2章2話「罪」

2章2話1 開戦

 国の首都のある商都からノースカレリアに至る街道は、樹海を切り拓いて作られている。

 街道の西は雑木林、そして東には深い樹海が広がる立地だ。そのため今回の戦では、街道が主戦場になると思われた。


 街の南には獣避けの外壁があるが、街道に面した東側の側面は、なんの境もなくあけっぴろげだ。敵兵が押し寄せれば、容易に侵入できてしまう。そのため、街の南にある入口の先を──商都方面から見て玄関口にあたる街道を、物見櫓で封鎖していた。祭で使う頑丈な櫓だ。


 更に、街道の両側の森林には、獰猛な大型獣を配していた。カレリアと隣国の国境の山に棲息する、白く美しい長毛種。だが、旅芸人が連れ歩き、見世物にしているこのバクーは、人を食らうことで有名だ。樹海の中は悪路だが、進軍できないこともない。その足止めを狙った措置だ。


 三十対一千。

 この途轍もない戦力差を、なんとしても埋める必要があった。

 主戦場になる街道の、東西の森林を猛獣で塞げば、敵軍の侵攻ルートを街道一本に絞りこむことができる。つまり、前線で対峙する敵の数の上限は、狭い道幅が最大だ。



 街に面した街道を、傭兵たちが行き来していた。

 なだらかに続く街道の先には、敵が大挙しているはずだが、傭兵たちは手慣れた様子で、動じた様子はいささかもない。

 駆けこんできた馬の背から、短髪の男が飛び降りた。


「どうする。敵さん、ごまんといるぜ」

「総数は」


 ただちに詳細を、ケネルが促す。

 敵情視察に出ていたバパは、敵が控える街道の南を眺めやった。「千五百──いや、二千てとこか」

「いいや。精々千二百だ」


 落ちついた声が割りこんだ。


「──あれ、副長。来たんすか」

 通りがかった傭兵の一人が、木陰で腕をくんだ男の姿を見咎めた。

 たむろしていた一同が、身じろぎ、そちらを振りかえる。

 不参加を表明し、退室したあの男だった。

 端正な顔立ちの長髪の男──この傭兵隊の副長ファレス。


 呆気にとられて眺めたバパが、顎先で事情を促した。

「お前、降りたんじゃなかったか?」

 ファレスは構わず歩み寄る。「正規軍が九百、傭兵が三百」

「傭兵?」

「たく、どこ見てやがる。横着しねえで、数は正確に数えろよ」

 じろり、とファレスはバパを一瞥、一同の顔を見渡した。

「無邪気に突っこみゃ即刻死ぬぞ。連中、助っ人を呼びやがったな」


 一同、面食らって見返した。

 たくましいアドルファスが身じろいで、もてあましたように蓬髪を掻く。「──まさか、このカレリアで、傭兵を使うところがあるとはな」


 ここカレリア国には、長らく戦らしい戦がない。そうした物騒な輩とは、元より無縁の国柄だ。そのカレリアに「傭兵がいる」ということは、この彼らの同業者、隣国の傭兵に他ならない。


 内戦が続く隣国は、傭兵の稼ぎ場となっている現状がある。熾烈な戦場を渡り歩き、死線を掻い潜った傭兵たちは、言わずと知れた戦闘の本職。平穏な国カレリアの形ばかりの軍兵などとは比ぶべくもない猛者揃いだ。つまり、敵陣に傭兵が加わるか否かで、勝手が大きく違ってくる。


 予期せぬ現実を突き付けられて、一同は難しい顔つきだ。ファレスは構わず先を続けた。

「ディールの本拠地トラビアは、隣国と境を接している。やろうと思えば、傭兵を雇い入れるなんぞ造作もねえだろ。つまり事情は、中央でやりあうラトキエも同じ、向こうにも傭兵が入っている」

 この大番狂わせで、身動きがとれなくなっている、というのだ。

 折悪しく隣国は停戦中で、職にあぶれた傭兵が多い。そして、往来・物流ともに盛んな国境付近の盛り場には、用心棒などの口があり、受け皿として機能しがちだ。


 じっと話を聞いていたバパが、溜息まじりに天を仰いだ。「それにしたって桁が違うぜ。千二百対三十はねえだろ」

「勝ち目はねえな。まるで、ねえ」

 アドルファスも投げやりに蓬髪を掻く。そうまで戦力に開きがあれば、話にも何もなりはしない。個人の力量でどうこうできる繊細な範疇を越えている。


 ファレスは敵陣とは逆方向の、街道の北を顎でさした。

「バードに得物を持たせろよ。そうすりゃ少しは楽ができる。日頃、芸事で鍛えているから、ディールの鈍らより切れ味がいい。むしろ弓なら一級品だぜ。狩りの的は野生だからな。狙いは正確、格段に身軽で、逃げ足も速い。足手まといにならずに済む」

「それでも百が精々だろう。いや、そこまで集まるかどうか」

 ファレスが示した方向を眺めて、バパが思案に暮れて顎をなでた。


 緑梢ゆれる街道の北には、一大天幕群が広がっていた。

 そびえ立ったバリケードの向こうに、灰色に荒んだ天幕群が、ひっそり息を潜めている。こたびの戦のあおりを食い、祭も興行も全面中止だ。


 眉をひそめたケネルを一瞥、ファレスは顎で右側をさした。「なら、そこの連中でも駆り出すか? あれなら数には事欠かねえぞ」

 そこには、ノースカレリアの平穏な街並みが広がっている。

「無駄だろう。得物など持ったこともない連中だぞ」

 にべもなくケネルは却下した。

「ここの住人は、戦に不向きだ。まるで鍛錬していないし、訓練しようにも今更だ。出したところで犬死がおちだ」

 敵軍控える街道の南へ、ケネルは淡々と目を向ける。


「要は、将を潰せば片がつく。無駄駒を使う必要はない」

「ま、頭を狩るなら、そいつの周囲の分厚い壁を、突破しなけりゃならねえが」


 ファレスはそっけなく引き下がった。却下は見こんでいたようで、さばさば視線をめぐらせる。

「軍服の正規兵こしぬけはどうでもいいが、周囲を固める傭兵どもが邪魔になる。外から徐々に切り崩そうにも、とてつもねえあの数だ。まともにぶつかっても骨が折れる。とくれば、あっちの傭兵連中に、こっちの顔を知る奴が、どれだけいるかって話になるが──」 


 


 ときの声が、外であがった。

 ぎょっとエレーンは椅子から飛びのき、弾かれたように窓へと走る。


 クレスト公邸、三階の居間。高い建物が付近にないので、遠く街の外まで見渡せる。南の窓を開け放ち、身を乗り出して目を凝らすと、遠くゆるやかな草原の向こうに、辛うじて土煙が見てとれた。

「じ、爺! どうしよう! ディールが来たわ!」

 指揮官のものらしい荒々しい怒声が、居間の窓辺まで微かに届いた。士気を上げているらしい。


 エレーンはうろうろ歩き回る。ついに戦が始まったのだ。

 長椅子にかけた老執事は、「ここで我らが騒いだところで、事態は好転いたしませぬ」などと他人事のようにシレッと言うが、とても平静ではいられない。あちこち見まわし、そわそわ親指の爪を噛む。


(……どうしよう)


 ケネルのあの口振りでは、こうした戦に慣れているのだろうが、戦になれば死者が出るのは、やはり避けられないことではないのか。少なくとも怪我人くらいは、絶対に出る。それもこれも、みんな己が発端で──

 びくり、とエレーンは動きを止めた。


(あたしの、せい?)


 嫌な自覚がじわじわ広がる。

 血濡れた戦場が、脳裏をよぎった。阿鼻叫喚の地獄絵図──。


(ど、どーしたらいい? どーしたらいい? どーしたらいい?)


 誰かがこれで死んだりしたら、ものすごーく後味が悪い。

 おろおろしながら手立てを探すも、焼ききれた頭は固まったまま。なんとか気分を落ち着けるべく、卓から紅茶をとりあげた。


(……も、もう、やだ、こんなの)


 前歯がかちかち、カップに当たった。

 青い顔で縮こまり、カタカタ震えて考える。戦争というからには、やはり、斬り合ったりするんだろうか。でも、真剣なんかで切られたら、多分ものすごーく痛いだろう。うっかり指を切っただけでも、涙目になるくらい痛いのに──

 ぶるり、とエレーンは身震いした。カップを持つ手が小刻みに震える。


(な、なんであたしが、こんな目に遭わなきゃなんないわけ? なんでいきなり、こんな物騒な話になっちゃうわけ?)


 今からでも、取りやめにすることはできないだろうか。いや、それより何より、ここから


 逃げたい──!


 兵を鼓舞しているのだろうか、晴天の空から、歓声が聞こえた。

 降りしきる夏日の下、青軍服の兵士たちが整列しているのだろう。青草生い茂る草原で、手に手に武器を携えて。──ケネルらは、どうしたろう。やはり、配置についたのだろうか。ディールの侵攻を防ぐために。おのおの武器を準備して。彼らはまさに戦おうとしている。そう、まぎれもなく、


 


 ざわり、と胸がざわめいた。

 豪華な絨毯を凝視して、エレーンは唇をかみしめる。


(……なにやってんの?)


 この話の発端は、他ならぬ自分だったはず。

 ディールは要請を蹴ったから、ケネルらは懇願に応えたからこそ、ああして相まみえんとしているのだ。

 なのに、きっかけを作った張本人は、こんな所で、


 ── 何をしている。


 微かにゆらいだ違和感が、明確な輪郭をとり始める。

 すっく、とエレーンは立ちあがった。

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