第二十八話 炎と氷の対立

 冷気を纏い現れたのは氷崩ひょうほうの魔導士という二つ名を持つクライである。彼は氷の魔法を特に得意としており、その名の由来は、かつて王国北部で発生した山火事をまさかの氷の雪崩で消し去ってしまったことだとも言われているが、真偽は不明だ。

 そのクライが絶対零度の空気を纏い、氷のように冷たい眼差しで赤い男を見据える。


「いい加減しろ、紅蓮」

「……よぉ」


 クライの冷えた声に紅蓮と呼ばれた男は顔を引きつらせながら手を挙げた。先ほどまでの勢いはなく、どこか逃げ腰にも見える。


「……紅蓮?」


 エルの疑問に満ちた呟きが聞こえたのか、セルティアは面白くなさ気に男を見たまま説明を加える。


「彼はイグール。紅蓮の魔導士という二つ名を持っているわ。炎の魔法を得意としているけど……見ての通りただの馬鹿で、迷惑を撒き散らしているのよ」

「おい! なんだその紹介は!」


 セルティアの声が聞こえたらしいイグールはつり目をさらにつり上げて怒鳴る。しかしそれを煩いと、クライが睨み黙らせると、イグールの威嚇するような唸り声が聞こえた。

 それを遠巻きに見ていたセルティアとエルだが、ふいにクライが振り向き双方を見比べ、一人頷く。


「二人揃っているのか。それなら都合がいい」

「……どういう意味かしら?」


 セルティアとしてもエルとしても目の前の男に用事はない。むしろセルティアからするとこの赤と青を持つ男二人を睨み早く出ていってもらいたいと考えているほどだ。

 そんな苛立ちが伝わっているのか分からないが、クライはもう一度頷いて目を閉じた。


「少し待て。話は馬鹿を大人しくさせてからだ……!」


 言葉と共に鋭い睨みをきかせ、紛れもない本物の冷気を放つ。一瞬で周囲の草花に霜がつき、暖かい気候が寒さを感じるほどになる。

 丁度上空へ飛び出そうとしていた男の元へ更に上空から氷柱が降り注げば、イグールはその身に炎を纏わせた。


「なーにしやがるんだ! 氷崩!」

「貴様が逃げようとするからだ」

「ああん? おめーに付き合う気はねーよ!」


 双方睨み合えば一触即発の雰囲気だ。ゆらゆらと熱気と冷気が漂い始める。


「仲が悪いのか?」


 同じ魔導士でもやはり折り合いが悪いものなのだろうか。そんな細やかな疑問をエルが浮かべると、セルティアは嘆息しながら遠くを眺める。


「まあ、相性の問題よね」

「なるほど」


 得意とする属性も多少なりとも関係しているのだろう。

 妙に納得したところで、二人を見ればすでに力のぶつかり合いが始まっていた。


「あいつら……!」


 セルティアは歯噛みしながら騒動の中心を睨む。

 イグールが身に纏った炎を火の粉のごとし振り撒けば、周囲の草花が所々焦げていく。それに対抗するようにクライは氷粒を放ち火の粉と相殺させる。だが、漏れた氷粒は庭を荒らしていく。

 その炎と氷の攻防と、それに巻き込まれている手入れされた草花を見て双子は悲しそうに表情を曇らせていく。


「……セルティア様……」


 双子が揃ってセルティアの服を握りしめれば、その瞳は潤みだし今にも泣き出しそうになっていた。

 この庭には大事に育てた植物が沢山ある。セルティアも双子もここの世話を欠かしたことはなく、ここで過ごす時間がとても好きなのだ。そんな大事な場所をよく分からない理由で荒らされれば悲しくもなるし、当然、怒りも沸き起こる。

 一度セルティアは双子の頭を優しく撫でると、その手をそっと離し隣のエルへと預けた。


「……ティア?」


 双子の身を受け取ったエルは訝しそうにする。そして笑顔を張り付けたセルティアを見て、小さくため息をついた。


(相当怒ってる……)


 怒る理由は最もで、わからなくはない。その顔は笑っているが纏う雰囲気は怒りに染まっている。エルは双子を連れてそっと一歩退いた。


「よく、わかったわ……あなた達は、わたしに喧嘩を売りに来たのね」


 ゆらり、と空気が震えた気がした。その変化に炎と氷の攻防はピタリと止まる。セルティアが纏う怒りを感じ取った二人は慌てて弁明しようとするが、もう遅い。


「わたしは、喧嘩は買わない主義なの。だから即刻退場してくださる?」


 言うと同時に押し潰されるような重力が二人にのし掛かる。それに耐えきれず方膝をついた瞬間、体が軽くなり一気に空へと打ち上げられた。

 打ち上げられた二人は上空で態勢を立て直し、己の魔法でなんとか元の場所に着地する。

 しかし一息つく暇もなく、大地から伸びた蔓に絡めとられ、揃ってその場から動けなくなってしまった。


「なにしやがるんだ! おい、夢幻!」

「少し話を聞け、夢幻」


 不満そうな表情でそれぞれ抗議をするが、セルティアはそれを一瞥するのみだ。たが余りにも捕らえた男達が煩いので、少しだけ耳を傾ける。


「わたしは馬鹿達の相手をする気はないの。わかるわよね?」

「ああ、わかってる」


 セルティアに睨まれた二人は渋々頷き大人しくするようだ。無言で頷くイグールと憮然と返事をするクライ。大の男二人が情けなく見えなくもないが、特に抵抗する様子はない。それを確認すると、大地から伸びた蔓は静かに元に戻っていった。

 そして男達ではなく、周りの植物に目を向ける。その場だけすっかり荒れ果ててしまった。これはまた一からやり直しだろう。土を耕し苗を植えるところからしなければならない。せっかくもうすぐ実がなるところまで成長していたのに、そう思うとため息が出てしまう。


「セルティア様」


 一歩離れて様子を伺っていエルと双子は騒ぎが落ち着いたのを見計らって側に寄ってくる。同じように荒れた場所を見た双子は悲しそうに顔を歪めた。


「また一からやり直しね。明日一緒にしましょう?」


 灰色の癖毛を撫でながら、セルティアは宥めるように優しく言う。服を強く握りしめながら、小さく頷く双子の様を見て、困ったように笑う。


「大丈夫、少しぐらいなら元に戻せるよ」


 エルはそう言いながら一度優しく笑ってみせると、目を閉じ、手を翳して聞き取れない言葉を呟いた。

 空気中に輝く粒子が現れて大地に降り注ぐ。すると無惨な姿をして、萎れていた植物が空を仰ぎ始めた。そして新たな芽が生まれる。


「これは……」


 声を溢したのはクライだが、ここにいるエル以外の全てが驚きを隠せない。それは魔術では絶対にできない芸当であり、聖術だからこそ出来ること。しかも誰にでも出来ることではない。エルが何気なくやってのけたことは、とても高位な術で、やはり特別な資質がなければ不可能なことなのだ。


「すごいわね」

「聖術の特性は知っているだろ? 根が生きていれば、なんとかなる。まあ、成長を促しただけだから完全には戻せないけど」


 聖術は回復や修復を得意とする。これは生き物がもつ本来の生命力を促しているに過ぎず、決して無を有にするわけでも、時間を巻き戻すわけでもない。根が生きていた。その生命力に働きかけ、成長を促し、新たな芽を出させた。


「それでも凄いことよ。ここまで出来る人はそういないと聞くわ」

「そうかな。こういうのが得意な人を知ってるけど……その人がするともっと凄いよ」


(得意な人……?)


 謙遜するエルにセルティアは小首を傾げる。そして何を言っているのだろうと思う。明らかに喜んでいる双子を見てその気持ちはより強くなる。


「でも、今ここを蘇らせてくれたのはエルだわ。本当に嬉しい。ありがとう」


 それが事実には変わりないと伝えたい。悲しんでいる双子に、笑顔を取り戻してくれたエルに感謝を伝えたい。エルの優しさに応えたくて、セルティアは柔らかく微笑む。そして、同じようにエルも微笑んでくれると尚更嬉しい。


「どういたしまして」


 魔女の微笑みはその想いをエルに伝えたのだろう。

 そして騎士は柔らかく微笑んだ。

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