1日目 23時35分


「ほら、わたしの脚見てる場合じゃないよ。端末で初心者マニュアルが買えるから、見てくるといい」


 僕の視線に気が付いていたらしい凍子さんが発した台詞が、頭の中を巡っては消えていく。

 僕は自分部屋のベッドの縁に腰掛け、腕を組んで虚空を見つめている。

 凍子さんはもういない。僕が勧めに従い初心者マニュアルとやらをエレベータホールで閲覧している間に、隣の自分の部屋に戻ってしまったようだった。


 端末の操作は簡単だった。腕輪のデータをリーダーに読み込ませ、後は画面をタッチしていくだけ。100coinの初心者マニュアルを購入すると、画面に大量の文字列が浮かび上がった。何度か試したけれど、どうやらマニュアルは、1度購入すれば何度でも端末で閲覧できるようだった。


 マニュアル曰く、全ての参加者はスクラッパーと呼称される。

 マニュアル曰く、ゲームで得たcoinは脱出時に日本円に換金することができ、レートは1coinにつき1万円。

 マニュアル曰く、ゲームは2日に1度行われ、参加は強制。

 マニュアル曰く、ゲームは実施の前日24時にその内容が確定し、参加者は4つのゲームの中から参加する1つを選択することができる。

 そしてマニュアル曰く、ゲームに敗北した者は腕輪から注入される毒物によって、命を落とす。


 大きく息を吐く。1度得体高揚感。すぐに消え去った期待感。子供だからだろうか。まだ高校生だからだろうか。馬鹿にされたものだと思う。


 強制的に参加させられる死のゲーム。有り得ない。幾らなんでも非現実的に過ぎる。

 ゲームで人の生き死にを決め、生き残った者には大金を与える。申し訳ないけれど、全く意味が分からない。ゲームを主催しているのがどんな連中なんだとしてもそれは同じこと。リスクばかりでメリットがない。

 そもそもこの建物には、僕と凍子さん以外にどの程度の人間がいるのだろう。仮に50人だったとして、それだけの人間をどこからか誘拐し僻地のホテルに閉じ込めようと思ったら、どれほどの巨大な組織が必要だろう。掛かる金と手間だって、どれほどのものになるか想像もつかない。

 いや、それ以前にだ。凍子さんはこの場所にもう1ヶ月もいると言っていた。それがまずおかしい。

 僕はその1ヶ月前、凍子さんに電話を掛けた。繋がらなかったのは、ここに閉じ込められていたからと考えれば確かに一見辻褄は合う。目を覚ましたときから僕が僕の荷物を見掛けていないのと同じで、恐らく凍子さんもスマートフォン含む荷物をゲームの実施者に没収されてしまったと考えられるからだ。

 ただ、凍子さんは普通の女子大生だ。一月も行方不明になっていれば、多分ニュースになっている。「美人女子大生謎の失踪」とか、多分そんな感じで、テレビやらネットやらで騒がれていておかしくない。だけど実際には、そんなニュースを耳にした記憶は全くない。

 

 つまるところ、どういうことなのだろう。考えられる可能性は1つしかない。


 凍子さんは、嘘をついている。


 では何故凍子さんは嘘をつくのか。決まっている。彼女は「仕掛け人」だからだ。


 そもそも、普通に考えれば分かることだった。焦る必要も、不安がる必要も、怯える必要も、端からありはしなかった。これは、恐らくテレビ番組の企画だからだ。

 つまらない、よくあるテレビ番組の企画。一般的にドッキリと呼ばれるもの。

 つまりこの建物はただの地方のビジネスホテルもしくはラブホテルであり、外の森はいわゆる書き割りの類だ。

 夜間陽が落ちているから分からなかったけれど、夜が明けてから見直せば、偽物の絵であることがはっきりと分かるのだろう。

 かなり大掛かりだけど、誘拐されたうえに命懸けのゲームに参加させられるなんていう漫画じみたそれよりは、よほど現実感があるというもの。

 左腕の腕輪だって、只のデジタルウォッチを改造しただけのものだろう。


 最大の疑問は、何故僕なんかがドッキリのターゲットに選ばれたのかということ。思うに、凍子さんの推薦だろう。

 凍子さんはあれで、よく分からないところのある人だ。頭だっていい。大人の世界と多少の繋がりがあったっておかしくない。

 僕の予想では、凍子さんにはテレビ局のプロデューサーあたりに知り合いがいるのだ。そして頼まれた。大掛かりなドッキリを仕掛ける相手を探している。できるだけ見た目が良くて、純粋な人物はいないだろうか。加えて可能なら、仕掛け人として君にも協力してほしい。

 もしかしたら、幾らかの報酬も支払われたのかもしれない。凍子さんは自分で言うのもなんだけれど比較的容姿の整った僕を推薦し、自分は仕掛け人の1人となった。


 考えれば考えるほど、それが正解のような気がしてくる。そういえば、今日は金曜日ではなかったろうか。となると明日は土曜日で学校は休み。曜日的にも都合がいい。


「さて。どうするか......」


 腕を組んだまま目を閉じ、考える。面倒な話だけれど、多分このドッキリは明日で終わる。ゲームとやらが始まり、直接的に僕が死の危険を感じたところで、ネタばらしだ。僕が怯えて泣き叫ぶほど、番組的にはありがたい。目一杯に僕を怖がらせてくることだろう。

 敢えてドッキリですよねと指摘し、僕の頭の良さと冷静さを見せつけてやるのも悪くないし、敢えて騙された振りをして、勇敢で頼り甲斐のあるところを知らしめてやるのも悪くない。

 ふと、少し前に舐め回すように見つめた凍子さんの脚が思い起こされた。


「よし」


 呟き、ベッドから立ち上がる。絨毯を歩き、扉の前へ。ゆっくりと押し開いて、廊下に出た。


 凍子さんは綺麗だ。大きな瞳に、高く通った鼻筋。やや薄い形のいい唇に、びっくりするくらい白い肌。胸は少し物足りないけれど、スタイルだって凄くいい。


 僕が巻き込まれたのは、凍子さん等が仕掛けたドッキリ企画。気に入らないけれど、考えようによってはチャンスでもある。勇敢で聡明で、そして男らしいところを見せることで、彼女の気を引くチャンスでもある。


「日下部君ってさ、勇気あるんだね。わたし知らなかったよ。この21世紀の日本に、本物の武士もののふがまだ残っていただなんて」


 頭の中の凍子さんが、潤んだ瞳で僕を見つめる。頬を染め唇を震わせて、僕の胸へとゆっくりと倒れ込んでくる。


 やっぱりいい。ドッキリだろうがなんだろうが、退屈を紛らわせてくれることに変わりはない。終わった後に美人の彼女がついてくるなら、尚更ってもんだ。


「凍子さん。いますか?」


 隣の部屋。907号室の扉。

 木製のそれに軽く手の甲を打ち付けながら、静かに呼びかける。

 

 胸に再び、興奮が舞い戻ってきていた。

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