第10話

 午前九時、通勤・通学ラッシュがひと段落ついた頃。


 新友はバスの窓を低速で流れていく街並みを眺めていた。呆れるほど人が少ない。


 「ユート、次のバス停で降りるぞ」


 「わかってますよ、遠藤さん」


 後ろの方、二人掛けの右側の席に座ったまま、外の景色を眺めつつ回想に浸る。


 通学路として毎朝通っていた大通り。


 今は学生としてではなく、社会人として眺めている。


 後悔にも懐古にも似た思いが、頭のなかで意味もなく浮かぶ。



 「なあ、いいか? 一つ相談がある」


 「はい?」


 隣に座る遠藤の声に、ゆっくりと視線を車内に戻す。



 「いい加減、『遠藤さん』はやめないか?」


 「なんでです?」


 「いや、なんとなく。爺臭いかな、と。」


 そういってケラケラと笑う遠藤。



 彼は一言で言うと、『煙草が似合う少年』だ。


 髪を染めてこそいないが、黒い髪はだらしなく伸ばされ、そこから覗く両耳には小さなピアスが光っている。


 黒いTシャツと短パンを、今風に緩く着こなしている。


 そのくせ、その表情や眼差しは知性を感じさせるので、単純な不良少年とも言い難い出で立ちだ。


 彼が、極道一家の出身だと、詩から聞いたことがある。


 何かの事件でその一家が潰れ、その際に心化隊に引き抜かれたらしい。


 大人な笑みを浮かべる彼は、しかし歳は新友と一つしか変わらない。おそらくこの違いは、人生経験の差だろう。


 この職場に入ってから、やはり学校は人間を幼稚にするものだと確信した。それが平和の引き替えなのかもしれないが。



 「じゃあ、何て呼びましょうか」


 「コーでいい、コーで。詩もそう呼んでるし」


 「じゃ、それで。よろしくお願いします、コーさん」


 「おう。ところでさ、ユート」



 遠藤は急に深刻そうな顔をした。



 「お前、今の生活が楽しいか?」


 「は?」


 なぜ、そんな学校のアンケートみたいな問いを?


 「何ですか、急に」


 「いや、ほら。お前って先月まで何の変哲もない高校生だったわけだろ? 将来の設計とか狂わされて、悩んでるんじゃないかと」


 「大丈夫です、けど?」


 そうかそれならいいんだが、と遠藤は頬を緩める。


 「心化隊員にとって感情の爆発は大敵だから。不満や悩みがあったら、俺に言ってくれ。力にはなれないが、話くらいは聞いてやれる」


 「あのー、遠藤・・・コーさん」


 「なんだ?」


 「コーさんて、見た目によらず真面目なんですね」


 不意をつかれたのか、何か言い返そうとしてそのまま俯いてしまう。



 その沈黙の間を破るように、新友は努めて明るい声で言った。



 「でも本当に大丈夫ですよ。楽しいとまではいきませんが、地獄ではありません」


 「うん? そうか。まあ詩もいるしな。悲しくなることはないよな」



 そういってニヤッと笑う遠藤。


 言葉の意味は追求しないことにする。



 「ただ、桐瀬さんだけは・・・もう少し、なんというか」


 呆れたような笑い声。


 「しょうがないさ。あの人はいろいろなものを背負い込んでるし」



 新友はふと、彼女のことを考えてみる。


 鋭いくせ、仕事中しか輝かない瞳。


 不満をばらまくわりに、本心は絶対に漏らさない口。


 飾っているわけでもないのに、見ることすら躊躇われるような、気高い姿や雰囲気。


 なにより躊躇無く、むしろ求めて人を殺そうとする性。



 すべてが、新友からかけ離れている。



 「あの・・・」


 「どうした?」


 「いえ、やっぱりいいです・・・」


 新友は桐瀬の過去について尋ねようとし、途中でそれを止めてしまう。



 彼女に触れたい。そう思う。


 それは多分、もっと強くなりたいと思うから。



 ただ、彼女の世界に一度入り込めば、二度と抜け出せない。


 なにも知らない新友も、それだけははっきりと確信している。



 それも良いのかもしれない。


 すでにその世界には片足を踏み入れている。



 だが、飲み込まれるにはまだ早すぎる。



 車内アナウンスが、目的地の名を告げた。


 「よし、降りるぞ、ユート」


 遠藤の声に、無意識のうちに唾を飲む。



 これから会いに行く少女。


 彼女を救うまでは、修羅の道を歩む訳にはいかない。

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