第5話 束の間の日常

『竜くんはこの世界のことをどう思う?』


 まだ先輩が元気だった頃。彼女と何気ない会話をしている最中に、そう問われたことがある。

 楽しくて飽きない世界だと思います、と俺は答えた。


『へぇ、君はそう思うんだね。私もそう思うよ。獣人幽霊妖精のような魔族が私達と同じ空間に生きているこの状況はとても刺激的よ』


 肯定してくれた先輩だが、その表情にどこか悲しい影を感じた。


『けれど、私はそれを楽しいとは思えないかな。だって、人魔間のトラブルはこれまでに幾度となく起こってきたし今でも後を絶たないでしょう。その犠牲者は数え切れないほどだわ』


 そして真っ直ぐに俺の顔を見つめる。その綺麗な瞳に思わず赤面してしまった。

 目の前には綺麗に整った顔。先輩はかなりの美人である。サラサラとした髪や温かみのある瞳、仄かに漂ってくる甘い香りが、俺の心をたまらなくくすぐってくる。

 俺にとって、この先輩は恩人である。先輩は俺が入学してすぐの頃から何かと気にかけてくれた。そのおかげで、交流の幅が広がって様々な人と知り合ってきた。彼女がいなければ俺の高校生活は今のように楽しくはなかっただろう。


『だから、本当に楽しい世界にするのなら、まずは人魔問わず互いのことを理解することから始めるべきだと思うの。そして皆が仲良くなれたなら、この世界に生きる誰もが楽しいって思えるんじゃないかな』


 そう言って、先輩は柔らかい笑みを浮かべた。さっきまでの暗さは見事に覆い隠されていた。その笑顔に、俺はドキッと胸が震えたのを今でも強く覚えている。


『種族なんて関係無く皆が笑って暮らせる、そんな世界になってほしいなぁ、て思うの』


 俺は先輩の言葉をただ黙って聞いていた。


 さっき先輩が言ったことは単なる理想でしかない。人間同士ですら理解し合えないことも多いのに、種族の違う魔族と理解し合うのはとても難しいだろう。それは今までの歴史が物語っている。

 だからといって、俺は先輩の言葉を否定しようとは思わない。彼女の理想は一見、幼稚に見えるかもしれない。しかし、それは俺にとって何よりも温かいものであるように思えた。

 俺は、この人のこういう夢見がちで一途なところに惹かれて──────


『竜くん?急に黙り込んでどうしたの?もしかして、急に私に欲情してきちゃった?駄目よ。日が出てるうちはソッチのお世話はしてあげられないからね』












「──────違うわ!……て、もう朝か」


 俺は寝ぼけたままの目をこすりながら体を起こす。机の上の目覚まし時計を見ると午前六時四十分だった。いつも通りの時間だ。

 それにしても。

 また、先輩の夢を見ていたようだ。

 今の彼女は話ができない状態に陥っている。俺は彼女の回復を今日までずっと待ち望んでいる。彼女が意識を取り戻した暁には、彼女の好きな所へ連れて行ってあげよう。それで彼女が喜んでくれるならば。

 ただ、この感傷的な気分を一気に吹き飛ばす発言をしてくれる辺り、先輩の変態性は夢の中でも健在のようだ。


「……そろそろ準備しなきゃな」


 今日も学校へ行かないといけない。先輩が眠っている分、残された俺がしっかりと日常を謳歌しないと気が済まない。そんな義務感を抱いたところで彼女が喜ぶとは限らないが。

 普段通りに支度を整えた俺は一階へと降りていった。




「あ、おはよ~お兄。今日の朝ご飯は味噌汁と卵焼きだよ。出来たばっかだから、早いうちに食べてね」


 リビングでは、俺の義妹いもうとであるめぐりが朝食の用意をしていた。

 巡は今年で中ニになるのだが、両親が不在の中、献身的に家事をしてくれている。昔は俺が料理を作ってやっていたけど、今では巡の方が俺よりもずっと上手だ。どこへ嫁に出しても恥ずかしくないほど出来のいい義妹だ。

 ……何考えてるんだ俺は。

 俺はひとまず洗面所で顔を洗って、それから巡と一緒に朝飯を食べる。

 うん、今日の朝飯も美味である。


「いつもこんなに美味い料理を作ってくれて本当にありがとうな、巡」


「何よいきなり。まだ頭が回ってないんじゃないの?目覚まし代わりに私がぶっ叩いてあげようか?」


 巡は無表情で辛辣な言葉を俺に浴びせた。それから、自分の左腕をこれ見よがしに上げる。


「アホか。お前に叩かれたら死んじまうだろうが」


「それもそうね。ならその軽口を止めてよね。背筋がゾクッとして不快だから」


「お前の照れ隠しはいささか毒が強すぎるぞ……」


 巡には固有の魔法が使える。それは“共振動”というものだ。まず、腕に魔力を纏わせて波を起こす。その波を腕ごと相手にぶつけることで、より破壊力の高い攻撃ができる。

 要は、音叉を相手にぶつけるイメージだ。ただ、ぶつけられた側は間違いなく致命傷を負う。

 たく、珍しく人が褒めてやったのに、この始末だ。本当に可愛くねぇなコイツ。

 このようなやり取りも、いつも通りの風景である。

 朝食を済ませて身支度を整えた俺は、中学校へ向かう巡と共に家を出て、自分が通う高校へと向かった。






 灰田との一件があってから一週間。

 無事に退院した俺は、その翌日には請負屋の事務所へ向かった。正式に請負屋で雇ってもらうための手続きをするためだ。

 ちなみに事務所は二階建てのこぢんまりとした建物だった。看板に『請負屋 あなたの悩みを請け負います』といったコピーが書かれてあった。

 請負屋のオーナーである日向綾音ひなたあやねさん、もといねえさんは会って早々、


『一度死にかけたのに、またこの仕事をやりたいだなんてお前はとんだ変わり者だよな』


 と笑い飛ばした。それは俺自身も思っていることだ。

 しかし、人のために動くこの仕事はとてもかっこいい仕事だとも思っている。現に、猫耳ちゃんを助けた時の姐さんの姿は惚れそうなほどにかっこよかった。だから、俺もそんな風に誰かを助けられる人間になりたいと思い、この請負屋に入ったのだ。

 もう二度と、先輩の時のような悲劇を起こしたくはないから──────

 という気持ちから始めたこの仕事だが、今日に至るまでに行ったのは迷い猫探しと姐さんによる肉体強化の鍛錬だけだった。迷い猫についてはその日のうちに受けた依頼で、目下捜索中。鍛錬については姐さん曰く、


『請負屋という仕事はな、単なる慈善活動じゃないんだ。この前みたいに荒くれ者と対峙し、最悪の場合は暴力沙汰になることも多々ある。

一応は治安団体と連携を取ってるからこっちが捕まるようなことは無い。だが、荒くれ者に傷を負わされても責任は取ってもらえない。互いに過保護な干渉はしないことになってるからな。

だからこそ、私は常に鍛錬を重ねてきたんだ。無論、請負屋に入るお前も例外じゃない。

なに、さほど難しいメニューは行わないさ。女の私でもこなせるぐらいだから、すぐに慣れる』


 ということだ。しかしそのメニューがあまりにも過酷だった。猫を探す一方で、暇があればダンベルを握り、腹筋を鍛え、市内をランニングしたりした。おかげで市内の路地裏事情にはずいぶんと詳しくなったものだ。こんな知識がどこで活かされるかは知らないが。

 これで姐さんのように強くなれるかは定かではないが、何となく充実感は得られている。これなら、いつかは姐さんと肩を並べて戦うことが出来るんじゃないか──────






「……いや、全く仕事らしい仕事をしてないじゃねぇか。労働社会舐めんな」


 昼休み。

 俺のクラスメイトの火野哲ひのさとしは、俺のこれまでの活動をバッサリと切り捨てた。それは奇しくも俺と同意見だった。

 コイツは高一の頃からの友人で、ふとしたきっかけから仲良くなり、二年になった今でも交流を続けている。

 午前中の授業が終わって、生徒は各々に昼食を始めている。俺と哲は自分の席を向かい合わせにして昼食を食べるのが恒例である。今日は俺の請負屋での話を聞いてもらってたのだ。


「いや、姐さんがやれって言ったことなんだから、これも立派な仕事の一つなんだと思うんだ。

正直、肩透かしもいいところだし詐欺なんじゃねぇかとも思うけど、これはこれで楽しいんだよ。

今のところ猫探しと鍛錬だけだし仕事は少なさそうだし、これで給料が貰えるのなら悪くはないぞ」


 


「お前がそれでいいなら何も言うことは無いけどよ……」


 哲はサンドイッチを頬張る。俺は新たにコンビニのお握りを取り出す。

 何気なく哲の机上に目を遣ると、あることに気がついた。


「……お前、何でサンドイッチとお汁粉を合わせて食ってんだよ。前々から思ってたけど、お前の味覚は絶対に異常だ。舌の神経がおかしくなってんじゃねぇのか」


 そこにはサンドイッチの入った袋とは別にお汁粉の缶が置いてあった。コイツは大のお汁粉好きである。毎日のようにお汁粉を買っている。先日、コイツがお汁粉を三本まとめて飲んでいた時は見てるだけで胸焼けしそうだった。


「ハッ。竜二がお汁粉の美味さが理解できてないだけだ。一ヶ月間ずっと飲んでみればその美味さに気がつくはずさ」


 甘党を拗らせた奴が阿呆なことを言っている。いつか糖尿病になるんじゃないだろうか、と常々心配しているが、そんな気持ちはおくびにも出さずに俺は溜息をつく。


「そういや、鈴谷すずやさんは戻ってきたのか?半年近く留守にしてるんだろ」


 お汁粉のことで目を輝かせていた哲は話題を切り替えてきた。鈴谷さんとは鈴谷蓮花れんげという俺の叔母のことである。俺は両親が不在なので鈴谷家で養ってもらってる。


「ああ、蓮花さんはまだ南米で仕事中だとさ。現地の人とオークたちの仲介を任されてるらしい」


 蓮花さんは人間と魔族の関係を取り繕う仲介人をしている。人魔間での新たな交易ルートを開拓するという重責を伴う職業だ。そのために度々海外へ赴くので、家には俺と巡の二人だけというのが日常と化している。

 また、生活費は彼女が振り込んでくれるのでこちらの生活は全く問題が無い。彼女が不在の間は巡の家事スキルがメキメキと上達していくので、むしろ感謝したいぐらいだ。蓮花さん、海外で頑張ってくださって本当にありがとうございます。


 と、そこで。


「よっ。今日も元気そうじゃない。……哲は相変わらず味覚が壊滅的に絶好調のようね」


 一人の女生徒が俺たちに話しかけてきた。誰かと思えば、クラスメイトの風凪薫かざなぎかおるだった。薫は俺や哲と仲が良く、放課後に遊びに行ったりしている。昼食は他クラスへ行ってるので一緒になることはあまり無い。


「うるせぇな。お前にはお汁粉の素晴らしさは一生理解できんだろうよ」


 哲の口調が荒っぽくなる。哲と薫は仲が悪い訳ではないが、お互いに棘のある話し方になってしまう。……二人とも照れ屋なのだろう。


「竜二。今何か失礼なことを考えてなかった?」


「いや、何も考えてないぞ。ところで昼食はもう食べてきたのか?まだ時間はあるだろ」


「いえ、まだ食べてないわ。今日は晴心はるみちゃんが休みのようだから戻ってきたの」


 晴心、というのは友達の名前だろう。

 そう言って薫は自分の弁当箱を持ち上げる。


「だから今日はアンタたちと一緒に食べることにするわ。いい?」


「いいぞ。椅子はそこら辺から拝借しておくれ。というか田中の席でいいか。アイツ、隣のクラスに行ってるしな」


「お前、しょっちゅう田中の席を借りてるよな。元に戻さないから貸したくない、てアイツが言ってたぞ」


 田中、そんなことを言ってたのか。よし。後で追い詰め、じゃなくて問い詰めるとするか。


「アンタの考えはたまに物騒な方向に走ってるよね……」


「薫は何で俺の考えてることが分かんの?お前の力ってサイコメトリーじゃなかったよな……」


「さて、どうかしらね」


 不敵に笑う薫。そもそも彼女は風使いだ。その上、この前の実技検査でエスパー系はE判定だったと聞いている。まさか最近目覚めたというのか。風以外の魔法も練習してみたらうっかりできちゃった、ということか!


「無能力の俺を差し置いて新たな魔法開発だなんてよくもまぁ抜け抜けと……」


「嘘に決まってるだろ。お前は魔法のことに絡むと途端に見境が無くなるよな」


 哲が冷静にツッコミを入れてきた。

 え、そうなの?


「哲の言う通りよ。竜二って考えてることがすぐに顔に出るから、適当なことを言ってもかなり当たるの。アンタは本当にからかい甲斐があって面白いわ」


 先程までとうってかわって、薫は楽しそうに笑った。哲はやれやれといったように溜め息をつく。

 こうやって薫は俺をからかってくる。哲がいなければずっと騙されたままでいた、なんてことがしょっちゅう起こるだろう。


「何ともバランスの取れた関係だなぁ……」


「いや、何でそんな感想が出てくるんだよ」


 またもや哲にツッコまれた。











 放課後になった。

 午後の授業についての記憶は定かではないが、とにかく放課後になった。

 今日はシフトが入ってないので請負屋に行く予定は無い。また、鍛錬は昨日やったばかりなのでやるつもりも無い。

 だが、このまま帰っても特にやることが無い。何だか無い無いばかり言っているが、本当にやることが無いのだから仕方がない。

 なので、俺は先日から行っている猫探しをすることに決めた。シフトが入ってないとはいえ、いつまでも猫が見つからないままでは飼い主の人も気が気でないだろう。


“俺って案外社畜タイプなのかもしれないな……”


 自嘲するように、そんなことを考えながら俺は猫探しを開始した。






「……なかなかいないなぁ。一体どこをほっつき歩いてんだよ」


 思わず愚痴がこぼれてしまう。

 探し始めて一時間半が経った。

 俺はまず、前に姐さんと行った喫茶店“箱の庭”に話を聞いて回った。しかし、喫茶店のマスターも猫は見ていないという。

 その後は街中を当てもなく探し歩いたが、猫の姿は見つからなかった。


“そろそろ日が暮れそうだし、今日はこれでお終いにしようかな”


 そう思って、家に帰ろうと歩き出す。

 そして、朝の登校時に歩いた道に辿り着く。

 辺りはすっかり暗くなっていて、街灯の周りを羽虫が飛び交っている。

 今日の夕食は何だろうか、巡の手腕が発揮される時だぞ、と他愛のないことを考えながら歩いていく。


 ニャー


 猫の鳴き声が聞こえた。


“猫か?もしかしたら探してる猫かもしれないな”


 その猫は茶色の縞模様があり、鈴の付いたオレンジ色の首輪をしている。それと同じ姿であれば、確保しておかねばならない。

 俺は鳴き声が聞こえた方へと歩いていった。

 結果から言うと、そこに目的の猫はいなかった。しかし、猫とは別にある人間がいた。


「ニャー。ニャーニャー。……It's funny.But I'm sure the cries of cat matches in this in Japan.(……おかしいわね。日本では猫の鳴き声はこれで合っているはずなんだけど。)」


 そこには、猫に向かって英語(だと思われる言語)で話しかけている外国の少女がいた。

 夕焼けの光に照らされた金色の髪が輝くように反射している。年齢は、十一、二歳ぐらいか。

 見たところ、その少女は一人のようだ。このまま放っておくのはマズいだろうと思い、俺は高校で培ったカタコトの英語で少女に話しかける。


「g……Good evening.What are you doing in here?(こ、こんばんは。君はここで何をしてるのかな。)」


 すると、少女はビクッと肩を震わせる。しかし、すぐに平静を装って俺の方を向く。

 少女の青い瞳が俺の顔を凝視してくる。あまりの綺麗さに俺は息を呑んだ。

 やがて、少女は口を開く。


「気安く話しかけるナ、このドーテーロリコンヤロー」


 その一言で俺の心はズタズタに引き裂かれてしまった。

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