CROSS ROAD【ディール急襲】編 ~姫とやさぐれ傭兵団~ 【1】

カリン

第1部 「 出会い ~運命共同体~ 」

プロローグ 彼の裏切り


 天にも昇る思いだった。


 だって、まさか思わない。

 年下の彼ダドリーが、領家のしがない三男坊が、領主なんかに化けるとは。


 国を統治する三公家の一、北方を治めるクレスト領家の、当主なんかに収まろうとは。

 つまり、世にいう「玉の輿こし

 なのに……


 

「……嘘つき」


 冷たい鉄格子を握りしめ、エレーンは唇をふるわせた。

 高い梢が風にそよぎ、せみが遠くきこえる。


 町はずれの裏道は、ひっそりとして人けがなかった。

 鉄の格子ではばまれた、瀟洒しょうしゃな館の静かな裏庭。


 少女の風情を残した女が、優しげな笑みでたたずんでいた。

 日ざしに子供を抱きあげる若い父親の姿もある。ダドリー=クレスト。北方を治めるクレスト領家に、新たに就任した新米当主だ。


 夏日を浴びた裏庭で、ひと組の家族がたわむれていた。

 五歳ほどの華奢きゃしゃな男児と、その子供の両親だ。

 父の顔を懸命にあおいで、男児はあどけない顔で報告している。

 頭をなでるダドリーのかたわら、母親はたおやかに微笑んでいる。線の細い、美しい──名前はたしか、サビーネとか。


 緑の庭の青銅の椅子が、まだらに木漏れ日を浴びていた。

 あけ放ったテラスの戸、庭をふちどる素焼きの鉢々、あふれんばかりの旺盛な庭樹。みずみずしい青芝の上を、風が心地よくなでていく。


「……こっち、向いてよ、ダドリー」


 緑の庭に見入った頬に、涙のしずくが伝い落ちた。

「あたしを見てよ、ダドリー。こんな土地ところで放り出されたら、あたし、これから」


 ──どうしたらいいの?


 住み慣れた故郷から、転居した矢先のことだった。


 こんなに遠く隔たっては、友の一人もいはしない。

 それでも彼が言ったから──あのダドリーのかたわらが、やっと手に入れた居場所だったから、すべて投げ打って、ついてきたのだ。

 大好きな商都も。

 領邸で働く誇らしさも。

 なにより大切な友だちも。


 なのに──


 子供は要らない、とダドリーは言った。


 もう、子供は要らない、と。

 お前の子供は不要だと。


『 跡継ぎは、一人いれば十分だ。だから 』


 むろん、あんたをないがしろにはしない。

 俺にはあんたが一番大事だ。だから、なにも心配はいらない──


 北方の風が心地よく、夏日が高くきらめいていた。

 くったくのない親子の笑いが、午後の裏庭に満ちている。

 白い館の裏庭で、ひと組の家族がたわむれていた。

 男児と、美しい母親と、先日結婚したばかりの夫ダドリーが。


 笑いあう彼らは、振り向かなかった。

 

 

 


 あけ放った窓の手すりが、夏日を鈍く浴びていた。

 ほの暗い板張りの部屋には、いくつもの丸卓と椅子。


 その雑然とした有りさまは、客を送りだした翌日の、白んだ酒場のごとしだが、酒場特有のすえた匂いや、気だるい淀みは見あたらない。

 まして、陽気な嬌声きょうせいなどが、入りこむ余地はない。


 空気は乾き、そっけなく凪いでいる。

 煙草で黄ばんだ部屋の壁には、木箱が無造作に積みあがり、端が日焼けした大きな地図が、いくつか丸めて立てかけてある。

 壁一面の腰窓は、夏の日ざしにあけ放たれ、昼さがりの部屋は閑散としている。 

 常なら大勢がつどうこの部屋も、今はひっそりと静まりかえり、ざわめきの余韻さえ見あたらない。男が一人、いるきりだ。


 白々とした静寂の中、日陰においた椅子の背に、男が一人もたれていた。

 黒い頭髪の若い男だ。

 年のころは二十代の後半あたりか。土足で卓に足をのせ、腕をくみ、目を閉じている。

 癖のない顔つきは読書家然としたものだが、古い傷が刻まれた彼のいかつい革の上着は、持ち主の荒んだ生き様を、まざまざと語っている。


 色のあせた丸首の綿シャツ、黒革のベルトに迷彩ズボン、そして、どんな荒地をも踏破する、いかにも無骨な編みあげ靴。

 男は静かに瞑目めいもくし、ふと、怜悧な双眸そうぼうをひらいた。


 静かな廊下で、かすかな靴音。


 ほどなく扉がひらかれて、男は目だけを戸口に向けた。


 廊下に、男が立っていた。

 室内の黒髪と同年代で、身形はやはり荒くれている。

 体格は細身で、腰までの長髪、額で髪を分けた端整な顔立ち。とはいえ、その風貌は、女の柔和さとはほど遠い。


 戸口で室内に一瞥をくれ、ためらうでもなく長髪は踏みこむ。「さすが北方は涼しいな。この夏場に、汗のひとつもかきやしねえ」


「どうだ、副長。街の様子は」

「異状なし。さすが大陸北端の僻地へきちだな。どこもかしこも、のどかなもんだぜ」


 副長と呼ばれた長髪は、上着の懐をさぐりつつ、ひらいた窓辺に足を向ける。

 窓にもたれて煙草をくわえ、柳眉をひそめてその先に点火、マッチの火を振り消しながら、外に向けて一服した。


「まったく、思い切ったことを考えたもんだぜ。万年平和なこの国で、まさか、くるとはよ」

「いずれにせよ、関係ない」


 黒髪も上着の懐をさぐる。

「俺たちは任務を滞りなくこなし、西のねぐらに引きあげるだけだ」


「それはそうと、ケネル」

 副長ファレスは、苦虫かみつぶして振りかえり、腕をくんで、ねめつけた。


「ひとにひなびた田舎をさぐらせといて、てめえは 昼寝してた とか、ふざけたこと、ぬかしやがるんじゃねえだろうな」


 ケネルと呼ばれた黒髪の男は、苦笑いして煙草をくわえる。

「まさか、寝るわけがないだろう」

 手を伸ばして、灰皿をとりあげ、


 こっそり、あくびを噛み殺した。

 

 

 こんな三人が出会うのは、これからもう少し、あとのお話。


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