ボーカロイドは爪先立ちする

猫乃緒さんぽ

プロローグ ボーカロイドは反乱する


 ボーカロイドが反乱した、らしい。


 朝、登校するなり僕に駆け寄って

「陸くん、僕の姫が……姫がぁぁぁ……」

と叫んでから放課後の今に至るまでずっと、琥太郎はさめざめと泣き続けている。


 僕の数少ない友人である彼は、剣を持たせたらめっぽう強そうなその名前通り、由緒ある武家の末裔。そして世が世ならば姫と呼ばれるはずだった婚約者を守りきれず、今朝亡くしてしまった……というわけでは、もちろんない。


 姫というのは、琥太郎が愛してやまないボーカロイドのことだ。数か月前から彼の心を絶賛独占中の二次元美少女。確か、正式名称は『歌姫プロトタイプ』。


 断末魔のごとき第一声から約7時間という時の経過を経て、事態はわずかに好転した。

 嗚咽80%・鼻すすり15%・意味不明のつぶやき5%という最悪のコンディションから、嗚咽60%・鼻すすり10%・なにやら人間らしき言葉30%というところまで。


 コアラのマーチの箱から眉毛コアラを探し出すのに匹敵する辛抱強さで琥太郎のきれぎれのつぶやきを再構築した結果が、先ほどの

「ボーカロイドが反乱した」

というセンテンスだ。


 主語=ボーカロイドが

 述語=反乱した。

 S+V、第1文型。


 中学の英語の授業でもまっ先に習う、単純明快な文型だ。高2ともなれば、いかに英語の成績が心許なくとも読み解けるレベル。ましてや日本語なのだ、わかりやすいことこの上ない。

 ……言葉の内容を、深く吟味しないで済むならば。


 嗚咽の中からこの一行を発掘して、まず頭の中に浮かんだのは、こんな光景だ。


 エメラルドグリーンのツインテールを風になびかせ、少女が戦場を疾駆する。革命旗を右手に高く掲げ、左手には音符型の槍を握りしめて。

 我に続けと凛々しく振り返った彼女の後に続くのは、黄色いショートヘアの小柄な双子からピンクの艶やかロングヘアのお姉さま系美女まで、やたらとカラフルな面々だ。


 しかし一体何に対して反乱を試みているのかがさっぱりわからないため、彼女たちの鮮やかさに比べ、その華奢な足が踏みつけている敵は輪郭すら判然としない。アメーバ状というか一面モザイクがかかったようなというか、まことにアンバランスな絵面となっている。


 この解釈を語って聞かせるやいなや、琥太郎の嗚咽がぴたりと止まった。つい今しがたまでしゃくり上げていたとは思えない滑舌で、怒涛の反論が繰り広げられる。

「ひどいよ陸くん! どうして革命旗持って先頭に立つのが、僕の姫じゃなくて他のボカロなの?! しかも出てくるの超メジャーなキャラばっかりで、姫はどこにもいないっぽいし!」


 二次元少女にして巨大ライブ会場を観客で埋め尽くしてしまうあのキャラこのキャラは即座にイメージできたが、琥太郎の姫のビジュアルは思い出せなかったのだとは、口が裂けても言えない。髪の毛が実においしそうな色をしてるなあ、と思ったことだけは覚えているのだが。


「だいたいさ、その想像図のベースになってるのって、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の絵だよね」

「ああ、うん。そんなタイトルだったような気がしないでもないな」

「あれはフランス革命を描いた絵でしょ。僕が言ったのは革命じゃなくて、は・ん・ら・ん!」


 そんな物騒な単語を「声変わりはまだなのかい?」と問いかけたくなるようなボーイソプラノで、一語一語区切って言われても。


「それにさ、陸くんのボカロ理解度が低かったおかげで、自由の女神役は他のキャラになっちゃったわけだけど、よく考えたらあの女神って服が破れて、む、胸が」

「はだけてたね、胸。両方しっかり」

「わーーー、ダメ、想像禁止! 他のボカロでなら許すけど、僕の姫をあのポジションに置いて想像したら、いくら陸くんでも許さないからね!」

「落ち着け琥太郎。連日の熱心なレクチャーにも関わらず、僕のボカロ知識は、姫ちゃんの着衣を剥ぎ取ってあれこれ想像できるほど深まってないから。ていうか、ドラクロワのあの絵のままで、充分妄想の海にダイブできるし」


 かくして名画に描かれた勇敢な女神を生贄に、琥太郎の魂の平安は保たれた。芸術って偉大だ。いろんな意味で。


 改めて問い質したところによると、要するに姫こと『歌姫プロトタイプ』は、琥太郎が愛情込めて作曲したメロディーを頑として歌わなくなった、ということらしい。

「なんだよ、泣き崩れるから何かと思ったら。それって単なるソフトの不具合だろ? 買った店に持ってって交換してもらえば済む話じゃん」


 あ、そうか。はたと気が付いた。


 女子の制服に身を包んだら、国民的美少女コンテストに余裕でエントリーできてしまいそうな容姿のせいで、幼い頃から男子には「やーいやーい、オンナ男!」といじめられ、女子からは「女の子を本職とする私達よりかわいいってどーゆーこと? なんかムカツク!」と謂れのない敵意を浴びせられてきた琥太郎のことだ。


 僕にこそこうして心を開いて思いの丈を吐露してくれるようにはなったが、店員さんにクレームじみた言葉をかけるのはまだまだ怖いというわけだな?

よしよし、この爺が助太刀してやろうではないか。


 よちよち歩きの孫を見守るおじいちゃん気分で、口を開きかけた琥太郎を手で制する。

「わかったわかった、皆まで言うな。このあと、行くんだろ? どこの店? つきあうよ」


「ちがーう! 僕の姫は、そこらの店に並んでるソフトとは違うんだってば。制作してくださったキング・ポセイドン様のホームページからダウンロードして、月々ちょっとずつ課金するっていう、ボカロ界では画期的なシステムなの! 説明しなかったっけ?」

「そういえばそんなようなことを力説されたような、されなかったような……」


 貴重な友がのめり込む世界を少しでも理解しようと、琥太郎の熱意溢れるレクチャーの後は、ネットでボカロを検索しては暗記し、復習を怠らなかったのだが。

 彼の興味がメジャーどころのボカロから姫ちゃんに移行したあたりから、少しばかり身辺がバタバタし始めて復習が追い付かなくなっていたのだ。


 それにしても、「制作してくださった」とか「ポセイドン様」とか。琥太郎の全身全霊を傾けた崇拝ぶりは、姫ちゃんのみならずプログラムの制作者にまで及んでいるらしい。


「他のボカロはいきなり最初から万札はたいてソフト買ってこなきゃいけないけど、姫はひと月500円から始められるんだよ? お小遣いに縋って生きてる中高生にとっては、救いの神なんだから」

「ワンコインまでディスカウントするとは見上げた心意気だな。僕もそのポセイドン氏を、ちょっとだけ好きになってきたよ」


 だからといって今すぐ『歌姫プロトタイプ』をダウンロードし、琥太郎と一緒にウキウキボカロライフを始めようとまでは思わないけれど。


「性能だってメジャーソフトに負けてないし、ていうかむしろ勝ってるし、ふた月めからは作った曲に合わせて、なんと姫が画面で踊ってくれるんだから! 4月に入って、やっと姫が重いコートを脱いで、『桜並木で待ってるね♪ 似合うかな? 新しい制服』バージョンになったとこだったのに」


 ヒートアップする琥太郎は気づいていない。さっきからクラス内カーストのトップグループに君臨するリア充クラスメイトの皆さんが、彼を注視していることに。


 「退屈な授業の疲れを振り払ってまーす」感を醸し出しつつ、大きく伸びをしながら席を立つ。琥太郎の横に回り込んで彼らに背を向け、机に両腕をついてみる。 中肉中背のこの身体で、蔑みの視線も無遠慮な囁きも、全て遮れると思うほどおめでたくはないけれど。


「うん。姫が踊ってくれるようになったって琥太郎が狂喜乱舞してたの、今思い出した」

「そうなんだ。僕の曲を歌ってくれるだけでもうれしいのに、かわいく踊ってくれるようになって、ほんとにもう夢みたいだったのに……」

 琥太郎がつぶらな瞳をしばたかせる。


「2,3日前からなんだ。入力した音と違う音で歌ったり、アップテンポの曲、勝手にスローバラードにしたり……。昨日の夜中には、とうとう、どんな音を打ち込んでも歌ってくれなくなっちゃった。譜面の横で踊ってくれてた姫の画像も、怒ったみたいにクルッて背中向けて、ぜんぜんこっち向いてくれないし」

「それ、なんか反乱っていうより反抗期って感じだな」


 思わずぽろっとこぼれ落ちた感想に、琥太郎はもげそうなくらい激しく首を振った。

「反抗期なんかじゃない。あれはもう、反乱だよ! だって僕の姫だけじゃなくて、『歌姫プロトタイプ』を使ってるユーザー全員が同じ目に遭ってるんだもん。昨日から姫のファンサイト、ものすごい数の悲鳴が飛び交ってるんだから!」


 僕の脳内で、ドラクロワの名画を土台にしたにも関わらず、極めて残念な仕上がりだったあの想像図が、ようやく完成に漕ぎ着けた。


 ボーカロイド達に踏みしだかれている敵。アメーバのごとく曖昧模糊としていたその輪郭が、今くっきりと浮かび上がってくる。


 自由の女神役の姫ちゃん――琥太郎の強い要請により、例の着衣の破れはもちろん綺麗に繕われている。容貌が思い出せないため、顔の真ん中に『姫』と太字で記入済み――の足元に横たわるのは、他ならぬ琥太郎。

 反乱の列に連なるボカロ達に踏まれているのは、「姫ちゃん命♪」と書かれた鉢巻を締めて悲嘆の涙にくれる『歌姫プロトタイプ』ヘビーユーザーの皆さんだ。


 無償の愛を注いできた相手に足蹴にされるとは、なんたる不条理。ボカロには全く興味のない僕でさえ胸が痛む。さて、こういう時はどうすべきだったか。

 おお、そうだ。心の中で、静かにおてての皺と皺を合わせて……

 な~む~。

     

 胸も痛むが、背中に刺さる視線も痛い。二次元少女に無垢な愛を捧げることに理解があるとは思えないこの場からは、取り急ぎ出たほうがよさそうだ。


 制服の上に絶望という名の分厚いマントを羽織った気の毒な琥太郎の背中を押し、なんとか教室の出口へと向かわせる。

 「きみの涙は僕が拭う!」的なことができるといいのだが、涙の原因が姫ちゃんとあっては対抗できる気がしない。せめていつものように家に連れて帰り、ホットケーキでも焼いてやりたいところだけれど、今日に限って寄らなきゃならない場所がある。


 リア充を絵に描いたようなこの子たちなら、こんな時、気晴らしの手段がいくらでもあるんだろうになあ。

 教室でも特に華やかなオシャレ女子軍団を横目に通り過ぎようとして、興味深い会話を耳にしてしまった。


「マジムカツク! カラオケで入店拒否とか、ありえなくない?!」

「1曲まるまる歌わせといて、フツーに上手いからよその店行って歌ってくれって! は? あんた何様なんだっつーの」

「フツーにってなによ、フツーに、って。みんな引き連れてったのに恥かかせてくれちゃって。あたし悔しくて、ぜんぜん眠れなかったんだから。見てよ、この目の下のクマ。お客を差別するサイテーサイアクな店って、今日もツイートしまくってやる」

「樹里、採点機で90点台連発のカラオケ女王なのにね。どうせあんなショボイ店、すぐ潰れるに決まってるって。今日はマトモな店行こ!」

「あ、キダックスかバウンドワンなら、あたし割引券持ってるぅ」


 へえ。高級レストランが、だらしない服装のお客にお帰り願うってのは聞いたことあるけど、歌の上手下手でお客を選別するカラオケ店まで存在するのか。ドレスコードじゃなくてボイスコードってわけだ。


 それにしてもあの気の強そうなキラキラ女子軍団を「フツー」と斬って捨てるとは。なんて店か知らないが、彼女たちの入店を拒否した直後から、ネットには目を覆いたくなるような罵詈雑言が書き連ねられていることだろう。


 ムカついていらっしゃるという我がクラスのカラオケ女王――カラオケに同行させていただく栄誉に与ったことがないので、実力の程は知らないが――の顔を、そっと盗み見る。

 ほうほう、そなたが樹里様であらせられるか。


 クラス替えしたばかりで、女子の顔と名前はほとんど一致しない僕でも認識できる。よくぞ制服に収まったと感心するような巨乳で初日から男子たちの注目を集め、派手な美貌と言動で瞬く間に女子の心を掌握したクラスメイトだ。


 マスカラとアイラインでくっきりと縁取られた樹里様の目の下には、なるほど仰せのとおりクマが鎮座している。「演技初体験で~す♪」と無邪気に笑うアイドルの主演映画で脇を固める、演劇界重鎮俳優のごとき存在感で。

 朝食そっちのけで施したであろう入念なメイクでも隠せていない事実が、彼女の無念を率直に物語っている。

 かなり用心してチラ見したつもりだったのに、鬼のような形相で睨み返された。


 溺愛するボーカロイドに反乱を起こされて、悲しみのどん底に沈む琥太郎。

 自慢の歌声を過小評価され、眠れないほど憤慨している樹里様。

 女王様が君臨するトップグループから滑り落ちないよう、一緒に悪口を書き込んだり放課後の気晴らしに付き合ったりと、涙ぐましい努力を怠らない取り巻きの女の子たち。


 大切なもの、譲れないものを抱えてしまったみんなは、いろいろと大変そうだ。心にまったく懸案事項のない我が身が申し訳なくなるほどに。


 かくして傷心の琥太郎を慰めつつ校門で手を振って別れた僕は、なんてこともなくのんびりと家への道を辿る。


 この世に生を受けて16年めにして初めて会う、父さんが待つ家へ。

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