第三十話 届けられた手紙
予期せぬ訪問者のおかげで予定よりも戻るのが遅くなってしまったエルは、騎士隊本署に着くなりハレイヤと鉢合わせて小言を頂戴してしまった。
「隊長、ティアちゃんと仲良くしたい気持ちは分かりますけど。もう少し早く戻ってきてくれませんか?」
休憩時に魔女の館へ赴いていることを知っているハレイヤは特にそれを咎めることはない。今回も特別何か急を要するような問題が起こったわけではないので、本気で口にしているわけでもない。ただ流石に三時間以上留守にするのはいかがなものかと思ったまでだ。
隊長不在だと示しがつかない、という考えはむしろない。前任がエル以上に不在にすることが多く、自由奔放であった為、南地区の騎士隊はそれに慣れてしまっている。エルはまだ真面目な方なのだ。
「ああ、ごめん」
それを分かっているのかエルも特に弁明することはなかった。むしろ疲労して言い訳する気も起らなかった。
「どうかしましたか?」
休憩したはずなのに疲れて帰ってくるとは何事かと驚く。
だいたいいつも魔女の館から戻ってきたときは、周囲にはわかりにくいがご機嫌なのだ。セルティアが作るお菓子はどれも美味しく、エルを喜ばしている。たまにケーキやパイなどをお土産に持って帰ってくることもあり、その味が絶品なことも副隊長の二人は知っている。
「もしかして、何か問題でもありました?」
普段は平穏な地区だが、たまに大きな事件が起こる。最近でいうと一カ月と少し前の魔剣騒動だ。滅多にないことだが、何か予期せぬ事に出くわしたのかとハレイヤは心配そうにエルを覗き込んだ。
「問題があったって言うか、たぶんこれからある、かな」
「……どういう意味でしょう?」
何事にも聡いハレイヤだが、今回はエルの言い回しに分かりかねていた。しかし普段
「たいちょーう!」
手を振りながら通路を走る様は子どもっぽい。いい大人が何してるんだ、と思わなくもないが、既に見慣れているため二人は何も言わない。
爽やかな笑顔を見せるジェークの手には一通の手紙が握られていた。
「はい、これ隊長宛てに届きました。急ぎ確認しろ、とのことです」
渡された手紙を受け取り、エルは顔を顰めた。それを不思議に思いながらハレイヤはジェークに訊ねる。
「誰が持ってきたの?」
「王国騎士団の伝令係」
その言葉に驚きを隠せない。各都市の騎士隊を総括する王国騎士団。その伝令係と言えば国政に関わるような緊急事態や王族の伝令を担う役割だ。それが南地区の騎士隊長ごときに宛がわれるとは何事なのだろうか。
心配する気持ちと好奇心の二つを持ってエルを見ると、手紙に目を通していた整った顔にどんどん疲れの色が滲み出てくる。
思わず顔を見合わせた副隊長の二人は恐る恐る声をかけた。
「あの、どうかしたんですか」
「なにかよくない報せでも……?」
顔を引きつらせたエルはそれには答えず無言で執務室の方へ歩みを進める。ハレイヤとジェークは不審に思いながらもとりあえずその後に付き従った。
執務室の扉が閉じられると同時にエルは重たい息を吐き出す。
十秒ほど沈黙が落ちた。
「隊長……?」
「――とりあえず、しばらく旅に出る、と思う」
「……はいっ?!」
予想外の発言に珍しくハレイヤの声が裏返る。なんの冗談だと顔を伺えば、エルの表情は真剣そのものだ。なんと言えばいいのか困ったようにジェークの方を見ると、彼も困惑した様子でエルを見つつ質問を投げかける。
「あの、ちなみにどこへ?」
「とりあえず西、かな」
「……何しに」
「……花を探しに、かな」
花とはなんだ。そんな理由で隊長が隊を不在にし旅に出るというのか。いくらなんでも聞いたことがない。
エルは歯切れ悪く答えるが、その目を見れば本気なのだとわかる。隊長の不在を補佐するのも副隊長の役目ではあるが、あまりにも不確定要素が多すぎる。
「……いつ帰ってくるんですか」
「……花を見つけたら」
だからそれはいつなのか。花とはなんなのか。それが知りたいのだと気づいているはずなのに、エルは敢て明言しない。そこになんらかの理由があるのだろう。
部下に詳しく語れないエルはもう一度ため息をつくと、窓から覗く青空を眺めた。
南地区の街は今日も平和だ。
しかしエルの明日はきっと平和ではない。
憂鬱な気分と共にエルはもう一度手紙に目を向け、そして閉じた。
愛しのエル・グディウム様
お元気ですか?
そちらの生活には慣れましたか?
愛しい貴方の顔を見れなくて毎日寂しく思います。
会いに来て欲しいけど、貴方も忙しいのでしょう。
もっと忙しくなることも承知しております。
最近、西の大地に異変があったと聞いています。
貴方はその調査に向かうとか。
心配ですが、貴方ならきっと真相を確かめてくれると信じております。
それと、一つ私のお願いを聞いてはくれませんか?
どうやら国の花が逃げてしまったようなのです。
花の精と風の精が連れて行ってしまったのです。
向かうは『花の大地』でしょう。
西に赴いた際、花を探してきてください。
今はまだ私と貴方だけの秘め事にしておきます。
愛しい貴方。
私の為に花を届けてください。
かつては貴方も愛した花。
心優しい貴方が花を見捨てるはずはありませんね?
大切に迅速にお願いします。
良き報せと共に会えることを祈って――
貴方の乙女より
◇◆◇
「やあ、ティアちゃん。元気かね?」
夕暮れ前の街を足早に歩いていたセルティアは声をかけられ立ち止まる。
振り返れば無精ひげを生やした見知った顔があった。歳の頃は五十代後半から六十代前半。年齢の割に逞しい体躯をしており、その頬には大きな古傷がある。
彼はかつてこの街の英雄だった。自由奔放な性格でつかみ所がない。しかし変事の時は誰よりも先に駆けつけその身を持って街を守る。そうやって二十年以上この街の騎士隊長を務めていた。
エルの前任――ゼルタ・デイジャスは引退してもその存在感が薄れることはない。
笑ってはいるがその鋭い眼光からは何かを訴えかける力がある。
適当にはぐらかして立ち去ってしまいたかったのだが、ゼルタの眼差しに有無を言わせない圧力があり、セルティアは曖昧に微笑んだ。
「少し話をしようと思ってね」
「……それは、喜んで」
立ち話もなんだからと言われ近くの喫茶店に入る。この時刻、店内の客数は少ない。
ゼルタはコーヒーを二つ頼む。一つはブラックで。もう一つには、セルティアが自ら少しの砂糖とたっぷりのミルクを入れた。
黒と白が溶け合うカップの中身を混ぜながらゼルタの話を想像する。
「まず、この前はご苦労様。助かったよ、ティアちゃん」
「いえ、大したことはしてないわ。頑張ったのは騎士様です」
前回の街をあげた騒動のとき、セルティアはゼルタからある程度情報を貰っていた。元騎士隊長は顔が広い。お陰で常に最新情報を手に入れることができる。
「彼とは仲良くしているようだな?」
「まあ、お陰様で。それなりには、ね」
今ではティータイムを共にする仲だと言ってしまうのは気恥ずかしく、どうしても歯切れ悪くなってしまう。
しかしそれに気分を害することなくむしろゼルタは嬉しそうに声を上げて笑った。
「話というのは西の大地のことだ」
その言葉に、セルティアはピクリと反応する。そして一度中央地区の魔術連盟に戻ったクライとイグールを思い返し、眉を寄せた。
「西の大地に異変が起こり、農業都市の作物に影響が出ているとか」
「それは初耳だわ」
「うん? あくまでも噂だ。今のところ収穫量に問題は出ていないそうだよ」
「……そう」
小さく返事はするが、ゼルタの言いたいことを察したセルティアは同時にため息もつく。
「ため息なんかつくと幸せが逃げるよ、ティアちゃん」
「そうかもね。で? ゼルタさんも噂を調べてこいと言うんですね?」
「も、ってことは既に誰かに頼まれたのか? 奇遇だな、おれも頼まれたんだ。だがティアちゃんの方が適任だ」
誰がゼルタに頼んだのか、最早明確だ。なんやかんや言いながら既に手を回し終わってるあたり相変わらず抜かりない。
(さすが氷崩と褒め称えるべきかしら……)
今度会ったらそう嫌味を言ってやろうと密かに決意するセルティアであった。
「おれは噂に振り回されるのは好きじゃない。だから、噂が噂となる前に調べてきてくれないかな」
一部の間でしか知られていないうちに、真相を明白にすることが目的のようだ。その理屈は分からなくはないのでセルティアは無下にしない。
「それがゼルタさんからの依頼なら……わたしは引き受けないといけませんね」
「流石だね。じゃあ一つ頼むよ」
ゼルタに明るく言われるともう一度ため息をつきそうになるが、なんとか留める。
クライから話を聞かされたとき大分渋ったのだが、今はもうその気はない。どうあってもセルティアは西に赴かないといけない運命なのだと諦めることにした。
そもそもセルティアはゼルタからの依頼を断ったことが一度もない。それを氷崩の魔導士は知っていて、念押ししたのだろう。
(なんか、してやられた気分だわ)
少しだけむすっとして、セルティアは白く染まったコーヒーを飲み干した。
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