ようこそ、サルサバーへ

沙紗(サシャ)

第1話 ナナとサルサ

『ナナ』32歳。恋人居ない歴32年。そ、産まれて誰とも付き合った事ない。おそらく、無いと思う。物心ついた時から、モテなかったから。

もちろん、バージン。正真正銘、このまま結婚式を挙げるとしたら、バージンロードは胸を張って歩けるだろう。

二十代後半になって、ようやく、このままではいけないと悟る。何か行動に起こさないと、と思っていた所である。

たまたま知り合いが、


「ダイエットに良いよ〜。」


なんて教えてくれたダンスがあった。

その時、サルサダンスなるものを初めて知った。


そして五年経った今、『ベラム』と言うサルサバーにどっぷりハマってしまった。『ベラム』とはラテン語で『美しい』と言う意味らしい。


名古屋は栄と言う繁華街にあるそのバーは、5階建ての雑居ビルの中に入ってる。4階のフロアがその、『ベラム』と言うサルサバーである。

地下鉄、栄の駅から10分程歩かなければならないが、地下街を抜けて行くのでさほど遠いと感じない。


その地下街は、ショッピングモールになっていて、ショーウインドーを見てるだけでも飽きない。人の往来も激しい。


人混みの地下街を通り抜け、何件かの居酒屋、バール、客引きのお兄さん達の間を通り、派手な看板に囲まれた小さな雑居ビル。

3階は美容室になっている。

外から見える美容室の窓一面には、外国人の金髪のモデルがふわふわの髪をなびかせ、グリーンに光る潤んだ目でこっちを見ている。どうやったって日本人はあんな髪型になるわけ無い。


美容室は結構流行っているらしく、店内では、イケメンのお兄さんが世話しなく動き回っている。時たま、エレベーターの中で遭遇するお姉さんが、3階で降りると、元気な声で「いらっしゃいませ」と返ってくるその声の先にはナナ好みのあご髭が素敵な男性の顔がチラッと見えたりする。


4階だと思って3階で降りた時は、一歩足を踏み入れた瞬間、『シマッタ』思ったのだが、そのイケメンのお兄さんの顔を見たら、

『カット。頼もうかしら?』と、その気になった。


なぜか印象深いのか、あご髭のお兄さんはナナの顔を知っている。

「あ、4階ですよね?でも、たまには下に来てカットして下さいね。お待ちしています。」

カットしても良いかな。って思った所に間違えて降りた事を先に言われたものだから、またエレベーターに乗り直さなければならなかった。

5年もこのビルに通ってるのだから、知ってるのは当たり前かも知れない。


その上の5階と言えば、訳の分からない居酒屋になっている。とにかく、経営者がよく変わるのか、気が付いたら出会いカフェになってたり、婚活バーになってたり、怪しい飲み屋に違い無かった。


『サルサバー』なんて、カッコ良いと思った。ナナにとっては、無縁の場所だと。だが、ダイエットと言われると、興味があった。最近、下腹が妙に重い。

昔は、同じように食べていても、胃もたれする事も無かったし、次の日もまた、同じように食べても、食べてもたいてして体重は変わらなかったのに。

20代後半になってやっと、新陳代謝が悪くなって来ている事に気が付いた。このままでは、母親と同じ体型になってしまう。

ショックだった。

バージンのまま、中年太りになってしまうのか思うと。


友達に、と言っても、ナナにとって友と呼べる人は居ない。世間では、知り合いと言った方が近い。その、知り合いに『サルサバー』に通ってると言ったら、

「凄いね。」なんて事言われたりする。

知り合いの多くはサルサの事を良く分かって無いようである。「ラテン系のダンスをペアで踊る所です。」と、言うと納得されたりする。それでもわかん無い人には「クラッシックダンスの激しい踊り。でもないですが、タンゴの方が近いかも知れません。」と言って適当に答えるようにしていた。


実際にどう言うものか、調べてみた。


そもそもサルサ (Salsa) は1960年代後半にニューヨークのプエルトリコ移民が中心になって、作られた比較的新しいペアダンスと言う事であるらしい。サルサ音楽に合わせ、基本、二人で踊る。サルサは男性が腰を使い、女性をリードして躍らせると言うラテンダンスであり、男女がペアで踊るダンスの中ではスピードも速い、かなり激しいのが特徴であると言う事だ。


ナナは、元々運動オンチであり、昔からダンスなどやらせるとタコ踊りにしかならない。


要はリズムに乗れない。

—それが一番問題だ。


音楽に至っても同じ事で、サルサ音楽とか言われてもこれがサルサなのか?全く分からないのである。

ただ、五年間も同じような曲を聞いていると、何となくではあるが分かるようになっては来ている。

で、スタイルとして、ニューヨークスタイルはON2。ロサンゼルススタイルはON1。と言う。この他にもキューバンスタイル等がある。

ナナにはON1と、ON2の区別がイマイチどころか、全く未だに分からない。キューバンスタイルとなると…。ハハハ。

パーティー等で、色んな人と踊ってると、チョット踊れる男性に会うと、聞かれる事がタマにある。

「キミは、ON1?ON2?」

大体こう言う事を聞いて来る男性は『オレはどっちでも踊れるんだぜ。キミのために合わせてやるぜ』なんて、心の中で思ってる。

ナナは、そう言う時は

「キューバンスタイルです。」って大きな顔して答える。ON1とか、ON2とか聞いてくる大抵の男性はこのキューバンスタイルが踊れない。

名古屋では、キューバンスタイルを教えてくれる先生は少ない。


『バー』と言うからには当然、お酒もある。中には『バー』と言う名前に惹かれて店に知らずに入ってくる客もたまにはいるが、一歩『ベラム』の店に入った所で後悔する事になる。かなりの音響で音楽が鳴り響き、昔懐かしいディスコのようにひとりで自由に踊りを踊って居る人は無し。ペアで踊っているのであるから、当然初めて見る人は呆気に取られるであろう。ほぼ、じっくり飲める席も無し。まず、座る所は無いのである。踊り疲れた人々が休む椅子は多少ではあるがある。あくまで、目的はお酒では無く、ダンスである。


ナンパ目的も、なきにしもあらず。


ナナに至っては一度として、ナンパされた事は無い。

ナナ的にはいつかは逆ナンしてみたいと心の中で思っているのだが、その勇気がまだ持てないでいる。


そのダンスに魅せられて、と言うか、いつかナンパされるのでは無いか?と言う淡い期待の下心のもとにナナはダンスレッスンに日々通っている。


実際、このサルサバーで、年に何組かカップルが誕生する。

いつかは?ナナも?

いつかなのだ。でも、きっとそのいつかはやって来るのでは無いだろうか?と、思わないとサルサをしてる意味が無いでは無いか。

イヤ、そうでもないかも?サルサのリズムに合わせて踊るペアダンスは下手なりに楽しい。出来れば恋人と呼べる人が、現れてくれればなお、良いが…。


大抵の『サルサバー』では、初心者、中級者用にレッスンとかあって、その後パーティー形式で、ペアになって踊りましょう。と言う感じになっている。

ただ、初心者がすぐに踊れるかと言うと、中々難しい。

ナナは、何回も言うが、栄の『ベラム』と言うサルサバーに5年も通っているのだ。未だに気持ち良く綺麗に踊れた事が無い。多分、このダンスはリズム感とか天性の物も必要かと思われる、

とはいえ、五年も初級のレッスンに通ってるのは、ナナくらいかも知れない。なぜなら、レッスンに来る人は、基本は3か月もしたら普通に踊れるようになるから。

イヤ、3カ月もしなくても踊れる人は大勢いる。

中級者くらいになると、きっと誰とでも踊れて、パーティーでは引っ張りダコで、初心者より数十倍は楽しいはずである。

僅か、数時間のレッスンでコツを掴む女性もいる。

男性は、リードしなければならないから、女性の三倍は練習しなければ難しい。技とかがあるのだ。ようは、綺麗に女性を躍らせるテクニックが必要なのである。

ナナがよほど不器用と言う事は言うまでもない。要するにリズムオンチ。


根っからの音痴とはそう、いるものではないらしい。音痴と思っている人はその曲をちゃんと聞いて居ないのであって、人はある程度まともに曲を聞き、発声練習など、きちんとした事をすれば、音痴と思っていた人でも、普通に歌えるようになるらしい。

リズム感も同じである。練習次第である。ナナも、初めた頃よりはそれなりに進化していた。


ただ、楽しい。


人よりは飲み込みも遅いし、同じレッスンを何度も何度も繰り返さないと前に進めないナナであったが、気長にお付き合いして下さる先生に感謝しながら、今も尚、レッスンを続けられている。

今だに初級者のレッスンから出れないが、たまに、中級者のレッスンにも顔を出せるように最近ではなって来た。

ただ、他の生徒が少ない時とか、先生に余裕がある時に限る。


『ベラム』では通常レッスンの他にたまに、海外から大物のダンサーが来てレッスンしてくれる時もある。

他のサルサバーでも同じように、海外からのダンサーを呼んでは大きなイベントを開催したりして、盛り上がる事が多い。


そしてダンスパーティー。


このパーティー、ハロウィンは仮装。クリスマスも仮装。お正月、ひな祭り。何かにつけ、パーティーをやって皆で盛り上がる。多少、踊れなくても仮装するだけでも結構楽しかったする。


肝心なのは、ステップである。


まず、ベーシックステップ。一般的に1小節で3歩である。(4/8拍子で第4拍と第8拍はステップを踏まない)と言う事であるが、これも慣れである。身体と頭が上手く動いてくれない。

ダンサーは、きっと曲を聞いて自然に身体が動くのだろう。


基本、女性は男性のリードで動くので、男性の踊り手が上手であれば問題ない。ただ、普通の女性であればだが。


ナナは、普通では無い。


それでも、5年もこの『ベラム』に通ってレッスンを続けている努力は認めてもらいたい。

そのうち、ナンパして貰えるかも知れないと諦めないで、通っているうちに5年が経ってしまった。と、言う方が正しいかも知れないが。


もう一つ、サルサダンスの他に、バチャータと言うダンスがある。何故か、このバチャータもサルサレッスンとセットになってる事が多い。


ナナは、どちらかと言うと、こっちのバチャータの方が好きである。ちょい慣れた、ラテン系のお兄さんなんかと踊ると、密着度が凄い!まさしく抱き合いながら、一体になって踊るからである。


ナナは残念ながら、抱き合いながら踊るのはヨダレを垂らし、指を加えながら見ているだけで、実際に踊った事は無かった。


『ベラム』のパーティーでは一曲ごとに違う女性と踊りましょう。と言うルールがある。余程のラブラブカップルではない限り、同じ人とはペアを組まないように。サルサダンスのパーティーでは殆ど暗黙の了解である。とはいえ、全くの見知らぬ人と踊るのは、躊躇するものである。


サルサダンスをしてる男性に是非とも聞きたい事がある。


それは、何を基準にパートナーを選ぶのか?フロアで見ていると、男性からの誘いが多い女性は決まっている。可愛い子であり、踊りが上手な子である。

たまに、踊りが下手なナナにも、踊ってくれる男性がいるけど、休憩タイムにゆっくり踊ってやろうか。なんて思われてるような踊り方だ。

ただ、初心者相手だと大抵の男性は優しくリードしてくれたりする。初心者に限りだが、ナナは初心者でも無いのに、踊りが下手だと皆が知っている。

相手にされない事が多いが、流石に五年もレッスンに通っているので、顔馴染みが多い。それなりに、ナナから誘うとちゃんとパートナーになってくれる。基本、優しい男性が多い。


ここ、名古屋の『ベラム』は比較的女性の生徒が多い。それだから、いい男がレッスン受けにくるだけでも、熾烈な争いが勃発する。

とは言え、素敵な男性目当ては皆同じである。

イヤ、純粋にサルサダンスを楽しみ、綺麗にフロアで輝いていたいと思って女性も男性も踊っている。

つまり、ナルシストが多いという事である。ペアで踊るダンスなので、相手と破調が合い、音楽にもノリノリで乗れたら、物凄く気持ち良く踊れる。


陶酔する事が出来るのである。


いつかは、きっと、『キャシー先生』のようになれるとナナは信じてレッスンに今もなお、初級クラスでガンバっている。

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