4月30日 夜

 夜になった。夜になったのに。

 同室になるはずの子はやってこない。

 

 なんでぇぇぇぇ!?

 

 動揺して羽ペンが止まらない。宮廷女中の仕事の説明会は明日なのに!

 

 もしかして、もしかして……辞退しちゃったとか?

 そうよね。そうかも。主都オリエントへの果てしなく遠い馬車の旅の最中(地方都市ミングから主都オリエントまで、公共馬車で二週間かかる)、泊まるために立ち寄ったとある宿場で、こんな話を聞いたんだもの。


「知ってるかい?あんた、また新しい宮廷女中が募集されたんだって」と隣のテーブルに座っていた優美な女性。

「で、集まったのかい?」と女性の旦那さんらしき男性。

「集まったらしいよ。なんでも、地方都市にまで募集を出したらしいからね。田舎の無知な子女らが、賃金と待遇の良さに惹かれてね」

「かわいそうなこった。よく政変に巻き込まれて殺されるんだろ?」

「それだけじゃないよ、あんた。宮廷女中同士のいさかいもひどいらしいよ。何人もの宮廷女中が、事故に見せかけて井戸に放りこまれたり、樽の中に閉じこめられて川に流されたって。それにね、最近地下倉庫の中で、腐った宮廷女中の死体が入った木箱が見つかったそうだよ」

「ひぇ。女の世界はおっかねぇーや。おっと。そろそろ帰らねーと。最近ウチのやつが……おれのこと疑い始めてよう。バレないようにしてたんだがな。機嫌とっとかねーと」と浮気をしていたらしい旦那さん。

「ちょっとあんた、気をつけなよ。あたしゃ逆恨みされて殺されるなんてまっぴらごめんだよ」と浮気相手の奥さん。

「分かってるよ。くれぐれも、アイツには内緒にしてくれよ」と懲りないようすで旦那さん。

 

 お分かりかしら。コレット=マリーの場合、恐ろしいうわさを耳にしたり、誰かの浮気現場に遭遇することなんて珍しくもないんだから。そんでもってもう、体の震えが止まらないんだから。

 

 もう実家に帰りたくて帰りたくてどうしようもなかったけど、お金ないから帰れないし、城に行って手続きしなきゃ逃亡とみなされて前科持ちになっちゃうしで、齢十六で進退窮まった。


 そんな絶望の中でも……ちょっとだけ感動することもあった。荘厳な白と青のユービリア城を一目見ると、恐ろしいうわさなんかぱあっと忘れてしまったの。丘の上のユービリア城は、田舎者の私にとって夢のように豪華な場所だった。

 

 まず、跳ね橋の向こうにそびえていた城門。四頭引きの馬車二台が余裕をもってすれ違えるくらいの広さがある。華やかな花壇に挟まれた舗装道が、主城の正門へと伸びていた。城の周りをぐるりと巡る石造りの城壁には四つの塔があって、そこから城下町を一望できる。

 

 本で読んだことしかない素敵なお城の優雅な雰囲気にコロっとやられてしまった。そう。ちょっとだけ胸が高鳴った。こんな美しい場所で働けるのは、もしかして、ものすごく幸福なことなんじゃないかって。

 

 でもいまは、同室の子がやってくる気配がなくて絶望のどん底。けっきょくどこにいようが、一緒に感動したり、楽しんだりできるような友人がいなくちゃ、なんの意味もない。逆を言えば、どんな辛い場所にいたって、支えあえる相手がいてばちっとも怖がる必要なんかないってこと。

 

 とはいえ、いまの状況ではそんな友人は見つかりそうもない。……帰りたい。故郷に帰りたいよー。


 なのに、宮廷女中をクビになったら故郷に帰る方法がないなんて。故郷までは公共馬車を乗り継ぐ必要があるのに、五万リギーを失って、もうお金ないんだもの。でも宮廷女中の職務を半年間まっとうすれば送迎してもらえる。

ここにとどまるしかない。お金を使わずに故郷に戻る方法を見つけださないかぎり。

 

 それか、もう帰れないのかもね。半年だものね、わたしの残りの命は。


……思い出してみれば、わたしにもそれなりに満たされていた時期があった。


 地方都市の子爵家といえば、いわゆる田舎者で名ばかりの貴族だったけど、屋敷があって、家政婦や使用人を少し雇えるくらいの資産もあったのだ。ついこの前までは。


 わたしも一般的なユービリア国の貴族娘の例にもれず、貴族らしい習い事をして、年頃になったらお見合いをして、最終的に自分よりすこーし爵位が上の男性と結婚できれば万々歳というわけだ。


 ただし、“ユービリア国貴族娘白書”にしたがうには、わたしには少々足りないものがある。


 淑女としての気品。外見的魅力。


 前者については、今後の努力次第かと思うけど、後者についてはお手上げ。わたしは生まれつき赤毛で、しかもくせっ毛だから、髪の膨張を抑えるにはつねに2本の編み下げにするしかないし、瞳の色は特徴のない微妙な茶褐色で、鼻の高さは最高に中途ハンパ。これは悲劇よ。両親の片方が濃い茶の瞳で低い鼻、もう片方が赤毛で高い鼻。その娘たる私が引き継いだのは、まさかの赤毛と低い鼻!ううっ……いったいどうしろっていうの?


 おまけに、わたしはとんでもない臆病者だ。何かと動揺しがちで、普段から凡ミスが多くて、発言権がとれなくて、資産がないのに浪費家で、間が悪いこと。うう……あのおばあさんったら、いったいどうして全部言い当てたんだろ。


 とにかく、わたしは卑屈な貴族娘だった。習い事のヴァイオリンはいっこうに上達せず(もう10年間も習い続けてるのに、そこそこの腕前って!)、もうやめようかなーと思ってた十三歳のとき。


わたしはフィエンに出会った。

わたしの人生を変えるほどの、唯一無二の大親友に。


 親友のフィエン=ジーゼは、わたしとはまったく対照的な女の子。明るくて、活発で、いつも堂々としていて(英雄になれるほどの勇気の持ち主だと思われる)、なのに全然嫌味じゃない。


 彼女とは同じヴァイオリン教室に通っていて、お茶会を兼ねた発表会の日に初めて出会った。まるで共通点のないわたしたちだったけど、わたしも彼女も、大の甘いもの好きだった。銀の大皿に盛られた、宝石のような可愛い小さなケーキやマフィンを小皿にとっていたら、彼女もまったく同じものを選んでとっていたの。それが地方都市ミングで一番優秀な菓子職人が手がけた作品だと知ってたから。


 甘いもの大好き同盟を結んだわたしたちはすぐに意気投合した。時間がある日は、一緒に町で甘いもの巡りをしたし、お買い物もしたし、お泊まり会もしたし、彼女の趣味である乗馬にも挑戦した(ただし、あんな生き物の背中にまたがるつもりは二度とない)。


 やがて一緒にヴァイオリンの練習もするようになって、彼女と一緒に過ごす時間が多くなった。(フィエンはわたしよりヴァイオリンが下手だったけどいつも堂々としていた。わたしと彼女はちょっぴりタカビーなヴァイオリン講師が嫌いで、2人でわざと悲鳴のような音を奏でて、その教師をきりきりさせていては楽しんでいた)。


 昔から自分にみょーに自信がなかったわたしは、フィエンに会うまで打ち解けた友人なんて一人もいなかった。だから彼女の存在がありがたかったし、女の子でいるのが楽しいって心から思えた。

 

 フィエンは、世の中の娘たちが欲しがるもの全部持ってる女の子。ゆるふわの美しい金髪。ぱっちり二重のきらきら碧眼。赤ん坊みたいな柔肌。小鳥のような美声。細身。巨乳。こんなにも恵まれてる子ってそうそういない。

 

 でも不思議と、彼女と一緒にいることで卑屈になることはなかった。華やかな社交界に参加したときでさえ、彼女は貴族の男性よりわたしと一緒に食べるケーキのほうをとったから(当然といえば当然だけど、フィエンは社交界に出ると必ず貴族の男性に群がられた。まるで女王蜂みたいに)。

 

 そんなわたしたちだから、まだ味わったことのないケーキへの執着は強かった。自然とお洒落な異国、サン・レーユ国への旅行を考えた。そこは貴族娘の間では“淑女のための国”と称されるほどで、可愛い服や、お洒落な小物、豊富で味わい深い食べ物であふれてる。治安も悪くないし、お付きの者さえいれば少女2人で訪れるのに何の問題もない。

 

 だけど。一つだけ問題があった。それが資金だったの。フィエンのほうは大丈夫だったんだけど、マリー家はそのころからちょっとした財政難が続いてて――生活できないほどじゃないけど、贅沢するべからずというような――旅行なんか行けるはずもなく。

 

 もし父親が権力持ちの大富豪だったら、その腕にすがって「おねがーい」で円満解決の話だ。でもマリー家では応接間で土下座して「どうかお願いいたします」でも無理な話だった。

 

 それで、わたしは初めて働こうって思った。旅行代金くらい、自分で稼いでやろうじゃないのって。フィエンといると怖いもの知らずだったから。それに、「だったら、私も働こうかな。楽しそうだし」で頼もしいフィエンも乗り気になってくれて。もうがぜんやる気がわいていた。


 冗談じゃなく、二人人一緒ならどこでだってやってける気がしてた。

 で、図ったようにミングの市庁舎に張り紙があったの。


『ユービリア城にて、短期宮廷女中募集

期間6ヶ月(5月1日~10月31日)

月給制

残業有り(残業手当は月給に含まれる)

制服支給・宮廷女中棟完備(2人1室)・まかない付き

○簡単な雑用等をこなせ、礼儀作法と裁縫技術を心得ている15歳~20歳の子女が望ましい。

○申し込み方法→ユービリア国主都オリエント・ユービリア城・女中頭宛に、名前・年齢・住所・応募理由を明記して、郵送ください。1週間以内に採用通知を送ります。

※遠方の都市からの応募も大歓迎。行き帰り、山越え等、すべて四頭引きの馬車で送迎させて頂きます。優秀な子女には、期間延長をお願いすることがあります』

 

 もうベストタイミングだった!すぐにフィエンと一緒に応募したわ。お城で働くなんていかにも楽しそうだし、素敵な出会いもありそうだし、6ヶ月も働けばサン・レーユ国に旅行に行ってもお釣りがくる!しかも食費代、宿代はかからないし!こんな良いもうけ話なかなかない。

 

 しかも見事、採用通知の手紙が届いたの。2人で手を取り合って喜んだのが懐かしい。友人同士だから、部屋も同室。最高でしょ?神様が哀れなコレット=マリーに始めて慈悲を与えてくれた瞬間だった。

 

 まあ、その慈悲深い神様は一瞬でいなくなったわけだけど。

 

 フィエンはとつぜん婚約することになった。ユービリア城から宮廷女中の採用通知を受け取ってから、三日後のことだ。

 

 ユービリア国の貴族の娘たちの婚約適齢期は十五歳から十八歳。婚約するのがその年齢より遅くなると嫁き遅れとかっていわれる。最低な世の中だ。だって、人それぞれでしょ、こういうのって。他人にとやかく言われる問題じゃない。で、そうやって反論すると負け犬っていわれる。ユービリア国の悪習の一つだ。

 

 とにかく、フィエンの婚約はとつぜん決まった。相手はサグラン=カーター。


 サグラン=カーターといえば、中都市クラリッジの伯爵家の一人息子。短いブロンドに銀色の瞳。引き締まった体格の二十歳。超美男子。周囲にもてはやされてる期待の若貴族。


 その彼が、フィエンと一緒に出席したミングの社交界に来ていたことは知っていた。でも、フィエンとは一度も話さなかったのに!だってフィエンは、わたしと一緒にケーキに夢中になってたんだから……。


 サグランの一目惚れだったらしい。


 たしかにフィエンの美貌なら、言葉を交わさなくったって、男性の注目を集めるのは当然だ。彼女がどれほど男性を惹きつけるかについて、語るべきエピソードがある。


 ポーン=レナルド。私たちと同じ十六歳の、地方都市ミング出身の子爵家の男の子。上等な衣装を身につけた、鼻の頭にそばかすが散った、もやしのような男の子。


 でも、彼のあふれんばかりの情熱には心揺さぶられるものがあった。サグランとの婚約が決まった翌日、彼はまっ昼間にフィエンのお屋敷にいきなり押しかけてきたかと思うと、

「フィエン、結婚なんてしないでくれ!ぼくは、キミじゃなきゃダメなんだ!」

 と叫んだのよ。社交界のはじっこで、もじもじしてたような内気な男の子だったのに、その瞬間彼は熱い男気を見せた。いったいどれほどの勇気が必要だったことか……想像しただけで体温下がりそう。

 

 もしこれが舞台劇だったら、きっとフィエンはポーンの手をとって、両親の反対を押し切って見知らぬ土地にかけ落ちしたんじゃなかろうか。

 

 ただし現実は厳しかった。フィエンは少し迷惑そうに眉をしかめて「誰だっけ」と言い放った。そのときのポーンの顔といったら……あらゆる悲惨な言葉を集めても、表現するに足りないくらい。


 わたしとフィエンは、結婚するなら年上の男性にかぎるとつねづね話していた。だって、公の場に出たときの発言力と包容力が違うんだもの。


 例えば、大きなお屋敷へ社交界に行くとする。そこでは世間話だけじゃなく、政治の話もしなければならない。まだ少年って言える年頃の若者が、町の領主が民の税金をやたら花館(つまり、娼婦館)で消費してることについて、歳上相手にどう議論を展開するわけ?


 熟練の貴族たち(花館での政治活動に賛成派)の意見。

「この辺りには、内密の話ができる場所といえば花館しかないからね。旅籠だと盗み聞きされるおそれがある。けれど、花館の気高い女性たちは、あらかじめ守秘義務が課せられていて口が固いから、信用できる。領主どのは何も美しい女性たちだけを抱こうとしてるんじゃないのさ。彼が本当に抱こうとしてるのは、民衆の心なんだ」

 

 はいはいって感じ。けっきょく、旅籠のたくましい女将さんにエール酒を持ってきてもらうのより、花館のとびきりかぐわしい香りを放ってる(想像だけど)美しい女性に、高級なワインを注いでもらいたいだけでなんでしょ。


 熟練の貴族たち(花館での政治活動に反対派)の意見。ちなみにサグランはこちら派。

「誤解を招くような場所での政治活動はひかえるべきだ。とくに、屋敷に夫人を待たせているような方ならなおさらね。内密の話であれば、信用できる使用人を見張りに立たせた応接間の中でも十分じゃないか。わざわざ高いお金を払う必要のある場所に行って、民の税金を使うくらいなら、民衆が負った傷を癒す医師の賃金を上げたほうがいいんじゃないか?」

 

 これが二十歳の青年の言う言葉?将来有望すぎる。理想の高いフィエンの心と射止めるのだって無理はない。

 

 いつかそれくらい立派な人を夫にして、その隣に慎ましく立って、自分の夫が他のダメ貴族の鼻を明かす瞬間を余裕の微笑みを持って見届けたいと思うのは、子女なら誰でも願うこと。その夢が叶うかどうかは、私の場合、かなり際どいけど……。


 貴族の娘は将来、美しいドレスに見栄を羽織って着飾るしかないから、夫の選別は慎重に慎重を重ねるもの。その点、サグラン=カーターなら、文句なしというわけだ。


 フィエンはとても幸せそうだった。唯一無二の親友が喜んでいるのだから、わたしも心からお祝いした。


 ううん、本当は……したかった。やったね、良かったね、と手をとりあって喜んであげたかった。


 だけどわたしは……できなかった。さびしかった。フィエンが遠くへ行ってしまうことが。だって、約束してたんだもの。一緒にサン・レーユ国に行くって。お買い物して、美味しいケーキを食べに行くんだって。

 

 フィエンは、友情よりも男を選んだ。わたしじゃなくて、サグランを選んだのよ。


 彼女は宮廷女中を辞退する旨を伝える手紙を城へ送って、サグラン=カーターと共にクラリッジへ旅立ってしまった。


 わたしはまた、一人ぼっちで臆病な、自信のない少女に戻ってしまった。当然、宮廷女中として働くような気力も意欲もわかなくて、その仕事を辞退しようと思ったの。

 

 けど、辞退させてもらえなかったっていう、ね。


 衝撃だったわ。宮廷女中の採用通知の手紙に、赤インクで書いてあって……。

“正当な理由がない限り、宮廷女中勤務の辞退は認められません。採用されたにも関わらず、登城しなかったり、途中で仕事を放棄し逃亡した者は、城法違反となり、二年以下の懲役、または罰金が課せられます”

 

 もう、えええええええーって感じだった!こんな表記の仕方って、悪行以外の何ものでもな―――い!

 

 だって、考えてもみてよ!仲良しの友人が一緒に働けなくなったので、かんべんしてくださいとか言ったら、二年以下の懲役または罰金って!ヒドイ!こんな国があっていいわけ?亡命してやろうかって真剣に悩んだ。悩んで悩んで、荷造りして……。


 はい。約束通り、ユービリア国の紋章がついた四頭引きの馬車に乗りましたよー。馬車にはわたし一人しか乗ってませんでしたよー。その道中で、あわよくばわたしの親友になってくれる子に出会えるかもしれない……なんていう期待すらできないほど、とても孤独な道中だった。


 ま、あと半年よ。苦しみも悲しみも孤独もね。あと半年。神さま、わたしに孤独な人生をありがとう。

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