第四十四話 大樹を燃やす業火

 木の魔物が存在することは知っている。それは長い年月を経た木が自然の中に漂う魔力を少しずつ取り込み、魔物と化する。その年月は人からすると途方もない時間となるので、魔物となる過程を目にすることはない。人が気づいたときには、木は魔物となっているものだ。


「でも、ここは聖域なのに」


 聖域に魔の力が存在することが可笑しい。仮に魔剣が封印されていたとして、それが解かれた影響で今、魔の力が漂っていても、こんな短期間で魔物と化するのは異常だろう。

 セルティアの仮説が正しいとすれば、救世の使者がどれほど前に動いたか知れないが、少なくとも人が感じ取れる年月に変わりはない。


「どうなっているのかしら?」


 しかしいくら考えても正しい答えなどわかるはずもないので、一旦この件は頭の隅へ置いておく。

 セルティアは箒に乗ったまま上空をゆっくり旋回し、周囲をさらに確認した。木――否、大樹の魔物は他に見当たらず、気配も感じ取れない。


(と、なると――)


 明らかに聖域には似つかわしくない魔の力を放っているこの魔物が、事の要因となっている可能性が高い。

 それなりに強い力を纏わせている魔物は、確かに存在するだけで影響を与えそうだ。


(この魔物がいるから、魔の力が消えない……だから花の大地が蘇らない……?)


 思考を巡らし、一つの結論に辿りつくとセルティアは一人頷く。

 花の乙女の祈りを阻害するものが存在するとすれば、大樹の魔物これなのだろう。根が生きているのなら、阻害する存在を消し去ってしまえば、なんとかなるかもしれない。


(面倒だけど、仕方ないわね)


 箒をゆっくりと降下させ、枯れた大地に足を着ける。見え隠れする大樹の赤い目が見上げるセルティアを捉えていた。しかし襲ってくる気配は全くない。この魔物は彼女が知る魔物と比べ、随分大人しいようだ。


(大人しいというか――そう、意思がない?)


 魔物であっても意思はあるはずだが、それが感じられないような気がして、違和感を覚える。

 黙って宙に浮く魔物を見上げていた彼女は隣に暑苦しい気配を感じて振り向いた。


「あら、遅かったわね」

「そんなこと、ねーだろ」

「そうね。丁度いいタイミングだわ」


 ふて腐れた顔をするイグールがセルティアの隣に立つと、彼女と同じように宙に浮かぶ大樹を見て剣呑とする。


「なんだあ? 木の魔物だよな……こんなでけえの久しぶりに見たぞ」

「そうよねえ。いったいどんな樹海からやってきたのかしら」

「元からここにあったやつなら性質たちがわりぃな」


 自嘲気味に笑ったイグールにセルティアは同意だけしておく。もちろん樹海からやってこれるはずもないので、ほぼ間違いなく聖域ここにあった大樹だ。


「んで、夢幻はどう考えてる?」

「これが消えればどうにかなるんじゃないかとは思うわ」

「ああ、単純でそれがいい。珍しく同意だ」

「ほんと、紅蓮向きだわ。ほどほどに、でも迅速に片づけましょう」


 簡単な会話を終えると同時にイグールは跳び上がり大樹を正面に捉えるとニヤリと笑う。魔物の赤い目がそれを捉える頃には、どこからともなく作り出された業火が激しい渦となり、大樹とイグールを包んでいた。

 激しい炎は勢いを増していき、大樹の魔物を燃やしていく。魔物といえど本体は樹木であるため、よく燃える。燃え盛る炎の合間から黒ずんだ枝や葉が赤く、黒く、消え行く様が垣間見える。

 その様子を地から見上げていたセルティアは深いため息をつくしかない。


「もうちょっと控え目に出来ないのかしら……」


 必要以上に炎は勢いを増し、飛び散る火の粉がセルティアに降り注ぐ。彼女はたまらず、風を操り火の粉を振り払うが、大地に落ちていく様を見て顔をしかめた。


(ああ、だめね。これじゃあ大地が燃えてしまうわ)


 どこに根があるかは知ることは出来ないが、万が一イグールの炎で隠れている根が燃えることになってしまっては本末転倒である。

 セルティアは纏う力を変えて、水のベールを周囲に作り上げた。降り注がれる火の粉は大地に落ちることなく消されていく。


「なにやってんだよ、夢幻」


 炎を纏ったまま横に着地したイグールに、セルティアは水をふっかけた。


「冷てっ! なにすんだ!」


 水を滴らせたイグールは己の炎を消して目をつり上げる。上空では相変わらず大樹が燃えているが、熱風は届くことなくセルティアの周りは涼しげだ。そして彼女自身も涼しげな顔をし、イグールを横目で見る。


「少しは考えてくれない?」

「あ?」

「なんでもかんでも燃やさないでってこと」

枯れた大地こんなとこに燃えるもんなんざねーだろ?」

「分からないだけで、根があるかもしれないでしょ!」


 まるで何も考えていないイグールにセルティアは憤慨する。フローラの話を聞いていなかったのかとさえ思える。


「なんだよ。おめーが、迅速にって言ったんだろーが」

「限度を考えなさいってことよ」


 イグールは拗ねたように言うが全く可愛いものではないので、セルティアは冷たくあしらう。

 続いて空に浮かぶ、炎の塊を見て僅かに眉をひそめた。

 燃え盛る音の合間に聞こえてくる細く高い音は魔物の声だろう。だがとても小さく、また気配も微々たるものに変わってきていることこら力尽きようとしているのがわかる。

 このまま放っておけば魔物は消し炭となるに違いないが、この炎はそのままにしておくわけにもいかなかった。


(紅蓮の炎ってなかなか消えないから厄介なのよね)


 もう一度横目でイグールを見れば、当の本人からは既に興味が失せたかのような顔つきで空を見上げている。

 一度外に放った炎は本人にも消すことが出来ない。なおかつ、通常の火よりも魔力が加わっていることで、簡単に消えることもない。長い時間をかけて自然鎮火を待つか、同等の魔力を込めた火を消すに相応しい魔法をぶつけるしか方法がないのだ。

 だからセルティアは今回イグールと行動を共にするしかなかった。


「いい加減どうにか出きるようにしてほしいわ……」

「なんか言ったか?」


 聞こえているはずなのに惚けたことを言うイグールに苛立ちながらも、セルティアはそっぽを向いて宙に浮かぶ炎を指す。


「仕方がないから後始末してあげるわ」


 そう言うと同時に空気中に水で出来上がった大きな輪っかが炎の塊を囲うように現れる。その輪をなぞるようにセルティアの指が輪を描いた。


「大気の水よ、反する炎を鎮めなさい」


 魔女が口ずさむと呼応するように水の輪は太く大きく広がり、やがて炎を全て包み込む。空に浮かぶのは水の球体に閉じ込められた炎の塊だ。

 ゆっくりとセルティアの腕がおろされると、水の球体は突然発光し弾けた。そこに炎も魔物の姿もない。

 晴れ渡った空からは光と冷たい雫が枯れた大地に降り注ぐのだった。


◇◆◇


「な、なに?」


 突然空が赤くなり熱を帯びた風が吹いた。

 フローラは驚いて風が吹いてくる方角を見つめる。

 そこには空中にあるはずもない、赤く燃える物体があった。遠くて何が燃えているのかは判別できないが、それが炎の塊だということはなんとなく分かった。

 しかし宙に炎の塊そんなものがあることが不思議で、フローラは何度も目を凝らす。

 一方で隣に立つリーファは全く驚く様子はなく、むしろ普段より冷めた声でその正体を告げる。


「あれは紅蓮バカの炎です」

「……わかるの?」

「はい。あんなことするの紅蓮バカ以外ありません」

「そ、そうなの……」


 普段からは想像つかない程、冷たい態度をとる少女にフローラは少したじろいでしまう。

 その様子にエルは、そう言えば出会い頭に少女とイグールは口論をしていたことを思い出した。


(仲が悪いのか?)


 セルティアに対する態度と雲泥の差があることは明白だ。


(と、いうか魔術師同士ってあんまり仲が良くないのか……?)


 リーファがセルティアになついているのは明らかだが、それ以外の魔術師同士の態度を見ていると、どうにも仲が良さそうとは思えない。

 エルとしてはそれほど魔術師に知り合いがいるわけではないが、険悪というよりかは、どうにもお互いを牽制、もしくは警戒している感が否めなかった。


(それとも、ティアのまわりがそうのかな)


 根拠はないが、なんとくそんな気がする。しかし本当にただの思いつきに過ぎないので、エルは頭を振って考えを追い払った。


「あれ? あれって……」


 少し目を離した間に宙に浮かぶ炎は何か別のもので包まれ球体となっていた。ゆらゆらと揺れて、光を屈折させるそれは液体のようだ。


「あれは、セルティアちゃんの魔法です」


 目を細めてリーファは嬉しそうに呟く。

 炎の規模も大きかったがそれを包む水の球体の方が遥かに大きい。

 何が起こっているのかと、疑問に思ったところで、水の球体は突然光を放ち一瞬のうちに弾けるように消えてしまった。

 茫然としているところに、空から光る水の雫が降り注ぐ。


「これは……魔の力が消えた……?」


 エルは手のひらを空へ向け、雫を何粒か受け取る。やはりそれは水で、雨のようだった。ただそこから微かにセルティアの魔力が感じられるが、すぐに離散する。

 またそれ以外の魔の力は、不思議なことにどこからも感じられなかった。


「気配が消えた……ってことはティア達がどうにかしたってことか」

「そうですね。やっぱりセルティアちゃんは凄いなあ」


 笑みをこぼすリーファだが、そこにイグールが含まれていないと考えると、エルは相槌を打つのに躊躇いが生じてしまい、黙って空を見上げることにする。


「……これでセルティアちゃんがじゃなければもっといいのに……」


 ふいに聞こえてきた小さな呟きを耳にしたエルが訝しげに振り向くと、そこには笑みは消し、口を固く結んだ少女がいるだけだ。


 何かに耐えるその姿から、何かを聞くことは出来ない。降り注ぐ水滴と共に、重たい沈黙も降ってくるようだった。

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