第四十六話 乙女の恋心

 美しく、壮観な景色を脳裏に焼き付けたセルティアは誰にも気づかれないように小さく嘆息した。

 花の大地が蘇った。それはとても素晴らしく、喜ばしいことだ。

 現に、花と風の精霊は歓喜をあらわにし、歌声を響かせ、至るところで自由に踊っている。

 それを見ていると微笑ましくなり、誰もが笑みを浮かべているのだ。

 そんな中に水を差すようなことをしたくない。セルティアの複雑な思いを他に悟られるわけにもいかず、そっと心の奥底へとしまった。


「とってもきれい! すごいね、セルティアちゃん!」

「……そうね。本当に、綺麗だわ」


 リーファは驚きを隠しもせず、また無邪気に笑いながら周囲を見渡している。

 それに苦笑していると、セルティアの周りの風の精霊が集まり何事かを囁いては離れていった。風の精霊の報せに目を細めて、フローラの方へ目を向ける。

 立役者である二人も初めてみる光景と、大地が蘇ったことに対する喜びに笑みをこぼす。そこに疲れの色が少し見えるのは仕方がないだろう。


「大丈夫ですか? フローラ様?」

「貴方がいたから平気よ」


 よろめくフローラを支えたエルが心配そうに声をかければ、彼女は気丈に振る舞う。そして同じように近づく花の精霊に微笑みを向ける。


「これが、花の大地……よかった。精霊たちあのこたちも嬉しそう」

「流石ですね、フローラ様。二人ともお疲れ様です」


 ゆっくりとした足取りで近づいたセルティアは 労りながら声をかけ、二人は振り返る。

 その表情がなせが寂しげに見えたのでエルは内心首をかしげるのだが、瞬く間にそれは払拭された。


「フローラ様、お迎えが来ています」

「え?」


 目を見開いて訝しげにする二人に、当然だろう、と思う。

 セルティアとしてはもう少しこの地に留まって、艶やかな景色に浸っていたい気もするのだが、そうも言っていられない状況になってしまったのだ。


(あまり待たせると何を言われるか……)


 黙ってため息をつく魔女の姿に、騎士と乙女は顔を見合わせる。困惑しているのが分かり、セルティアは気を取り直して笑顔を作り、促した。


「戻りましょう。元の世界に」


 ここは、聖域。花と風の精霊が愛し、過ごす場所。本来は人がいるべき世界ではない。役目を果たした者は、ただ元の世界へ、人が住む世界に戻るだけだ。

 それが分かっているだけに、フローラも駄々をこねることなく、ただ寂しげに頷いたのだった。


◇◆◇


 花の精霊の許しと、風の精霊の導きにより、五人は光に包まれると一瞬で元の大地に立っていた。

 目にするのは彩られた花ではない。しかし少し前の緑だけの景色ではなく、白と黄色の花が緑に混じり咲いていた。

 これは農業都市周辺のこの時期見慣れた景色である。


「こっちも元に戻っているみたいね……」


 いきなり満開とまではいかないまでも、確実に影響は出ているようでひと安心する。


「げっ」


 セルティアが胸を撫で下ろしたところで、背後から蛙の鳴くような声が聞こえて、目を向けると、イグールの顔があからさまに歪んでいた。


「……なんで、お前がいるんだよ」

「あら、氷崩。よくここがわかったわね?」


 振り返れば氷崩の魔導士こと、クライが背筋を伸ばし立っていた。イグールには一瞥しただけで、セルティアの問に簡潔に答える。


「精霊に伝えたのは私だ。当然だろ?」

「それもそうね」


 セルティアは風の精霊から伝言を授かった。その主はクライからだ。ぬかりのない性格であるクライが戻る場所を指定しないはずがない。


「クライ! 貴方どうしてここに?」


 クライの登場を冷静に受け止めていたのはセルティアだけで、他は其々少なからず驚きを表している。特にフローラは目を見開き、口元に手を当てて驚いていた。


「フローラ様、お迎えに参りました」

「どういうこと?」

「貴女は今、農業都市にお忍びで視察に向かわれていることになっています」


 その説明に心当たりのないフローラは首を傾げる。彼女は黙って乙女の宮を抜け出してきたのだ。決して視察に来ているわけではない。

 その言葉の裏に隠された意図を悟ったセルティアは淡泊に頷き、リーファに問いかける。


「流石にバレたのね。フローラ様がいなくなってどれぐらい経つの?」

「今日で六日目、かな……?」

「そんなに経つの……なんというか、よく騒ぎにならなかったわね」


 予想よりも長い期間で驚きを通り越して呆れが混ざる。精霊の力が影響して本人も時間の感覚が失われていたのだろう。フローラ自身も驚きを隠せないでいた。それと同時にセルティアにはクライの言動も最善だと理解できる。

 一日、二日なら体調不良で姿が見えなくても誤魔化せる。ただ三日目、四日目となると深刻化を予想され見舞いが訪れるようになる。それを断っていると怪しまれてしまうので、少し離れた隣の都市に視察に出ていることにしたのだろう。これなら数日姿が見えなくとも怪しまれないし、何よりお忍びというこならば公にされていなくてもなんとか納得してもらえる。


(花の乙女なら農業都市プランタと縁深いから、視察に向かっても可笑しくないわね)


 花の乙女は花や木といった植物の育みを祈り促すことが多い。大国の食糧庫である農業都市プランタと関わり深くとも不思議はない。

 全て用意されていたかのような状況にセルティアはいくつかクライに対する嫌味が浮かんできた。しかしクライの冷たい眼差しがリーファに向けられたことで一先ず嫌味を飲み下す。


「情けない。仮にも二つ名を持つ魔女が護衛につきながらこんな事態を招くことになってしまうとは」

「……なによ、煩いわね」

「お前は二つ名を持つ自覚が足りてないんだ」

「あんたに、……冷血男クライにそんなこと言われる筋合いないわ!」

「言ってもわからないだろ」

「なんですって!」


 二つの眼差しが互いに睨み合い、険悪な雰囲気を醸し出す。それはリーファとイグールの比ではない。特に感情の伺えないクライに対し、リーファからは嫌悪と屈辱の思いが見て取れる。


「ちょっと二人とも!」


 堪らず止めに入ったのはセルティアで、リーファは咄嗟に彼女の背後へと隠れた。それにまたクライは侮蔑の眼差しを送る。


「ふん。情けない」

「あのね、氷崩。あなたもそれぐらいにしたらどう?」

「そうやって夢幻おまえが甘やかすのも問題なんだ」

「甘やかしているつもりはないわ。でも、あなたの態度にも問題があるのよ。言いたい事もあるでしょうけど、あなたがこれ以上を何も言わないのなら、わたしもあなたに言うはずだった嫌味を口にしないでおくわ」


 もう少しで吐き出しそうだったいくつかの嫌味をなかったことにし、セルティアの瞳がクライの瞳を捉える。


「……いいだろ。好きにするといい」


 顔を背けたクライの姿にセルティアは浅く息を吐く。そして背後で顔を俯かせているリーファの頭を撫でて優しく微笑んだ。


「大丈夫よ、リーファ。あなたはあなたらしく、あなたのペースで答えをみつけていけばいいわ」

「……セルティアちゃん。ありがとう」


 この幼い魔女にも本人にしか理解できな葛藤があることをセルティアは知っている。急かすことも大事かもしれないが、納得のいく答えを自分自身で見つけることも大切なのだ。それは決して今回の件だけの問題ではない。


(……どうしてみんな、揃って酷なのかしら)


 自分と他者は別だということを分かっているはずなのに、クライにしろイグールにしろ実際に分けることができないらしい。魔術師の未来を思うとセルティアは深い溜息をつかずにはいられなかった。


「では、フローラ様。馬車の用意が出来ています。こちらへどうぞ」

「クライ……わかったわ」


 フローラは落ち込んでいるであろう少女を横目で確認しながらも逆らうことなくクライの元に行く。ただそこで一言、声をかけることを忘れない。


「リーファ、戻りましょう」


 はっと顔を上げた少女の瞳に映ったのは手を差し出すフローラの姿だった。


「フローラ様……」

「貴女は私の護衛でしょ? 一緒に戻らなくてわ。そうよね、クライ?」


 微笑みを浮かべたままクライを見つめれば、無表情の魔導士が微かに笑った。その笑みが心なしか柔らかく感じたので、セルティアとイグールは息を飲む。さらにはフローラの頬がほんのり色づくのをセルティアは見逃さなかった。


(え、どういうこと……?)


 混乱しかけた頭で咄嗟にエルの方を見つめる。しかし彼の方は特別何か反応を示すことはない。ただセルティアの視線を受けて、不思議そうな顔をしただけだ。


「もちろん、フローラ様は私と、貴女の護衛と共に帰ります」

「やっぱりね。そうだと思ったのよ。貴方が婚約者であることを誇りに思うわ」

「まだ候補の一人です」

「あら、私の中では確定事項よ」


 そんな二人の会話に驚いたのはなぜかセルティアとイグールの二人だけだ。


「ちょ、ちょっとどういうこと? 氷崩はいつからフローラ様の婚約者になったのかしら? 初耳だわ」

「俺だって初耳だぞ!」


 決して短い付き合いではない。良好かと聞かれれば是と言いかねるが、流石に知名度の高い氷崩の魔導士が乙女と婚約しているとなれば情報が入って来ないはずがない。しかし二人とっては初耳のことであり、そもそもエルとの関係はどうなのかさえ定かになっていないというのに。


「聞いてなかったのか、だ。まだ正式なものではない」

「まあ私の中ではクライしかいないと思っているけどね。どこかの誰かさんが、足蹴りにしたから、話がややこしくなってしまったのよ」


 そう言ってフローラが意味ありげにエルを見る。だがエルは素知らぬ顔だ。気にも留められていないとわかると、彼女は面白くなさそうに顔を背け拗ねたように口先を尖らした。


「まあ、私だって年下なんて御免だったから丁度よかったけどね!」

「そうですか。それはよかった。俺はいつだってフローラ様の幸せを願ってますよ」

「そーですか。なら帰ったらそう伝えておきます。さようなら。貴方もお幸せに。さあ、行きましょう! クライ、リーファ!」


 苛立たしげに立ち去るフローラの後を追ってクライは黙って従い、リーファは軽く手を振ってから小走りについて行く。

 ただエルだけが爽やかな笑顔で手を振るので、残された魔術師二人は今一状況を飲み込めずにいた。

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