6月16日 ベルシーの予言

 今日、とある仮説を立てた。


・人の不運を笑うと自分の不運を笑われる

・人を呪うと自分も呪われる

・不運は小出しにできない場合、蓄積される

・ベルシー=アリストンが相手に優しいときは、その相手の死期が近い


 上記の仮説は、すでにとある宮廷女中の身をもって証明されつつある。

 

 というのも、この一週間、わたしの身に悪いことがなにも起こらなかった。

 

 女補にも叱られてないし、宮廷女中の仲間(レジーナとリリアナとシモーヌ以外)はわたしに優しいし、ロラン隊長は城内ですれ違うたびに「やあ、コレット。がんばってるね」なんて、気さくに声をかけてきてくれるし。

 

 これ、ぜったい、何かとんでもなく悪いことの前兆に決まってる。わたしを油断させておいて、いきなり背後から誰かが不意打ちをしかけてくるに決まってる。


 もう警戒しっぱなしだった。ユービリア城の回廊を掃除しながら何度も後ろを振り返ったり、厨房で皿洗いをしているとき意味もなくキョロキョロしたり、中庭を横切るときは水桶を抱えながら、バラのしげみや、リンゴの木の陰に隠れたり……。


 そんなこんなで一日中気を張ってぐったりと疲れているのに、怖くて眠れない夜が続いた。目の下にはクマ。食欲は減退。鏡で自分の姿を見れば、まるで宮廷女中服を着た生きる赤毛の屍のよう。

 

 そして明後日、わたしは仕事のない休日を迎えようとしている。

 

 しかも手元には、5月分の賃金が――そう、なんと、わたしにとって人生初の自分で稼いだ資産が――ある。実家に仕送りする分を差し引いても、手元にはささやかなお買い物をするには十分すぎるお金が残っている。


 ありえない。さすがにありえない。


 さらに。


「良かったら、一緒に城下町に行かない?」

 

 あのベルシーが、わたしを外出に誘ってくれた。食堂で夕食を一緒に食べていたときに。非番の日が被ったというだけでも奇跡なのに。


 わたしの手からスプーンが落ちたことは、いうまでもない。


「い、行こう行こう!絶対行こう!わたし、ベルシーと一緒に行ってみたいカフェがあるの!甘くてふんわりしたはちみつケーキが絶品のお店なんだけど、そこのアップルティーもまた香り豊かで美味しくて……」


 もう、正直、泣きそうなくらいうれしかった!


 だって、最近のベルシーといえば、書き物机の上に置いたろうそくが消えるまで黙ってじっと眺めていたり、ベッドに横になったかと思うと、


「あら、どうして?悪い話じゃないわ。オグロクメサカバヤ」


 とか言い出すし。

 

 なんというか……そうね。これも最近寝不足になっている原因の一つともいえる。正直めちゃくちゃ怖かった。オカルト主義で魔女崇拝の同室の子がいると、ちょっと頼もしいって思うこともたしかにある。もしかすると謎の力で哀れな愚か者を救ってくれるんじゃないかって……。


でも、彼女にしか見えない、聞こえない何か、得体の知れないものに目をつけられいるような気がして、震えが止まらなくなるときもある。(ベルシーに思いきって訊けたらいいのに。異界の者に接触をはかることって、そんなに楽しい?女の子同士で楽しくおしゃべりしたり、買い物したりするより?)


 けど、周りのことなんてちっとも気にならないくらい熱中できることがあるって、少しうらやましい。それほどまでに没頭できることがあれば、下手に悪い想像や、まだ起きてもいないとびきり悲惨な出来事におびえて過ごす時間なんてないはずだもの。


 わたしにもなにか、自分が不運で臆病者だということを忘れられるほどの、熱中できる趣味や特技があればいいのに。好きなことといえば舞台観賞、甘いものを食べること、あとお買い物……(やれやれ。この趣味には多大なるお金がかかる。貧乏な浪費家にとって悪魔の所業に等しい)。


 そういうのじゃなくて、もっと実用的な……そう、刺繍とか好きだったらなあ。でも悲しいかな、わたしは玉結びでつまずいて以来、針仕事と聞くと憎しみしか感じない。


 話を戻しましょう。

 

 じつをいうと、わたしは一足先にベルシーと一緒に町へ出かけていた。だって、それはわたしがいつか女の子の親友と一緒に実現させようと思っていた、楽しくて充実した素敵な休日だったから。


 たくさんのお店が並ぶにぎやかな目抜き通りをぶらぶら歩いて、お互いに似合う帽子を合わせてみたり、可愛い靴を試しに履いてみたり、買うことのできない宝石を身に着けてお金持ち気分を味わってみたり、表通りに面したオープンテラスのカフェに行き、陽だまりの下で美味しい紅茶を飲みながら楽しいおしゃべりをしたり―――。

 

 ああ、楽しかったな。夢の中のお買い物。


 とても短い間ではあったけど、わたしを素晴らしい想像の世界に浸らせてくれたのはベルシーだった。で、容赦なく現実に引き戻してくれたのも彼女だった。


「でも、わたしたちだけじゃ、ダメなの。もう一人誘わなきゃ」


「へ?なんで?」


と呆気にとられたわたし。


「占いでそう出てたから」


淡々とベルシー。

 

 この辺りから、不穏な空気が流れ始めた。ええ、ご想像通り。悲しいかな、ああやっぱり、って感じの展開になってきた。


 ベルシーはおもむろに、肌身離さずの水晶玉ペンダントを取り出してきた。


「男一人、女二人で出かけないと、あなた来月……この世を去ってしまうかも。だけど明後日、町であなたの今後の生死を左右する人物の背中を押してあげることで、死は回避できるかもしれないって」

 

 ていうか、わたしの生死を左右してるのって、他ならぬベルシーだよね?


「違うわ。彼よ」

 

 と、しれっと読心術を披露してくれたベルシーは、廊下側のテーブルで他の兵士たちと一緒に食事をしていたマシューを指さした。

 

 魔女的見解によると、マシューがわたしの今後の生死を左右するんだって。

 

 ちょっと待って。


 なんでそ―――なるの??


 わたしは恐れ多くも、ベルシーの予言を否定するようにぶんぶんと首を横に振った。


「マシューなんか誘えないよ。やぁぁっと誤解だらけの悪評が消えたってのに。彼との接触は極力避けたいの。男一人っていうなら……ニーノじゃダメなの?」


「厨房の見習い料理人の?無理ね。明後日は料理長が肉料理の講義をするらしいから。宮廷料理人を目指してる者が、仕事を休んで町に出かけるとは思えない。それに、命を失うことに比べたら、悪評なんて些細なことじゃない」

 

 ベルシーったら、うう、ひどい。表情ひとつ変えずに、わたしの大事な命を勝手に天秤にかけるなんて。


 しばらく穏やかだったわたしの体温が、だんだんと下がり始めた。


「ほ、本気で言ってるの……?」

「コレット=マリー。わたしが、あなたを楽しませるためのくだらない冗談を言うと本気で思ってるの?」

 

 そうね。正直に白状すると、彼女との会話を楽しめたことってじつはあんまりない。それに、ベルシーが「冗談よ」と言ってうすら笑いを浮かべる瞬間ほど、見たくないものもない。

 

 そう。そうよ。分かってましたとも。わたしみたいな愚か者に、楽しい休日なんかあるはずないじゃないの。


 わたしはお金を貯めずに不運を蓄積する呪われた宮廷女中。意地悪レジーナが叱られてしょげられているのを見て良い気分になれば、今度はわたしがとんでもない失敗をしでかしてレジーナを良い気にさせるのよ。そう。全部返ってくる。間違いなく、返ってくるんだわ。

 

 わたしはあっさり屈従した。


「分かった。分かりました。マシューを誘うわよ。誘えばいいんでしょう」

「あなたが生き延びたいなら」

 

 わたしは「うー」と何とも負け犬らしいうめき声を上げて、席を立つと、食べ終わった食器を片づけて食堂を出た。そのまま食堂の入り口付近で待機して、マシューが出てくるのを待った。

 

 と思ったら、反対側の出入り口から出て行くんだもんなぁ!


 わたしは廊下に置かれている彫像とか、等身大の細長い壺とか、壁から張り出した柱の影に隠れながら、マシューの後をこそこそ追いかけて、他の兵士たちと別れて、マシューが一人になるときを辛抱強く待った。


 でも、これはまたとない機会でもある。

 ロラン隊長の顔を見るたび、わたしは使命感に燃えていたんだから。

 

 そう。マシューを来月のクロスタン国の親善試合に出場させる、というあの約束。

 

 この前マシューは、親善試合に出場する剣士の護衛役を任されて、訓練を行ってたって言ってたけど……ニーノに聞いたら、出場する剣士の登録を確定するのはもう少し先だという話だったから、きっとまだ間に合うはず。


 城内じゃなかなか落ち着いて話すことができなかったけど、外出先だったら、どうしてかたくなに出場しようとしないのか、事情を聞きだせるんじゃないかしら。


 それでも難しそうだったら、ベルシーにも事情を話して協力してもらうつもり(これはほとんど最後の手段だけど。彼女なら、魔女的な呪文かなにかで、マシューを無理やりにでも出場させることができる気がするから……)。


 もちろん、最終手段に走る価値は絶対にある。マシューは出場するべきだもの。労働階級出身の彼が、試合に勝って、栄光を手にする。自分の息子がユービリア国で歴史的快挙を成し遂げたとしたら、おやっさんだって絶対に喜ぶはず。

 

 頭の中で色々と考えていたら、追いかけていたマシューは一人になるどころか、兵舎に戻ってしまいそうだったから、かなり焦った。みんなしてぞろぞろ同じ方向に向かうんだもの!

 

 マシューは左腕をケガをして包帯で吊っている自称とびきり良い男のトマスとおしゃべりしてて、全然後ろを振り向いてくれないし!

 

 あわや中庭に出ちゃうってところで、わたしはなけなしの勇気を振り絞って、「マシュー」って、柱の影から小声で呼びかけた。


 気づかなかったけど。


 わたしは自分の命と恥を天秤にかけて、もう、体温が下がるのは分かってたけど、ずんずんマシューに近づいていって、廊下から中庭へ続く低い階段を降りようとしていたマシューの肩に手を置いた。

 

 マシューがようやく振り返って、それから失礼なくらい驚いた顔をした。


「コレット。どうかしたのか?」

 

 翡翠色の瞳にまじまじと見つめられて、自分の顔が赤くなるのが分かった。悪いことしてるわけでもないのに、すごく動揺しちゃって、「あの、あの、ええと……」って、もごもごしちゃったのが情けない。


 というか、マシューもあんなに、硬直しなくたっていいんじゃない?まるで、死んだはずの犯罪者がとつぜん背後に現れたみたいな顔しちゃって。

 

 しかもマシューの隣にいたトマスが、


「あ、じゃあおれ、みんなと先に行ってるから。ごゆっくり」

 

 って、妙な気を利かせてくれたのもバツが悪かったし。

 

 あのおしゃべり野郎はまた、絶対、ヘンな誤解してる。断言してもいい。

 

 翌日以降の我が身に降りかかってくる悪評うんぬんを気にし始めて、わたしが一人赤くなったり青くなったりしている間も、マシューはかなり辛抱強く、わたしの言葉の続きを待ってた。

 

 ていうか、マシューのほうから何かしゃべってくれても良かったのに。本当に、気まずいったらなかったけど、わたしから口を開きましたとも。なんたって生死がかかってるんだから。


「……あの、ね?」

「うん」

「明後日……」

「うん」

「ええと、夜勤?」

「はい?」

「あ、だから、ええと……明後日、お仕事などは……」

 

 マシューはわたしより一段下の場所に立ったまま腕を組んで、「夜勤だけど」と少し首を傾けながら答えた。


「それがどうかしたのか?」

「うん、まあ……ということは、午前中なら、時間がないこともない?」

「まあ、ないこともないよ」

「城下町にも出られる感じ?」

「出られる、感じだけど……」

 

 マシューは目をまるくして、数回瞬きした。


「え。誘ってんの?」

 

 ひっくり返りそうになった。


「ささ、誘ってる!?わたしが!?とんでもない!なんでわたしが……っ!ていうか、もしかして、わたしのことじつは悪女だと思ってるの!?」

「何の話をしてんだよ」

 

 マシューはおかしそうに笑ってた。うう……このときの恥ずかしさといったら。 わたし、一回死んだも同じ。


「いいよ。付き合っても」

 

 またもやひっくり返りそうになった。


 つ、付き合う。付き合うって……!?


 あ、うん。一緒に町に出かけてくれるってことよね。もちろん。

 やれやれ。ふだんからこういうやりとりに不慣れだと、本当にバカみたいな勘違いをしそうになるから手に負えない。


 都合の良い空耳だったらまずいと思い、わたしは「本当に一緒に来てくれるの?」と彼に再確認した。


「もちろんですとも。槍を振り回す勇敢なコレット嬢のお誘いならば」

 

 マシューったらからかい混じりでおじぎなんかするんだもの。思わず顔が赤くなった。


「他の人には内緒にしてて欲しいんだけど……とくに、トマスとかには。悪女に逆戻りなんて、考えられない」

「そんなに気にしてるのか?相手がおれだとそんなに嫌?」

 

 はい!?

 何を言い出すかと思えば……!


「そうじゃなくて!マシューがどーこーじゃなくて!わたしの名誉に関わることだし……マシューみたいな、その、有能優秀な兵士をたぶらかすなんて、最低極まりないじゃない。役立たずの宮廷女中のくせに、余計なことばっかりするって、思われたくなくて……いや実際、余計なことばっかりしてるけど。それでも、なけなしの名誉が……」

「食堂でこっそりワインでも飲んだみたいだな、コレット」

 

 マシューは苦笑してた。


「おれは優秀じゃないよ。それに誰かさんが役立たずで余計なことばっかりしてたら、とっくの昔に城から追い出されてるだろ」

 

 マシューこそ、ワインでも飲んだんじゃないのって思った。だってわたしのせいで、乱闘騒ぎを鎮圧するはめになったり、物騒な侵入者と剣を交えることになったり……色々なやっかいごとに巻き込まれてるっていうのに。


 そんなふうに言えるなんて、熱に浮かされてないとありえない。


 わたしは気恥ずかしくて、申しわけなくて、慌てて話題を変えた。


「それじゃあ……明後日、どうしよう?あ、ベルシーも一緒なんだけど」

「ベルシーって、コレットの同室人でオカルト主義の?へえ、仲良くなったんだ」

 

 ん?わたしたち、仲良くなってるのだろうか?


 まあ、そうね。ベルシーは善意で(またはオカルト主義者独特の知的好奇心に基づいて)助言してくれているんだから。わたしが生き延びるためにはどうしたらいいのか、道を示してくれている。それはきっと、とても仲良くなったっていう証拠。


 そうでしょ?そう信じたい。

 

 でもわたしは彼の「仲良くなったんだ」という問いに、「たぶん……」というあいまいな返事しかできなかった。


 マシューは不思議そうな顔をした。


「女の子同士の外出に、おれも一緒でいいわけ?」

「いいの!全然!可愛い女の子一人とツイてない女の子一人の護衛役、みたいな感じで」

「コレット、ツイてないんだ?」


  ん?


 可愛い=ベルシー。ツイてない=コレット。

 その図式が、一瞬にしてマシューの頭に浮かぶってどういうことだろ。


 まあ、そういうことなんでしょうね。いいの。分かってる。


「マシューが思ってる以上に、ツイてないです」


 わたしはほとんど投げやりに答えた。


「待ち合わせ、どうしよう」

「うーん。内緒にするんだったら、城下町の広場にしないか?裏門近くで会うと門番の口封じもしなきゃだろ?正直、トマスの質問から逃れるだけでいっぱいいっぱいさ」


 その言い方がおかしくて、吹きだしちゃった。とにかく、城下町の広場、時計台の近くで落ち合うことになった。


「じゃあ、明後日に」

 

 わたしがそういうと、マシューは小さく頷いて階段を降りた。それから彼は、もう一度こちらを振り返って、


「そうそう。あんまりあいまいな態度だと、こっちは都合良く解釈するよ。じゃあな。おやすみ」

 

 笑いながらそんなことを言って、兵舎に戻っていった。

 

 わたしはというと、部屋に戻ってからその言葉の意味をずっと考えてるけど、分からない。


 けっきょく、どういう意味だったの?


〈明後日の休日の予定〉

ベルシーとマシューと城下町へ。無事にユービリア城に戻って来れますように。


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