本来ならばマンションを売って、妹と折半して遺産相続するということもありうるが、僕は幸いにも暮らしには困ることなく生活に余裕もあるほどであったから、彼女にマンションを相続させた。
それが二か月前に「一人暮らしには広すぎるからマンションを売って、お兄さんの近くに引っ越したい」と妹が言うので、それならマンションを売りに出してみろと答えると、駅近い実家マンションの立地条件が良かったのか思いがけない高値で売れてしまった。それならば急いで彼女の住まいを探さねばならない。
「浦安で売りに出ている中古マンションを買いたい」と妹が言うので休日を利用して一緒に見に行った。ひとりで浦安の不動産屋に行って気に入った物件があったらしい。そのマンションは築10年ほど経っていたが、綺麗にリフォームされた2LDKだった。2LDKといってもリビングが20畳ほどもある広い部屋で、妹は大層気に入った様子だったので彼女はすぐに購入を決めた。
両親と一緒に住んでいた家がかなりの金額で売れたので、その部屋を購入しても、少しの金額が妹の手元に残った。それは一般人の2年分くらいの年収に相当する額だった。「仕事を辞めてもしばらく食えるぞ」と言うと、妹は満足げに笑った。
妹が購入したマンションは新たな気持ちで生活を始める一人暮らしには申し分がなかった。その部屋は4階の角部屋で大きな窓からの日当たりも良かった。
それでもひとつだけ気がかりなことがあった。購入したマンションのエントランスはオープンであり、誰でも自由に出入りできることだった。「オートロックじゃないから不安」と心配する妹に「実はオートロックなんて意味がないんだよ。入退室者がいれば、その後をついて入ることもできるし、第一、プロの犯罪者であれば赤外線センサーを操作することだって朝飯前なんだから」と言って安心させようとしたが、最近のマンションのエントランスはオートロックが主流であり、彼女に不安を払拭させることはできなかった。特に彼女の仕事が遅くなった時には不審者がマンション内に潜んでいるかもしれないと思うだけで不安になるようだった。
引っ越して3ヶ月ほど経って、妹の不安は現実のものとなった。
妹はその日も仕事で帰りが遅くなった。夜の11時過ぎだったという。マンションのエントランスを抜けると静寂が彼女の不安を煽った。小走りにエレベーターに乗り込もうとボタンを押すと、エレベーターは9階から降りてくる。マンションにはエレベーターが一機しかなかった。エレベーターに沿って比較的広くて昇りやすい階段もあるのだが、夜中の非常階段は恐ろしい気がして使ったことがなかった。
エレベーターが1階に降りてドアが開いた。すると中に一人の女性が立っていたので妹は驚いた。女性はドアが開いたのにエレベーターから出ようとしない。髪の毛が長く背も170センチ以上もある大きな女性だった。全身が黒づくめで礼服のようなワンピースを着ている。
「あのぅ…1階ですけど…」と妹が言っても一向にエレベーターから出ようとしない。そのうちにエレベーターのドアが閉まる。エレベーターは9階に上がっていく。「忘れものでも取りに戻ったのかしら?」エレベーターは9階に止まった。「やっぱり、出かけようとして1階まで降りてきて忘れ物に気がついたんだわ」妹は改めてエレベーターのボタンを押した。しばらくするとエレベーターは9階からまっすぐ1階まで降りてきた。そしてドアがゆっくりと開いた。「あっ?」妹は驚いた。あの女性が乗っていたからだ(忘れ物を取りに戻ったんじゃないんだ…)。
「あのぅ…」妹が話しかけても返事をしない。よく見ると女性は小刻みにブルブルと震えている。そのうちドアが閉まるとエレベーターは9階まで昇り、また止まった。
妹は恐ろしいことに気がついた。「彼女は夜中のエレベーターの中にずっと立っているのではないか。もしかしたらアレは幽霊なのかもしれない。そしてエレベーターに入る者に取り憑くのだ」背筋が凍った。エレベーターの表示を見ると9階から8階、7階と変わっていく。あの女が降りてくるのだ。妹は恐怖した。「仕方がない」妹は意を決して階段を昇ることにした。
階段には各階の踊り場に灯りはあるものの夜中ともなれば薄暗く不気味なものだ。妹は小走りに階段を昇っていく。4階まで階段を昇るのは辛いが、あの女に取り憑かれるよりはマシだ。息切れがする、幽霊から逃れようとして階段を昇っている自分が滑稽にも思えたという。妹はようやく4階にたどり着くと、自分の部屋まで歩こうとしたが、あることに気がついて足を止めた。見ればエレベーターが4階で止まっていたのだ。
そして…戦慄した。声も出なかったという。妹の部屋の前にあの女が立っていたからだった。女は妹を見据えて「おかえりなさい」と言って笑った。
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