その魔道師危険につき……

NEO

第一章:お気楽魔道師

始まりのはじまり

「暇ねぇ……」

 うろんなあたしの声が、まったりとした空気の中に消えていく。

 お世辞にも、あまり綺麗とは言えない安宿の一階。

 ごく標準的な宿屋の様式に従って、酒場兼食堂となっているその店内の一角に陣取ったあたしは、テーブルの上に顎を載せるようにして突っ伏していた。

 我ながら、あまり行儀がいいとは言えない格好だが、ここの店内にはあたしの他に客の姿もないし、誰に迷惑が掛かるワケでもないので、別に構わないだろう。

 ……しかし、暇だ。暇すぎる。

 いっそ、このまま素っ裸になって踊り狂いたくなるぐらい、完全無欠、手加減無しに完膚無きまで暇である。

 仕方ない。陽気もいいし、昼寝でもするか……。

「おい、こら。いい若いモンが、真っ昼間からウダウダしてるんじゃねぇよ。こっちまでやる気なくすだろうが!!」

 あたしがうつらうつらとし始めた、そのタイミングを見計らったかのように、図太い声が脳天に突き刺さってきた。

「なによぉ。せっかく心地良かったのに、暑苦しい声を聞かせないで……」

 いちいち顔を上げるのも面倒なので、テーブルに突っ伏したまま、あたしは声の主に言い返してやった。

 相手の顔など見なくても、あたしが知っている人で、これほど暑苦しく重たい声す

者など一人しかいない。

 そう。この安宿のオーナーである、ハングアップという名をもった、無闇に暑苦しいオヤジである。

「ほほぉ~う……。せっかく仕事持ってきてやったんだが、まっ、あんたが嫌なら、こいつは他に回すか」

「なにぃ、仕事ぉ~!?」

 嫌みったらしいオヤジの声に、あたしはがばっと身を起こしつつ、思い切り絶叫してしまっていた。

 これが相手の策だと分かってはいたが、「仕事」という甘美な響きを前にして、それがいかほどの問題であろうか?

「お、おい、なにもそこまで大げさな……」

「なに言ってるのよ。仕事よ仕事!! ……ああ、これで、今夜は見た目ちょっとヤバそうな雑草を集めたり、裏の食堂のゴミ捨て場で、近所の野良犬と血みどろの抗争を繰り広げたりしなくても、人並みの晩ご飯にありつける」

 椅子を蹴立てて立ち上がり、側にいた筋肉ダルマのようなおっさんの肩をガシッと掴みながら、あたしは思わず感涙にむせいでしまった。

「……最近、妙にやつれたとは思ってはいたが、お前、毎晩ンなもん食ってたのか。あー、分かった。泣くな。頼むから」

「で、その仕事っていうのは!?」

 困った様子でつぶやくおっさんの体をガシガシ揺さぶりつつ、あたしは涙を即座に引っ込め、ほとんど怒鳴るようにして問いかけた。

「ま、まあ、仕事っても大したモンじゃない。こいつを、アモハンにあるトーネードとかいう奴に届けるだけだ。報酬は、金貨で5枚。他に、経費として2枚を前払いだ。もちろん、クローネ金貨だぞ。どうだ、やるか?」

「やる。いえ、やらしてください。お願いします!!」

 なんとなく、哀れみのような色を滲ませたハングアップの声に、あたしは迷うことなく即答・・・いや、懇願していた。

 彼の手には、小さな封筒が握られているところからして、これを届けろということなのだろう。

 ちなみに、クローネというのは、世界中ほとんどの地域で使えるという通貨で、あたしの様な特定の街に住まない者にとっては、非常に馴染みのあるもの。

 アモハンというのは、このクランタの街から、歩きでおよそ2日ほどの距離にある小さな村なのだが、単にここまで手紙を届けるだけで、7クローネ(経費込み)という報酬は恐ろしく破格である。

 ショボショボな仕事に破格の報酬・・・怪しすぎる。

 数ヶ月前のあたしなら絶対に受けたりしなかっただろうが、今のあたしにこの話を断る余裕はない。

「な、なんか、そこまで言われると、すげぇ可哀想に思えてくるな・・・。ともあれ、そういうことなら、この件はあんたに任せたぜ。そうそう、言い忘れていたが、仕事の期限は今日を含めて3日だ。

 少し慌ただしいが、あんたにしてみれば、特に無理な条件じゃないだろう?」

 と言い残すと、ハングアップのオヤジは、手にしていた手紙と2枚の金貨をあたしの席のテーブルに置いた。

 ・・・3日か。

 万一、途中でトラブルが起きた場合、時間的に少々辛くなるが、決して無茶な要求というわけでもない。

 むしろ、あたしのような、いわゆる「流れ者」に回ってくる仕事など、大概ムチャなものが多いので、むしろ、今回はかなり楽だと言えた。

 しかも、酔狂な事に、前払いで経費が出るとなれば、金欠のあたしが受けない方がどうかしている。

「了解。この仕事、確かに引き受けたわよ」

 などと言いながら、あたしはすでにテーブルの上にあった金貨と手紙をひっつかみ、出発の準備をすべく、この宿の2階に取ってある自分の部屋に向かっていた。

 うふふ。この金貨の手触り。久々過ぎて、なんだか目眩が………。

 ゴン!!

 急速に視界が暗くなったと思ったまなし、激痛と共に目の前に火花が飛び散り、遠くなりかけていた意識が急速に戻った。

 あたしの視界一杯には、かなり長いこと掃除されたことがなさそうな、薄汚れた床が広がっている。

 どうやら、立ちくらみを起こし、コケた拍子に顔面を床にぶつけ、その痛みで意識がはっきりしたらしい。

 ……これが、幸か不幸か微妙な所だけど。

「お、おい、大丈夫か!?」

「あはは、若いから大丈夫。ちょっと、栄養不足なだけ……」

 背後からかけられたハングアップの声に、あたしは我ながらワケの分からない答えをかえしつつ、可及的速やかにその場を離れたのだった。

 ……もしかしたら、この仕事。一世一代の大遠征になるかも。

 この宿の2階に向かうべく、全身全霊の力を込めて階段を上りながら、あたしは胸中で漠然とそんな思いを噛みしめていたのだった。

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