第17話 彼女を思う

「与太話はこのぐらいにしておいて、夕飯にしよう」

「ヤダ、パパの作るご飯はクソ不味いからボクは食べたくない」

「かっちーん」

 チルルの機嫌は治ってくれそうにないが、娘の嫌味に俺は頭にキタもので。

 すぐさま俺の専用回線に繋ぎ、“あの人”と交渉した。

「チルル、悪かったって、ここは俺が大人になるからな」

 やや尊大に、チルルのご機嫌取りをしてみる、やや尊大に。


 チルルは瞼を腫らし、頬を赤く染めてゲーム画面に向かっていた。

 まぁいい、健康だけが取り柄のチルルがゲーム如きで目を悪くするはずもない。

 そのままピコピコとゲームのリモコンに怒気をぶつけていればいいんだ。

 

 午後六時二十三分、ホウレン荘のインターホンを“あの人”が静かに鳴らした。

『火疋ぃ澪っ、嬉しいぞ、私は正直お前を愛しているからな』

 死馬教官(17歳と301ヶ月)が、玄関カメラに映っていた。

 何を考えてか、彼女は爪、唇、瞼にいたるまで紫色だ。

 化粧するにしても色調を考えてくれよ、怖い、その紫色の鏡みたいな不吉加減。

 怖いことは立て続けに起こる、玄関カメラに何かが横切ったかと思えば。

『昨日は連中と朝まで宴に興じていたそうだな火疋』

 死馬教官の隣にはサングラス姿の怪奇美人こと東雲教官までいらっしゃる。


 さて、教官も来たことだし、「娘達を呼んできます」かね。

「……火疋は彼女達を本気で娘と思っているのですかね」

「ふむ、事は存外大掛かりなものかも知れません東雲先生、それでこそ、それでこそ将来私と家庭を持つ男の器と言ったところじゃないか火疋ぃ」


 そう、先程俺が専用回線と偽って交渉していた相手は死馬教官他ならない。

 チルルが俺の手料理はクソ不味くて食えたものじゃないと言うから、

 今一時は、俺の方から折れてやったのさ。

「と言うことで今日の夕飯は外食だ外食」

 やや自棄やけ気味に言ってみる、やや自棄気味に。


 そして俺は娘達を引き連れて、死馬教官が運転するバンに揺られ、とある料亭へと行き着いた。

「「おぉぉ」」

 期待に胸を膨らませていたチルルと俺は同調して感嘆する。


 石畳の門構えからして見事の一言なのだ。

 職人に手入れされた、情緒溢れる立派な松の木が枯山水の庭に置かれ、

 木造りの廊下からは際立った一流の香木の匂いがし、嗅覚を酔わせる。

 日本料亭なのに、斯くも幻想的な景観が俺達の意識を惑わせていた。


たまにはこう言うのも悪くないなダディ」

 さっそく雰囲気に酔ったのか、マリーは俺の腕に絡み付き、

 彼女の胸の感触が露骨に伝わって来る、トゥフフ。

「……それで、死馬教官は何故私達のダディに言い寄るのですかね」

「運命だ」

 きっぱり。

 死馬教官はマリーの牽制とも取れる口上に真っ向勝負していた。先程の電話で「デートしませんか?」と言った手前、この後どうやって逃げるか考慮中だ。


 でも可笑しな話しだ、会食デートに誘そわれた死馬教官は東雲教官まで連れて来たのだから。

 まさか、死馬教官もモモノみたく先見の明があるとでも……いや考えすぎか。


「こちらになります」

「来たか、零の令嬢の諸君」

 女中さんに通された部屋にはエロハゲこと学園長の鹿野マサムネが控えて居た。

 ――、俺は挨拶代りにエロハゲの頭頂部を手の平で思い切り引っ叩いてやる。

「どうもご無沙汰してます小父さん」 

 ――、いい音が部屋に響く響く、くっくっく。

 クカカカカカっ、連打っ、禿げ頭を連打連打っ、ばいぷっしゅだ!


 それに気を悪くしたのは小父さんの隣で胡坐を掻いていたカノンだ。

「っグフぅ」

「お前、最近調子に乗り過ぎだろ」

 カノンは俺の脇腹に痛恨の蹴りを入れ、俺はグロッキーに転じるが、がな。

「おまえが、いう、なカノン、」

 常士学園に入るまでの鹿野カノンと言えば女の敵と専らの評判だった奴だぞ。

「そだね」

「はいはい、鹿野カノンとダディは距離を取るようにな」

 マリーの嫉妬は未だ続いている、かつマリーの罰ゲームも未だ続いていた。


 俺の首には『僕は脱童貞しました ♡ 私の身持ちは堅い』と書かれたホワイトボードが今も垂れ下がっている。

 ――ごきゅり、これを見て、固唾を呑み込んだのはやはり例の“あの人”だ。

「火疋ぃ、お前はいつの間に脱童貞したんだ、相手は誰だ相手は、体位は?」

「気にしないでください、ほんの冗句ですから」

 ――ごきゅり、死馬教官は尚も固唾を呑み込んでいるが、それは貴方の取り越し苦労に終わるかと、終わるよな?

「年に一度の催しものだと思ってくれ、君達『零の令嬢』には普段から借りがあることだしな」

 学園長の鹿野マサムネは目尻を下げながら俺の娘達を一瞥していた。

 いやらしんだよ、その目付きとか、露骨な高級スーツの身嗜みとか。


 席順としては学園長を上座に据えて、小父さんの隣にはカノンが座り、チルルが向いに座る。俺はカノンの隣に腰掛け、俺の右隣にはマリーが座り、向いには死馬教官と東雲教官が陣を構える。後は残されたモモノとヒイロが向かい合って座り、宴会の席は出来上がった。


「ダディ、ここはどんなコースが出て来るんだ、私はこう見えて好き嫌いが激しいから、食べれない物はダディが美味しく頂いてくれるとして」

 俺もこんな高級料亭で食べるのは生まれて初めてのことだった。

 でも、飛び入りでよくこんな料亭を押えることが出来たなと不思議に思う。

「ボクは美味しい肉が食いたい」

「あぁあぁ、出るだろ出るだろう美味しい肉ぐらい食ってくれよ」

 機嫌を損ねていたチルルも調子のいいことに声を弾ませて浮ついているしな。

 

 ここで一つ、俺は今回の飯テロをサッカーに喩える。


 キックオフ――まずは新鮮なシロギスとサーモンのカルパッチョから召し上がれ。

「旨いッ!! 旨いぞこいつは、パパの分もボクに寄越せッ!!」

「落ち着けチルル……ほぉ、こいつは惚れ惚れするほど美味だな」

 まずは俺達の胃に鮮魚のキラーパスが飛んでくる。

 この黒光りした粒々はまさか――キャビア。

「ラッキー、私キャビア好物なんだよな」

 さすがはブランド志向が強い赤毛の麗人、マリー火影様だ。

 値が張るものは衣食住構わず惹かれるらしい、いい趣味やねと降魔スマイル。


 他にも、出て来るは出て来るは豪華料理レアルマドリードの数々。

 粋なお吸い物だろ。

 粋なお造りだろ。

 粋な天婦羅でハットトリックっ、くぅ、やるね板前って、ん? ん、ん?


 向いに居る死馬教官が何やら俯いて、斜向かいに居る東雲教官は片頬笑んでいた。

「っっ、ザマァ、ザマァないな死馬」

「言うな、そう言ってくれるな東雲パイセン」

 明らかに年上の死馬教官が東雲教官を『パイセン』と呼び、東雲教官はメシウマ。

 ふむ、こいつらに絡まれると超ウザそうだな。

 とは思いつつ出される美食に手を付けている、レッドカードやで板前さんよぉ。


「なぁダディはもしかして知らないんじゃないか、アソコにおわす東雲さんは」

 ――ダディが嫌悪してる学園長の、愛人なんだとさ。

「覚悟しろやハゲぇえええッッ」「ヘプシッ」

 俺のミドルキックは的確にエロハゲの顔面を捉えた、ゴ~~~~ルっ。

 マリーから寄せられた情報はあろうことか、鹿野マサムネの不倫証言。

 俺は血の涙を流し、流しながら小父さんに肩を抱き寄せられていた。

 そしてハゲは俺の耳元で密かに、

「ふふふ、ミオくん私はね、こう見えて意外と女殺しなんだよ」

 と呟くのだ。


 確かに、小父さんの面持ちは頭込みで東洋のブルースさん。

「今夜も、彼女達、零の令嬢の一人を、私の愛すべき一人に加えてみるのもいいな」

「やらせるかッ」

 俺はこのエロハゲを粛清せんがため、手始めに彼奴の喉仏にィッ――馬鹿な。

 エロハゲは一瞬にして視界から消え、俺の地獄突きは空を切ったぞ。

「ダディ、学園長ならほら、あ・そ・こ」

 とマリーから指摘された方向を見やると、あのエロハゲはモモノに毒牙を掛けていた。

 いくら学園に於けるヒエラルキー体系が逆三角形だったとしても、モモノも酔っ払い相手にやり辛そうにしている。


 その光景を見て、俺の心に鬼が宿った。


「マリーッ! 火疋澪の決戦兵器をここにッ」

「ん? 私を使おうとするなよダディ」

「異議申し立てなら後で聞く、だから早く」

 早くしないと、モモノがあのエロハゲの魔手に堕ちてしまう。

 エロハゲは日本酒をモモノにラッパ飲みさせようとしていた。

「ほらダディ、こいつを使え、ダディに使えるものならな」

「ああ、マリーから託されたこの想い、決して無駄にするものか」

「ほう、ではダディのお手並みを拝見するとしよう」


 得物を構え、明鏡止水の境地に入り、

「推して……――参る」

 俺の愛娘に毒牙を掛けようとする、憎き鹿野マサムネと対峙する。

「我が名は火疋澪、悪を絶つつるぎなり、届け、雲耀の速さまで……!」

 そして心は(轟け、轟け、轟けッッ!)鼓舞を繰り返す。

「っ、アァ! 破ぁぁッ!」

 チェス、トゥォオオオオオ――!!


 って無理。

 マリーが寄越したのは珍器として飾られていた『斬馬刀』なのだが。

 俺にこれを取り扱うことは不可能ですからっ。

「放っておけよダディ、モモノ先生だとていい年なんだから」

 とマリーは言うが。

「いやだけど、見てみろよモモノのあの心底嫌そうな『顔』を」

「……嬉しがってるじゃないか、私には喜んでるように見える」

「どこが?」


 上っ面ではどうとでも取り繕えるし、それは他人を簡単に欺くだろう。

 だけど、人間は不思議な生き物だから。

 その取り繕いも、隠された彼女の本心も、ある種の人間には判ってしまう。

 それが彼女の父親である俺なら尚更だった。

「ダディの悪い癖だな、それはお前の思い込みにしか過ぎないぞ」

「分かってますよ、俺のこの性格のせいで、何を知ったかぶってるんだって周りの気分を悪くさせて来たことぐらいは」

 けど、『思い込む』ことで俺みたいな若者は夢や希望を抱ける。

 ならば俺は、彼女に夢や希望を抱いている最中にあるんだろう。


 とすると、『思う』とは一体何だ?

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